悠仁さま成年会見/未公開の後半に驚く【その2】驚異の熟年語彙力「幾分か丸くなった」 原稿はどなたが?
このたび行われた秋篠宮家の長男・悠仁さまの成年会見。私たちが見たのは5つの質問のうち3つに対する回答のシーンのみで、残りの2つと関連質問は宮内庁が文章で公開するのを待つしかなかった。
いやはや、ツッコミどころが満載である。今回の【その2】では、「これがアノ悠仁さま?」と思わず眉をひそめ、首をひねりたくなった回答の内容についてーー。
◆【関連質問1】と悠仁さまの回答
【関連質問1】
今年は先の大戦から80年の節目です。戦後生まれの人が大半を占める今の時代に悠仁さまは戦争の歴史とどう向き合われてきたでしょうか。今年1年をどう過ごされるかなど、成年皇族としての務めはどのようにお考えでしょうか。
【悠仁さま】
私は幼少の頃から戦争に関する資料館を訪れたり、沖縄、長崎、広島といった地を訪問したりする機会がありました。その中で戦争について、詳しく学んだり戦争を経験された方の話を伺ったりする中で、戦争によって多くの方々が命を失い、またつらく苦しい思いをされたことは言葉で言い表すことができないほど痛ましいものであると考えました。
また、先月、舞鶴引揚記念館を訪れた際にも、引き揚げのお出迎えの経験者の方や学生語り部の方からお話を伺う機会がありました。その中で当時の人々の思い、そして当時の状況をしっかりと深く受け止め次の世代に語り継いでいくことの重要性を感じました。
■沖縄ではトンボが見たかったのでは?
筑波大学附属高校の2年生さんたちは、1日目の「平和学習」でクラスごとに沖縄県平和記念資料館、ひめゆり平和祈念資料館、轟壕などを訪ね、戦争の惨禍について現地の方々に話を伺うことになっていた。
その平和学習を前にした寄せ書きで、悠仁さまはこんなことを書いてしまい、呆れた誰かにより、その証拠写真がYouTuberの「刺さらないニュースさん」に寄せられた。
「昼に時間があればトンボ見たい」
■広島へは普段と違う雰囲気の悠仁さまが
2018年8月、悠仁さまは母・紀子さまとともに広島県広島市の平和記念公園を訪れたが、非常に貴重な経験となったであろうに、日テレと時事通信社以外、報道は残されていない。「悠仁さま、何か違う人みたい。こういう顔だった?」と話題になってしまったことも理由の一つではないだろうか。
こちらは画像販売業者『gettyimages』のリストからとなる。

■舞鶴では迷言を連発される
先月、京都府の「舞鶴引揚記念館」を訪れ、同年代の3名の若者から大きなジオラマを元に、当時の舞鶴や、1945年(昭和20年)に始まった引揚げの様子について説明を受けるなどした悠仁さま。
しかし、ジオラマの感想を尋ねられると、はっきりと聞こえないお声で「当時はその…、この周りにはその、畑とがあって、この中にてん…(?)とかがあったという…」と。
さらに「シベリアとかはその…港の、向こうの港からは、どれぐらいの距離があったんですか」と自らご質問。語り部さんは距離ではなく「ナホトカの港からは3日ほど」と答えており、引揚げの苦難のほどが伺えるはずだ。
それに悠仁さまは、冬の海は荒れやすいため「乗り心地」が悪かったのではないかという感想を述べられた。70万人を超える日本人が、最悪な条件下で強制労働にあたっていた過酷なシベリア抑留。語り部さんは始めから、「貨物船が使用されることが多かった」とおっしゃっていたのに…。
名門・筑波大附属高校に通われる悠仁さまは、シベリアが特定の地名ではなく、アジアの北部の殆どとも言えるロシアの実に広大な地域を意味することを、果たしてご存じであろうか。ナホトカまで各地から大変な距離があり、港に着くまでにも多くの労働者の命が尽き果てたと聞く。
もしも「将来は天皇になる」という自覚がおありなのであれば、舞鶴港やシベリア抑留などについて下調べをきちんとする、言葉を慎重に選ぶなど努力をするべきではないか、そんな風にハラハラさせるのが従来の悠仁さまであった。
◆ご本人が本当に原稿を書いたのか
だからこそ、このたびの成年会見の内容は無難すぎて違和感がある。原稿が存在するのは当然だとしても、若くはない大人がそれを作ったのでは…と疑いたくなってしまうのだ。
例えば、こちらをご覧いただきたい。「ときには、やはり」「幾分か丸くなった」などに「これ、本当に18歳による言葉選びだろうか」と不思議に感じる。

そんなこともあり、「国民に寄り添う」と悠仁さまがおっしゃっても「心がこもっていない」「こちらの胸に何も響いてこない」という声は多い。同時に「18歳らしい、みずみずしさが無い」という声も上がっているようだ。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『宮内庁』悠仁親王殿下ご成年をお迎えになっての記者会見
・『gettyimages』prince hisahito of akishino 2019
・『ヤフー知恵袋』次の天皇になられる、悠仁様なんですけど、小さい頃は目が大きくて……
・『時事通信社』秋篠宮ご一家~ご家族の写真・ご公務など~ 写真特集
・『日テレ』悠仁さま “原爆の惨状”見学 初めての広島
・『エトセトラ・ジャパン』悠仁さま舞鶴訪問で「下調べ不足」がバレる シベリア抑留~強制労働~引揚げの苦労話にも関心事はソコ…?
ボウに剽窃成年会見させながら、国会の裏で皇室についての会議内容が酷いにつきる。どうすればあんな案が出てくるのか想像できない。会議内容は愛子様が立太子の話一択がいい。それ以外の何もいらない。
降嫁しても残れるとか、相手や子供に???暫定家族についての話し合いは不要。愛子様が一般の皇族として残るなんてもっての外。直系による愛子様の立太子。明治維新に決めた男の決めた事なんて女性に選挙権が無い古臭い考えなんてもっての外、男女同権を守れ国会議員。
スピーチライターの選定を誤ってますよ!
十代の男子をマネジメントする芸能プロダクションに丸投げしていればまだマシだったはず。あの会見文は、役人OBで、70代男性が書いたものじゃないでしょうか?
せいぜい永田町で、与党政治家の演説原稿を書き慣れてきた人、というイメージです。これをツクフに通学している悠仁さんとは別の会見用に調教されてきた、別の悠子ちゃんに読み上げさせたが、なおうまくいかずに全編吹き替えさせたのか?
ただ入場してくるときの足取りがいかにも女子っぽかった。性意識がまだない少女期から女の子に男性ホルモンを投与しつづけ、胸をふくらまさせず、変声には成功したが、メイクはしたがるし、普段はキノコカツラは外して「悠子」として生活していそうですね。
「悠子」といえば、ブータンについてきた子を想起させられるが、成年会見のときテレビに再びブータンでのインタビュー音声が流れたので何度も聞き直してみたけど、まるっきり女子の声、話し方だった。
>熟年語彙力
笑いました。
思い出すのは、以前、悠さんが皇室の作品展に出品した(昔の暮らし?)のジオラマです。
まるで模型店やドールハウスショップに並ぶ商品顔負けの繊細な作品でしたが、あのような田舎の一般人の生活…それも細かい小物までを詳しく知る人はかなり高齢の地方出身者だと思うのです。
そういう誰かが丹念に作った小物を悠さんが手取り足取り教えられながら指定の場所に並べて行く場面か目に浮かびました。
今回も誰かの書いた文書を一生懸命覚えたか、カメラの真横に大きなカンペ掲げ持つ人がいたとしても全然驚きません。
広島のHさんは22年三重伊勢神宮のHさんかと思います
でも2016年に長崎で献花してるのは別のHさんですね
導火線の短い皇族なんて不適格そのものだと思いますけどね。秋篠宮家は頭おかしいんじゃないですか? こんな人たちに皇統が移ったら日本は終わります。ヒトラーでも見習うつもりですか?
そう言えばキコ様は悠仁さんにマキャベリの「君主論」を勉強させたって聞きましたが、本当ですか? 気持ち悪い一家です。
舞鶴では、高校生の話を聞きながら、「ふぅ〜ん、ふぅ〜ん」と相槌を打っていらっしゃるのを聞きました。それ、ダメでしょ!って思ったのは覚えています。今探してもお声の入っている動画がなかなか見つけられないのですが…
会見開口一番、大船渡の山火事に触れた時の「案じております。」は、「心配しています。」または「気がかりです。」普段から使っているフレーズのほうが気持ちが伝わりやすいのになぁと思った次第です。
一昨日発売のセンテンススプリングでは、ハリウッド大学大学院の特任教授が、原稿を見ないで話されたこと、普段なかなか使わない言葉の場合、政治家は唇を舐めることがあるが、悠仁親王には見受けられなかったと言っていました。
それに驚いたことはもちろん、何度も練習していたとの「コメント」がありました。
読んでいて、はて?となりました。確か、3年前のツクフ入学式の時、どもっていましたよね?その彼が「スラスラ」話せるのかな?と疑問に思いました。
茶番中卒業式の時は、どもっていたか忘れましたが…
茶番中卒業式の時を1号としたら、ツクフ入学式は2号、そして今回の成年記者会見のは3号でしょうか。
また、成年式の開催時期を9月6日とした理由に関する971の説明は、奥歯に物が挟まった説明に終始していましたよね?
民法の規定である18才の間に、何故、儀式をやらないのかなども含めて、971とA宮一家との連携、コミュニケーションがあまりにも不足しているからではないのでしょうか。
A宮一家は、好き放題やりたい放題が、度を超しています。
今から約半年前、東大推薦入学反対の署名がスタートした途端、Xに悠仁さまの同級生という、筑波附属高生を名乗る「ノマド」氏が現れ悠仁氏の擁護にまわっていましたが確か、ノマド氏も高校生らしからぬ言い回しで、年配者によるなりすましではないかと考察されていましたね。
学生証の一部を付箋で隠して提示し、同級生であることを主張していましたが、同級生と限定すれば対象は40名程度なので特定が可能となるという指摘もありましたね。
もし、ノマド氏が美智子氏と紀子氏から悠仁氏の擁護を依頼された第三者のなりすましであった場合、受験生の夏休みに騒ぎを起こして同級生が勉学に集中できなくなる可能性もあったのですから、浅慮にも程があります。
おそらく幼少時代の工作作成から「チーム悠仁」なるものが設立され、今日に至るのでしょうけど、やることなすこと裏目に出ていて、やる気がないのか、フォローが出来ないほど悠仁氏が酷いなのか、親の注文が無茶ぶりなのか、判断に悩むところです。
いくつか敬宮様のご会見と見聞き比べての私なりの違和感を書き残します。細かくは書ききれませんが、ご参考までです。
1) 質問から回答に移行する間
敬宮様の場合、質問から間髪なく回答への移行に対し、悠仁様は何かタイミングを測っているような2秒程の間があります。敬宮様の場合、多少のご緊張もあったのかもしれません。
2) 「えー」という考え中の発声が、敬宮様の場合何箇所かあり、よく抑えられているとは思いますが、悠仁様には一切ありません。
3) 上と似ていますが、敬宮様の場合、時折コメントをお考えのため、長さ不定の空白がありましたが、悠仁様にはそれが一切ありません。
4) 敬宮様の場合、1回のご発声の長さが不定で、長いものもありますが、悠仁様の場合、おおよそ最大4秒以内で文が区切られて、ご発声の間隔が周期的です。
5) 敬宮様は、確かに緊張されていました。対して、悠仁様は、緊張されていると仰っている割に、全く緊張なさっているように見えませんでした。謎です。
6) 敬宮様のご発声に、特に違和感はありませんでしたが、悠仁様のには、ところどころアクセントの変なところがありました。文の意味を意識しないとよく起きるような感じのものです。
ある意味、悠仁様のは人間業を超越していると思います。かつての信号機の作品がふと心に浮かびました。
対して、敬宮様のご会見は、まだ、初々しさが残っていて、何度見ても心が温まりますね。そして、日赤に就職されてからの今のお姿、ご成長に、改めて驚きました。
前回の記事なのですが
ビフォーアフターの映像
アフターの映像を口元ズームして視聴しました
そこで.短かめの一文が終わり、一呼吸して言い始める時に、映像が不可思議に飛ぶ?というか繋げた?継ぎ目というか、そんな風にコマぎりで言葉と言葉の間で出るのは何故でしょうか
前を直視している時の黒目に前の光景が映っています。横長いスクリーンが
悠仁さまが舞鶴引揚記念館に訪れた日は2月12日で平日でした。授業がなかったとのことで訪れたのことですが語り部の高校生は休みでも授業がなかったわけではありません。
それに普段は夏休みとかそういう時に語り部として説明しておられるそうなのに、わざわざ高校生を指名したとコメ欄で見ました。なんのために?
同じ高校生なら写真を取られても良く見えるから?上から目線的な? 大人相手だと質問内容が難し過ぎるから?
秋篠宮の導火線の長さを聞いてるのに丸くなったってなんですか? 少し長くなりましたねじゃないの? 導火線、わかってる?
普段、悠仁さまは宮邸で何をしてるのでしょう? 紀子さんのカードを使ってゲームに課金したのでしたっけ?ゲームしてるのかな?
普段の生活が全然、想像つかないなぁ。
私が生まれる前、あるいは小さな頃はかなり導火線が短かったと聞きましたが、近頃は少しだけ長くなったような気がします
ではいかがでしょうか。
だれかちゃんとしたカタ付いていないのでしょうか。