「ぜひ調査期間中のフィールドノートを」 トンボ論文・表1と本文の解説が符合しない件、長野県のMKさんはこう見る
先にこちらで『これでイネ論文が書けるのか トンボ論文表1の「◯」「◎」90箇所以上が解説と符合せずと元学芸員さん』という記事を公開した。このところ、“秋篠宮家の長男・悠仁さまは熱心にイネの研究を” といった報道が続いているようだが、本当にこんなことで難解なイネ論文が書ける(書けた)のだろうか。そこで、長野県在住のMKさんにもご意見を伺ってみた。
ーーMKさん、今回もよろしくお願いいたします。悠仁さまのトンボ論文「表1」と本文の解説が、かなりの部分で符合しないようなのですが、いかがお感じになられますか。
MKさん:表1の〇と◎の意味するところについてですが、たぶん悠仁さまは論文のテンプレとして清拓哉氏が先に出された論文『皇居のトンボ類』を利用していらっしゃると思います。まずは、そちらと比較してみましょう。
皇居のトンボ類 表1
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〇:成虫記録のみで発生の確認までは至っていない種
◎:発生を確認した種
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赤坂御用地のトンボ相 表1
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〇:成虫が確認された種
◎:幼虫または羽化殻を確認した種
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研究するうえで重要なのは、単に飛来しただけの種なのか、それともその環境で「発生(産卵-ふ化ー羽化)」が確認できたのかを区別することです。『皇居のトンボ類』ではその点が明確に記されていますが、『赤坂御用地のトンボ相』では成虫、幼虫、羽化殻というトンボの形態について示されているだけで、「発生」という言葉が使われていません。
これでは単に、意味するところがわかりにくいだけでなく、その場所で発生しているかどうかという、とても重要な視点が抜け落ちてしまいかねないことになります。
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【MKさんの考察などをご紹介した記事はこちら】
■「科学とは何か、論文は何のためにあるのか」 トンボ相論文の一連の問題を通して、みんなで考えてみませんか? もちろん論文著者も含めて
■トンボ論文写真No.66「本当に7月2日の撮影ですか? 穂ばらみ期に見えますが」と農業従事者さまより
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■【新情報】トンボ論文写真No.74コシアキトンボ羽化 「早朝」「倒垂型」「ヤゴ殻にずっとぶら下がる」3つの特徴まるで無視
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―― 表1と本文の解説が、互いにしっかりと対応できていない、その原因はどんなところにあるのでしょうか。
MKさん:きちんと観察、確認の記録が掲載され、データおよび証拠となって表に対応する、これが研究論文の基本ですね。ここでも『皇居のトンボ類』と『赤坂御用地のトンボ相』を比較してみましょう。
例えば『皇居のトンボ類』では、このように「いつ誰がオスやメスを何匹ずつか」の記録があり、それが論文の表1に対応しています。
オオアオイトトンボ
1883 図9,30
下道灌濠:1♂,16.Ⅸ.2009,SS;2♂2♀,19.
Ⅷ.2010,SS;1♂1♀,18.Ⅹ.2011,SS.
中道灌濠:1♂1♀,27.Ⅸ.2011,SS;2♂,27.IX.2011,
TK; 2♂1♀,18.Ⅹ.2011,SS;2♂,9.X.2012, TK; 1
♀,9.Ⅹ.2012,MY.
ところが『赤坂御用地のトンボ相』には、この部分がありません。観察の記録を論文として公開するという意味において、ここが最大の欠点となっているでしょう。
―― 状況によっては細やかなデータを出す必要がない、なんてこともあるのですか?
MKさん:生物の分布などの調査論文で、調査箇所と調査回数がたいへん多い場合には、逐一の記載がなされないことも多いです。ただし、赤坂御用地という限られた調査地域なら、その記載がないことは論文としての価値を大きく損なってしまうことになります。
―― 論文を読むと、その著者さんの研究者としての細やかさ、注意深さみたいなものが見えてきますね。
MKさん:はい。例えば『赤坂御用地のトンボ相』のp135 には、個々の観察・確認を記載する代わりにこうあります。
赤坂御用地のトンボ目録
2002年から2004年にかけての赤坂御用地でのトンボ相調査(斉藤ほか,2005;以後,前回調査と略す)では記録されておらず,今回の調査で新たに発見された種(表1)については,初発見時のデータを可能な限り文中に記した.
このように、「今回発見されたものについてはそのデータを記す」として、全ての目視確認の日(等の記録)については省略している旨、書いています。
裏を返すと、ここでこのように示しているんだから、シオカラトンボなど従来から普通に飛んでいるトンボについては、そういった記録を省略して概要を述べておけば問題はない ― そんな記述姿勢が見えてきますね。
―― まったくの素人である私がみても、どうにも説明不足な気がします。
MKさん:まぁ、ありていに言って「誤魔化し」ですね。もし、観察の数が多くて本文中に記載しきれないというのであれば、Appendix(付録)として論文末に載せるという方法もありますから。それだととてもたくさんの観察記録を載せることができますよ。研究期間内の観察の経過も伝えることができて、とてもよいと思うのですが。
―― そういう方法があっても、それをなさらなかった。ところが、清拓哉氏はこれまで真剣に調査を続けていらっしゃった、ホンモノのトンボ研究者さんです。MKさんはこの件、どんな経緯があったと想像されますか?
MKさん:あくまで私の想像ですが、たぶんこんな感じかなと思います。
清氏としては、過去に15年以上調査が行われなかった期間があり、その間に悠仁さまがトンボを見つける活動を続けていたと聞いているので、欠落している期間を埋めるデータとして「価値がある」と考えたように思います。それは研究者としては正しいし、当然であると思います。
しかし下の記述のように、目視した日付も覚えていない場合もある、などというありさまです。
21. オニヤンマ Anotogaster sieboldii (Selys, 1854)(図55)
前回調査では未記録.本調査では,2015年に御膳水跡で本種の飛翔を目視で確認しているが,正確な日付を確認していなかった.日付まで含めた正式な記録としては,2021年7月25日夕方に御膳水跡の上空で飛翔する未成熟♂を確認したのが最初である.
水田について「4月から10月ころまで湛水状態が維持される」などと書いているくらいですから、もしかすると、野帳も作らず、メモもせず、記憶だけ、という状態だったのかも知れないですね。
―― 『皇居のトンボ類』では起きなかった誤魔化しは、わりと早い時点で起きていたと思われますか。
MKさん:『皇居のトンボ類』のこの部分に注目してみましょう。
皇居のトンボ目録(2009–2012)
記録は調査地ごとに,個体数と性別,採集年月日,採集者の順に記載し,採集年月日の早い順に配列した.基本的に撮影・目撃記録は含めず必要に応じて解説中に記述したが,それらの記録しか得られなかった種,および特記すべきものについては記録として示した.分類上の取り扱いや和名については,尾園ほか(2012)に準拠した.
採集者は次のように略記した.
SS:須田真一,TK:清拓哉,MO:大和田守,
SK:久保田繁男,MY:矢後勝也,UJ:神保宇嗣.
とあります。
年により調査の頻度や精度が低くなることや、種によって確認回数がたいへん多いものと少ないものがあることなどから、こうした記載方法はあきらめ、「新たに調査地内で発見したトンボについては可能な限りデータを記載する」という方向に持っていった、ということだと思います。
―― こうなると、求めたいのは高い解像度のオリジナル画像だけじゃないですね。
MKさん:はい。「調査期間中のフィールドノートを出してください」と主張したいところです。たとえば、たびたび話題にのぼる日本学生科学賞ですが、本審査では省かれますが、地方審査ですと野帳がとても重要視されるそうです。もっとも、それを出せるくらいなら、個々の観察記録はすべて掲載できていたでしょうけどね…。
―― トンボの調査は天気にも左右され、願った通りにはいかないでしょうし、早朝から夕方まで、本当に長い時間をかけるものだそうですね。
MKさん:私がどこかで読んだ小中学生による研究の中に、「毎日のようにセミの抜け殻を調べたり集めたりして、とても興味深い結果を得た」というのがあったことを覚えています。子どもたち、きっと目をキラキラさせながらセミの抜け殻を見つけて回ったのでしょうね。
たとえば、ですが、トンボの羽化を調べたいのであれば、調査地内にコースを決めておいて、毎朝登校前にデジカメを持ち、ジョギングを兼ねて一周すれば、羽化したトンボやヤゴ殻をたくさん目撃できるチャンスに恵まれるのではないかと思います。
メモ帳とかも持っていけば完璧でしょう。トンボ相論文の著者さんはそういうこと、実践しているはず…かな???
私たち農家でも、優れたイネの作り手は田んぼに行って、たとえば30分とか、じっとイネを見つめていたりします。 「イネと話をしてるんだよ。」 そういう人は、問われるとたいていそう答えます。やっぱりどんなことでも「現場」は大事ですね。
―― 秋篠宮邸からすぐの水深約1メートル、広さ約10平方メートルという小さな「なまず池」についてですが、論文には “2000年から2016年までは手入れはされず,オオカナダモが繁茂していた.2017年に池の水を抜き,その後2019年までに雨水にまかせた水管理になっていた.” とあるんです。2019年からは宮邸の大工事ですし何かズボラな印象です。
MKさん:10歳からトンボのための環境づくりに励んだと報道されていましたけれどね。
―― 画像の加工、それからトンボそのものが「生きているのか」についても、実に多くの疑義の声が上がっています。それについては、どんなことを想像されますか?
MKさん:もし写真に捏造があったと仮定したら、ですが、不思議なのは、なぜそんな面倒なことをしたのかということです。画像1枚を得るにせよ、準備も含めて数週間以上を要した可能性もありそうです。ズボラな人がそこまでできるものでしょうか…。他に「ズボラではない協力者」がいた、ということでしょうか?
―― 秋篠宮ご夫妻の命令で宮内庁の職員さんがトンボ調査や撮影を手伝い、予想外の要求にも応じなければならなかったのでは、という見方があります。それでわが子を筆頭著者になんて、無理があると感じますが…。
MKさん:もし私がトンボの研究者であったとしたら、この論文を出すにあたっては、悠仁さまには第2著者にとお願いするでしょうね。そして2021年から2022年にかけ、著者全員で計画的・組織的な調査をするでしょう。
その結果、論文ではそれぞれの著者がどのような貢献をしたかを記し、そのうえで悠仁さまの調査活動を、たいへん貴重な記録であると文中で讃えるようにします。その活動があったからこそ、前回の論文と今回の調査を時間的につなげて変化を明らかにすることができた、と。
―― そういう流れであれば、読む側も納得できますから評価につながりますね。
MKさん:そうです。「調査が継続していたことは貴重だし、それを行った悠仁さまはすごい。2021年からの本格調査でも活躍している」という感じで評価してもらえたことでしょう。
―― その途中で、悠仁さまがコンクール等に自身の調査の成果を予備的に発表すれば、賞を獲得するチャンスもあったかもしれませんね。
MKさん:ところが、この論文は悠仁さまを第一著者にしてしまいました。トンボの確認についてならば、“人の手による維持管理” などという副題をつける必要はないと思うのですが、第一著者の「自然誌にご関心がおありな…」といったオリジナリティーを出そうとして、かえって問題を生じさせてしまったように思います。
―― 一見同じように見える『皇居のトンボ類』と『赤坂御用地のトンボ相』ですが、中味を見ると、論文としての価値には大きな差があることがわかりました。執筆者以外に協力者はいたのか、著者の役割分担がどうなっていたのかなど、これらは今後、とても重要なキーワードになりそうです。MKさん、大変ありがとうございました。
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さまざまな意味で「正直さに欠ける」と言わざるを得ない、このたびのトンボ論文。
先の調査で、赤坂御用地においては、秋篠宮邸周辺の水田や池が最もトンボ相調査に適していると評価されていた。にもかかわらず、宮邸の改修と増築の大工事が延々と続き、池の浚渫もあってトンボは逃げてしまい、戻ってこない時期もかなり長かったように想像する。
60億円が投じられたとも言われる驚きの大工事については一切触れず、一方で「いなくなってしまったトンボ」をさも確認できたかのように論じる必要があったとしたら、関わった大人たちはどれほど大変な思いをしただろう。皆さんの苦労が目に浮かぶようだ。
【お知らせ】
MKさんはこの後、イネの「育種」についても解説をしてくださるという。世間は「悠仁さま、続いてはイネ論文で勝負か」とまさに注目しており、MKさんのご説明により、できるだけ多くの知識を備えておきたいものである。
母親になる「めしべ」に父親になる「花粉」を振りかけて交配をおこない、純系品種の改良を重ねてきたイネ。かなり前に「イネのゲノムサイズは3億9,000万塩基対。イネの全遺伝子数は約4万」と判明していたようが、その研究は今なおとても重要なものだそうだ。
(聞き手:朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『国立科学博物館』皇居のトンボ類 須田真一・清 拓哉
・『J-Stage』赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―
・『国立科学博物館』赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―
・『エトセトラ・ジャパン』これでイネ論文が書けるのか トンボ論文表1の「◯」「◎」90箇所以上が解説と符合せずと元学芸員さん