【YOUR VOICE】遺伝性難聴が怪しまれる悠仁s インカム使用疑惑に手話もウリだが本人は聴覚障害を認めずって…

この記事をシェアする
※ こちらは11月24日付の【YOUR VOICE】デフリンピック大島会場に紀子さまと悠仁さま 直前の公務でご一緒の佳子さまがコロナに感染したのに…?に対し、読者様から寄せられたコメントです。

••┈┈┈┈••✼✼✼••┈┈┈┈••

最近地方紙に大きな記事になった話題です。

アメリカに昔、島民の殆どが聾唖者という島がありました。単行本にもなっており、アマゾンのサイトで内容紹介されていますので、引用します。

>「あの人たちにハンディキャップなんてなかったですよ。ただ聾(ろう)というだけでした」(本文より)
『みんなが手話で話した島』(ハヤカワ文庫NF) 文庫 – 2022/10/4
ノーラ エレン グロース (著), Nora Ellen Groce (著), 佐野 正信 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%8C%E6%89%8B%E8%A9%B1%E3%81%A7%E8%A9%B1%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B3%B6-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABNF-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3-%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/4150505942

アメリカ・ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島。

今や、オバマ元大統領ら多くの著名人が別荘を構える風光明媚な観光地として知られるこの島では、20世紀初頭まで「遺伝性の聴覚障害」のある人が多く見られた。

ここでは聞こえる聞こえないにかかわりなく、誰もがごく普通に手話を使って話していた。耳の聞こえない人も聞こえる人と同じように育ち、社交し、結婚し、生計を立て、政治に参加した。

文化医療人類学者である著者グロースは現地に赴き、島民みんなが手話を使って暮らしていた時代を知る、大勢のインフォーマント(情報提供者)の証言を丹念に採集し、過去の科学的研究資料とオーラル・ヒストリーとを照らし合わせながら、島の社会文化の来歴を解き明かし、当時の生活やコミュニティを活写する。

「障害」「言語」そして「共生社会」とは何かについて深く考えさせる、文化人類学者によるフィールドワークの金字塔。

••┈┈┈┈••✼✼✼••┈┈┈┈••

悠仁sたちには、なぜか難聴が多発しております。

人工内耳になっている悠仁sが相当数いるようなこと、逆に人工内耳であることを利用して、記者会見用の用意された台詞を無線で伝える「人工内耳カンニング」に障害が悪用されているのではないか、と言われるようになっておりますが、ご一家は悠仁さまが聾唖であることを認めるのではなく、必死で隠そうとしている姿勢が窺えます。

秋篠宮家ではやたらと手話を売りにするものの、かつてお茶幼校門前で紀子さんが悠仁1号に向かって、お互いマカトン法手話でやりとりしている瞬間を捉えた女性誌写真に激怒し、カメラマンをクビにさせるなどしたうえ、所轄に警備強化を要求したことで周辺住民が長年にわたり大いなる迷惑を蒙るなどあるようです。

ただこの本の内容からみると、やはり遺伝が主原因だし、共同通信の記事では、最初英国からの入植者が聾唖者で、離れ島であったことから近親婚が続き、1825年には全米では5700人に1人の聾唖者比率が、ここでは25人に1人という高比率だったとあり、一体全体、悠仁sのなかでは何パーセントになるのか、悠仁1号と現在の悠子2号だか3号がそうだとすると、マーサズ・ヴィンヤード島よりももっと高い比率で起きているようにもみえます。

さて、それでもデフリンピックの公務を引き受けるなら、難聴であることを隠すスタンスはいただけません。自分の障害を隠しながら、難聴があっても頑張っている選手を激励しに来られても、気持ちが入ってはおらず、やっぱり協会からのお足代だけが目当ての金食い虫一家でしかないと思えるからです。

両陛下や愛子さまのような無償の慈愛でないと、偽りの寄り添いポーズではすぐ見抜かれておしまいです。

共同通信が配信した記事全文です。

『みんなが手話で話した島 「聞こえないことが特別だとは思わなかった」 米・東部マーサズビンヤード島 チルマーク 「助け合いの絆」取り戻す動き』
(2025/11/11 火曜日 夕刊)

米国にはかつて、ほぼ全ての住民が手話を理解する地域があった。東部マサチューセッツ州沖に浮かぶマーサズビンヤード島南西部のチルマーク。

歴史的に聴覚障害者の割合が多く、隔絶された地で独自の手話を発展させたとされる。近代化で周囲との往来が増え、この〝共通語〟は廃れたが、健聴者との区別なく育まれた「助け合いの絆」を取り戻そうとする動きもある。(7面に関連記事)(共同)

「聞こえないことが特別だとは思わなかった」。チルマークに住むジェーン・スレーターさん(93)は幼少期、健聴者の祖母がろう者と自然にやりとりするのを見て育った。11月に日本で初めて開かれる「東京デフリンピック」が聴覚障害者の国際スポーツ大会と知り「なぜ区別するのかと昔の人たちは驚くでしょうね」と笑う。

ボストンの南からフェリーで約45分の島は面積250平方キロで人口約2万人。美しい海岸線やビーチなど自然が豊かで、映画「ジョーズ」の撮影場所にもなった。
チルマークでは過去、入植した英国人に聴覚障害があった。他の街から離れた地域だったため近親婚が増え、障害が遺伝しやすかったとみられている。1825年ごろ、全米で約5700人に1人だった聴覚障害者の割合がこの地域では約25人に1人だった。

チルマークは住民数百人規模だった親密さと聴覚障害者の身近さから独自の手話が広まった。調理前と後の魚の違いや魚の種類を説明でき、ホタテは貝を開閉する動きで表現した。歴史家ボウ・バン・ライパーさん(62)は「住民にとって重要な漁に関する言葉が具体的で生活に根差していた」と解説する。

19世紀半ばに蒸気船の普及で本土との往来が活発になり、人口が増えると聴覚障害者の割合は減り、独自の手話は徐々に米国共通のものに取って代わられた。それでも少なくとも1940年代までは手話への理解が深く、聴覚障害の有無の認識が希薄だったという。

「ろう者は地域の一員で、会話できるのが普通だった」。地元の博物館員だったリンジー・リーさん(73)は当時の様子を知る住民らを取材してきた。「聴覚障害は一つの特徴に過ぎず、助け合うために手話を活用していた」と振り返る。

地域の絆を再び強めようとするのはリン・ソープさん(83)。夫の難聴を契機にチルマークの歴史を知った。「島には耳の遠い高齢者が少なくない。同じことが起こせないかと思った」と語る。
高校や地元テレビで基礎的な手話の講座を開いた。医療や介護など職業別に必要な言葉を覚えるだけでもいいと語り「ろう者は別社会で暮らしているわけじゃない。健聴者が同じ言語を共有すべきだ」と訴えた。
(チルマーク共同)

[写真説明]
米マサチューセッツ州沖のマーサズビンヤード島チルマークの港(共同)
取材に応じるジェーン・スレーターさん=米マサチューセッツ州沖のマーサズビンヤード島チルマーク(共同)

 

(コメント欄:匿名さんより)



【YOUR VOICE】について

こちらは、普段ブログをお読みいただいている皆さまに、ご参加いただけるコーナーです。

皇位継承問題、現在の皇室典範、宮内庁はココがおかしい。そしてマスコミや週刊誌の適当な報道。

「もう黙ってはいられない」「私も言いたい」といった真剣な思いを、あなたも言葉にしてみませんか?

 

【ご協力をお願いしたいこと】

 

・メールで info@etcetera-japan.com へ。件名は「YOUR VOICE」でお願いいたします。

 

・簡単なタイトルもご準備ください。

 

・ご署名はお住まいの都道府県+イニシャルや仮名、またはSNSのアカウント名をご利用下さい。

 

・卑語の使用、デモやテロなどの危険な誘導、過激な表現はお断りいたします。

 

・弊ブログとは方向性が一致しない、男系男子論などの主張はお断りいたします。

 

・謝礼などはございませんが、どうぞご了承下さい。

たくさんの方のご参加をお待ちしております。



コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA