日本人ならきっと涙する昭和天皇の動画 国民を思いやるお気持ちの温かさは山より高く海より深く… 

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昭和天皇について大変お詳しい【皇室、徒然なるままに】でおなじみのの西村 泰一先生が、このたび「ブログ読者の皆さんにも是非とも」と、ある動画を紹介してくださいました。宗教を持たない人が多い日本において、すばらしい天皇を尊崇、敬愛し、皇室を心の拠り所とすることの大切さと、日本人であることの誇り。見ていて思わず涙があふれてしまう1本でした。



非常に責任感がお強かった昭和天皇は、国民を慰め、励ましたいと戦後8年半をかけて日本全国を巡行されましたが、その移動距離はなんと3万3000kmにも及んだそうです。列車や学校の教室で眠り、10日間ほど入浴できなくても不満を漏らさず、灼熱の常磐炭鉱で働く労働者を激励し、原爆被害にあった孤児の頭を抱いて涙を浮かべたといいます。

敗戦の苦難と貧しさにもめげず、日本人の心が1つにまとまり、明るい未来に向かって歩き出すことができたのも、そんな昭和天皇がいてくださったから。神格性を自ら否定し「人間宣言」を行うなど、孤独でありながらも思いやりを忘れない、温かみあふれるお人柄であったからでしょう。

ご自身の命を差し出す覚悟とともに、「国民だけは助けてあげてほしい」と懇願なさったご立派なお姿に、占領軍総司令官のマッカーサー元帥が感銘を受けたという話は有名ですが、この動画には本当に心を打たれました。



動画を視聴された方々のコメントも、少しだけ添えておきます。

「昭和天皇は本当に善良で純粋で良い人だった。今、またこれからの日本の発展と安全な生活は昭和天皇の人徳の上に築かれていると自分は思うのです。」

 

 

「昭和天皇は戦後、神ではない!と国民に向けて人間宣言をなさいました。でもお心は神でしたね。何処までも国民が生きられる様に!と願うと共に感謝のお心を忘れずに生涯を生きられた昭和天皇。有難くて涙が溢れます。」

 

 
「昭和天皇とともに同じ時代を生きれた事を本当に幸せな事だと思っています」

 

 

「支配者でもなく神でもなく、日本人みんなの『父親』なんだなあ。いい子もいれば悪い子もいるけど、すべてを我が子として慈しみ見守ってくれる存在。その言葉や眼差しのひとつひとつが子に対する父のものだ。実際、遠く遠く遡ればどこかで血はつながってるだろうし。こんな素敵な国がこの世にほかにあるかね。」

 

 

「日本人である誇りと象徴を見ました!今の日本の必要な姿がこの動画にあります。必ず日本を建て直していきたいと、改めて思いました。ありがとうございます。」

 

 

「小さな地方都市の私の地でも碑が立っています。すごいです!陛下に秘められた懺悔のお気持ちであろう全国行幸で、ある時はベンチの長椅子で寝て、泥靴になっても帽子を手に微笑まれるお姿を拝見して涙が止まらなくなりました。お会いする事さえありませんでしたが、共にこの地に生きられた世代であったことが何より幸運に思えます。今更ながら有難うございました。」

 

 

「天皇の中で一番苦労した天皇ではないだろうか?」

 

 

「涙がボロボロ流れました。今の日本人に今の私に必要な内容でした。感謝いたします。」

 

 

「日本に生まれ育った私たちには、天皇は国民と共にいてくださる、大昔からそしてこれからも日本と共にある、みたいな観念があります。日本人の心のどこかに存在しています。だから、外国の人達ってこういうのがないんだなあって思うと改めて日本ってすごい国だなあと思います。」

 

 

「私の亡父は皇宮護衛官で、赤坂御用地内の官舎に小学三年生から、父が退職するまで住んでおりました。おそらく、四年生の時だったと思います。ある日、東宮御所からお帰りになるとき、官舎に住んでいる子供たちに会ってくださると言われたのです。そして、必ず普段着でと。

 

園遊会の時に駐車場として使われる、広い砂利が敷かれた場所があり、そこは官舎に住んでいる子供たちの遊び場になっていました。そこにいらっしゃるので、指定された時間になると、母親達とドキドキしながら待っていました。しばらくすると、黒塗りの車が数台やって来て、中から昭和天皇と香淳皇后、侍従達と思われる方達が降りていらっしゃいました。

 

TVで拝見するにこやかに手を振る陛下ではなく、真剣な表情で、ただ真っ直ぐに護衛官(おそらく宮内庁職員の家族もいたと思います。見かけない子供たちがいましたから。)の家族達を見つめるお姿がありました。沈黙の時が数分続き、両陛下は再び車に乗り込まれて去っていかれました。御自分達に仕える、最も身近な国民を、目に焼き付けられたのでしょうか。50年も前の出来事です。」

 

 

「国民に何も求めないただただ無償の愛を感じます💗涙なしでは観れなかった😢」

 

 

「戦死する兵士が最期に叫んだ言葉は『天皇陛下』と『お母さん』。昭和天皇も最期の瞬間まで国民や散華された英霊のことを思い、気に掛けて下さっていたのだと考えると、本当に日本人で良かったと思える。」

 

 

「本当に涙がでる。このように国民に寄り添い、平和を願う皇室はそうないだろう。年を取るたびに日本という国は天皇を中心に存立してきた国なのだなと思う。」

 
それでは、西村先生お薦めの動画を紹介させていただきます。



西村先生がお書きになった昭和天皇に関する記事のうち特にお薦めしたいのは下の2本、そして先生お薦めの動画はもう1本あります。初めて知るようなエピソードも多く、勉強になります。お時間のあるとき、是非ともご一読下さいませ。

【皇室、徒然なるままに】第25話:ご発言にみる昭和天皇の帝王学と遺言 西村 泰一

【皇室、徒然なるままに】第20話 昭和天皇と秋篠宮文仁に見る責任のとり方 前篇:昭和天皇とヴィルヘルムII   西村 泰一

「聖」なる天皇と「贅」なる皇嗣 昭和天皇のみすぼらしいお住まいに海外ジャーナリストらが驚愕(動画)

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『YouTube』JAPANの品格 ― 【海外の反応】「もうダメか…」昭和天皇が崩御直前に残した最後のメッセージ…そのお言葉にアメリカ国民も感動の涙!!