悠仁さまの高校生活、実は不登校ではなく「筑波大学の施設に通って」おられたという
都内の名門進学校のひとつ、筑波大附属高校に通い、勉学に励まれたことになっている秋篠宮家の長男・悠仁さま。続いては、『赤坂御用地のトンボ相』論文がどう評価されたかが不明ななか、推薦を勝ちとって筑波大学に進まれた。
ところが、朝夕のつくばエクスプレスで見かけた、高速道路で見かけた、という通学シーンの目撃情報がまるで上がってこない。大学のすぐ近くにお住まいかと思いきや、「筑波大学附属病院に悠仁さま専用の特別室がある」という情報もあるようだ。
そんななか、不登校との噂があった高校時代に関して、ちょっとビックリな情報があがってきた。
◆ビックリな情報とは…!?
その情報は、Xで相互フォロー中の「にゃんぽ(スワローズ有る限り💚)@q5FcyAF3rt26594」さんから寄せられたもので、テレ東BIZさんの動画を案内された。悠仁さまが「施設」に通われていた、とおっしゃったというのだ。
テレ東BIZの『悠仁さま成年式「関連行事」を一挙公開…公開・非公開を分けたものは?公式行事・祝宴招待の36人は誰?【皇室ちょっといい話】(220)』の32分30秒を過ぎたあたり、帝国ホテルでの祝宴に特別に招かれた人たちの紹介で、その部分が確認できた。
「お茶の水女子大学の元学長、前学長、それに悠仁さまが現在通われる筑波大学・学長夫妻です。悠仁さまは、幼稚園から中学校までをお茶の水女子大学の附属校で、高校からは筑波大学の施設に通われました。」
(スタートは合わせてあります)
◆だから不登校の噂が…?
結局は剽窃行為により世間の評価を下げてしまったが、あの『小笠原諸島を訪ねて』という作文が大きなポイントとなって、悠仁さまは名門・筑波大附属高校に入学できたと言われている。
ところがご入学後は勉強面で苦労され、テストは赤点だらけ、授業についていけない、進級できるのか、など様々なことを書かれ、匿名掲示板やXで「実は学校に殆ど来ていないらしい」という噂が広まった。
◆筑波大学の施設とは?
筑波大学は、東京都の文京区にも複数の施設を擁している。
大塚図書館、東京キャンパス事務部、附属学校教育局、社会人大学院等支援室、スマートウェルネスシティ政策開発研究センター、広報局東京サテライトオフィス、理療科教員養成施設などがあるそうで、ここで話題にするべきは文京区春日にある筑波大学附属大塚特別支援学校のことであろうか。
全国的にかつて盲学校、ろう学校、養護学校などと別れていたものが、2007年に統合され「特別支援学校」となっており、視覚障がい、聴覚障がい、知的障がい、肢体不自由、病弱など心身に障がいのある生徒が通っている。なお、筑波大学は文京区目白台にも視覚特別支援学校を持っているようだ。
たとえば、筑波大学附属大塚特別支援学校のホームページから、『入学をご検討の方へ 入学選考に関する資料』を見ると、高等部も入学志願者を募集していることがわかる。
そして『教育活動 高等部(2022)トピックス』というページでは、座学中心ではない、いきいきとした授業、各種の活動を通じて、在校生たちがそれぞれの能力をしっかりと高めていく様子が紹介されていた。
◆まとめ
6歳からのご優秀設定に基づき、見栄と無理によるゴリ押し感が強かった悠仁さまのご学業だが、個性を重んじる心身にやさしい教育施設で学ばれていたのであれば、ご本人のために何よりだったのではないだろうか。
そういうことだったのね、と色々なことが納得できた。テレ東BIZさんの勇気ある動画づくりに、この度も心から感謝したいと思う。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『YouTube』悠仁さま成年式「関連行事」を一挙公開…公開・非公開を分けたものは?公式行事・祝宴招待の36人は誰?【皇室ちょっといい話】(220)テレ東BIZ
・『筑波大学附属大塚特別支援学校』入学をご検討の方へ入学選考に関する資料
・『筑波大学附属大塚特別支援学校』高等部(2022)トピックス
紀子さんと一緒に伊豆大島にやってきたとして、報道されていますが、完全に目は泳いでいるし、手の振り方は女子だしで逆にボロ出しただけのようにおもいました。中高と裏で特支クラスに通っていたなら、伊豆大島での挙動不審ぶりも納得です。チック症も酷かったし、特支生そのままの雰囲気でした。
はっきり書いていただきありがとうございます。特支高生ですよ、実質は。卒業資格は「特支高等部卒」で大学入学資格もなしのはず。
だから面接試験会場に来ている姿をマスコミは誰もみておらず、入学式も前撮りだったというではありませんか。現在の御身分は聴講生のはずです。
聴講生であっても、明仁上皇の前例があるので、むしろ美智子さまはじいじに逆に付き合ってくれてありがとうとお慶びでしょう。
宮内庁のホームページに送信するという方法もある。
高校の卒業資格は、最終的には学校長の判断でどうにでもなります。ツクフではその方式で処理したのでしょう。自分も大学受験では国立に合格できたのに、高校では体育の単位不足であわや留年、大学合格もパーという状況でしたが、親が少々心付けをしてくれ辛うじて卒業できたのでその辺は理解できます。
牛乳プリンさん
ありがとうございます。ご心配かけてすみません。m(_ _)m
以前のようには動けずまだまだで気持ちは焦りますが少しずつやろうと思っています。
>きさらぎ様 2025年11月4日
>この動画は再生速度1.00倍に固定されていますが、何か制限があったのでしょうか。
このページの本文の
>(スタートは合わせてあります)
の下の埋め込み動画では再生速度が変えられるようです。
どちらの動画も、ツールを使っても保存はできないようにはなっていますね。
額賀衆院議長、乾杯の挨拶で「あきしのみや」だって。もう口もまわってないようです。
三権の長として適切な判断もできないようでもあるし、引退したほうが良いですねえ。
YouTube再生速度は、設定で問題解決しました。お騒がせしてすみませんでした。
テレ東の同じ動画で、祝宴の時、ひざまずいてスタンバイしていた方たちのことがわかりました。客人が座ったタイミングで椅子を押す役だったのですね(34:20あたり~)。
この動画は再生速度1.00倍に固定されていますが、何か制限があったのでしょうか。
ゆうこさん、退院おめでとうございます。
私もゆうこさん同様、疑問がたくさんです。
ひさひとさまの高校は、筑附は筑附でも特別支援学校の方だった?確かにサムネのこの写真、1人、支援級の子が混じっているな〜って感じだし。ん?でもそうすると、一緒に写っている子たち皆、支援学校の子…ですよね?
それに何故、授業についていけないとか、赤点だらけとかって噂が立つのでしょうか?特別支援学校の授業にすらついていけなかった?
筑附は、偏差値77の都内でもトップの進学校で、ひさひとさまは一応、世間的にはそちらを卒業したという事になっていますよね。でも実際は支援学校卒だとしたら、学歴詐称ですよね?筑附の子たちも、自分の学校にひさひとさまが通ってないのに、通ってることにされてて「え?どういうこと?」となるでしょうけど、その辺、緘口令が敷かれてたんでしょうか?
謎だらけです。一つ確実なのは、ゴユーシュー伝説は嘘、って事だけ。
確かツクフ高校の同級生達がTV出演した時、悠仁さまのことを「なんて呼べばいい?」と尋ねたら「ひーくん」と本人が答えたとあったように思います。
高校生の男子が自分のことをひーくんって呼んでとは随分幼いなと感じましたが、この施設登校が事実なら納得できますね。ツクフ高校の同級生達は高校のイベントのみ参加する悠仁さまのお世話係だったのでしょうか?
誕生会のケーキの前で三角帽子を被せたり、ロウソクの火を消してもらったり、蹴鞠やゲームに付き合ったり、勉強の話はほとんどなく、エピソードが高校生のものとは思えなかったことも納得です。
同級生達なりに悠仁さまを喜ばせようとしていたのでしょうね。
「日本有数の超難関高」へ「実力」でご入学、という紀子さん肝入りのご優秀設定を流布するためには、剽窃作文受賞実績も入試当日これ見よがしに受験票ヒラヒラも必然だったのでしょう。
通学先がどちらであったにせよ、悠仁さんsの何人かが日常的に赤坂ヘールシャムから外出(つかのま解放)する機会が保てていたのならまだ良かったと安堵すべきなのかもしれません。
朝比奈さんが仰る通り、親の過剰な見栄のために失ったものが少なかったなら良かったです。学びの機会が守られたことは本人のためですし、教育虐待を免れていたならホッとします。
(でも、それならば、お茶の水時代からずっと筑波大附属大塚特別支援校だった?お茶に支援級は無いし、立地は近いとのこと。)
ところで支援級等を出た後は、一般人なら、障がい者雇用やB型作業所などに移行するほか、能力により、一定期間、専門スタッフのフォローを受けつつ一般企業に勤める方法があります。
筑波大学には発達障害の研究や教育に携わる専門家が大勢いらっしゃいますね。悠くんの場合は、学長が差配し、公務の度に特性を熟知したスタッフが受け入れ先との仲立ちをするのでしょうか。
バミリを用意したり、トイレ等休憩場所を確保したり、特有の準備をするとなると、宮内庁職員より専門スタッフの方が安心でしょう。成年式後の宴席に筑波大学のN学長が居ましたが、「これからも末永くよろしく」という事なのでしょうね…。
(誠に勝手ながら【YOUR VOICE】掲載にあたり、わずかに文章を編集させていただきました。ご了承下さいませ。朝比奈より)
日本中や世界中で、悠仁サンに疚しい気遣いを強要した秋篠宮家、全員で大罪を犯しましたね。20年近く国民は「変だな。オカシイよね」と声を上げてきたのに、それを無視して暴走したから、此のお粗末な結果になったのです。
世界の話題に挙がって、もう取り消せない状態に陥りましたね。自業自得です。周囲が予想した通りになりましたよ。
巨額の税金を無駄に投じて低能に付き合わされた国民の身になって見ろって。今上天皇御一家と国民を蔑んで、勝手に信用を無くしたんだもの、落魄れて路頭に迷いなさい。実父の安西孝之サンが助けてくれるでしょ。
ついでに、道理から外れて偉そうな宮内庁も不作為で解体です。不可解な印象や納得できないことって、必ず理由があるんですよね。正田美智子サン(生きているのか?)から始まった日本暴落を止められず、本日「文化の日(明治天皇誕生日)」にまで至らせた恥知らずは、責任を取っていただきたいです。挨拶する額賀福志郎サンの間抜け面が哀しい。
『皇室ちょっといい話』が『皇室超絶いい話』にレベルアップして、国民が大喜びする配信を期待できます。虐げられたテレ東BIZの鬱憤晴らしは、怒涛の如く続いてゆく。敬宮殿下立太子と赤坂安西家皇籍剥奪。良く耐えて良く頑張りました。
ツクフの同窓会館に通っているという話もありましたが、それだとツクバの施設とは言わないですね。
ふ〜ん。
それじゃあ、作文剽窃などしなくても良かったんじゃない?
ツクフに入った時点で自動的にツクバに決まっていたんじゃない?
ツクバの行事の時だけ(小学校から高校までも)学校に行っているんじゃない?
いろんな事が頭をよぎります。
ともあれ
オラ、こんな家嫌だ〜、だ。
秋篠宮家長男の事は天皇ご一家、他宮家の方が良くご存じだと思います。長男の事は国民に知られてはいけないと思われている。
立皇嗣の礼をされ国内外に宣明された以上、絶対に長男が皇位継承されるまで伏せなければいけないのだと、宮内庁も政治家も皇族の方々も了承されておられるのではないでしょうか。
今までの報道を見てきて私は日本国民の一人としてそのことで世界的な大きな問題になることは絶対にないのか?と不安です。
名門筑波大学付属高等学校に通学されているという設定は見せかけ。納得でした。同級生を名乗って湧いて出たご学友たちは筑府からのボランティアかも。 このような育ち方をしているから無理ないことではありますが、特別扱いされることを坊ちゃん本人も当然と思っているふしがあるのでがっかりです。
エトセトラジャパンのトンボ論文関連記事で指摘されていたトンボの死骸の写真。あの論文の中で、あの稚拙で不自然なトンボの写真だけが坊ちゃん本人の作品ではないかと思っています。悠仁さんの名前を載せる以上、省けなかったのではないでしょうか。
ヒッチコックの映画「サイコ」の犯人の趣味は鳥のはく製でした。はく製作りを趣味とし、はく製を陳列する。冷血で不気味な行為です。あまたのはく製を制作し、その作品に囲まれて暮らしているA宮さん。息子さんにも受け継がれている恐ろしい業を感じます。親子に捕らえられ、はく製にされていった鳥たちや虫たちを思うとあまりにも無慈悲な行為に情けない思いでいっぱいになります。
悠仁さんは、胸を張って自分の高校時代を語れるようなことがあるのかしらと思ってしまいます。
この部分、結構本当ぽいと思いました。筑附に入った時に、実は大塚のほうに通うという説も出ていたはずです。
小学5年生で自分の名前が書けなかったとされる親王が筑附の授業について行けるわけがない。
その状況で普通の生徒に混ぜて「お客様」として3年間扱うと、思考訓練もできないまま小・中学レベルに留まってしまうし、
本人のメンタルにはマイナス、機密保持も容易でない。(小・中学は混合教育?)
高校長が発達障害の専門家でしたっけ。校長直々の指揮のもと、一応最善と思われる療育を施したのではないでしょうか。
国母を目指す御方からの横やりは散々入ったことでしょう。そのへんは適当に折り合い付けたんでしょう。
東大を諦めて筑波にしたのも、高校の延長で大学の授業もなんとかできるという筑波側思惑を元に、東大では難しいという
粘り強い説得がなされたのではないかと思われます。その大元は学長の欲望であったのでしょうが。
ところで、大学の授業もやっぱりその延長なのかな?
だから最初から筑波大附属一択しかなかったのです。学習院には特支がないので。
それでも最初は悠仁さまのために特別支援組を編成しようとまでしてくれていたのですが、学習院が「悠仁さまの生を観察させてください」と障害の程度を見たいと申し出たので、紀子さまが激怒されて永遠の物別れになり、学習院も「これで義理は果たした」と一丁上がりに。
人工内耳が必要なほどの難聴、お茶幼の校門前では、紀子さまとはマカトン法の手話会話でした。もし最初から附属聾学校を進学先として選択していれば、特支校生悠仁1号として、それなりに療育され、たくましく男子らしい成長をしたでしょうに。
代理母使用の弟や妹をたくさん生ませ、悠仁1号はかわいそうに代理母の産んだ妹たちにセンターポジションを獲られ、そんな悲惨な運命もたぶん起きなかったことでしょう。日本会議は名古屋のホテルにおいて16歳時点で実物を観察し、こっそり引導を渡して、以後は旧皇族復帰路線へと転換していったものと思われます。
悠仁さまは高校は筑附だと発表されてましたね。私が聞いていた(読んでいた)のではここに同窓会館なるものがあってここに通われて療養?校長先生がその方面に長けた方と聞いていたのでされているのだと思ってました。
実は支援学校だったのですか?そういえば、近くの人が登校姿を見たことがないと言ってましたね。
でも、それならあのバンキシャ!に出てきた友達は同じ支援学校の人達?スケカクさんも同じところに?
修学旅行の写真はその時のもの?秋篠宮夫婦が行った文化祭は筑附高校ではなかった?何か疑問がたくさん。