【皇室、徒然なるままに】第39話:人間失格後篇/悠仁論文と「宮内庁職員哀歌」西村 泰一

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研究に不正行為が認められると重い処罰が下る(画像は『筑波大学』のスクリーンショット)
研究に不正行為が認められると重い処罰が下る(画像は『筑波大学』のスクリーンショット)

 

人間失格前篇:『小笠原諸島を訪ねて』作文こちらから。

◆赤坂御用地のトンボ相

秋篠宮家の長男・悠仁君のトンボ論文に対しては今、こちらのブログのほか、論文の内容や使用されているオツネントンボの写真について、ご存知のように捏造を疑う声が多くの方から上がっている。(画像をクリックするとリンク先へ)

 

この議論に私が付け加えることは何もないが、代わりに、こういうことが起きた舞台裏や、研究者としての今後について私なりに推測してみたい。

まず、この論文に掲載されている複数の写真を撮ったのは、トンボについては無知であっても、一眼レフカメラの取り扱いに習熟した宮内庁職員の方であったと思われる。当の悠仁君は、前期の「宿題の丸投げ」と同様、人に「ああして、こうして」と指図するだけである。

誰かが「悠仁君は屋外でトンボ採集や調査活動を行っているはずなのに、いつでも真っ白な肌をしている」と言っていたが、そりゃあ、そうでしょう。

そのうち色々とトンボの写真が集まってくるのであるが、悠仁君は「赤坂御用地にはオツネントンボがいるはず」と主張して譲らず、紀子様は「悠仁はトンボのことは何でもわかっているのです。息子がいると言ったら必ずいます」と例の般若顔で怒鳴り散らす。

こうなると、オツネントンボの写真を撮ってくるまでは許してもらえない。哀れな宮内庁職員さんは、困りに困ってこの捏造に及んだ可能性が考えられる。

大正時代の紡績女工たちの過酷な労働の様子が描かれている、細井和喜蔵の『女工哀史』は有名である。『ああ野麦峠』はそれを基にした山本茂実のノンフィクション作品であるが、このたびのオツネントンボの写真捏造は、まさに『宮内庁職員哀歌』ともいうべき貴重な一コマではないだろうか。

 

◆悠仁論文とその著者達の今後

さて、捏造であることが判明した場合、これは学術論文であるから、あの『第12回子どもノンフィクション文学賞』の佳作作文の時のように、「御指摘に感謝」でオシマイとするようなことは許されない。

あの小保方晴子氏が2014年1月のネイチャー誌に筆頭著者として掲載された論文は、その後に撤回を余儀なくされた。この悠仁論文についても同様のことが起こると思われる。

そして、捏造論文を提出した方の末路は哀れである。私が勤めていた筑波大学で起きた事例ほか、何件かをご案内しておこう。

『筑波大学』研究不正行為(盗用)の認定並びに修士の学位及び課程修了の取消しについて 2023.06.22

 

『毎日新聞』古川宇宙飛行士の研究で筑波大が論文発表、「不正なし」に異論 2023/1/11

 

『日本経済新聞』筑波大在職中も論文60本で不正 東邦大元准教授 2012年12月26日 22:24

 

『世界変動展望』論文捏造、改ざんで筑波大学を諭旨解雇になった柳澤明子(村山明子)が柳澤ファミリークリニックを運営! 2015-12-06

 

『Science Portal』JAXA精神ストレス研究で捏造、改ざんなど多数 研究者や古川飛行士処分へ 2022.11.28

 

『日本の科学と技術』東大分生研教授が実験ノート捏造を指示と結論

いずれにしても、このたびのトンボ論文は秋篠宮悠仁君・飯島健氏・清拓哉氏の共著であり、その3名が連帯して論文の内容について全責任を負わなければならない。

この3名に対し、所属するそれぞれの組織(筑波大学附属高校、宮内庁、国立科学博物館)からどのような処分がくだされるのか、注視している。アカデミズムの世界においては、盗みや殺人なんかより「論文の不正」のほうが、遥かに罪深いのである。

「赤とんぼ先生」として名を馳せるも重大な事件を起こしてしまった前園泰徳氏といい、この論文の責任著者であるトンボ研究者の清拓哉氏といい、秋篠宮家と関係を持ってしまうと、どうして皆さんこうも不幸な目に遭うのであろうか? 図らずも秋篠宮家と関係を持ってしまった「嵐山通船」は今、塗炭の苦しみにのたうち回っている。実に恐ろしきは「秋篠宮家不幸の法則」である。

秋篠宮あるいは悠仁君が天皇になったら、この「秋篠宮家不幸の法則」が諸に作動して、我々のとても大切な日本国が「阿鼻叫喚の巷」と化すのであろうか? くわばら、くわばら…。

 

◆「人を呪わば穴二つ」

ちょっとオマケに、第38話:人間失格前篇『小笠原諸島を訪ねて』作文でも触れたジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)の人生について、少し述べてみたい。

ノイマンは驚異の計算力を誇る、とても優れた数学者であった。そして第二次世界大戦中の1942年、原子爆弾開発・製造のために科学者、技術者を総動員したマンハッタン計画(Manhattan Project)に加わり、爆縮レンズの計算を担当した。広島と長崎に落とされた原爆の製造をおこなったのである。

爆縮レンズの計算とは、原爆を搭載機から落下させる際、どのくらいの高度で爆発させれば最大の殺傷力を発揮できるか計算することを指す。

Wikipediaによれば、ノイマンは政治的には大変な鷹派で、原爆をどこに落とすか議論になった折には、躊躇うことなく「京都に落とすべきだ」と主張したそうだ。日本の伝統の中心で、日本国民に対する衝撃を最大化できるというのが理由であったという。

ところが、実際に広島と長崎に投下された原爆がもたらした想像以上の惨状を見て、マンハッタン計画の科学部門のリーダーであったロスアラモス国立研究所のロバート・オッペンハイマーは、深い苦悩に襲われた。

戦後、彼は「原爆の父」としてアメリカ国民の英雄的存在となったが、苦悩の深まりは留まるところを知らない。1949年、ソ連が予想より早く原爆開発に成功し、衝撃を受けたアメリカでは水爆など核兵器の推進が盛んに議論される事態となった。

アメリカ原子力委員会の顧問になっていたオッペンハイマーは、ソ連との核開発競争を危惧して水爆開発に反対する立場に。水爆を「マイ・ベイビー」と呼び、「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラーらと深く対立し、人生を暗転させてゆく。

一方のノイマンは、躊躇うことなく水爆の開発計画に参加。しかし太平洋での核爆弾実験の観測、ロスアラモス国立研究所での核兵器開発において放射線を浴び、それが原因となって1955年に骨腫瘍およびすい臓がんと診断され、ガンは全身に転移して1957年2月に死去した。享年53歳。

「人を呪わば穴ふたつ」とは、言い得て妙である。

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それでは第39話の締めくくりの1曲、『ソプラノ歌手が歌う「銀の龍の背に乗って」歌 野々村彩乃』をどうぞ!

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。


【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
【皇室、徒然なるままに】第38話:人間失格前篇『小笠原諸島を訪ねて』作文

『Weblio』フォン・ノイマン

『Wikipedia』マンハッタン計画

『YouTube』 ソプラノ歌手が歌う「銀の龍の背に乗って」歌 野々村彩乃

『J-Stage』赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―

『Wikipedia』前園 泰徳

『Wikipedia』柳澤純

『Wikipedia』長照二

『エトセトラ・ジャパン』滅多にない「嘱託殺人成立認定」なぜ…? 注目の『赤トンボ先生教え子殺人事件』の裁判を深堀り 【前編】