「天皇家は2600年以上も男系男子」に騙されないで《その4》 男系男子を定めた明治の官僚は娘ばかり3人で長女に婿養子!

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秋篠宮家の長男・悠仁さまが、成績不振と言われるなかで、まさかの東京大学に推薦で進学しようとしていらっしゃるという話題。それは、これまで皇室の話に特に関心がなかったという層にも、「秋篠宮家はけしからん」とアンチを広げてしまった感がある。

そして、必然的に多くの国民が「次の天皇は?」と皇位継承順位の話題に関心を寄せるようになった。そこで、「天皇家は2600年以上も男系男子が継いで来た」という理論が出てきた時のために、是非とも押さえておいていただきたい事を綴ってまいりたいと思う。

《その1》この有名人も騙されていた…?
《その2》考古学が最古の天皇と認めたのは…神武天皇から2,600年以上も…には無理がある
《その3》女性天皇が8人いる、昔も理知性が重要だった
《その4》男系男子が継ぐと断固主張の法務官僚、娘3人長女に婿養子を迎えていた!
《その5》Y染色体の脆さ

今回のその4は、男系男子が継ぐという理念は明治時代にキカナイ法務官僚が居て、その発言によりできたことについて。女性天皇・女系天皇に反対する方々は「2,600年以上前から男系男子で継ぐと決まっているんだ」などと話すが、そうではない。世の中が極めて封建的で男尊女卑であった明治時代にできた法律でしかないことを、是非多くの方に知っていただきたいと思う。



 

◆現行典範で新しいのは「嫡系嫡出」のみ

現行の「皇室典範」は昭和22年に法律第 3 号として制定され、皇位継承資格の要件を以下と定めている。

① 皇統に属すること
② 男系であること
③ 嫡系嫡出であること
④ 男子であること
⑤ 皇族であること

『国立国会図書館 調査及び立法考査局/旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立』によると、昭和22年に新たに付け加えられたのは③のみ、他の要件は明治 22 年に定められた「旧皇室典範」の要件を引き継いだものである。

注意したいのは、旧皇室典範が制定される前には女子にも継承資格があり、10 代 8 人の女性天皇が在位したこと。④の「男子である」という要件さえなければ、男系女子である敬宮愛子さまの立太子、天皇即位には何ら支障がなかったのだ。

 

◆誰が「男子限定」と?

では明治時代に、どのような議論の末に「皇位継承者は男子限定」と決まったのか。『国立国会図書館 調査及び立法考査局/旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立』を紐解いてみると…。

明治 10 年代に東京で活動した「嚶鳴社(おうめいしゃ)」という政治結社が『女帝ヲ立ルノ可否』と題する公開討論会を開催し、賛成、反対の議論が『東京横浜毎日新聞』に連載された。

なんと賛成派からは「女帝は四親等以上の皇族と婚姻が可能。皇婿の政事への干渉は憲法に干渉を許さない旨の条文を設ければよい」という意見のほかに、「もしも国会が承認すれば外国王室との婚姻を妨げるものはない」という意見まで出た

富国強兵を目指す明治時代にあっても「男子に限定してしまうと、おのずと先細りになる」という懸念もあったようだ。賛成論者が「女帝を立てないことで皇統が絶えるかも」と述べたところ、反対派は「2,500年皇統は絶えることがなかった。今後もそんな風になるはずがない。女帝から生まれた子供に対し、国民は皇統一系・万邦無比の皇太子として見奉らないのでは」と論じたという。

すると賛成論者から、さらに「男統の皇族が絶えて女統の皇族のみとなったとき、『女帝を立てない憲法』があるとよそから養子を迎えるのかという話になる。それに誰が答えを出せるだろうか」と反論したそうだ。

 

◆井上毅と伊藤博文とで

1884年(明治 17年)3 月、参議伊藤博文は宮中に制度取調局を設置し、約2年後には柳原前光(賞勳局総裁)が「皇室制規」を起草した。その段階では「皇位は男系で継承し、もしも男系が絶えたときはやむを得ず女系が継承する」で、伊藤もそれで行くつもりだったという。

ところが、文春オンラインの『愛子さまか、悠仁さまか 伊藤博文があっさり“女帝容認”説を手放した理由』という記事によると、男性優位の熊本藩士の家に生まれ育った法制官僚で宮内省図書頭の井上 毅(いのうえ こわし)がそれに徹底的に反論。伊藤は井上の意見をあっさりと聞き入れ、「皇位継承は男系男子に限る」としてしまったようだ。

その頃の日本は、今では考えられないほど男尊女卑がひどく、財産相続、教育、社会進出、参政権など、権利がほとんど認められていなかったことも大きいだろう。

 

◆その後、女性の地位はどんどん向上  

男尊女卑の井上毅がキカナくなっていた明治のその頃と、昭和以降の日本は男女の力関係が大きく違っている。そのあたりについて、内閣府・男女共同参画局の『女性参政権行使70年』というウェブページを紐解いてみた。

 

■高校進学率、社会進出と参政権

1890年(明治23年)、初めて「国民の代表」である国会議員が選挙により選ばれた。立候補するのも投票するのも、ただ権利は男性にしか認められておらず、その理由は「たくさん税金を納めているから」などと説明されたという。

しかし、明治維新からは製糸工場で女性が働いて収入を得るようになっており、1930年(昭和5年)には初の女性医学博士が誕生。翌年には東京が初めて小学校校長に女性を採用。1936年(昭和11年)には初の女性薬学博士が誕生した。

教師、医師、看護婦といった専門職に女性がどんどん就くようになり、1945年12月には衆議院議員選挙法が改正され、初めて女性の参政権が認められた。そして1946年(昭和21年)4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、女性約1,380万人が投票。そこでは39名の女性国会議員も誕生したという。

1947年(昭和22年)に教育基本法(昭和22年法律第25号)が公布され、翌年には男女共学が実現。女子も希望する大学へ入学することが可能となった。高校進学率も1960年代には80%近くに上り、「さらに高い学歴を身につけたい」と専修学校(専門課程)や大学、大学院に進学する女性が急増した。

1985年には「男女雇用機会均等法」が成立。募集や採用時の男女差別、昇進や定年・退職・解雇などの男女差別が禁止された。そして2015年(平成27年)8月、働きたい女性が自身の能力を十分に発揮し、安心して働き続けられる職場環境をつくるための「女性活躍推進法」が成立した。

 

■家督制度

井上毅らがおおっぴらに主張していた「ここは男尊女卑の社会」という考え方。それは、彼ら亡き後に著しい変化を遂げている。

旧民法下、「家督相続」は1898年から50年ほど続いたが、戸主(家長)が隠居や死亡したら「長男」がすべての財産・権利を相続するのは配偶者の軽視であり、また、子供の生まれた順序より平等な相続が重要であるとの考えが生まれ、昭和22年の民法改正で廃止になった。

興味深いのは、その家督相続制においても「もしも子に男子がおらず、女子だけの場合は長女が家督相続人となる」と決められていたことである。これを今の皇室に当てはめれば、皇統を継ぐのは皇女・敬宮愛子さまになるのでは…?

 

◆まとめ

最後にこちらをご覧頂きたい。「男子が強い、男子が勝ると主張していた井上 毅氏は、神様のイタズラなのか、なんと生まれた子3人が全員女の子。そこで長女に婿養子を迎えていたことがわかっている。

女性を軽んじた井上毅の子は、なんと3人とも女の子。跡継ぎのために長女に養子をとる(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
女性を軽んじた井上毅の子は、なんと3人とも女の子。跡継ぎのために長女に養子をとる(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『衆議院憲法審査会』平成15年2月6日(木) 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会(第1回)

『Wikipedia』男女共学

『国立国会図書館 調査及び立法考査局』旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の 確立

『文春オンライン』愛子さまか、悠仁さまか 伊藤博文があっさり“女帝容認”説を手放した理由〈皇統をめぐる争いによる国の乱れを危惧〉

『内閣府男女共同参画局』 女性参政権行使70年

『Wikipedia』明治天皇

『Wikipedia』井上毅

『エトセトラ・ジャパン』「天皇家は2600年以上も男系男子できた」に騙されないで《その1》この有名人も騙されていた…?

『エトセトラ・ジャパン』「天皇家は2600年以上も男系男子」に騙されないで《その2》 考古学が最古の天皇と認めたのは…

『エトセトラ・ジャパン』「天皇家は2600年以上も男系男子」に騙されないで《その3》女性天皇が8人、昔も理知性が重要だった

4件のコメント

  • 既に述べられた方がおられますが、、
       ↓

    政府「適当でない」女性差別撤廃目指す国連委員会が皇室典範も議題に

    [2024/10/18 13:40]
    https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000378789.html?display=full

    >女性の差別撤廃を目指す国連の委員会が皇室典範を議題としたことについて、青木官房副長官は「国家の基本に関わる事項で適当でない」と述べました。

    青木官房副長官
    「我が国の皇位継承の在り方は、国家の基本に関わる事項であり、女性に対する差別の撤廃を目的とする女子差別撤廃条約の趣旨に照らし、委員会がわが国の皇室典範について取り上げることは適当でない旨、説明した」

     17日にスイスで開かれた国連の女性差別撤廃委員会は、8年ぶりに日本の女性政策を審査する会合を対面で開催しました。

     審査では、選択的夫婦別姓の導入について議論されたほか、男系男子のみに皇位継承を認める皇室典範についても質問がありました。

     前回、2016年の審査では、国連の委員会がまとめた最終見解の案に皇室典範の改正を求める記述があり、日本政府が強く抗議し、削除された経緯があります。

     青木副長官は、審査を踏まえた委員会の最終見解が今後、公表されるとしたうえで「その内容を十分に検討したうえで、関係省庁が協力して適切に対応して参りたい」と述べました。

  • 不敬を承知で意見を述べますが、この問題は、夏の甲子園の熱中症問題と少し似たところがあると思います。様々な考えがあるとは思いますが、その時代の様相や環境に応じて、無理のある仕来りは変えればよいというのが私の考えです。私は、2つの理由で女性を、更に将来的には女系を容認するべきだと思っています。1つ目は側室制度が現在は無いこと。2つ目は、太古と違い、天皇家は映像等を通じて、一般国民に身近な存在であること。つまり、血統のみならず、品性や知性を含めた高潔なご人格なくして国民の支持は得られず、勤まらないこと。

  • 夫婦別姓、皇室典範に言及 女性差別撤廃委が対日審査―国連

    時事通信 外信部2024年10月18日09時14分配信

    >【ニューヨーク時事】国連の女性差別撤廃委員会は17日、日本の女性政策を審査する会合をスイス・ジュネーブで開いた。委員からは選択的夫婦別姓の導入に向けた取り組みを問う声や、男女平等の観点から皇室典範の見直し検討を促す意見が上がった。同委は近く改善勧告を含む報告書を公表する。<下へ続く>

     同委は過去3回の対日審査で、夫婦同姓を義務付ける民法の規定が「差別的」などとして、改正を要請。今回も委員が「職場や私生活で女性に負の影響を与えている」と指摘した。これに対し、日本政府の代表は「国民の意見や国会の議論を注視しながら、司法の判断も踏まえさらなる検討を進める」と述べるにとどめた。

    日本の女性政策審査 8年ぶり、夫婦別姓も議題―国連委

     また、男系男子のみに皇位継承を認める皇室典範について問われると、政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」として、同委で扱うことは「適切ではない」と主張した。これには議長が「スペインなど同様に差別的な法律のある全ての国に質問していることだ」と異議を唱えた。

  • 国連の女性差別撤廃委員会は17日、日本の女性政策を審査する会合をスイス・ジュネーブで開いた。男系男子のみに皇位継承を認める皇室典範について問われると、政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」と主張した。

    皇位継承について国連に言われるのは面白く無いのですが、その前に、、、

    はて?この日本政府担当者はウソをついていませんか?「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」は虚偽発言ですね?

    「男系男子」は古代、中世、戦前の性差別、女性蔑視、軍国主義の時代のやり方です。今日この様なやり方を国民は支持していません。

    平成、令和の代替りも天皇直系の男子がおいでだったので「性差別の議論」が結果的に起きなかったのであって、直系が女子のみであれば国民的議論になったにちがいありません。

    日本政府担当者が国連で「国民の支持」などとウソをつくのはやめていただきたい。

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