【皇室、徒然なるままに】第66話:世界で最も作詞が古い国歌『君が代』 西村 泰一

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今回もテーマは歌ですが、ちょっとだけ変わっています。ここで『君が代』をしっかりと紐解き、万が一でも秋篠宮家に皇統が移るようなら、歌詞まで変わってしまうかもしれないということを、今のうちからしっかりと理解しておきましょう。

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日本の国歌の歌詞は、よくご存知のように

 “君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで”

 

だが、これは、10世紀に編纂された本邦初の勅撰和歌集である『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として掲載された

 “我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで”

 

という短歌に由来するものである。その意味において、世界の国歌の中でも日本の国歌は「作詞が最も古い」と言われる所以である。

 

【かつては長寿を祝う歌だった】

上記の和歌は、当初は「君」は必ずしも天皇を指すものではなく、「祝福を受ける人の長寿」を祝う折などに朗詠され、その後の酒宴でもそれなりに抑揚をつけて歌われたものである。

しかし時代が下ってくるとともに、この「君」は所謂神武以来の「天皇」を指しているという理解に落ち着いていく。余談であるが、日本が香港を占領していた折には「君が代」の公式漢訳「皇祚」があった。それを紹介しておこう。

皇祚連綿兮久長
萬世不變兮悠長
小石凝結成巖兮
更巖生綠苔之祥

 

漢文の素養のない方にはわかりにくいかもしれないので、書き下し文を添えておこう。

皇祚(こうそ)連綿(れんめん)として久しく長し
万世変はらず悠(はる)かに長し
小石は凝結して巌(いわお)と成り
更に巌は緑苔(りょくたい)の祥(さいわい)を生ず

 

【英訳された詞も高い評価を】

この「君が代」は、イギリスの日本研究家バジル・ホール・チェンバレンによって英訳されている。そちらも紹介しておこう。ただし、日本語のWikipediaと英語のWikipediaで、紹介している歌詞が異なっていることには注意が必要だ。

A thousand years of happy life be thine!
 Live on, my Lord, till what are pebbles now,
 By age united, to great rocks shall grow,
 Whose venerable sides the moss doth line.

『Wikipedia』君が代より

 

Thousands of years of happy reign be thine;
Rule on, my lord, until what are pebbles now
By ages united to mighty rocks shall grow
Whose venerable sides the moss doth line.

『Wikipedia』Kimigayo(英語版)より

 

なかなか格調のある英語である。

ところで、これに正式に曲をつけるという話は、1869年(明治2年)、軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンが日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことを嚆矢としている。

このフェントン作曲の「君が代」は、1869年(明治2年)7月に、エディンバラ公アルフレッド(ヴィクトリア女王次男)が日本を訪問し、約1か月滞在するが、その折に横浜の山手公園音楽堂でフェントン指揮のもとに演奏されている。

しかし、フェントン作曲の「君が代」は威厳を欠いているという意見が日本では大勢を占め、当時の日本人が西洋的な旋律になじめなかったこともあって、残念ながら普及しなかったそうだ。

 

【ドイツ人教師も編曲】

時代は少し下って、1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が雅楽の壱越調旋律の音階で作曲したものを、ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲し、現在の「君が代」となっている。

この雅楽調のエッケルト編曲「君が代」は好評で、天皇礼式曲として主として海軍で演奏されたが、陸軍はあまり歓迎しなかったようである。1893年(明治26年)8月12日、文部大臣井上毅は「君が代」等を収めた「祝日大祭日歌詞竝樂譜」を官報に告示している。

官報第3337號
文部省吿示第三號
小學校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌
詞竝樂譜
別册ノ通撰定ス
朙治二十六年八月十二日 文部大臣井上毅

 

【連合国軍総司令部(GHQ)が日本を占領】

1936年(昭和11年)に文部大臣となった平生釟三郎は、尋常小学校の教科書に君が代を掲載するよう指示を出した。

1941年(昭和16年)に設立された国民学校の修身教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります」(国民学校4年用国定修身教科書『初等科修身二』)と記されている。

戦前の学制は戦後のものとは全く違うことをご理解いただくため、Wikipediaからこちらの表を借りてみた。


(尋常小学校、高等小学校、国民学校、そして小学校・中学校へ)

 

だが第二次世界大戦直後には連合国軍総司令部(GHQ)が日本を占領し、日の丸掲揚禁止とともに「君が代」斉唱を全面的に禁止した。そのため、天皇還御の折にはアメリカの代表的な愛国歌『星条旗よ永遠なれ』が「君が代」の代わりに演奏されている。イヤハヤ。

 

【新憲法公布記念国民歌や国民愛唱の歌が】

1946年、毎日新聞社が文部省の後援と日本放送協会の協賛を受けて募集・制作した新憲法公布記念国民歌「新日本の歌」(土井一郎作詞、福沢真人作曲)がつくられ、1948年(昭和23年)には朝日新聞社と民主政治教育連盟が日本放送協会の後援を受けて募集・制作した国民愛唱の歌「こゝろの青空」(阿部勇作詞、東辰三作曲)がつくられている。

前者は日本コロムビアより、後者は日本ビクターより、それぞれレコード化されるなどして普及が図られた。1951年1月、日本教職員組合(日教組)が「君が代」に代わる「新国歌」として公募・選定した国民歌として「緑の山河」(原泰子作詞、小杉誠治作曲)もつくられている。

しかし、1951年(昭和26年)9月のサンフランシスコ平和条約以降は、礼式の際などに、再び「君が代」が国歌に準じて演奏されることが多くなった。当然至極である。

 

【1999年に「国旗及び国歌に関する法律」が成立】

1950年(昭和25年)10月17日に天野貞祐文部大臣は「学校や家庭で日の丸掲揚、君が代斉唱することを推奨する」との通達を出し、主権回復後の1958年(昭和33年)学習指導要領に「儀式など行う場合には国旗を掲揚し、君が代を斉唱することが望ましい」と記載された。

これに日本教職員組合等が反対し、対立が始まり、学習指導要領は「国歌を斉唱することが望ましい(1978年)」、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする(1989年)」と改訂された。

この後、入学式・卒業式での掲揚・斉唱が義務付けられるなど、「君が代」は事実上の国歌として長らく演奏されてきたが、法的には根拠がなかった。そこで法制化が進み、(平成11年)8月9日に(国旗国歌法)が成立し、13日に公布(号外第156号)され、即日施行されている。

 

【『君』における日本国政府の公式見解】

 

日本国政府の公式見解は…?(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
日本国政府の公式見解は…?(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

 

つまり、国旗国歌法案が提出された際の平成11年6月11日の段階で、日本国政府は『君』について、大日本帝国憲法下では “主権者である天皇を指していた” と言われているが、日本国憲法下では “日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である” とされ、『君が代』の歌詞については、“日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの” と理解することが適当であるとしている。

しかし、そのおよそ2週間後の6月29日の公式見解では、「『君』とは 『日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す』とし、更に『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる」とした。また『君が代』の歌詞についても、「『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの』と解するのが適当」と変更された。

私なんかは気楽な立場なので、素直に国民学校の修身教科書に載った「君が代の歌は、“天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように” という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります」でいいのではないかと思うのだが、官僚は左翼の人たちからツッコミが入らないように、こういう持って回った表現に四苦八苦しなければならないのであろう。なんともお気の毒である。

そのあたりは、国歌に関する国会答弁でもご確認いただける。

『参議院』質問主意書

『衆議院』答弁本文情報

 

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それでは、このあたりで『君が代』を聴いてみましょう。

 

ところで秋篠宮家について、実は「秋篠宮 (文仁) 殿下は天皇の実子ではないという噂が皇宮警察から飛び出した。そこで『皇位継承者は浩宮の血脈から…』 という言葉が、代々の宮内庁長官に引き継がれていった」と、2006年(平成18年)においても書いていた人がいるようだ。

「だからこそ、皇室典範を改訂し女性天皇、女系天皇への道筋をつけて戴きたいのです」 さもないと、神武天皇以来続いた万系一世の貴種は、今世をもって終焉するかも知れません。 万が一にも秋篠宮家に第三子が誕生し、それが男子であったなら…。流石の小泉も、菊の秘事を耳にして腰を抜かさんばかりに驚いたという。

引用:『阿修♪』政治板には不向きなので⇒秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でない!(論壇:目安箱)【Believe it or not】

 

その、万が一が起きて秋篠宮家に皇統が移されるなら、残念ながら神武以来の皇統は絶え、新しい王朝(安西朝)を打ち立てることになってしまう。

そうなると国歌の変更も必要になってくる。なぜなら現在の国歌は、官僚的な言い回しはさておいて、神武以来の万世一系の天皇を讃えたものだからである。ただ、なるべく変更は最小限に留めたいので、以下のような歌詞でいかがであろうか?

安西が世は 千代に八千代にさざれ 石の巌(いはほ)となりて 苔のむすまで



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それでは第63話の締めくくりの1曲、『笹の葉 ― 君が代をメタルアレンジしてみた “Kimi ga yo”(Japanese national anthem)metal version』をどうぞ!

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)

 

■秋篠宮家の他の替え歌はこちらです■
【皇室、徒然なるままに】第46話:朝と夜の間に(悠仁讃歌)

【皇室、徒然なるままに】第47話:キコの奴隷(紀子さま讃歌)

【皇室、徒然なるままに】第48話:だから戻って(佳子さま讃歌)

【皇室、徒然なるままに】第49話:嵐山通船事件 私は秋篠一家の頭(かしら)

【皇室、徒然なるままに】第50話:蜻蛉の秘密 (悠仁君の独り言)

【皇室、徒然なるままに】第51話:笑って許して (悠仁君独白)

【皇室、徒然なるままに】第52話:国立科学博物館怨歌

【皇室、徒然なるままに】第53話:国立科学博物館怨歌Part2 『H君を恨みます』

【皇室、徒然なるままに】第54話:生きていてよかったですか? (秋篠宮紀子妃)

【皇室、徒然なるままに】第55話:秋篠御詠歌 「令和の改新」

【皇室、徒然なるままに】第56話:『異国に消えた内親王』 (小室眞子)

【皇室、徒然なるままに】第57話:『作り笑い』(紀子様讃歌)

【皇室、徒然なるままに】第58話:『一人ぼっち』(悠仁さま讃歌)

【皇室、徒然なるままに】第59話:『救われない魂』(悠仁親王御詠歌)

【皇室、徒然なるままに】第60話:「悠仁親王の『嵐の素顔』」

【皇室、徒然なるままに】第61話:「悠仁親王の『慟哭』」

【皇室、徒然なるままに】第62話:「悠仁親王の『天皇』」

【皇室、徒然なるままに】第63話: 『紀子から文仁へ Part I』

【皇室、徒然なるままに】第64話:紀子が歌う『嫉妬の嵐』

【皇室、徒然なるままに】第65話:「AヒトとAザイとミテコの『絶対絶命』」

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。



【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『Wikipedia』君が代

『Wikipedia』Kimigayo

『参議院』質問主意書

『衆議院』答弁本文情報

『Wikipedia』尋常小学校

『Wikipedia』日本の学校制度の変遷

『YouTube』笹の葉 ― 君が代をメタルアレンジしてみた “Kimi ga yo”(Japanese national anthem) metal version

『wikipedia』バジル・ホール・チェンバレン

『YouTube』123theJapan ― 君が代 Kimigayo – National Anthem of Japan

『阿修♪』政治板には不向きなので⇒秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でない!(論壇:目安箱)【Believe it or not】