小学5年の動物カメラマンによるキタキツネ写真に大感動 改めて思う、あのトンボ論文の写真の「なぜ」

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数日前、ネットで話題になった「ねとらぼ」さんの『北海道で出会った野生のキタキツネ、小学生の男の子がカメラを構えると…… 300万再生された瞬間に「かっけー!」』というニュース。

自然界の写真をずっと撮り続けていると、小学生でもプロ顔負けの、こんな素晴らしいショットを次々とカメラに収めていくのかと、とにかく驚いてしまった。

それに比べて「東大推薦進学にコレで大手をかけたか」とまで騒がれた、あのトンボ論文ときたら…。“皇室特権” 行使の重症例ともいえる、悠仁さまの『赤坂御用地のトンボ相』論文。あれを嫌でも思い出してしまった。



 

◆アラタくんは小学生カメラマン!

道路で偶然通りかかった野生のキタキツネがまさかの行動を……。“小学生写真家”が撮った愛らしい瞬間がInstagramに投稿されました。すばらしい写真が「美しい」「撮り方がうまい」と反響を呼び、記事執筆時点で312万8000回以上表示され、8万3000件以上のいいねを集めています。

 

こんな言葉で始まるその記事は、10歳の小学生写真家「アラタ」くんを紹介している。アラタくんは動物、風景、星など美しい自然界の写真を撮り続けており、お父様が設けて管理されているInstagram(@arata_photo1121)やThreads(@arata_photo1121)でたくさんの写真や動画を拝見することができるようだ。

さぞかし重かろう大きな望遠レンズが付いたカメラを構えるアラタくんの視線の先は、道路の反対側にいる野生のキタキツネにあった。幸いにも車の往来はなく、アラタくんは車の前に出てしゃがみ、キタキツネの体高や目線に自分を重ね合わせている。

 

重そうな望遠レンズをしっかりと構えるアラタくん(画像は『Instagram』のスクリーンショット)
重そうな望遠レンズをしっかりと構えるアラタくん(画像は『Instagram』のスクリーンショット)

 

キタキツネはアラタくんが好きなのか、そもそもサービス精神が強いのか、「お座り」をしてカメラ目線になる。

 

アラタくんが撮影していることに気付いたキタキツネは、ちょこんとお座りを。奇跡の瞬間だった(画像は『Instagram』のスクリーンショット)
アラタくんが撮影していることに気付いたキタキツネは、ちょこんとお座りを。奇跡の瞬間だった(画像は『Instagram』のスクリーンショット)

 

アラタくんがInstagramにアップした動画と写真は、野生のキタキツネの凛とした横顔や瞳の美しさを、しっかりと伝えてくれている。現在の「いいね!」は8.8万件だ。

 

ちなみに、ねとらぼさんの記事には北海道に旅行する人たちに、キツネを見かけても、決して近づかないようにと注意を呼び掛けている。野生のキタキツネは寄生虫に感染していることがあり、近づいて餌を与えたり撫でたりすると、エキノコックス症という人獣共通感染症を発症することがあるからだ。



 

◆悠仁さまのカメラマンとしての腕

かなり早い年齢から本格的な写真を撮り続け、野生動物を惹きつける何かを持っているに違いないアラタくん。もしも秋篠宮家の長男・悠仁さまがこの少年のようなタイプであったなら、手の甲まで日焼けさせながら、毎日熱心にトンボを追いかける日々だったに違いない。

だが、マスコミがどんなにトンボ愛だの情熱だの、すでに研究者肌だのと書き立てても、当の悠仁さまは6歳から17歳まで真夏でも常にお肌は真っ白だった。

悠仁さまが一眼レフを手にし、操作を覚えていったのは満14歳になった2020年の秋以降のこと。なのに、『赤坂御用地のトンボ相』論文については、表向きは “悠仁さまのパソコンには6歳から撮り続けたトンボの画像と情報が大量に蓄積され、それを見た国立科学博物館の研究主幹・清拓哉氏が面食らってしまい、是非とも論文をと勧めた” という話になっている。

そして国立科学博物館から世に放たれた学術論文には、2022年に撮影されたとして、このような不鮮明な写真が掲載されていた。

「マルタンヤンマ交尾」写真(画像は『J-stage』のスクリーンショット)
「マルタンヤンマ交尾」写真(画像は『J-stage』のスクリーンショット)

 

非常に珍しい種類、あるいは絶滅危惧種を悠仁さまが次々と見つけ、撮影に成功!とマスコミは大々的に報じたが、画像No.19のオツネントンボについては、「どうみても死んだ個体」「なぜ周囲に紐がたくさん見えるのか」「撮影セットに置いて撮影した?」といった意見が噴出した。

また、幼い悠仁さまが「僕、見たことあるよ」とおっしゃっただけで、具体的な場所も日時も覚えておられないのに、そんな「目撃談」までをトンボ相調査の1匹にカウントしていることには驚くしかなかった。

世間、特に理科系の先生方は『赤坂御用地のトンボ相』論文に呆れ、「よく査読が通ったものだ」「国立科学博物館の名でこれを出すとは」「こんな論文では東大も合格させられないでしょう」と苦笑、あるいは批判した。

 

そのあたり、改めてオカシな写真をご覧になりたい方は、端的にまとめてみたこちらの記事を是非どうぞ。

「あまりに悪質」なのは国民か筆頭著者か トンボ論文の杜撰すぎる実態を確認してからご判断を



 

◆まとめ

『赤坂御用地のトンボ相』論文は、なぜあんなに杜撰な仕上がりだったのか。そして、どのトンボ写真にもなぜ撮影者の名が記載されていなかったのか、筆者はそれらの事がいつまでも気になっている。

多数の学術論文を発表してきた国立科学博物館や農研機構の研究者さんたちの力を借りれるなら、東大進学も夢ではないと、紀子さまあたりは心が躍ったことだろう。

だが、あの論文が高校生向けの有名コンクールで賞を獲ることはなかった。たった1人でもいいから、悠仁さまのトンボ研究に本気で力を貸してくれた人は、果たしていたのだろうか。

そしてもう一つの疑問。悠仁さまは本当に昆虫その他、生き物がお好きなのだろうか。

秋篠宮家には、剥製にして飾るための珍しい種類のニワトリはたくさんいたようだが、悠仁さまが重いカメラを手にトンボを追いかけるシーンを国民は拝見したことがない。犬や猫を飼っておられる、といったお話もない。

結局、あのトンボ論文は国民から相次いだ疑義、特に画像の捏造疑惑は放置されたままである。ここまでの経緯を考えると、悠仁さまが責任感ある誠実な研究者さんになれるような予感は、残念ながら殆どない。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『Instagram』arata_photo1121 キタキツネ🦊が向かってきた

『ねとらぼ』北海道で出会った野生のキタキツネ、小学生の男の子がカメラを構えると…… 300万再生された瞬間に「かっけー!」

『Instagram』ARATA/アラタ 小学生写真家 10y/o

『エトセトラ・ジャパン』「あまりに悪質」なのは国民か筆頭著者か トンボ論文の杜撰すぎる実態を確認してからご判断を

『エトセトラ・ジャパン』悠仁さまが一眼レフの操作を覚えたのは2020年秋以降  カメラマンとしてトンボ論文にどれほど貢献できたのか

『エトセトラ・ジャパン』6歳から17歳までどの夏も肌は真っ白 写真に見る「悠仁さまは長年トンボを熱心に研究」の嘘

『エトセトラ・ジャパン』悠仁さまトンボ論文に驚きの撮影ロケセット

11件のコメント

  • トンボ論文も大概だが、稲はどうした?

    そもそも水田を10才未満の子供が耕すとか、一度でも耕した事がある人間なら、ウソだろ?と思う。耕運機を子供が運転するはずもないから、人力で耕す設定だろう。幼い悠仁様がクワを持ち耕している風の写真も、この設定に沿ったものに違いない。

    「田」に「力」と書いて「男」とよむ。耕運機なしで土をおこし、田畑を造るのは重労働だ。成人女性では到底、歯が立たない作業である事実を示している。

    それを小さな子供が成し遂げるなど(笑)、巨大信号機を幼児が造ったと聞いた時のような、思わず吹きだしたい衝動に駆られる。

  • 撮影する側からの被写体への思いが、そして双方の関係性が、出るものですよね。
    お父上が撮影された敬宮さまのお写真を連想し、ひとりでほっこりしておりました。
    それにしてもここのところの川嶋紀子さん少女時代、あのあまりに暗い顔は、どんな状況で撮影されたものなのでしょうか。

  • 『赤坂御用地のトンボ相』論文の p.130 によると。「記録方法は,目視できたトンボ類をデジタルカメラで撮影し,種の同定を行った他,採集,目視による記録を行った.採集個体の一部は標本にした」そうですから、デジカメ撮影がメイン。

    トンボの中にはオス型のメスがいたり(シオカラトンボも!)、イトトンボ類などは、小さな体の斑紋や尾部の形態の微妙な違いが種類やオスメスを見分けるポイントだったりします。

    トンボを捕獲せずに、種の同定をデジカメ撮影メインで乗り切るには、高度な撮影技術が求められます。狙ったトンボの撮影に時間がかかるため、他のトンボを見つけるチャンスを逃します。結果、単位努力量あたりのトンボ観測数が低下し、トンボ相調査としては十分な個体数が得られなくなります。

    撮影枚数も相当な数にのぼるでしょう。

    仮に調査期間を5月〜10月の6ヶ月、4回/月、24回/年として、1回の調査日に100枚撮影した場合、1年で2400枚。あるいは、トンボ1個体あたり10枚撮影とした場合は年間12000枚。これらをPCに何年も溜め込んだら、論文を書く前に画像が数万枚にもなってしまいます。

    その中から論文に載せるベストショットを選ばなければなりません。とても非効率的な調査方法だと思います。画像の整理だけでも大変ですね。休日の昼はトンボ調査、夜は画像の整理…。勉強時間がなくなりますよ。専門家の助けを借りずに、これらの作業を全部、悠仁さまお一人でこなしたのでしょうか。

    トンボ相調査で年間30種ものトンボを観測するには1200個体以上を捕獲するくらいの調査努力量(人数・回数・時間など)が必要になるようです。悠仁さまはこのこと、ご存じでしょうか。

    こちらを参考になさってください。

    調査回数、記録種数、個体数。
    自然教育園のトンボ類(2002):1998年〜2001年、63回、28種
    うち2000年は、27回、23種、1237個体 (p.118)
    https://www.kahaku.go.jp/research/publication/meguro/download/34/ns-r-34_3.pdf

    広島大学東広島キャンパスのトンボ相(2014):17回、37種、1287個体
    https://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~humuseum/siryou-data/kennkyuuhouko
    ku6/06%20aoyama.pdf

  • あちらのお母様が、狐と表現されているのをしばしば見ますが、いつも思ってました、狐に失礼だと。今回、アラタくんが撮ったこの写真を見て、その思いを再認識しました。
    狐は、可愛い。ましてや、この写真の狐は、行儀良くきちんとお座りして、表情もいじらしく、守ってあげたい〜と思わせる可憐さがあります。(撫で撫でしたくなる可愛さですが、それは絶対絶対やっちゃいけない事なのがつらいところ)
    一方、あちらのお母様の表情は…いじましいです。一文字違いで全く意味が違う、いじらしいといじましい、のように狐とあちらのお母様も、全く違うと思います。

  • 可愛いキタキツネ。撮影者の愛情が込められたことが窺えます。重い機材は開発で軽くなっているにしても、小学生の興味が勝って挑んでいくのか。大切な展開です。実のところ、キタキツネに餌を与える人がいて、ヒトの姿を見ると餌を期待して近付いてくることがあるそうです。エキノコックス感染の心配があるので遠くから眺めてほしいですね。ああ、でも可愛い。
     
    さて、ヒサ君、筑波大学での研究は進んでいますか? 酷暑は後戻りできない状況に至りましたね。暑くてもコオロギは鳴き始め、赤とんぼは彼方此方で飛び交っています。恐らく、生き物は活発に動き回るので観察研究に邁進しているのでしょう。季節は夏と冬の間に移っていると感じます。現状について解説をしてほしいなぁ。
    「できるね?」(おわんこさんを真似たⅡ)

  • このトンボのピンボケ写真は酷いですね。。
    どう見ても造り物にピントをボヤかせたもの?
    空中でもない状態のものでは?
    普通には絵に見えますよね?
    こんなピンボケ写真を論文に使用するなんて。。。
    普通は使えない写真ですよね?
    こういうピンボケ写真のHさんを公式写真として出せるのでしょうか??
    それと同じくらい通用しないものですね。。
    1日中、陽が落ちるまでトンボを追いかけていたというHさん自身の会見?
    年中、色白の人が白々しいウソを良く公式の場で言えましたよね?
    秋家はウソばかりの人達で、何でも自分達の都合の良いように大金や特権を使いたい放題なのに何十年も皇室にいられるのが信じられないです。

  • 「物が有り余る時代だからこそ、敬宮さまの清貧路線は王道になる」

    昭和天皇が、アメリカからも、マッカーサーからも尊敬されるようになったのは、彼は独裁者ではなく、極めて質素な暮らしぶりを貫いていたとの理解が広がったためとよく言われます。戦後の日本国民からも一部左翼を除き、昭和天皇への直接的戦争責任追及の声が殆ど上がらなかったのも、同じ理由からでしょう。戦後、現人神ではなくなり、人間天皇になった瞬間、その清貧ぶりが人格的尊敬に変化し、戦時中の暮らしぶりも伝わるようになって、ますます崇拝されたのでした。反対にもしも現在の見て子さまや紀子さんのような贅沢な生活であったなら、フランス革命のように追求の炎が燃えさかったも知れません。それ以前に連合国内での戦犯追及の声に変わり、最悪処刑された危険すらありました。

    悠仁sが全く国民からは愛されず、支持もないのは、その生活ぶりが皇族としての体面を維持する目的以上の過大な奢侈に走り、相次ぐ裏口入学疑惑や盗作作文、論文不正指摘に至る、見栄ばかり張る虚勢ぶりが穢らわしいと感じられるためで、この不信任は生涯続き、取り返しの付かない失策といえます。まして、悠仁とは複数人の集合体悠仁sだとなれば、積極的に多数のスペアを使って国民を欺いてきたわけですから、もはや悠仁s全員、その存在自体が違法となります。典範には代理母による子が出来た場合、皇族になるのかどうかの規定がなく、この法律の特性上、秘密裡に代理母出産を選択していたのでは、後から結果オーライにしてくれとは到底ゆかないのです。日本国内の医療体制が代理母出産を認め、産婦人科でも依頼すれば実施可能な状態にはない以上、倫理違反の子作りが紀子さんにだけは許される道理がないのです。海外代理母児で平民戸籍のない場合、胎児の状態での認知ができないことから、日本への入国には旅券などを不正に作成するしかなく、相手国への出産届に対し、日本大使館で不正な一時旅券を用意することで乗り切ってきたとみるしかないことから、法律を犯して日本に密入国してきたようでは、とても皇族とは認められません。存在自体、ここでも悠仁sでは違法になるのです。
    それどころか、多数産んでうち健常男児だけを一人、最後に残す腹づもりだったら、全員正しい履歴のない方がむしろ好都合なのです。壺教ではよく不正養子斡旋が指摘されてきました。あの宗教なら、組織的に「腹」を用意し、どんな違法工作でもやってのけてくれただろうと思うのは私だけでしょうか。

    こうしたなかで、敬宮さまが敢えて「冠」を購入なさらないのは、逆に見えない王冠をがっちりとお被りになられて日々お出ましになられているように国民には映ります。ダイヤや宝石で彩られた御自身の冠を被らなくても、国民はその人間性を評価し、かつこの若さでこれだけしっかりしておられるのだから天皇に即位されても楽しみだ、と期待を一層膨らませる好循環がそこには起こっているのです。
    親としても、敬宮さまと悠仁sどちらを子供のお手本にしようかと考えた場合、絶対に敬宮さまです。
    敬宮さまの頭上には、お金では買えない、目には見えない本当の王冠が燦然と光輝いているのです。

  • あんなに大騒ぎして筑波に入り込んだのに、トンボ、自然誌、稲、、、何もやってないのでは?
    膨大な警備費を垂れ流して、ガスト、松屋、自転車立ち漕ぎ、核テラ、、、

    もう、ショラテンは諦めていただけないでしょうか?

  •  確か一年程前、岐阜市?での全国高校総合文化祭で悠君こんな事言ってたね。トンボ論文について次のように断言!
         ↓
    >「例のトンボ論文だって、僕は何一つ協力なんてしてないよ。なにせ、僕くらいの地位の人間になると、周りの人たちが全てお膳立てしてくれるからね」などと得意げに語っておられたそうです。
     こうした悠仁さまの衝撃的なご発言に対して、この高校生も思わず絶句してしまったそうなのですが、悠仁さまは、おかしな雰囲気になっていることなど気にもかけず、ペラペラと自慢話を続けておられたそうですね」(皇室記者)

  • このキタキツネの写真の記事を見ました。なんかキタキツネが「これでいい?綺麗に撮ってね」と言ってるように思えました。
    撮った少年の思いが伝わるように思いましたね。
    さて、悠仁さまのトンボ。いくつもおかしな写真があり本当にトンボに対して興味、愛情があるのかと。
    最近の悠仁さまの記事はバドミントンのサークルでどうとか勉強以外の事ばかり。
    通学しているのを見た人もいないとも聞きます。一体、何をしているのか。まさか、お父様を見習ってガールフレンド探しに忙しいのかな?大学入ったらトンボなんかどうでもいい?卒業までに職員さんが論文を書き上げてくれるかな?

  • 悠仁さまの成年式目前の今考えたい「4年前に新調されなかった愛子さまのティアラはいつ新調されるのか」

    2025/08/16 PRESIDENT Online
    島田 裕巳宗教学者、作家

    上記文言で検索を、、

    >悠仁親王の「成年式」が3週間後に執り行われる。皇族の「成年の証し」とはどのようなものか。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「衣服や冠を改める重要な通過儀礼であり、男性皇族は『加冠の儀』がその中心となる。女性皇族は公式の場でティアラを着用するようになるが、愛子内親王はコロナ禍と重なり新調されなかった」という――。

    >当日の朝、悠仁親王は、天皇の使いから成年用の冠を受け取る。午前中には皇居の宮殿に古式ゆかしい装束姿で現れ、未成年用の冠から成年用に付け替える「加冠かかんの儀」に臨む。その後、儀式用の馬車で移動し、宮中三殿を参拝する。

    午後には、燕尾服に着替え、天皇皇后に挨拶する「朝見ちょうけんの儀」に臨み、天皇から直接、「大勲位菊花大綬章だいくんいきっかだいじゅしょう」を授与される。これは最高位の勲章で、戦後は親王に与えられるとともに、代々の首相経験者にはその没後に与えられてきたものである。(略)

    こうした成年式は、昔は「元服」と呼ばれており、やはり加冠の儀がその中心だった。衣服や冠を改めることは成年に達したことの証しであり、皇族にとっては極めて重要な「通過儀礼」の一つである。

    >女性皇族の成年の証しはティアラ

    「中略)そこで、裳に代わる新たな成年の証しとして導入されたのが、勲章と「ティアラ」であった。これも欧州の王室文化に倣ってのことで、勲章としては「宝冠大綬章ほうかんだいじゅしょう」が授与される。

    >ティアラを新調しなかった愛子さま

    19世紀を通じて、ティアラは王族や貴族の女性にとって、舞踏会や晩餐会、宮中行事などの公式な場で着用する不可欠な装身具となり、成年を迎えた際にティアラ・デビューすることが慣行になっていった。日本の皇室も、そうしたヨーロッパでの歴史を踏まえ、成年に達した女性皇族は、公式の場ではティアラを着用するようになったのである。

    では、愛子内親王の場合はどうなのだろうか。

    これまでの慣例からすれば、成年を迎えた際に、ティアラを新調していても不思議ではない。だが、それは行われなかった。
    愛子内親王が成年を迎えたのは2021年12月のことだった。ところが、この時期は、コロナ禍の最中で、それを考慮し、ティアラは新調されなかったのだ。

    >ティアラの新調の機はいつ訪れるのか

    愛子内親王が成年を迎えて、今年の12月で4年が経つことになるが、コロナ禍は去っても、ティアラは新調されていない。眞子元内親王や佳子内親王の場合と比較すると、ティアラをめぐっては状況がかなり異なる。もちろん、皇室を離れた清子元内親王にティアラは不要とも言えるが、借用が続くというのはやはり不自然である。

     (詳しくは本文で)

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