悠仁さま、2022年の羽織袴もひどい襟元だった! 秋篠宮家は着付けをプロに頼まずお身内の方が…?

先日、水面ニュースさんの動画を元に、秋篠宮家の長男・悠仁さまの羽織袴姿が襟元からうなじがのぞく「衣紋抜き」になってしまっていることをお伝えした。
着崩れが起きた、お車の座り方のせい、猫背がちだから、など様々なご意見があると思うが、昨日、NEWSポストセブンによる『《悠仁さまをどう守るか》法政大ハンマー事件が突きつけた“キャンパス警備”の難しさ……』という記事を読んで、そこに使用されたお写真に再び驚いてしまった。さらに過去のものを探してみたところ…。
悠仁さまの和服姿を、これまでと異なる角度からとらえた貴重なこちらの写真。なんと前面から見ても、悠仁さまの襟元はこんなにも広く開いていたのだ。

ここで、歌舞伎美人さんというウェブサイトの『「新春浅草歌舞伎」出演者が語る意気込み』から、役者さんたちの羽織袴姿をご覧いただきたい。

多少首を前に倒したところで隙間が生じることがないよう、細身か否かに関係なく、皆さま襟元をきちっと締めておられることがよくわかる。舞台ではお着物の襟を思い切り後ろに引く、女形の役者さんも同様だ。
◆思い出す写真その1
お母様の紀子さまにも注目してみると、お着物で有名なのが7歳で撮影された「七五三」のお姿だ。
あるときヤフオクに『週刊女性増刊 キャンパスで燃えた初恋実らせて 礼宮さま紀子さま 青春華燭 皇室 王室 社会 時事 平成 結婚の儀』というページが登場し、そこでこちらの写真が一気に拡散した。白いおはしょりがお腹を覆うほど長く垂れ下がっているためだ。

貸衣装ポエムさんというウェブサイトから、7歳女児用の着物の画像を1点お借りしてみたが、紀子さまのお着物もこのような柄の流れだったのかもしれず、おはしょりのせいで単調になってしまったとしたら、それは大変勿体ないことだと思う。

1970年代前半なら、母親や祖母が着付けをしてくれる家庭は多かった。7歳の紀子さまに着付けをされたのは、一体どなただったのだろう。
◆思い出す写真その2
こちらは2023年5月、英国王の戴冠式に出席された際の秋篠宮ご夫妻のお写真。あまりにも有名な「着崩れ」のシーンである。

最高級であろうお着物の、美しさを伝えるべき部分に斜めに大量のシワが出来てしまい、これが本当に勿体ないと話題になった。また、脇の下から出て帯にかかる「たるみ」は、着崩れのなかでも特に恥ずかしいものだそうだ。
◆3年前の和服姿、やはり襟にご注目を
2023年の英・戴冠式出席の際は、新型コロナウイルスに感染して同行できなかった職員さんがいたといい、当時は「もしや着付け師さんだったのでは?」と筆者は思った。
だがここでご紹介したいのは、2022年のお正月に撮影された悠仁さまのお写真である。襟は左後ろが折れ、右の前面は半襟と襟の間にたるみが出来ているようだ。これはひょっとして、今年より酷い…?

これだけ色々と見させられてしまうと、秋篠宮家の和装にプロの着付け師さんは誰ひとり関与していない、関与したくとも干渉をお断りされているのかも…という見方は正しいのかもしれない。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『NEWSポストセブン』《悠仁さまをどう守るか》法政大ハンマー事件が突きつけた“キャンパス警備”の難しさ 広大な敷地、自由な出入り…筑波大進学への懸念材料多数
・『歌舞伎美人』「新春浅草歌舞伎」出演者が語る意気込み
・『ヤフオク!』週刊女性増刊 キャンパスで燃えた初恋実らせて 礼宮さま紀子さま 青春華燭 皇室 王室 社会 時事 平成 結婚の儀
・『レンタルポエム』7歳女の子高級正絹、人気七五三着物レンタル上質子供着物、七草祝いにも
・『NEWSポストセブン』悠仁さま、3年後に待ち受ける大学受験 「ご学友と一緒に東大進学」計画も
・『YouTube』水面ニュース ― 悠仁くん またも羽織袴姿で皇居へ挨拶 そしてA宮家の半蔵門の利用について皇室の慣例を宮内庁が捻じ曲げた?
・『エトセトラ・ジャパン』だらしない着物姿、冷たい視線、そして能登半島地震への無関心さ… 渡英は本当に秋篠宮さまご夫妻でよかったのか
・『エトセトラ・ジャパン』悠仁さま「うなじ見せ」の襟元で艶めく 女性向けの着付けに驚いて令和7年がスタート
母の着付けについては、一応習って自装出来る方なのかな?という気持ちがします。
その上で、着物のときはノーブラノーパン寸胴にという古い慣習だけを守っていて、元々寸胴体型だからと正しい補整をしないでいるのかな?と推測します。
美しい着姿にするには、寸胴だから補整不要ってことではないですが、間違った解釈を頑なに守っているように見えてしまいます。
プロトコル無視で和装に拘るなら、「名前分かんないけど、着物は素敵だったよね」と言わせるくらいに『着物·和服』の圧倒的な美しさ&素晴らしさを世界に記憶させてきて欲しいものです。
数年前の画像で様々な検証が可能となり、心ある方のおかげでネットで情報を共有できるというこの時代に感謝しています。どうか隠された悪事が表に出て公正な天のお裁きがありますようにと、祈るばかりです。
秋篠宮家のスタッフの採用や職員については、本当に理解できないことばかりです。別名赤坂自治区(治外法権)と呼ばれているようですが、この着付けから秋篠宮家のお振る舞いに関する進言など、宮内庁は、一切関わることが
出来ない状態なのではないかと推察します。
おそらくまともに着付けもできないのに、秋篠宮家独自のコネ採用でもして、信者に食い扶持を与えているのか、同胞への優遇措置でもしているのではないかと。そのくせ移動してきた公的な職員にはコンポライアンスゼロの状態で、紀子様のストレス解消のサンドバッグよろしくパワハラ、モラハラ三昧なのではないかと思います。秋篠宮家に関しては、関わる人間の金銭トラブルや不審事件で真っ黒なので刑事事件にしてもいいから、きっちり手を入れた方が良いのではないかと思います。
たかが着付けの画像ですが、これだけでも色々なことが読み解けます。国民主権である現在、こういう事を放置するのは海外から見ても、日本人に自浄作用がないと見なされるのではないでしょうか?皇族たる品格が保てないような輩は
国民自身がNOを突きつけていかないと、国益を損ねると思います。
悠盆の着付け、今回だけでなく、3年前もそうだったのですね。
私も着物に詳しくありませんが、職場近くの図書館に着物の着付けに関する本が数冊あります。その一部を読みましたが、写真付でわかりやすく説明されていて、秋一族の方々も参考にするなり、美容師の方に着付けをしてもらったらいいのにと思いました。
また、着物学院の先生方や平林都さんが彼らの着付けを見たら、速攻でダメ出しされます。
キー子さんの七五三の着物の着付け、あれはないです。
そのいっぽうで、皇后陛下と愛子様、去年、「徹子の部屋」にご出演された三笠宮彬子様の着物の着付けは、きれいでした。
トランプ氏の「アメリカには二つの性しかない。男性か女性かだけだ」は、代理母が産んだ性別不詳の替え玉児を悠仁第三条廃嫡回避のために使いわける路線では、まったくアメリカから相手にされなくなることを意味します。もし女子でも、本人が「私は男性のつもりだ」と自己申告すれば男性になれるLGBTに優しい政策では通らなくなる可能性が出てくるからです。
思えば、紀子が皇室に入ってきたことそのものが、日本的ポリコレ路線でした。先祖非調査、出自不問で、皇族になった初めての例だったからです。CIAは確実に文仁DNA鑑定を行っているはずで、トランプ氏はその秘密を知る立場になります。国際犯罪捜査網に日本もフル参加するには、DNAを個人の秘密としてタブー扱いするこれまでの日本の政策(見て子と文仁への配慮からか)も、トランプ氏からの圧力で吹っ飛ぶかも知れません。
もともと袴で新年の挨拶に疑問を持っている人が多いのに、きちんと着せられないとは。秋篠宮家のやる事が上辺だけと感じるのはこういう事が多いからだと思います。
紀子さんは、英国公文書ではhumble origin、ワシントンポストでもhumble originでlow bornだと、その出自紹介がなされていたことが、篠原氏の配信で報告されていました。
自身の着付けと、娘や息子の着付けを拝見すると、なぜhumble originでlow bornなのかが、わかったように思います。やはり、きちんとした出自者なら、成長するなかできれいな着付けを目にし、周囲にも心得のある家族がいるものですが、low bornなのでは和装の素養など身につくはずもないでしょう。
それに旧家へ嫁入りするなら、着付け教室で花嫁修業するのはマストですが、英会話もだめ、着付けもだめ、お茶やお花の素養もなしでは、中身空っぽで、外国の賓客に対し、失礼といえます。
皇嗣大夫たち宮内庁幹部からみて、紀子はとうに見放されているそうで、秋家職員人事の決定過程にも紀子だけは参画させられず、悠仁東大進学の希望もあっさり彼らから却下されています。
何人も替え玉を用意し、マスコミの目を誤魔化そうとすること自体、馬鹿げた紀子の浅知恵でしかなく、皇室を組織と考える官僚からすれば、必ずバレるプランというしかないが、これまでは紀子がやれと命令するから、表面上だけ付き従っているふりをしてきたのでしょう。だから着付けのプロもつけず、勝手に紀子や紀子母がやっては赤恥を掻く繰り返しになっています。
こうした着付けの失態ぶりからだけでも、悠仁には人工授精でできた女の隠れきょうだいがいて、ときどき身代わりで出て来ているのではないかと、その女性らしい着付けや喉仏の有無、化粧ぶりから、わざわざダブルですよと自白してあるくような結果になってきているのです。
紀子は目の敵にしてサイトを閉鎖させたのかもしれませんが、その後、東大裏口推薦には失敗するし、東大推薦反対署名運動はされるしで、まだ「皇室新聞」や「菊の紋ニュース」で内部の不満を少しずつガス抜きし、小爆発で止めて置いたほうがマシだったはずです。耳に痛い話でも報じさせて、紀子自身がしっかり反省し、その都度態度を改めるのでないかぎり、最後に大爆発をおこして一家終了となるだけでしょう。
現在は秋篠丸沈没前夜であり、秋家の鼠に至るまでが一斉に泥舟から脱出を図っている段階です。
首周りがキチッとしていると耐えられないのかな?
ここの母親の着物のおかしさは、左前の襟を右の身体の端までグッと持ってきて襟を詰めるからお隣のチマチョ○リの様になる所にありますね。
そしておはしょりの端折り方も雑過ぎるんです。何年か前の次女の後姿も酷いものでした。ぐしゃぐしゃです。母親の着物の着方はこれ!とインプットされていて直しようが無いのではないでしょうか。
つまり凡のバミリへのこだわりと一緒なんですよ。私はそう思います。そのような着方しか出来ない一家なのに、一回の海外旅行で2度も着ていて恥ずかしい限りです。
>秋篠宮家の和装にプロの着付け師さんは誰ひとり関与していない、関与したくとも干渉をお断りされているのかも…という見方は正しいのかもしれない
なるほど納得できるお説です。これと女子替え玉説を掛け合わせると、出番の子が男子ではなく女子であることは、胸の膨らみ、お乳の発達具合や話題から着付師や美容師には忽ち気づかれてしまいます。
また2022年の悠仁と2025年の悠仁は別人のようにみえます。耳介のサイズも違うようです。
これとは別に発達障害のある子によく起きるのが、身体に触られることを嫌がったり、特定の人しか受け付けない問題です。民放テレビのドキュメンタリーで、京都のある美容室が発達障害のある子を積極的に受け入れていて、美容師さんが巧みにあやしながら、感覚過敏を起こさせないように調髪する様子を放送していましたが、もし悠仁1号にも同じ症状があるとすると、多動ゆえに、美容師がはさみや剃刀を使用することに安全性が担保できず、面倒だからと替え玉含めて全員同じカツラにして誤魔化し、着付けも紀子がやるしかなく、こんな非常識な着付けになったのか、と想像されます。
紀子祖母の着付けも酷いと話題になったことがありますよね。
番組では、発達障害の種類によっては、本当に美容室が見つからず、親は途方に暮れるそうです。
バミリ、同じ絵柄のチェックシャツばかり着る、というだけでも発達障害を十二分にうたがわさせられる悠仁ですが、これに美容室アレルギーや着付けアレルギーがあれば、男子悠仁1号から女子悠仁4号への入れ替えが起きる理由もはっきりしてきますね。
七五三のかわいいお着物なのに、おはしょりが酷いですね。
初めて見たので衝撃的です。ネット情報ですが川島和代さんが同居していて、海外にもスタッフの一員として同行し着付などを担当していると何かの書き込みで読んだ記憶があります。
信憑性の程は分かりませんが、ルーツが日本でない方の着付けでしたら数々の画像の摩訶不思議な点も合点がいきます。
戴冠式の事、着物の事はよくわからないのですが、前がくるりと両足巻込んでしまってますか、だから皺々の裾で綺麗な織りが見られず図柄は想像するしか無い位悲しい事になり、仕立てた方や反物作られた方や選んだ方々にも失礼極まりない結果となりました。
巻き込むと歩幅が狭くなり歩きにくいのと大股歩きも更に輪をかけて皺の原因となってしまいました。着物にしかず和装洋装教える方々に罵詈雑言では誰も寄り付かなくなるから益々気の毒な宮ヒになるのですね。
ずっと雅子皇后陛下の真似をして色や形の模倣ばかりではセンスが身につくはずもなく、誰も教えようもなく、息子も抜き襟となってしまいました。息子さんせめて形だけでも整えてあげてください、母親として。
そういえば、秋の園遊会の時の佳子さんの着付けも言われてましたね。
帯が下過ぎたのでしたかおかしかったですね。
英国での紀子さんの場合はしつけ糸がそのまま付いてたとも。
背中の部分もぼわっとしてましたよ。
七歳の時の着物もおかしい。おかあさんは韓国の人とも言われてましたっけ?
だから、わからなかった?秋篠宮と結婚した時のドレスも韓国服のようなデザインでしたものね。
そう思うと悠仁さまが着誇の儀だったか秋篠宮全員が着物を着て撮ってる写真が奇跡のようです。
あれは綺麗に着せてもらってましたから。
悠仁さまが着物の首もとをしっかり着せられたら苦しいと言ってるかもしれない?
天皇家の先祖が南九州から近畿へ大移動…『古事記』『日本書紀』から読み解く「神武東征」のルート
PRESIDENT Online2025/01/19
森 浩一 考古学者
上記文言で検索を、、
>日本神話では、初代天皇である神武天皇は九州の日向から東進し、橿原宮で即位したとされている。その道のりはどんなものだったのか。考古学者・森浩一さんの著書『日本神話の考古学』(KADOKAWA)より、一部を紹介する――。
(詳しくは本文で)