悠仁さまの身長2018年→2019年にご注目を 私たちは一体何を見させられてきたのだろう…

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5年ほど前から囁かれるようになった「悠仁さま影武者がいる」という説。これは(画像はネットで拾ったもの)
5年ほど前から囁かれるようになった「悠仁さまには影武者がいる」という説(画像はネットで拾ったもの)

 

3ヶ月ほど前に書いた『児童保護の専門家も記事にした悠仁さまの首のアザ 影武者説はその2019年から濃厚に』という記事。悠仁さまに影武者説があることは前から認識していたが、そんななか、アメリカで「双子を実母と代理母の2人で生む」という事例が、よりによって2005年に承認されたことを知った。

卵巣から、同時に最大で3~5つくらいの卵子を強制的に採取することから始まる体外受精。ただし産み分けとなると、性染色体(XYかXXか)を確認するため受精卵への針刺し行為が伴う。その安全性/危険性を考えれば、「保険としてもう1~2人、代理母に産んでもらいましょうか」という話が持ち上っても不思議ではないのだ。

盛んになる代理母ビジネス。薄れていく妊娠の神秘=生命倫理。体外受精の技術は20年前にはすでにかなり進歩しており、次期天皇皇后になる可能性が見えてきた秋篠宮夫妻が、そこで「1人だけで結構です。運を天に任せましょう」などと倫理観を前面に出すだろうか。

…というわけで、筆者も現在は「影武者はいる」と思っている。今回は、悠仁さまの身長の変化に関して、ちょっと疑問を投げかけてみたい。



◆男児は12歳で身長がかなり伸びる

こちらは、「大人も使える身長計という」ウェブサイトに見つけた『男子の身長の伸びの平均 年間身長増加率』という図で、男の子は11歳から13歳で身長の伸びがピークを迎えるという。たとえば12~13歳では1年間の平均伸び率が8.6cmで、最高は10.3㎝、最低でも6.9cmだそうだ。

 

男子は中学校に入った途端にぐんぐん背が伸びるという(画像は『大人も使える身長計』のスクリーンショット)
男子は中学校に入った途端にぐんぐん背が伸びるという(画像は『大人も使える身長計』のスクリーンショット)

 

悠仁さまは2006年9月6日生まれ。その当時の身長の伸びを調べるべく、2018年から2019年あたりのお写真を確認してみることにした。

いわゆる「罰則付き報道規制」のせいで悠仁さまのお写真は極めて少ないが、逆に考えると全てが「ホンモノの悠仁さま」という前提の、宮内庁の検閲済みの写真ばかりである。



 

◆2018年、背は母・紀子さまのどの辺?

まずは産経新聞の、『【フォトギャラリー】秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、戦傷病者史料館ご視察』から。2018年7月30日、千代田区の戦傷病者史料館「しょうけい館」で展示品を見学された悠仁さまの背は、紀子さまの顎あたりであろうか。

 

2018年7月30日、千代田区の戦傷病者史料館「しょうけい館」へ(画像は『産経新聞』のスクリーンショット)
2018年7月30日の悠仁さまは面長だった(画像は『産経新聞』のスクリーンショット)

 

続いて時事通信の『秋篠宮ご一家~ご家族の写真・ご公務など~ 写真特集』という記事から1枚拝借してみた。満11歳と11カ月であった2018年8月、広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑を紀子さまとともに訪問した悠仁さまは、細面の男の子であった。

もしも紀子さまが背筋を伸ばしたとして、悠仁さまの身長は、やはり紀子さまの顎のラインくらいになるだろう。なお、どの写真も紀子さまは数センチのハイヒールを履いていらっしゃるようだ。

 

数センチのハイヒールを履いた紀子さま、背筋を伸ばし顔を少し上げたとしても、悠仁さまの新潮は顎のラインくらいか(画像は『時事通信』のスクリーンショット)
「しょうけい館」で撮影された悠仁さまと、雰囲気がとても似ている(画像は『時事通信』のスクリーンショット)

 



 

◆2019年の春を確認

2019年3月16日、当時まだ天皇であった上皇ご夫妻の元に向かい、小学校卒業を報告された悠仁さま。こちらは画像販売会社「gettyimages」の2019年のリストからだが、お顔立ちは丸顔になり、目がますます細く吊り上がってきたようだ。

 

2019年3月16日の悠仁さま(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)
2019年3月16日の悠仁さま(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)

 

続いて4月には、お茶の水女子大附属中学校へご入学。こちらの写真はNEWSポストセブンの『悠仁さま進学のお茶の水附属 OGから「特別待遇」に苦言も』という記事から拝借してみた。地面が平らではないかもしれないが、とりあえず悠仁さまの背は紀子さまの唇あたりまで成長されたようだ。

 

紀子さまの肘、高さは悠仁さまの胸のあたりに(画像は『NEWSポストセブン』のスクリーンショット)
紀子さまの肘の高さは、悠仁さまの胸のあたり(画像は『NEWSポストセブン』のスクリーンショット)

 

その4か月後となる2019年8月、秋篠宮家はブータンにご旅行された。

こちらは毎日新聞の『悠仁さまブータン到着「大きな地震ありますか」 防災協力専門家と懇談』という記事から、空港に到着し、タラップを降りたところの親子の身長をご覧いただきたい。あれあれ悠仁さま、当時は一番の成長期にあったはずでは…?

 

1年前と比べて、むしろ身長が低くなられた…?(画像は『毎日新聞』のスクリーンショット)
4か月前と比べて、むしろ低くなられた…?(画像は『毎日新聞』のスクリーンショット)

 

ブータン国立博物館へ(画像は『KYODO NEWS』のスクリーンショット)
背は紀子さまの唇の高さには届かない。また、目が細くないことも特徴か(画像は『KYODO NEWS』のスクリーンショット)

 

KYODO NEWS の『Japan’s 12-year-old prince starts 1st overseas trip in Bhutan』という記事で紹介されたこちらの写真では、むしろ4か月前のお茶中入学式より背が低いようにも見える。悠仁さまは広島訪問からの1年間で、まったく身長が伸びていなかったのだろうか。

 

そして2019年12月23日、上皇さまのお誕生日を祝うため、ご両親とともに皇居に入られた悠仁さまは、1年前とは打って変わって本当に可愛らしいお顔立ちであった。この少年はやや癖毛で目がパッチリとしており、おそらくブータンにお出かけになった悠仁さまであろう。

 

可愛らしいお顔立ちに変わった悠仁さま(画像は『週刊女性PRIME』のスクリーンショット)
ふっくらとした下唇の「割れ」も可愛らしい悠仁さま(画像は『週刊女性PRIME』のスクリーンショット)

 



◆まとめ

私たち国民は、一体何を見させられてきたのだろうか。

丸顔で髪質がストレート、細い吊り目の悠仁さまに近年お目にかかっていないような気がするが、お元気でいらっしゃるのだろうか。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『時事通信』秋篠宮ご一家~ご家族の写真・ご公務など~ 写真特集

『NEWSポストセブン』悠仁さま 側近が心配する進学先・筑附での「ご学友ができるかな」問題

『NEWSポストセブン』悠仁さま進学のお茶の水附属 OGから「特別待遇」に苦言も

『gettyimages』prince hisahito of akishino 2019

『週刊女性PRIME』悠仁さま、高校からいよいよ学習院へ?“刃物事件”が生んだ紀子さまのジレンマ

『毎日新聞』悠仁さまブータン到着「大きな地震ありますか」 防災協力専門家と懇談

『KYODO NEWS』Japan’s 12-year-old prince starts 1st overseas trip in Bhutan

『大人も使える身長計』男子の身長の伸びの平均 年間身長増加率

『エトセトラ・ジャパン』児童保護の専門家も記事にした悠仁さまの首のアザ 影武者説はその2019年から濃厚に

『エトセトラ・ジャパン』「声すら知らない」国民が殆ど 悠仁さま満1歳半頃に始まった異様な報道規制には「脅し」のような文句も

【YOUR VOICE】「悠仁さまは周回遅れ」=誰よりも秋篠宮殿下がご存じのはず=

『エトセトラ・ジャパン』母が1人を産み別の女性が双子のもう片方を…! アメリカで2005年に試みられた体外受精の究極の手段

5件のコメント

  •  皆様ご存知かと思いますが、指紋と同様耳紋での判別ができます。
    数少ない写真を見比べると、一見しただけでも同一人物とは思えない方が・・・

  • ブータンの悠仁様はちょっと雰囲気が違うとは感じます。ぷっくりしていて目も比較的やや大きめ。でも記者とのやり取りは稚拙なものでしたし、ブータンの子供たちとのサッカーの予定が頭上の球送りに変更になったと聞きました。揃いも揃って聡明さに欠け、運動能力も低いのでしょうか。

    首に筋跡が付いた姿も代わりがいたなら、あえて傷がついた子を公開する必要はないのではと思います。それとも代理も使えない状況だったとか?

  • お茶中へ進学された時の写真。この生徒が同じクラスにいたら、絶対に近づきたくないし、関わりたくありません。

    影武者説は私も居るのかもしれない、と思うようになりました。ただ、絶望的なのはどのお子も出来○ないであること。

    皆、この一家のいうところの”ご優秀”な所がない。ブータンに行った時の受け答えと、立ち居振る舞いは頭を抱える程で、苦笑する他ありませんでしたが、〔弓を構えて矢を放つ〕があれ程出来ないのはもしかしたら卵の母親である馬子さんに似たのかもしれませんね。ああゆう遊びは小さい子は直ぐに覚えてしまうのに、馬子さんもなかなか出来ないでいる映像が残ってました。

    影武者同士が「こんな子の影武者なんかしたくない」とはならないのかと疑問です。皆が皆、女の子を見ると突進したり、馬の鼻の穴に指を突っ込もうとしたり、いつも立ち姿で腕が前にダラン、以上な内股だったりするのですかね。お腹に入れる前が一緒だから、同じ様な子なんでしょうね。

  • なるほど。
    目細の元祖悠仁1号君だけでなく、ブータンの一年前くらいから姿を見せ始める女児悠子4号。彼女は目がまんまるで、男装をすれば男の子にも見えたので、ブータンにも同行。

    ところが、広島に行った子はコッチェビ風の品のない子、これが1号なのだろうか。その後も、ツクフの修学旅行船上写真で、マスクの紐が耳介を突き抜けていたことから、付け耳だとも言われてきた子は目細なので、1号の生存を窺わさせられるも、昨年夏あたりからは、お化粧をした女子4号か、背が高いことから女子5号(4号とも少し違う顔立ち)が投入されているようにも見えます。

    最低男女二人、それとも男子二人、女子二人なのか。つくば市で一人暮らしさせられるのは、間違いなく1号以外の替え玉でしょうね。

  • 本当にあの丸顔の悠仁さまはどこに行かれてしまったのか。
    髪型もありますが今よく見る悠仁さまとは別人に見えます。
    で、急に背が伸びられたような。
    ほぼ、秋篠宮に近いですよね。
    でも、時々、紀子さんに近い背になったり。
    なんと言っても写真も動画も少ないから確認するのも大変です。

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