眞子さんがメトロポリタン美術館の作品を解説した件、すごそうに見えて誰にも書ける内容だった!?
『NEWSポストセブン』さんが、小室眞子さんがメトロポリタン美術館(以下MET)で日本の彫刻家・画家である山田真山(1887–1977)の日本画を解説したと報じ、大きな話題となっていた。弟が弟なだけに(?)、その解説文も本人がどれほど書いたのだろうと思いきや…。
メトロポリタン美術館の公式ウェブサイト『THE MET』で、問題の作品を探し出すのは簡単だった。Shinzan Yamadaと入力し検索した結果、The Collection/Asian Artの 1本しかヒットしなかったからだ。METはこの作品を2020年に入手したとし、「發心 出家」一遍聖絵の場面よりと表示している。
ただし文章中、「第四巻第三段は~」などという解説が入っており、METが添付した作品の写真(掛け軸2本)に該当するか否かは不明。さらに、オリジナルの一遍聖絵(いっぺんひじりえ)は有名で国宝にも指定されているが、山田真山のこの作品はまるで無名なのか、検索に本当に手間取った。
ちなみに、今回眞子さんに手を差し伸べた翻案者は、そもそもMETでその作品の解説にあたっていたジョン・T・カーペンター氏(John T. Carpenter 以下C氏)。日本の美術作品に造詣が深いキュレーターで、2017年の「国際陶磁器フェスティバル美濃」の審査員として来日し、名誉総裁を務めた眞子さんと知り合いになったと考えられている。
■スタート部分が完全に一致
さっそく本題に入ると、驚いたことに眞子さんの解説はC氏の解説とまったく同じ文章からスタートしている。山田真山が、時宗の開祖である僧侶・一遍の生涯を描いた1299年の絵巻『一遍聖絵』にインスパイアされ、この作品が描かれたことを解説する部分だ。これは眞子さんから提出された文章に物足りなさを感じたC氏が、自身のオリジナルの文章に差し替えたと考えるべきか。
■備前国での1278年の女性に関するエピソードが一致
次の段落からは日本語に訳して文章を紹介していきたい。両者は続いて、こう解説している。
(C氏)
第四巻第三段では、1278年の出来事を記しています。ある修験者(一遍のこと)は備前国(現在の岡山)の藤井を訪れ、人々を時宗の教えに導くという使命を続けていました。右の巻物は岡山にある吉備津神社の僧侶の義理の娘で、数珠を握りしめ、肘掛にもたれながら一遍から剃髪(ていはつ)を受け、尼になる様子が描かれている。左側は、以前に一遍を剣で殺そうとした武士。黒の法衣を着た僧侶が彼の髪を剃り落とす様子が示されています。
(The third section of the fourth scroll captures events of 1278, when the itinerant monk visited Fujii in Bizen province (present-day Okayama) to continue his mission to covert people to the teaching of the Ji Sect. The right scroll here shows a depiction of a lay Buddhist nun, the daughter-in-law of a head priest of Kibutsu Shrine in Okayama, who had just been given the tonsure by Monk Ippen, shown seated at an armrest holding Buddhist rosary beads. On the left, her husband, a warrior who had previously threatened Ippen with his sword, is shown at the moment the monk in black robes is giving him the tonsure.)
(眞子さん)
1278年、日本中を旅していた一遍は、備前国(現在の岡山)の藤井で時宗の教えを広めました。カリスマ性のある説法は何百人もの人を感動させたが、第四巻第三段では、岡山の吉備津神社の僧侶の息子の嫁が夫が不在の間に出家するという、宗教的目覚めの体験に焦点を当てています。オリジナルの絵巻では家族に囲まれ、数珠を握り、肘掛けにもたれながら一遍から剃髪を受ける彼女の様子が描かれ、右側の絵は時宗への入信を誓った直後の様子を示しています。
In 1278, continuing his travels throughout Japan, Ippen was spreading his teachings in Fujii in Bizen province (present-day Okayama). Though hundreds were moved by his preaching of the charismatic monk, the third section of Scroll 4 focuses on the experience one woman, the daughter-in-law of the head priest of Kibitsu Shrine in Okayama, who had a religious awakening (hosshin) and took Buddhist vows (shukke) during her husband’s absence.
The original handscroll illustration shows her seated at an armrest receiving the tonsure from Ippen, while the scene in right scroll here shows her just after taking vows, dressed in the robes of a lay nun and holding a Buddhist rosary while seated at a (similar) armrest, surrounded by members of her household.
ここまで、かなり似ていると言えるのではないだろうか。
■描かれた光景を述べるにとどまる
続いてC氏は、山田真山という芸術家の経歴や人生、生まれ故郷・沖縄との関係、第二次世界大戦を経て彫刻作品に政治的メッセージを込めるようになったこと、沖縄県平和祈念公園に祀られる世界平和を祈る作品などを手掛けたことなどを詳しく解説している。
一方の眞子さんは、「膝をつくポーズをとっている」「袖で顔を隠しながら泣いている」「髪は白い紐で結ばれ、青い柄の着物」「顔は黒ずみ日焼けしている」「木製の水桶や烏帽子が置いてある」などと、人物の動作や衣類、背景について述べている。これなら筆者でも語れそうだ…?
■一遍が刀で追われるシーンを解説
気になったのは、眞子さんがオリジナルの『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』に示されている、一遍殺害未遂を思わせるある描写について触れていることだ。
吉備津神社の僧侶の息子が帰宅すると、妻が一遍の影響で時宗に帰依したと知って激怒し、太刀を手に一遍を殺害しようとしたが、彼の言葉を聞いただけで「吉備津宮の神主の息子」と見抜いた一遍に驚き、自分まで時宗に改宗することを決めた。
じつは、眞子さんがこの情報をどこから得たのか、筆者は検索にけっこう苦労した。昨年8月には誰かがYahoo!知恵に質問すらしており、親切な人が回答しているのを見つけ、そこからやっとたどり着いたのが、先史古代研究会・丸谷憲ニさんによる【安仁神社と『一遍上人絵伝』の藤井の政所】という解説だった。
ちなみに、『NEWSポストセブン』さんのその記事の最後にはこうあった。
METに取材を申し込むと、日本のメディアだとわかった途端に態度が硬化。「われわれの常駐スタッフに、マコ・コムロなる人物はいません」という回答だった。
今回の眞子さんによるこの解説文をじっくりと分析した印象では、それも当たり前といった感じだ。幸いにもC氏に英語に翻訳してもらったことで、盗用や剽窃の疑いをかけられる危険性はゼロ。それだけでも安心だ。
画像および参考:
『THE MET』Monk Ippen Giving a Warrior the Tonsure and His Wife as a Lay Buddhist Nun
先史古代研究会・丸谷憲ニ安仁神社と『一遍上人絵伝』の藤井の政所
『Yahoo!知恵袋』どうして一遍は襲われそうになってるんですか?
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
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