「豆記者さん記事の小柄な悠仁さま」もやはりブータンに 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…

2019年8月の秋篠宮家によるブータン家族旅行。主役の悠仁さまについてじっくり観察し、どうにも怪しい点があることを、ここまで4つの記事に書いてみた。
■替え玉説にクロマキー合成疑惑まで 悠仁さまブータン旅行前後の写真を改めて検証
■2019年ブータン「木や草が」と「牧場シーン」は同じ悠仁さまなのか
■ブータン旅行用の白スーツ、採寸は「別の悠仁さま」で行われたのでは?
このなかの3つ目、「スーツの採寸が別の悠仁さまで行われたのでは?」という記事では、そのご旅行の2週間前となる2019年7月下旬、豆記者さん約60名との語らいという記事で紹介された悠仁さまが、やや小柄であることをご紹介した。
今回の記事は、筆者が抱いている疑念がさらに濃厚になったことを、あるニュース映像からお伝えしてみたいと思う。
2019年8月16日から25日まで、間もなく13歳になる悠仁さまは秋篠宮夫妻とともに私的なブータン旅行を楽しまれた。
今回、頼りにさせていただいたのは、TBS NEWS DIGがYouTubeにアップした『悠仁さま 初めての外国訪問(2019年8月ブータン)』の最初の部分。ブータンのパロ国際空港に到着されたシーンである。
そのときの悠仁さまと、2週間前に赤坂御用地で撮影されたある映像の「そっくり」具合を、どうか皆様がご自身の目で確認していただきたいと思う。
◆2週間前はもっと小柄だった悠仁さま
ここは少し前の記事と重複するが、どうかお付き合いいただきたい。
下の画像は、朝日新聞のニュース映像『秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、沖縄・北海道の豆記者と懇談=宮内庁提供』のスクリーンショットで、ブータンご出発の約2週間前のお姿である。

そして下の画像、左側はブータン滞在中のワンシーン。悠仁さまは2週間で背がかなり伸び、胴回りも腰回りもふくよかになってしまったのか(そんなワケがない)、白いスーツがぱつんぱつんな印象であった。

その日、秋篠宮家の親子はまったく同じ布地を感じさせる白いスーツ姿で、このときのために親子ペアでスーツを仕立ててもらったと考えられるが、それにしては採寸がなっていない。
こんな窮屈なスーツになってしまったのは、採寸に臨んだのが上の写真の黒ズボンの悠仁さまだったからでは?というのが筆者の憶測である。
◆ご表情があの小柄な悠仁さまと…
そして実は、この黒いスーツ姿の悠仁さまは、タラップを降りたところで例の横目使い、舌なめずりを見せてしまった。TBS NEWS DIGの動画からパロ国際空港到着時のスクリーンショットを集めると、このようになる。

この悠仁さまのご表情、雰囲気は、ご出発約2週間前の「豆記者さんとの語らい」記事の悠仁さまとそっくりだと筆者は思う。右目の横のギザギザした雑なヘアカットも同じような感じだ。

動画の21秒目からしばらくご覧いただくと、悠仁さまは目つきが鋭いときもあるが、和やかな笑顔を見せておられるときもあることがわかる。
(スタートは合わせてあります)
◆ぴったりサイズのスーツでブータンへ!
ブータンのパロ国際空港に到着され、飛行機のタラップを降りる悠仁さま(写真・左)は、いずれにしても黒いスーツのサイズがぴったり合っていた。
ブータン滞在中の白いスーツ姿が「ぱつんぱつん。腰回りもまったくサイズが合っていない」と話題になってしまった右の悠仁さまとは大違いなのである。

白いスーツも左側のやや小柄な悠仁さま向けに作られていたが、ブータン到着後、悠仁さまが心身の調子を崩すなどされ、以後のスケジュールは大柄なもうおひとりと交互で担当することになった ― これが筆者の見立てである。
◆まとめ
実は、神奈川県在住のHさんは、今回ご紹介してみたTBS NEWS DIGの動画において、別の部分についての違和感をメールに書いてくださった。そちらも次の機会にご紹介させていただきたいと思う。
「ブータンには複数の悠仁さまがお出かけになった」という疑惑は、グレーがますます黒に近づいて行く感じだ。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
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画像および参考:
・『YouTube』悠仁さま 初めての外国訪問(2019年8月ブータン TBS NEWS DIG
・『YouTube』秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、沖縄・北海道の豆記者と懇談=宮内庁提供(音声はありません)
時代により、豆記者対応の方式が全く変えられているのに驚きました。
ご存じ秋篠宮家がやるようになってからは、45度の最敬礼を強要し、軍隊式に子供らを並ばせ、まるで見下ろすような格好でやったので大顰蹙を買いましたが、現在の天皇陛下が皇太子時代はといえば、愛子さまを連れられて、子ども達の輪の中に入ってゆかれるスタイルで、豆記者に直立不動姿勢など要求されてもいません。
この朝日新聞の写真を御覧下さい。陛下らしい、心温まる歓迎です。https://www.asahi.com/articles/photo/AS20221021001027.html?iref=pc_photo_gallery_4
平成末期でも雅子さまの優しいお顔に子どもの背丈に合わせてかがんでおられ、みんな楽しそうです。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20221021001032.html?iref=pc_photo_gallery_3
わざわざ沖縄から来て、秋篠宮家方式では歓迎されているどころか兵士にでもされたような感覚になります。統帥権に興味のある秋篠宮らしい、並ばせ方でしょうか。
同じ朝日の写真には、見て子さまが軽井沢で豆記者を出迎えた1965年の写真もありました。
豆記者の立つ位置には線が引かれ、バミリです。秋篠宮家方式よりはマシですが、狭いところに追いやられた子どもたちはまるで教室で立たされているようでちょっと可哀想に見えます。この時代は、まだ占領下の沖縄なので、子ども達はパスポートがないと東京に来られなかったはず。
この三代の豆記者応接を見比べると、個性がはっきり出ています。
形式重視で、ちやほやされたい見て子時代。内容重視で、子ども目線で歓迎に努められた両陛下の皇太子時代。中身空っぽな安西宮家を皇嗣家と偽り、虚勢を張ることになら、豆記者をも利用しようとする紀子時代、と見事に分かれました。
もし愛子さまが皇太子になられたら、昨日今日の能登訪問のように、一人一人に的確なお言葉をかけられ、みんなに一生の思い出、お言葉の宝物をプレゼントしてくださることでしょう。
こちらのドノヒトさまも興味があります。どちらも7歳時点ですが、同じ時事通信の記事でも、対馬丸イベントに参加したときのドノヒトさまは、お目々パッチリなのに、運動会のドノヒトさまは…。どうみても別人にしか私には見えませんでした。
URLを貼っておきます。
2014年08月16日 対馬丸追悼集会
(https://www.jiji.com/jc/d4?p=hht111-jpp017705594&d=d4_ee)
2014年05月24日 お茶小運動会で綱引き
(https://www.jiji.com/jc/d4?p=hht111-jpp017235061&d=d4_ee)
他に紛らわしいドノヒトさまが何人かいるように見えるのが、2017年です。
とても一人の男子がこんなに違って見えることなどありえないので、グループとしての悠仁sの存在は疑いがなく、ただ何人いたのか、いまはそのうち何人が生き残れたか、に注目しています。間違い探しをやっているようで、やみつきになりそうです。
秋篠宮家が2019年8月にブータンに出かける2週間ほど前に報じられた、赤坂御用地に招かれた豆記者さんたちとの懇談。小柄でやぶ睨みをしていた「悠仁くん」はいまどこにいるのだろう。
① ブータンに到着した際、「悠仁」としてタラップを降りたのは、悠子さんではなく悠仁くんの替え玉で、舌なめずりややぶ睨みをする小柄な男子だった。動画では、飛行機から紀子さんよりも先に降りてきたように見えた。
② 最初はその替え玉で採寸していた白い上下スーツを、急遽悠子に着せたらしく、サイズが合っていないことが今になってバレた。
③ 博物館訪問や、マスコミへのインタビューに出て来たのは、もっぱら悠子さんのようだ。
④ 他に「悠仁の替え玉」が出てきたのは、ラバに乗って登山に出かけたとき。このときは二人揃いで出た?ラバに乗る子の顔が異なっているからだ。
⑤ ブータン滞在中に両者の関係が逆転したのか、悠子さんが主役になってしまっていた。設定変更である。
⑥ 日本帰国時、文仁さんと紀子さんは別々のフライトだった。マスコミにお披露目されたのは「悠仁の替え玉」ではなく悠子さんの方で、紀子さんに連れられ、報道陳に愛想を振りまき、そのときの写真が中学生時代を通して共同通信使用・販売の「悠仁さま公式顔写真」となった可能性がある。紀子さんは行きと帰りで、別の子と一緒にフライトしたのではないか。このことは、事実上の後継者入替えでもあるが、その後も男子らしき悠仁sが何人か入れ替わり出て来たので、完全に悠子さんに一本化されたわけではなかった。
****************
以上が、ブータンでの行動を、ここで画像分析された結果や皆さんの意見などで、誰が、どのシーンに投入されていたかをざっと分析したもの。これに、8000万プレハブ療育棟で起きていたことを掛け合わすと、見えてくるのは…。
⑦ 療育棟は、最初の悠仁生誕から1年以上経ってから建てられたので、乳児のための施設ではなかった。
⑧ 投稿を頂いた「療育棟は、秘密にしたかったのでは⁉️」さんの情報では、「循環器系医師1人と看護師5人が、24時間体制で療育」されていたそうなので、そのころからインフリキシマブとも関連する循環器系医師常駐という異常事態だったことも推察される。いずれにしろ健康状態や聴覚などに問題があったので、ひそかに対処する療育目的兼病院施設が秋篠宮邸内に離れとして建てられたといえそうです。
⑨ そうなると、悠仁sとは、約2年の間隔を開けて作られた世代の異なる代理母出産児集団ではないか。第Ⅰ世代男子群が完全失敗作と判明したので、また後から密かに作り直した第Ⅱ世代がいて、とても大学生には見えない悠子さんは第Ⅱ世代で、実際はまだ16歳くらいなのではないだろうか。
⑩ ブータンでみせた悠子さんの幼い表情からは、とても中学生とはみえず、現にその頃お茶中に通学していたのは、目が細く、目尻のつり上がった全然顔の違う悠仁1号だったので、当時から帰国時に撮られた、目がぱっちりして可愛らしい顔を「奇蹟の一枚」とか呼ばれて、画像修正で完全に目を他人のものと入れ替えたのでは、とまで言われていたことを思い出しましたが、実は同じ顔の動画もあったとわかったので、さては別の子を使ったなと納得させられた次第です。
⑪ ブータンに連れられていった二人の悠仁sが、行きと帰りで主従逆転したこと。これには興味分野が当初は「稲作」「田んぼ作り」「焼畑農法」設定だったのが、突如「トンボの生態」にとって変わり、ヒストリーがすっかり書き換えられたことも傍証となるはず。慌てて稲作研究者がトンボ観察のお手伝いをしだしたり、論文共著者にまで祭りあげられる事態となったのも、「安西長男家の世継争い」として冷ややかに見れば、見え透いた泥縄工作だったとしかいえない。ただその陰で、庭園課長が突如お亡くなりになられていたことが気がかりでなりません。
⑫ ブータンに行ったもう一人の悠仁くんは、帰国時に発見されないよう、おそらく文仁さんとの同行帰国すら許されず、中継地のタイに一人置かれ残された可能性はないでしょうか。筑波大で発見された目の極端に細い男子と同一人物なのかどうかはわかりませんが、身長が低いようなので悠仁2号ではないように思えます。悠子さんと同じ代理母出産の第Ⅱ世代で、同年齢なのではないでしょうか?
ブータンという閉鎖国家に、あろうことか”二人の悠仁s”を同時に連れて行ったのでは万事休すです。山村美紗のサスペンスみたい。
①私的旅行にこだわった理由は、まさにこの点。違法なツイン悠仁sを外交の場に代わる代わる出すには、こうするしかなかったから。閣議決定が通らない。
②衣装の準備がずさんで、どちらの悠仁sが着用するかも決めずに、はじめからサイズが合わない男子悠仁用のスーツを女子悠子に着せてしまい墓穴を掘った。
③男子悠仁は小さく、女子悠子が大きかった。だから男子用のものが悉く合わず、レディースを着用させて、女の子がいる動かぬ証拠を掴まれた。
④ブータン人の視力の良さを侮った。二人の悠仁sの顔の違いが、現地の人にはバレバレだった。
⑤ラバに乗るのに、同時に二人を出してしまった。これでブータン側には悠仁が二人来ていることが確定してしまう。お芝居で舞台の袖から役者の出番を間違えるような失態をしでかしたのは、随行の職員が限られ、本来同行すべき人間の大半を切ろうとしたからか。
⑥同年齢で双子でもないとなると、残るは代理母しか可能性がなくなる。「多すぎる悠仁」が致命傷。
ラバに乗って、山登りをする「悠仁さま」にも二種類、いや見るからに異なる二人の子がいて、同じ日の筈なのに、服装が全然違いました。こちらの記事です→https://etcetera-japan.com/one-prince-hisahito-has-longer-legs-than-the-other(「2019年ブータン・ラバ登山、悠仁さまのお膝にご注目を! 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…」)ハットとズボンが違い、シャツはどちらも同じ女物です。
二人が連れて行かれたのは、この騎乗シーンを失敗なく撮影するためだったのでは? ただ何かの手違いで二人が同時に登場してしまったので、その後はほとんど使用されませんね。
というのも、当時は紀子さんの弟が離婚し一人娘の親権をとって、何と御用地内に住み着いて問題化。皇室の馬に乗るなどやりたい放題だったそうですが、逆に女児が秋篠宮邸内に同居していても、知らない人には、弟さんの娘さんだろうと思ったに違いないからです。
同時に、悠仁sら全員に対し、華麗な乗馬が出来るよう、徹底的に仕込まれたはずですが、ブータンに連れてこられた二人は乗馬を覚えたが、ほかの悠仁sらは駄目だったんでしょう。これは弟さんの研究分野でもあり、障害者乗馬運動、療育の一環として推奨されていたので、かなり熱心に教え込まれたのではないでしょうか。
姿を消した悠仁1号さんは、乗馬姿を見たことがないので、全く乗れないのか、逆に訓練中落馬でもして怪我していなければいいのですが、悠仁sからは完全引退したようなので、ちょっと気がかりです。少なくともあれだけ、馬馬馬でならした弟さんなのに、悠仁sの騎乗姿は、後にも先にも、このブータンでの二人のラバ騎乗写真だけなのです。
このままでは御料牧場にたくさん飼われている名馬に颯爽と跨がり、草原を駆け回る健やかな親王さまのセレブなお姿はついぞ見られないままになりそうです。
悠子さんは、睨むような顔はしませんが、こちらの別悠仁くんと元祖悠仁1号くんは、目つきが独特なのと小柄なので、たしかに別悠仁くんで採寸したスーツならば、悠子さんにはかなり小さすぎたはず。
最初は、悠仁s全員のどの子を出しても即戦力になるようにと、いろいろな場にわからぬようにして出す混成起用方針だったのかも知れませんが、ブータン政府に悠仁(悠子)の替え玉がいることが発覚し、ほかの王室にも通報されたのでしょう。
また元祖悠仁1号がブータンに連れて行かれなかったのは、当時から補聴器が問題視されていたからでしょうか。この偽者問題で、二度と再び、悠仁sが他国の王室を訪問することは許されなくなり、日本人の知らないところで完全村八分にあうようになったと見ています。スペイン王妃が、紀子さんを手で追い払うような仕草をなさったのをみて、ピンときました。
ひょっとすると、すでに高齢だった紀子さん自身は悠仁sを自分では一人も産んでおらず、全受精卵をタイで一斉に代理母に孕ませたのかも知れません。だから、平気で全員をプレバブ療育棟に押し込め、自分では子育てせずに、看護師に丸投げし、障害があるとわかっても、他人事のようにしか感じられず、きちんとした特別支援校での療育など考えもしなかったのだろう、といえるかも知れません。
この時も外務省を通さず、ブータンへ行くことで軋轢が起こっていたようですが、悠仁Sを連れて歩く為だとすれば納得です。その後も外務省を通さない状況は続いているようですね。
保守の読売新聞にも遂に見放された悠仁S。保守と言っても色んな方がいて、男子であることよりも天皇制を継続させることを優先させたいという方も当然おいででしょうから。
こういうことがリアルタイムでバレたら困るから報道規制をしていた? 後でバレても何とか言い逃れるとでも? 今の時代、映像が残っているといろいろと調べられますからね。
悠仁さまが高校生の頃に何度か秋篠宮邸に招待された人達が居ましたよね? その時に秋篠宮家全員が出席してましたが、悠仁さまは横目で睨んだりどちらかと言うと暗いイメージでした。
今の大学生の悠仁さまは明るくなってますよね。あの暗い悠仁さまはどこに行ってしまわれたのかと思うのです。まさに人が変わったようです。もしも同じ人なら反抗期が終わった?
4月27日女子学生らと植物園を笑顔でご観賞!の巻
で見た画像なんですが、、、
私の考えすぎでしょうか?彼の前後にいる人達は「低身長」の人を選んでませんか?彼の背が高く見えますね(笑)この家は身長へのこだわりが強いのかな? 変なの(笑)