紀子さま祖父・川嶋孝彦氏の謎 帝大卒中央官庁のエリートで勲章授与、Wikipediaは輝くも「現代日本 人物事典」に掲載ナシ 

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数日前の、ヤフーニュースの “秋篠宮妃紀子さまの曾祖父・池田四郎氏について伝記が出版された” という話題は、おそらく世間を「紀子さまの曾祖父は、こんなにも偉大な方だったんだ!」とびっくりさせる、ある種のイメージアップ作戦だったのだろうと思う。

だが、Xで相互フォロー中のコードネーム369@作業中ROM(@lalalajavi39)さんは、「そんな偉大な功績を残していながら、日本の人物事典に掲載されていません」という貴重な情報を私に送ってくださった。天王寺動物園の生みの親で、市営地下鉄の計画から予算獲得まで関るなど大阪の発展と都市機能の整備に大きく寄与し、銅像まで建てられたのに?

あまりの不思議さに筆者はWikipediaを、そしてコードネーム369@作業中ROMさんは2冊の人物事典をどんどん紐解いていった。その結果、昨日こちらで『紀子さまの話題の曾祖父・池田四郎氏 1920年代後半に関西に渡った大勢の韓国人の恩人だった』という記事を書いた。池田氏が「朝鮮総督府政務総監」として韓国に暮らすようになった1920年後半から、日本風の姓名を得て海を渡り日本を目指した韓国人がいよいよ急増したことがわかったのだ。

日本風の姓名の使用を認可するのは警察の仕事で、関西のなかで特に多くの韓国人を受け入れたのは大阪府、兵庫県であった。いずれも池田氏が警察部長を務めた地である。紀子さまの父・川嶋辰彦氏について、デイリー新潮が家宅捜索の「パチンコ社長」と韓国旅行にといった記事を出したことがあるが、ヤフコメで秋篠宮家が韓国の方々に強く支持され、愛されている根拠がやっとわかった気がした。

さて、歴女のコードネーム369@作業中ROMさんが所有されている1973年版・朝日新聞社『現代人物事典』と1990年版・同『現代日本・朝日人物事典』は、宮内庁やマスコミが印象操作をする以前の情報が満載だという。そこで川嶋家の祖先はどのように記載されているのかというと……。



◆池上四郎氏のWikipedia、なぜ取り消しが多いの?

紀子さまの偉大なる曾祖父として、このたび伝記になったという池上四郎氏。その六女・紀子さん(イトコさんとお読みする)と夫で内閣統計局長の川嶋孝彦氏の間に生まれた次男が紀子さまのお父様・川嶋辰彦ということで、池上氏と紀子さまは曾祖父と曾孫の関係にあると私たちは知らされてきた。

ところがWikipediaの「編集履歴」を確認したところ、ご家族、ご親族に関する参考文献、資料などが大量に「取り消し」となっていることがわかった。そんなことでは、池上氏の子孫に関する情報の信ぴょう性そのものが乏しくなっていくではないか…。

 

「家族、親族」の取り消しが連発。なぜそんな編集が必要なのか(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
家族・親族の参考文献など取り消しが連発。そんなにも編集が必要なのか(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

 

◆川嶋孝彦氏もご立派だったのに…ない!

とりあえずWikipediaで、池上四郎氏の娘婿で紀子さまの祖父でいらっしゃる、川嶋孝彦氏のページを確認してみた。

 

紀子さまの祖父・川嶋孝彦氏も偉大なる人物だったはずだが(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
川嶋孝彦氏もかなり偉大な人物だったようだ(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

 

富山県富山市出身で、和歌山県に本籍があるという川嶋孝彦氏(1897年2月23日 – 1958年2月23日)は、佐賀県の旧制佐賀中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科へ。在学中に文官高等試験に合格して内務省に入省。さらに三重県警察部警部となり、兵庫県警察部外事課長を経て内閣書記官に。ほかに国立国会図書館の専門調査員も務めたという。主たる肩書きは「内閣統計局長」である。

 

位階勲等は従三位勲二等旭日重光章。太平洋戦争前から戦中にかけて政府上層部に統計制度の刷新を建議した。戦後の1945年11月には人口調査を実施するほか、統計制度改革案を政府および連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に提出し、戦後の統計制度改革の端緒を開いた。

 

これくらいの方なら、当然「人物事典」に掲載されていることだろう。

ところがコードネーム369@作業中ROMさんによると、彼女が所有しておられる人物事典に川嶋孝彦氏についての記載は探せず、なんと紀子さまの父・川嶋辰彦氏についてもなかったという。

 

川嶋(川嶋)のところに孝彦氏も辰彦氏も、なぜか掲載ナシ
川嶋(川島)いずれにおいても孝彦氏、辰彦氏の記載はなかった



 

◆紀子(イトコ)さんと紀子(キコ)さま

筆者がとても不思議に感じていることの1つが、なぜ紀子さまは祖母と同じ名前なのかということ。紀子さまの母・和代さんが義母である紀子さんを大変尊敬しており、ぜひ娘にも同じ名前をと付けたという話だが、やはり驚くほかない。

そもそも紀子さんという女性の名前は、日本人なら99%が「ノリコ」さんと読むであろう。単純に「イトコ」「キコ」、いずれもたいそう変わっているなぁと思う。

また、紀子(イトコ)さんは誉れ高き大阪市長の娘さんで、夫は内閣府のエリートである。お嬢様として生きてきたプライド高き女性が、このようなお着物姿を誰かに撮影させるものだろうか。

このお着物姿に、「警察官僚~大阪市長のお嬢様です」と言われても…(画像はネットで拾ったもの)
帯ばかりか、襟元が崩れている写真も多いイトコさん(画像はネットで拾ったもの)

 

よく考えてみたら、祖父母宅(どんなに豪邸だったことか)で撮影された紀子さまのお写真は、一枚もない気がする。

 

◆編集があと1年遅かったら…

ちなみに、紀子さまが秋篠宮さまと結婚されたのは1990年6月だった。

コードネーム369@作業中ROMさんがお持ちの「人物事典」も、仮に編集があと1年遅かったなら、川嶋孝彦・辰彦両氏とも大変な文字量で掲載されていたのではないだろうか。

朝日新聞社の編集部に宮内庁からちょっとした資料が送られてきて、「こちらが紀子さまのご親族の肩書ですので人物事典に掲載を」と圧をかけられていたのでは、と思うのだ。

そして実は、1958年(昭和33年)までご存命だったにもかかわらず、川嶋孝彦氏についてのWikipediaのページも、不思議なことに家族・親族に関しての編集履歴が多いことがわかった。

 

川嶋孝彦氏のページも家族・親族の参考文献や資料の取り消しが多いようだ(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
川嶋孝彦氏のページも家族・親族の参考文献や資料の取り消しが多いようだ(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

 

昔、貧しい育ちながら学業優秀な子供たちが、地元の名士など立派なお宅に養子に貰われて行くことがあった。人物事典に掲載されている、優れた功績をあげた人たちの中にも大勢いるようだ。

一方、川嶋孝彦氏や辰彦氏のように、人物事典には掲載されていないのに、Wikipediaにはたいそう立派なことが書かれている人たちがいる。どなたの思惑でそういうギャップが発生するのか、やはりWikipediaの内容は鵜呑みにしてはならないのだろう。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『Wikipedia』池上四郎_(大阪市長)

『Wikipedia』「池上四郎 (大阪市長)」の変更履歴

『Wikipedia』川嶋孝彦

『Wikipedia』「川嶋孝彦」の変更履歴

『Wikipedia』朝鮮総督府政務総監

『デイリー新潮』紀子さまご尊父、特捜部が家宅捜索の「パチンコ社長」と韓国2人旅

『エトセトラ・ジャパン』超著名人なのに、なぜ日本の「人物事典」に掲載されていない…?? 伝記物語の出版が話題の紀子さま曾祖父の謎

『エトセトラ・ジャパン』紀子さまの話題の曾祖父・池田四郎氏 1920年代後半に関西に渡った大勢の韓国人の恩人だった

5件のコメント

  • 本文中の「昔、貧しい育ちながら学業優秀な子供たちが、地元の名士など立派なお宅に養子に貰われて行くことがあった」という事で1つ思い出したことが。

    先日、ガールズちゃんねるで「人事興信録」なるものの画像がアップされていました。それは紀子さまの祖父「川島孝彦」氏のもので、紀子さんのお父上の辰彦氏のところは「男 辰彦」と表記。弟さんは「三男 行彦」と表記。長男でも次男でもなく「男」とあるのは「養子」を意味するらしいのですが、これが「昔、貧しい育ちながら学業優秀な子供たちが、地元の名士など立派なお宅に養子に貰われて行くことがあった」ということでしょうか?

    「人事興信録」は名古屋大学大学院法学研究科が2014年からテキストベースのデータベース化に取り組み、2018年に最初の第四版の内容を公開しました。2023年時点では初版(明治36年版)、第四版(大正4年版)、第八版(昭和3年版)が公開されているそうです。

    試しに検索してみましたが、「川島孝彦」「川嶋孝彦」いずれもヒットしません。それでWikipediaに「位階勲等は従三位勲二等旭日重光章」とありましたので、名前なしでこちらの情報で検索しても、「川島孝彦」「川嶋孝彦」ともヒットしませんでした。

    「池上四郎」氏は、第四版(大正4年版)と第八版(昭和3年版)にヒット。ただし、第四版(大正4年版)には三女が未掲載で、六女 紀子(イトコ)さんの記載あり、第八版(昭和3年版)には三女掲載ありだが、六女 紀子の記載はありませんでした。

  • たとえ、紀子さんの曾祖父や祖父と言われてる人が立派な人だったとしても父親や紀子さんの行いは褒められたものではないでしょう。
    でも、美智子さまと秋篠宮もそうだから強くは言えない?

    皇室に嫁ぐということはどんなこと(苛め)をされても負けない精神力が必要なのでしょう。
    今思うとこの現状は美智子さまが皇室に嫁がれたことから始まってるのですよね。
    正しい方向に向けないと。

  • 私たちは 一体ナニを見せられてきたんだろう?
    Wikipediaで池上四郎氏について覘いてみたら、ご家族の殆どが「没年不明」になっていました。肩書が御立派なのに、ご家族の没年が「没」なんて笑えない話です。

    絵面が不思議に見えます。本文中の写真の老女は誰? 和装帯板を省いたような惨めな着付け。気品皆無。そのお子様とされる故・川嶋辰彦氏の葬儀が「家族葬」とは何ぞや?の疑念も消えることは無く…。皇嗣妃の実父が家族葬とは有り得んのです。久子殿下の御母堂様の葬儀では錚々たる御方が大勢ご会葬にいらしたでしょう。

    何やら台木に別個の種類を接ぎ木するような手法で寄生でもなさったのでしょうか。或いは樹木に捲き付いて生長し、枯らせてしまう寄生植物とか。菩提寺が燃えて(他のお檀家さんが可哀相)も慌てること無く確信めいています。Wikipediaが「ウソペディア」と揶揄されるのは仕方無いですね。

    それでも、Wikipediaで雅子皇后陛下父君の小和田恆氏を覗いたところ、数多の功績が列挙されていて、真偽不明な寂しい記述などは皆無でした。「皇族外戚は斯くある可」と思いましたよ。
     
    信子殿下祖父の吉田茂氏は当時日本で乱暴狼藉を働く朝鮮人に手を焼き「直ちに本国に帰国せよ」と訴えていたそうです。通名でも同じ。聡明で優しい人はいるけれども。(尊敬する人に該当する女性が1人います)

  • 父親のカワタツとキコのことで
      ↓
    >学習院構内の低賃金職員用官舎に住み、学費半額無試験で学習院初等科から大学まで通ったそうですね。その頃の所業もしっかり語り継がれています。成績最悪、行動最低。

    なのに、権力者と組んで皇統簒奪のために長男を作成。2歳前に長男のための「療育棟」を建て、24時間体制で医師や職員に丸投げ。何か、長男を作った御褒美に豪華海外旅行をやったんですよね。

    秋篠家改修工事で、療育棟に触れたのはオワンコ様だけでした。(誠に勝手ながら文章を若干編集させていただきました。ご了承下さいませ。by朝比奈)

  • 「雅子皇后が長時間お話しになるので式部職に焦りが」 園遊会の時間不足問題 「急かすようなことは絶対にできない」

    2025年4月24日  ディリー新潮

    上記文言で検索を、、

    >【前後編の後編/前編からの続き】
     
    天皇皇后両陛下や皇族方が大勢の招待客と歓談される「園遊会」の光景が、今春から様変わりする。皇族方の歩かれるルートが、62年ぶりに変更された。由緒ある社交会が“令和流”に改められた背景には、雅子皇后のご体調があるといい……。

     (詳しくは本文で)

       ↑
    なんか、全て雅子皇后陛下のせいにしてるみたい、、これの前編が下記ですが、以前の土砂降りの中で行われたのも雅子皇后陛下のせいなの?
    それを避け、招待客が雨に濡れないように対策をとるのが宮内庁の役割では?
    皇居からの出発が遅れたの?
    雅子さまのお話しが長く「4時間立ちっぱなし」?

    >前編【「土砂降りの中2時間待機でずぶ濡れに…」「残暑で2人が病院搬送」 令和の園遊会はトラブル続き 今回のルート変更の裏側】では、令和に入ってトラブル続きの園遊会の問題点と、今回改善されたポイントについて報じた。

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