超著名人なのに、なぜ日本の「人物事典」に掲載されていない…?? 伝記物語の出版が話題の紀子さま曾祖父の謎

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秋篠宮妃紀子さまのご親族について、ヤフーニュースで昨日とても興味深い記事を読んだ。警察官僚を経て第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監を務められた紀子さまの曾祖父・池上四郎氏(1857~1929年)の生涯が、『菊と戦と華丸路』という伝記物語として出版されたという。

著者の竹中司郎さん(81)は、青森中央学院大で非常勤講師として歴史などを教えておられるとのこと。本は史実に基づきながらもフィクションの要素を含み、四郎氏が天界から曾孫の紀子さまに宛てた、皇室の繁栄を願う架空のメッセージも含まれているそうだ。紀子さまといえば父・川嶋辰彦の母親(つまり祖母)と同じ名前であることは有名だが、そちらは紀子と書いて「いとこ」さんとお読みし、池上四郎氏の六女がその「いとこ」さんだという。

天王寺動物園の生みの親で元大阪市長(第6代)さんだと報じられている池上四郎氏。そんな偉大な曾祖父をお持ちなら、やはり紀子さまも大変良いお家柄のお嬢様になるわけだが、あれれれ…?

先の『皇后さまがご両親に宛てたクリスマスカードに涙腺崩壊 なぜ新潮はあんなバッシング記事を…』で大変お世話になった歴女の「コードネーム369@作業中ROM(@lalalajavi39)」さんが、また新たに貴重な資料を送ってくださった。



 

◆池上四郎氏についてWikipediaは

池上四郎氏について、Wikipediaから重要な部分を抜粋してみるとーー。

1857年、陸奥国耶麻郡(現・福島県会津若松市)で生まれた。

 

富山県などの警察署長、京都府警部などを歴任し、1898年からは千葉県警察部長、兵庫県警察部長を務めた。1900年には大阪府警察部長となり、その後13年間に渡って大阪治安の元締めとして活躍した。その清廉で、自ら現場に立ち責任を果たす働きぶりと冷静な判断力は、多くの市民からの信頼を集めた。しかし、大阪府警部長時代には高崎親章知事の汚職疑惑を放置したことなどを理由に、宮武外骨に批判されている。

 

1913年、市政浄化のため、池上は嘱望されて、肝付兼行の後任として大阪市長に就任した。財政再建を進める一方、都市計画事業や電気・水道事業、さらには大阪港などの建設などの都市基盤を整備し、近代都市への脱皮を図ると同時に、以下の政策を実行および計画を実施して、大大阪時代初期まで大阪市政を担った。

 

池上は1915年に天王寺動物園を開園させ、1919年に全国初の児童相談所・公共託児所を開設した。1923年には大阪電灯株式会社より事業を買収し、電灯供給事業を市営化した。同年9月1日に発生した関東大震災では、いち早く大阪港から支援物資を東京に送り、被災者の救済を行った。

 

御堂筋を拡張し大阪のメインストリートとする計画は、池上の市長時代に立案され、続く関一市長時代に実現し、後任の関市政時代に大大阪時代の全盛期を迎えることとなった。また、市庁舎の新築、博物館や図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも注力した。

 

池上は3期10年の市長職を退任後の1927年、朝鮮総督府政務総監として、当時日本が植民地政策を推し進めていた朝鮮半島へ赴任した。

 

◆池上四郎氏は銅像にもなっている

 

天王寺動物園の生みの親で元大阪市長の池上四郎氏は銅像にもなっている(画像は『産經新聞』のスクリーンショット)
天王寺動物園の生みの親で元大阪市長の池上四郎氏は銅像にもなっている(画像は『産經新聞』のスクリーンショット)

 

池上四郎氏は銅像にもなっている。天王寺動物園の生みの親でもあり、大阪を大きく発展させた市営地下鉄の建設計画~予算獲得に大きく関わったことから、1935年に天王寺公園の芝生広場「てんしば」の一角に建てられた。現在の像は1959年製であるという。

2020年、天王寺動物園の牧慎一郎園長が産経新聞に寄稿した記事『誕生秘話、生みの親は今も近くに』でも、池上四郎氏は大きく称えられている。

警察官僚出身の池上氏は大正2(1913)年に大阪市長に就任し、3期10年務めました。この間、財政再建を進める一方で、都市計画事業、電気・水道事業、大阪港の建設などにより近代都市としての礎を確立。また、博物館や図書館などの教育施設の設置や社会福祉の充実にも取り組みました。

 

ここまで偉大な御方であれば、当然のように朝日新聞社が手掛けてきた「人物事典」にも載り、長々と功績が綴られているはずだ。

ところが…。



◆掲載されて……いない!

ヤフーニュースのせいで、すっかり紀子さまの曾祖父が話題になっていたなか、Xで相互フォロー中の歴女・コードネーム369@作業中ROMさんが「えっ、なぜ…?」と驚いてしまうような情報を送ってくださった。

1万人を超える偉大な日本人について網羅されているという、1973年版・朝日新聞社『現代人物事典』と1990年版・同『現代日本・朝日人物事典』の「い~」のページを確認されたところ、池上四郎氏についての記載を全く探せなかったというのだ。

 

池上四郎さんを探してくださった
古い人物事典2冊から池上四郎さんを探してくださった

 

 

まずは1977年版の「現代人物辞典」から
まずは1977年版の「現代人物辞典」から

 

池貝庄太郎さんの次は池上忠治さんであった
池貝庄太郎さんの次は池上忠治さんであった

 

続いては、「朝日人物事典」をチェック
続いては、「朝日人物事典」をチェック

 

イーグルトン、池内淳子、その次は池島信平となっている
イーグルトン、池内淳子、その次は池島信平となっている

 

いったい、なぜ? 警察官僚を経て大阪市長になり、市民の生活の発展にこれほどまでに寄与した方なのに、そして市民に愛されて来た動物園の生みの親と言われてきたのに、なぜ掲載されていない…!?

ちなみに、どれくらいの功績があると、こういう人物事典に載せてもらえるのだろうか。界隈のページから何となく感じ取ってみていただきたい。

 

どのようなご職業と功績だと、こういった人物事典に掲載されるのか その1
どのようなご職業と功績だと、こういった人物事典に掲載されるのか その1

 

どのようなご職業と功績だと、こういった人物事典に掲載されるのか その2
どのようなご職業と功績だと、こういった人物事典に掲載されるのか その2



 

◆ところで朝鮮総督府政務総監」って…!?

池上四郎氏が1927年12月から1929年4月まで務め、大きな肩書きのひとつとなっている「朝鮮総督府政務総監」とはいったい何なのか。そもそも「朝鮮総督府」の職員はどのように選ばれていたのか。

Wikipediaによるとーー。

台湾総督府をはじめとする他の外地政庁と異なり、朝鮮総督府は大韓帝国政府の機構をほとんどそのまま継承したため、最初から多くの朝鮮人官僚を抱えていた。また、朝鮮の郡守、面長(内地の郡長、村長に相当)は朝鮮人が原則として任命されていたほか、道知事(1919年までは道長官)はおおむね半数程度が朝鮮人であった。

 

閣僚に相当する各局局長(1919年までは各部長官)に任命された朝鮮人は1924年から1929年まで学務局長を務めた李軫鎬だけだった。1935年段階で朝鮮総督府職員のうち朝鮮人の割合は高等官及び同待遇で23 %、判任官及同待遇で34 %、嘱託及雇員で41%だった。

 

 

朝鮮総督府政務総監のカラーについても、Wikipediaに詳細が書かれていた。

朝鮮総督の下に置かれた親任官であり、総督に次ぐ第二の地位にあった。軍事権を除く行政・立法・司法の実務を統括し、主に官僚や政治家が任命された。前身は韓国統監府の副統監である。前半期は内務省(特に警察畑)出身者の起用が目立ったが、後半期は他省出身者や朝鮮総督府生え抜きの人物も登用された。

 

Wikipediaにはまた、歴代の韓国副統監(のちに朝鮮総督府政務総監へ名称を変更)についても「代・氏名・着任・離任」が示されていた。

【歴代韓国副統監】

1 曾禰荒助 1907年9月 1909年6月
2 山縣伊三郎 1910年5月 1910年9月

 

【朝鮮総督府政務総監(名義変更後)】

1 山縣伊三郎 1910年10月 1919年8月
2 水野錬太郎 1919年8月 1922年6月
3 有吉忠一 1922年6月 1924年7月
4 下岡忠治 1924年7月 1925年11月
5 湯浅倉平 1925年11月 1927年12月
6 池上四郎 1927年12月 1929年4月
7 児玉秀雄 1929年4月 1931年6月
8 今井田清徳 1931年6月 1936年8月
9 大野緑一郎 1936年8月 1942年5月
10 田中武雄 1942年5月 1944年7月
11 遠藤柳作 1944年7月 1945年10月

 

韓国副統監と呼ばれた時代も含め、1907年~1945年まで存在した朝鮮総督府政務総監。前半/後半と分けるとしたら、中間は1926年あたりだろうか。

池上四郎氏も大変ご優秀ゆえ、ハングルを理解できるなどで大抜擢されたのかもしれない。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『ヤフーニュース』皇室の繁栄・伝統継承願い 紀子さまの曾祖父の伝記物語出版 竹中司郎さん(81) 令和人国記

『産經新聞』誕生秘話、生みの親は今も近くに 2020/5/23

『Wikipedia』池上四郎_(大阪市長)

『Wikipedia』朝鮮総督府政務総監

『Wikipedia』朝鮮総督府

『エトセトラ・ジャパン』皇后さまがご両親に宛てたクリスマスカードに涙腺崩壊 なぜ新潮はあんなにも情けないバッシング記事を…

1件のコメント

  • そんなにご立派な方の経歴であったら、書き手も敬意を持って、事実の部分はできるだけ正確に書こうとするものではないですかね?
    細かいことですが、例えば【大阪市立動物園(現:天王寺動物園)】とかね。事実、天王寺動物園は作ってないし。
    また、当時の『長』は、今よりずっと名士だったとはいえ個人で尽力したのではなく『市長』としてGO出しただけなので、動物園設立に寄与。とか、私に文責があるならそういう書き方をします。
    なんというか、さすが、真実と作り話を織り混ぜて、噓をホントにしようとしているだけのことはあるなぁと感服します。

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