【海外の人は日本の皇室をどう見ている?】その85:「雅子さまは皇族にはもったいない」
“Empress Masako”
前回のその84では雅子さまか紀子さまに何としても男児を産ませようと働きかけた宮内庁について、海外の声をピックアップした。今回のその85は皇后雅子さまの苦悩に満ちた日々について、さまざまな感想や意見を日本語にしてご紹介してみたい。
◆どんな内容か
取り上げたのは、TikTokアカウント「theroyaltynerd」から『Empress Masako』という動画。アリーさんという世界の王室・皇室マニアが、雅子さまの学歴や家族構成、徳仁天皇とのご成婚や敬宮愛子さまの誕生を紹介している。
アリーさんは雅子さまの群を抜く優秀さや、華やかな経歴を称賛。一方で、「男児を産まなければ」というプレッシャーから適応障害を患ったことには強く同情している様子だ。
◆様々なコメントが寄せられる
@Stephanie Louiseさん
私は雅子さまが大好きで彼女に関する本を読み、とても気の毒な気持ちになりました。すごく知的な女性なのに、結婚後は全ての自由を失ってしまったんです。
@Allieさん
それは『プリンセス・マサコ -菊の玉座の囚われ人』という本のことですか?私も買おうと思っていたのですが、賛否両論あると聞いています。
@Stephanie Louiseさん
それです! 100%事実ではないにしても、報道内容やプライベートについては完全に嘘でもないと思っています。
少し疑ってはいますが、出回っている情報から自分で調べてみると、彼女のストーリーはとても悲しいですよ。皇族と結婚することで非常に閉鎖されてしまいました。
@Kellyさん
1回目のプロポーズで断ったなら、その直観に従うべきでしたね。
@Royal Daily Teaさん
私も雅子さまの大ファンだけど、ひどい皇族生活を送っているのを案じます。結婚後は色々なことが制限され、妊娠も色々ありましたから。
@prettylittlehallinatorさん
とても苦労したと知り、本当に同情しています。息子が生まれなかったのは完全に自分のせいだと感じていたと、読んだのを今でも覚えています。
@jさん
私が聞いたところによると、彼女は徳仁天皇と結婚するよう圧力をかけられ、3度目のプロポーズを断る選択肢はなかったそうよ。
@mitchydoodleさん
雅子さまは皇族にしておくには、あまりにも勿体無い方です!!! 彼女の話題を取り上げてくれてありがとう。
@Oxさん
一つ言っておきたいことがあります。テレビ番組でメーガン妃が愚痴をこぼしているのを見たとき、私は雅子さまのことを考えました。
彼女はすべてを捨てて皇室入りしたのに、周囲やメディアからひどくいじめられました! 彼女は皆さんの目の前に現れ、ひどく萎縮しながら、それでも立派なふりをしなければならなかったんです。雅子さまが、雅子さまらしさを大切にした人生を送れるよう願っています。
@ulieさん
本当に気の毒です。素晴らしい教育を受け、たくさんの海外生活を経験し、明るい未来が待っていたはずなのに。今もかなり制約のある暮らしをされています。
@Chilling Rosesさん
雅子さまは信じられないほど素晴らしく完璧な女性です。彼女の不安やプレッシャーを知ってから、私は常に彼女を心から応援してきました。
@santahettaさん
義理の親である上皇ご夫妻は、男児が生まれないことで、雅子さまを良く思わかなかったらしいですね。
@bensfighttorecoverさん
素晴らしい雅子さま。ぴったりのウェディングドレスでしたね!
@A.Mさん
雅子さまは本当に魅力的な方だと思う。
@user7961345658786さん
そんなにも知的な方だったんですね。そのレベルは世界でもかなり珍しいと思いますよ。
@nanami’s real wifeさん
あのままずっとオックスフォードにいらっしゃればよかったのに。雅子さまのお幸せを祈ります。
@user5153804719905さん
雅子さまについては、まだ語られず隠されていることが山ほどありそうですね。
◆まとめ
人柄も良く大変な才色兼備で、文字通り完璧な女性である雅子さま。誰もが羨む女性を皇太子妃として迎えた皇室だが、その閉ざされた闇の世界は、想像を絶する陰湿なものであったようだ。
雅子さまは、「エリート街道まっしぐらだったのに、結婚で全てを失った」「皇室に適合できなかった不幸なプリンセス」などと言われてしまうことがあるが、現在はやさしいお人柄の陛下や愛子さまと過ごされる日々に、きっと大きな幸せを実感していらっしゃると思う。
そして、国民の気持ちをやさしさで包んでくれる愛子さまの輝くような笑顔と理知性。私たちは、多くのことを雅子さまがお母様でいてくださるお陰だと思っている。
(エトセトラ編集部)
画像および参考:
・『TikTok』 Empress Masako ― theroyaltynerd
ここまでの【海外の人は日本の皇室、皇位継承問題をどう見ている?】
・その5:7年前の世論調査でも7割近くが「女性天皇を支持」と
・その16:香淳皇后にイジメられ美智子さまはつらい人生を…!?
・その21:「美しい日本を守れるのは愛子さまだけ。みんなも手を貸してあげて!」の声
・その36:米YouTuberが小室夫妻の真実を伝える動画を放つ
・その43:徳仁天皇、ウィンザー城でエリザベス女王ご夫妻と過ごしたひと時
・その46:晩餐会での陛下のおことばが英国の人々を感動させる
・その47:天皇皇后両陛下、バッキンガム宮殿で日本ゆかりの品々を鑑賞
・その51:海外では報じられていた雅子さまの流暢な英語(オックスフォード大学訪問)
・その53:「聞いたことがなく、両陛下はてっきり英語を話せないものと…」
・その54:英国人が「このレベルの歓迎は滅多にない。かなり特別」
・その55:お別れを惜しむ英国王ご夫妻と両陛下なんと2分半も…!
・その56:「日本の皆さんには両陛下を誇りに思う理由が山ほど…」
・その57:「雅子さまの心からの笑顔を初めて見た気がします」
・その60:留学先で「Akishinomiya Mako」と呼ばれていた眞子さん
・その61:「かわいい」以外のコメントもそろそろ欲しい佳子さま
・その62:マチュピチュの佳子さまに「皇族としての存在感はそれほど…」
・その66:悠仁さまは「全然楽しそうに見えない」「この髪型が…」
・その68:愛子さまは1950年代から1960年代初頭のジャッキー・ケネディのよう
・その70:「プリンセス・カコによると、9÷3は2だそうです」
・その71:「何年も経ち今は回復の途に。そんな風に書くのはもうやめて」
・その72:イギリス留学時の徳仁天皇は「大人気で、誰に対しても親切でしたよ」
・その75:悠仁さまの学力は「20/1000点程度」との情報
・その78:「知れば知るほど、ますます大好きだった日本が嫌に…」
敬宮さま、あなたしかこの国を守れるお方はいません。
美智子シ、私は平成時代素晴らしい国母だと信じていました。完全に騙されていました。
雅子さまが皇太子妃候補でマスコミに登場した時 なんと(華)があり知的な方、是非皇太子妃にと願っていました。
美智子シは結婚後いじめられていました。その悲しみを知っている人が同じこと、いやそれ以上のいじめを嫁にするなんて…信じられないし情け無い。
それが国母のすることですか(怒り)
その悲しみや苦しさに耐えて 雅子さまは素晴らしい内親王さまを産み育ててくださいました。感謝しかありません。
今はもう平成時代ではありません。
心ある国民は天皇一家を見守っています。
いつまでも陛下の横で笑顔でいてください。
雅子さまが笑顔で過ごされることを心から願っています。
皇后様には不敬ながら、ご成婚の折から姉のように勝手に慕わせていただいてます。皇后様の多彩な能力ではどうにもならない領域、「男児出産」を突きつけられた当時、とても皮肉なものを感じた次期がありました。しかし、今では、敬宮様のご誕生には宿命的なものを感じております。皇室、ひいては日本の明るい未来に向けて。
敬宮様が継承者にならなければ、この物語は完結いたしません。それが国民の願いです。
皇后陛下がもしも苛められなければ
きっと男子も生まれていたでしょうし
海外にも行かれ活躍されていたと思います。
それを阻む人達がいたのです。
平成時代にわからなかった事が令和になりわかってきたのです。
ずっと耐えてこらえたのですよね。
それでも何か仰られ事もなく。
そんなに皇后陛下は妬まれなければならなかったのか。
張り合ったところで勝てるわけもなく。
お姑さんだけでなく嫁いびりまで。
若い頃はまだ綺麗だったのに生き方が現れてお顔が、、、。
謝るなら今のうちに。
愛子天皇1「おかあさま」という作文
2023.2.8
上記文言で検索を、、
>涙なしでは読むことができない作文です。
「おかあさま」
生まれたとき 私を抱きしめてくれたお母さまへ
私は8歳になりました 16歳まで半分になりました
生まれたときのことは おぼえていないけれど
お母さまとお父さまに出会うまで
おじいさま おばあさま ひいおじいさま ひいおばあさま 誰か一人でもいなければ 私は生まれませんでした
そう考えると いのちを繋げてくれたすべての人に『感謝』を伝えたくなりました
これから大人になっていくまで 雨の日も 雪の日も 曇りの日もあるでしょう
でも きっと お母さまと いつも一緒です
いつだったか 『ママ』ではなく 『お母さま』と呼ぶようになりました
ふと見ると お母さまはすこしさみしそうでした
たくさん泣いて 文句を言って お母さまを困らせたことや
『ごめんなさい』が素直に言えなかったこともありました
だけど いつもそばにいてくれた お母さま
怒った顔も 笑っている顔も 泣いている顔も
どんなお母さまも 大好きだから
私は お母さまが 私のお母さまで ほんとうによかったと思います
だから 見えない旅路も いつも そのままのお母さまを 見守りたいと思います
だけど いつかはきっと離れていく日が来るでしょう
だから おかあさま 産んでくれてありがとう 出会ってくれてありがとう 育ててくれてありがとう
そして 愛してくれて ありがとう
私は お母さまとお父さまの子供に生まれ 世界で一ばん幸せです
敬宮愛子
「私は8歳になりました 16歳まで半分になりました」
これは、敬宮様が「16歳になったら皇室を出て行かなければならない」と思っておられたということです。
皇室典範第十一条の①には、「年齢15年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基づき、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」
同条の②は、「親王(皇太子、皇太孫を除く)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分をはなれる。」とあります。
敬宮様は、「16歳になったら皇室から出られるんですからね(出ておしまいなさい)」、ということを、おばあ様より繰り返し言われていた、というのです。しかも雅子妃殿下と一緒に。
幼い敬宮様に「16歳になったら自らの意思でお父様と別れ、お母様と皇室を出ていきなさい」とは、あまりにも酷い言葉です。
当時の雅子皇太子妃は、適応障害の闘病中であり、それを分かっていて、母娘ともに深く傷つける言葉を言ってのけるとは、おばあ様の冷酷さに震えが止まりません。