【皇室、徒然なるままに】第38話:人間失格前篇 『小笠原諸島を訪ねて』作文 西村 泰一

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剽窃を指摘されるも「ご指摘に感謝」でスルーした悠仁さま
剽窃を指摘されるも、悠仁さまは「ご指摘に感謝」でスルー(画像は『産経新聞』のスクリーンショット)

ご存じの通り、作文『小笠原諸島を訪ねて』の剽窃問題は、それまで世間の秋篠宮家批判のオマケ的存在でしかなかった悠仁君を、舞台中央に引きずり出してしまった。剽窃の問題とその後については、もう多くの人が的を得た議論を展開しておられるので、ここでは何故この事件が起きたかという私の推理をお話したい。



悠仁君が母親の紀子さんと一緒に小笠原諸島を訪問されたのは、悠仁君が小学校5年の2017年で、その折の紀行文を2019年、彼が中学1年であった折に課された夏休みの宿題として提出されたものであると承知する。そして、北九州市文学館の「第12回子どもノンフィクション文学賞」に応募され、中学生の部で佳作に選ばれ、悠仁君は5万円の図書券を褒美としてゲットしている。

 

色々なところでよく聞く話であるが、「悠仁君は宿題はとてもよくできているが、試験になると突然出来が悪くなる」とのことである。理由はごく簡単で、悠仁君は宿題を彼の科目毎についたとても優秀な家庭教師に丸投げしているから。この『小笠原諸島を訪ねて』という作文も代筆であろう。代筆されたのは、剽窃問題が表沙汰になった折にクビになった女性の方だと思う。

タレントの自叙伝なんかもよく出版されるが、多くはゴーストライターによる代筆である。その場合、タレントはゴーストライターの長時間に及ぶインタビューに付き合うことを余儀なくされる。書くべき内容をうまく引き出すことができなければ、ゴーストライターも単に「文章を書くのがうまい」というだけで、如何ともしかねるのである。

 

悠仁君は、というか抑々秋篠宮家の方々は、自分の考えていることを相手にわかるように表現するのが上手ではないように思う。

例えば佳子さんは、先日のペルー大統領との会談の折に、只々無言で緊張した面持ちでペルー大統領の独演会を拝聴しておられた。さらに、有名な観光地で世界遺産のマチュピチュを訪れた折、感想を尋ねられると「おーっという感じ」とお答えに。それではまるで「夜の嬌声」と思しき雄叫びである。

また、紀子さんが日本語がほとんど出来ないことは有名な話である(画像クリックでリンク先へ)

 

 

そして秋篠宮がまともな文章を話せないことは、最近毎年ビデオ録画で見せられるお誕生日会見で、嫌というほど思い知らされている。

 

 

そんなご一家の日本語の能力よりも本質的なのは、旅行をしたのが悠仁君が小学校5年の時で、この紀行文を作成されたのが悠仁君中学1年の夏休みと、2年くらい間隔ができてしまった点である。

考えてみてほしいのだが、悪魔の天才と言われる数学者のジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)のように、写真のような記憶力を持ち、10年前に読んだ本をスラスラと暗唱できるような極めて例外的な方はさておき、普通の人は2年前の旅行についてどのくらい記憶しているだろうか?

悠仁君が日記をつけていたとか、あの旅行に関する何らかの記録を詳細に取っていたというのなら兎も角、悠仁君はゴーストライターの女性に殆ど断片的なエピソードを2,3話してあげるくらいが精一杯だったんではないだろうか?



となると、400字詰め原稿用紙19枚の紀行文を作成しなければならなかった彼女としては、ガイドブックの類だけが頼りだったのであろう。多少の盗用はあったにせよ、実際にこれを成し遂げたということで、私としては彼女に最大限の賛辞を贈りたい。

しかもこの紀行文は、最初は単に中学生の夏休みの宿題ということで、彼女もあれくらいの盗用についてはあまり気にしなかったと思われる。代筆をよしとするわけではないが、まずはその女性に「いつも悠仁の面倒を見てもらって、有難うございます」と感謝の気持ちを述べ、旅行代金を全額秋篠宮家で負担し、悠仁君が2年前に辿ったのと同じコースで小笠原諸島を旅行してもらい、その上で紀行文を作成してもらえばよかったのではないかと思う。

江森敬治氏は上皇御夫妻とその3人のお子さんを「聖家族」と形容しておられるが、「贅家族」である秋篠宮家には、そういう発想は全く無縁だったのだろう。お金を自分たちのもとへ集めようという発想はあるが、それをうまく使いこなそうという発想が全く欠如しているのである。

旅行代金なんてせいぜい数十万もあれば、十分過ぎるくらい十分であっただろう。秋篠宮家にとっては端金である。そんなお金を惜しんだおかげで、「悠仁君」を「ズル仁君」にしてしまった。この烙印を一生背負って生きていかなければならない悠仁君が、なんとも哀れである。

そのあたりのところを踏まえると、こちらのブログが「剽窃だけではない」と指摘してきた、あの紀行文の不自然さも自然に合点がいくのである。

 

 

ところで悠仁君は、中学一年だった2019年の夏休みの宿題として課された作文に、なぜ2年も前の小学校5年の折の旅行の話を取り上げようとしたのであろうか? この宿題を出された御茶ノ水女子大学附属中学校の先生は、おそらく「中学1年の夏休みの思い出を作文してください」ぐらいの乗りだったと思われる。

ただ、皆さんよくご存知のように悠仁君は完全なボッチである。水戸黄門の 助さん格さんにあたる人物はいても、私的な旅行をするほど親しい友人がいるなどという話は伝えられていない。旅行といえば、『小笠原諸島を訪ねて』がそうであったように、家族との旅行しか有り得ないだろう。

それは2017年の夏のことで、この年の9月に例の眞子さんと小室圭氏との婚約内定が発表になっている。当初は大変な祝賀ムードに包まれ、結婚は2018年秋には行われる予定であった。しかし小室氏の母親である佳代さんの元婚約者との借金問題が週刊誌で報道され、2018年2月には宮内庁が「結婚は2020年まで延期する」と発表し、事態は皆さんご存知の歩みを辿ることになる。

こうして、2018年の夏も2019年の夏も紀子さんは長女の結婚問題に忙殺され、2017年の夏のように悠仁君と一緒に何処かに旅行するような余裕が全くなくなった。悠仁君も、2017年の旅行の紀行文という選択をせざるを得なかったのであろう。

よって、悠仁君の剽窃問題は姉・眞子さんの結婚問題によって誘発されたという見方もできるのである。実に恐ろしきは、秋篠宮家にかけられた呪いである。

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それでは第38話の締めくくりの1曲、『Metis – 人間失格生きる事は素晴らしいのです』をどうぞ!

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。



【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『産経新聞』悠仁さま、作文の参考文献「記載漏れ」 指摘に感謝伝えられる

『YouTube』Metis ― 人間失格生きる事は素晴らしいのです

『J-Stage』赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―

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