悠仁さま舞鶴訪問で「下調べ不足」がバレる シベリア抑留~強制労働~引揚げの苦労話にも関心事はソコ…?
おかげ様で、先の『デリカシーのなさに仰天! 悠仁さまの顔色を良く見せるためか、女の子たちが「赤ら顔」にさせられる』という記事が大きな反響をいただいている。顔色は画像加工でなんとでも変えられるだろう。だが、知性だけはどうにもならない…?
このたび、京都府の舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」を訪問された悠仁さま。東京からの道中、優秀な側近の方々からシベリア抑留と引揚者の話をざっとでも聞いておき、疑問があればスマホなどで自らも調べておくことができたはずだが、その結果がまさかコレなのか。
◆えっ、気になるのはソコ?
コメント欄で読者さまから教えていただき、テレビ大阪がYouTubeにアップした『悠仁さま 京都・舞鶴引揚記念館を訪問。学生語り部の案内受ける 大阪NEWS』という動画から、悠仁さまのご様子を詳しく確認できた。
同年代の3名の若者から、目の前の大きなジオラマを元に、当時の舞鶴や、1945年(昭和20年)に始まった引揚げの様子について説明を受ける悠仁さま。軽く頷きながら話を聞いておられるなか、1分25秒目あたり、ジオラマの感想を尋ねられるとこう話された。
「当時はその…、この周りにはその、畑とがあって、この中にてんぐ…とかがあったという…」
舞鶴港の当時の様子が再現されたジオラマに、「畑がある」という感想を持たれた悠仁さま。しかし語り部の女の子は、思いやりがあるのだろう。豊かな感性とともに「そうです。周りは山であったり畑であったりとか、海もありますので、すごく景色のきれいな所だったっていう風に聞いております」とフォローしてくださった。
筆者の耳に「てんぐ…」と聞こえてしまった部分は、もしかすると「停留船」「碇泊場(ていはくじょう)」のことだろうか。悠仁さまの会話はいつも声が小さく、語尾がとにかく聞こえない。尻つぼみになっていくのだ。
続いて悠仁さまは、こんなおかしな質問をされた。
「シベリアとかはその…港の、向こうの港からは、どれぐらいの距離があったんですか」
語り部さんは、またもや機転を利かせて「ナホトカからですと、よく3日ほど船でかかっていたようです」と港の名を添えて説明しておられた。当時の船の「遅さ」を思うと、距離で何kmというより日数のほうが大変さが理解できる。
そして、名門・筑波大附属高校に通われる悠仁さまなら、シベリアが特定の地名ではなく、アジアの北部の殆どとも言える、ロシアの実に広大な地域を意味することをご存じであろう。下調べさえしておけば「シベリアとか…」ではなく、「ナホトカの港から」とご自身から港を特定できたはずだ。
◆乗り心地など良いわけがない
さらに語り部さんは、船が人を載せるために作られた客船ではなく、荷物を載せるために作られた貨物船が多かった、その中で体調を崩してしまうような方がおられたことを説明。すると悠仁さまは…。
「今みたいな冬の時とかだと、荒れてる時も多いと思うので、さらに時間がかかったりとか、乗り心地も悪かったり…とかってあったんでしょうね。」
70万人を超える日本人が、最悪な条件下で強制労働にあたっていた過酷なシベリア抑留。体力を失い、げっそりとやせ細った人達が貨物船にぎゅうぎゅう詰めにされる数日間。海がシケだと時間がかかるだの、それに関係なく乗り心地など良いわけがない。
そんな言葉には何とお返しすればよいのだろう。語り部さんは、少し間をおいて「では、説明を続けさせていただきます」と話を次に進めておられた。
◆まとめ:成年会見の原稿はどなたが?
シベリア抑留~過酷な強制労働~引き揚げという忘れ去ってはならない歴史上の事実を、舞鶴を訪れる前にきちんと下調べする必要があったはずだが、悠仁さまはそれをなさったのだろうか。また、現地でどれほど多くのことを学ばれ、理解されたのだろうか。
いつか行われる成年会見だが、この調子で悠仁さまが原稿をご自身でお書きになるなら、どうなってしまうのだろう。そして、もしも逆に質疑応答を立派にこなせたとしたら、それはそれで別のことを勘繰りたくなるだろう。適切な言葉を送ってもらうため、もしや耳に超小型のワイヤレスイヤホンが入っている?などと…。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『ヤフーニュース』朝日新聞 ― 悠仁さまが舞鶴引揚記念館を見学 同年代の語り部に感謝も
・『YouTube』【kyoto】悠仁さま 京都・舞鶴引揚記念館を訪問。学生語り部の案内受ける 大阪NEWS【テレビ大阪ニュース】
・『エトセトラ・ジャパン』デリカシーのなさに仰天! 悠仁さまの顔色を良く見せるため、女の子たちが「赤ら顔」にさせられる
・『エトセトラ・ジャパン』悠仁さまの左耳のモノ、補聴器でないほうが実はヤバイかもしれない
ぴよこさんや匿名さんの引用するTBSの番組は報道特集でやったもので生で見ていました。境界知能だと他人の心の痛みを察することができず、おもわず暴力を振るってしまったり、記憶力が弱く、自分の失敗をすぐに忘れて、またおなじ過ちを繰り返すそうです。
小学一年でやる足し算引き算もできず、九九も覚えられない。そこで加古川学園では、公文式で小一からやり直させているのです。
これらは仄聞するところ、悠仁さまも全く同じ症状を抱えているようで、家庭教師が「小学校レベルからやり直さないと何を教えても駄目だ」といって、完全に匙を投げたそうです。
舞鶴で引き揚げ者の心情を全く察することができない境界知能ぶりを曝け出し、どんなに事前に入念に準備をしてさしあげてもこれでは周囲も諦めムードになってしまいます。成年会見ができないのも、そういうことかと思います。
お一人さま授業だの同窓会館隔離登校などで、発達障害を誤魔化して貰えた高校までとちがい、大学、それも理系では境界知能では全く授業についてゆけないでしょう。
香港の報道でははっきり知的障害と書かれているし、替え玉女子を投入してみても、どうにも障害を隠し切れない最終決断段階にきたというべきではないでしょうか。皇室典範第三条の出番が来たのです。
境界知能の非行少年が増加していることは問題です。
いま違法ネットカジノ客の摘発が急ピッチで進んでいますが、以前、悠仁さんが海外のネットカジノに嵌まり、紀子さんのクレカを勝手に使って大損害を出したという話があったようですが、もし事実ならば、まさに境界知能児による犯罪行為の典型例ということになってしまいますね。
でも現実の司法では、IQが71しかなくても、減刑や無罪にはならず、処罰され、少年でも少年院送りとされています。この加古川学園での教育法は、悠仁さんにも効果的なのではないか、と思いました。
同じくヤフー記事で、2013年沖縄訪問のときの悠仁さんの顔写真が出ていましたが、顔全体に比べ、その耳介のデカさが際立つ写真でした。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/30f56e9b875ce7beec9a38ba639e2cabb6308360/images/002)
替え玉説、付け耳説、大規模整形説いろいろありますが、こんなに耳の大きい子は珍しいです。この子が悠仁さん1号だったなら、舞鶴や京都に来た子は誰なんでしょう。別人としか見えませんが。
今日、「人の心の痛みが分からない」という境界知能少年に関する記事を読みました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/622eb11c49b72681d77340736cfbc916ec727d0f
戦争で苦労された方々の心の痛みを、全く理解できていなそうな悠仁さまのことが頭に浮かびました。
亡き母の戸籍に戦時中、大陸で戦病死した大叔父が記載されていました。母方祖父は南方に出征して無事帰還しましたが、戦後の食糧不足の中、若き祖母と四人の子供を食べさせる為、大変苦労したそうです。父方の叔父叔母は焼夷弾降る中逃げ惑い、静岡→青森と学徒疎開で離ればなれとなった父は亡くなるまでその苦労を語りました。
皇族とは無縁の一般国民の私ですら、先人達があの時代にどの様な状況で生活し、どんな苦難の日々だったか、身近な家族からの話から伺い知れるのに、只そうした戦争遺跡等の重い歴史施設を訪問する前の下調べや勉強すら全くしない、上っ面だけの中身の無い会話や的の外れた空虚な質疑応答しか出来ない親王さま、唖然です。先祖が神とも崇められ、その名を叫んで数多の国民が命を落とした厳しい現実がある一族の一員なら、単なる旅行気分で訪れるのは止めて欲しい。
年間900万円ものお手当が出るならそれに見合った勉学に励み、教養や礼儀作法を身に着け、それなりのお立場に相応しい人物として、人前に出て下さい。昨日の敬宮さまの鴨場接待ニュースを潰すつもりのステルス私的旅行、華やかさ、人望、知性、教養のある彼女の姿や佇まいに軍配が上がりますね。高価お手当頂いている身ならば、早速成年の儀や会見をなさいませ。
語り部の高校生の方々とのやり取りを拝見しましたが、全体的に幼い、語彙が稚拙な印象が感じられます。
また、山崎豊子さんの戦争三部作の一つである「不毛地帯」では、主人公壱岐正の半生とシベリア抑留に関する記述があります。事前に図書館でシベリア抑留に関する本を借りて読んだり、DVDを見て、それらを踏まえたやり取りが出来ていませんね!
先日、「文藝春秋」でT納さんが「愛子様と悠仁様」に関する記事を掲載されていました。去年2月の海外要人との昼食会で天皇皇后両陛下のニュースを見た愛子様が、彼らとのコミュニケーションのコツについて天皇皇后両陛下に質問。彼ら曰く、事前に下調べをするとのことでした。
このような小さな積み重ねが、海外要人とはもちろん、公務先でも発揮されていることでしょうね。それに引き換え、秋一族は物見遊山レベルです。
今後、日本国内にある広島長崎の原爆資料館、海外だったら、ポーランドのアウシュビッツ収容所などといった場所にA宮仮面夫婦、マチュピチュ姉ちゃん、悠盆は訪問しないでください。
このヒト、小学生の時広島の平和の鐘を雑にカンカンならして驚かされたことがあったが、引き揚げ者の苦難や祖国への思いに心を動かされる様子も皆無であり、ロボットのように無表情でカクカクとうなずきながら距離がどうだの船の乗り心地がどうだのと下らない軽薄な質問をするさまをみて、やはり精神年齢は怪しく、感情が麻痺しているのか、あるいは元々の知能が低すぎるのか、いずれにせよ到底ショラテンとして容認できるものでははないと強く感じた。
国民の要求は高まっている、早く成年会見をおこない、各種疑惑の説明だけでなく、国民への思いやショラテンとしての抱負を時間をかけて話すべきではないか?
令和は輝き、悪しき諸々が表面化してきたと、なかなか改善されるのは難しい事も多々あるけれど。
それに引替えて、平成は何だったかとも思う程失われた時間と失われた円は宇天文学的数字かもしれない。
いまだに、国民のことを蔑ろにし続け、国民の心を疲弊させ、過労でボロボロでも対策もしない無能な政府と政治と閣僚、官僚にほとほと嫌気がさしているんだよ。
で、心の底から言いたい。
こんなにも腐りきった日本にはこいつ等親子が次期でお似合いだぜってこと?
こいつ等が次期象徴で上等だってこと?目出度いだろうってか?望むところなのか?嘘つき政治家が表は直系てと選挙公約で言ってたくせに、徒党を組んで裏でゆるがせないとか言って勝手に進めてんじゃないよ。
悠仁サマは成年皇族になりました。皇族費も支給されています。年間税別915万円、高給取りですね。進学先も決まったので、勉学に努めながら公務に勤しむことが出来ます。先ずは成年会見して納税する国民に初心を伝えなくてはなりません。
皆さんのコメントは当然厳しい内容です。戦争について軽々しく語ることは厳禁で、上辺をなぞるだけならば触れてはならぬと思います。国民の怒りを招く赤坂安西家の所業は誰かが指示しているでしょう。正田美智子サマは当然で、若しかすると吉田尚正皇嗣職大夫が練っているかも知れません。
昨年10月の能登半島見舞いに川嶋紀子サマ独りで「何でも手伝います。」と押し掛けて、現地の皆様に多大な迷惑を掛けて無視されたニューズがあり、皇嗣職大夫の影を感じました。相当な策士ですね。「国民の怒り」が支えになっているのでしょう。弘道会を潰した辣腕の持ち主なので炎上狙いがあると思います。
コイツ等が押し掛けてきたら「無視する」あるいは「不愉快な表情をする」作戦を提案していたのかと推察します。能登の皆さんが手本を示してくださいました。皇族だから何だ?で対応すると捗り(はかどり)ます。政治屋はヘタレで力不足だから国民が実行すれば道筋が現れます。皆様、御一緒に頑張りましょう!
福島Sさん、また感涙しちゃいました。有難うございます。御尊父様の御冥福をお祈り致します。高校生の皆さん、愚かな大人に付き合わせてごめんなさい。
愛子さまより先にまずは悠仁をこうした歴史的な場所に行かせようとする点に紀子の焦りを感じます。福島Sさんのご体験は、うちも大叔父がシベリア抑留で酷い目にあってホウホウの体で帰国しました。
その身を案じる母親の姿も聞き伝えていて、夜中に夢で出て来たとか、突然駅まで走っていって「いま帰ってきた」と狂ったように喚いたり、家族も大変だったのです。しかも兵隊だけでなく、満州引き揚げ者もここに着いたので、皇室の場合、舞鶴訪問ではどうしても戦争責任がついて回るのです。
よほど下調べをし、史実を理解してから訪問するのでない限り、うわべだけの訪問では、逆にその気軽さを逆手にとられて「戦争責任を誤魔化そうとしている」と非難されます。
敬宮さましか次の天皇はおられないと思うのは、国際的に、天皇家には戦争責任問題が重くのしかかるだけに、学者以上に詳しく戦争と憲法を理解できていないと、常時失言の危険がつきまとうからです。
若い世代がこれを乗り切るには豊富な歴史知識と教養、人格の高潔さでもって、誠実に過去と向き合うしかなく、その重い使命を果たせるのは、愛子さましか不可能であり、愛子さまはこうした重責に耐えるために産まれてこられた天才児としても、どんどん成長して頂きたいと願うからです。
このニュースが「速報」されたのは、戦後80年の節目で両陛下の広島御訪問が発表されたタイミングでしたね。またまた、秋家お得意の「被せ」でしょうか?
「乗り心地」と言う言葉のチョイス、、、高級クルーザーではありませんしね。ヤフコメを見ても「会見が先」と言う声が多いみたいですね。いずれにせよ、このニュースでプラスになる点は無さそうです。
もし彼が「偽皇族川島悠仁君」でなければ、こうした公式の場で発する質問は「御下問」として後世にまでしっかり記録され、訪問先では語り伝えてゆくべきものとされるはずです。
舞鶴といえば、「岸壁の母」にあるように、シベリア抑留された親族の身を案じる家族や知人恋人が、今か今かと帰還を待ちかねていた場所であり、当然まっさきに質問すべきは、抑留者とその親族をめぐる当時の記録や心情、帰国直後の待遇や湾内での停泊検疫問題などであり、船の乗り心地云々問題ではありません。
現地へ赴く前に、何冊かの本を読んでおいて、予め疑問点を相手に連絡し、調整するくらいの心遣いはできて当然で、それもしないでいて、ただ現地に立たせたからこれで将来の天皇に相応しいのだと言い切ろうとすること自体、あまりにも荒唐無稽に過ぎます。
はっきりいうなら、こうやって賢そうな地元の女子高校生を動員して、そのなかに彼を混ぜれば、同じようにしっかりした子にみえるだろうという、錯覚効果を狙っているものとしかいいようがないのです。
その証拠が、ホワイトバランスをいじり、画面の色温度を上げ、全員の顔の色味を赤寄りにすることで、如何にも和気藹々と話が盛り上がっているかのように見せかける写真を配信させる、キコと宮内庁の性悪ぶりにも見て取れます。
このナホトカがどこかさえわかっていない、シベリアの位置すらもあやふやという段階で、これまでの報道にあったように、日本史の授業で江戸時代についての簡単な質問にも答えられず、硬直してしまったという内容がやはり本当なんだなとわかります。天皇になれるどころか、普通に(ヒラの)一宮家当主として全国各地を巡るにも、あまりにも基礎教養が不足しており、記憶力もないならば、周囲が教えても覚えられず、毎回報道規制をかけるしかない惨状がずっと繰り返されてゆくことでしょう。
こんな頭脳で、例えばトランプ大統領夫妻やマクロン大統領と対等に面談できるでしょうか?
皇室典範第3条は、まさに彼のために用意された条文といえます。
鹿児島・玉川大学・岐阜・京都とTVカメラの前に立つ度に、短い映像の中でも、この人の実相が晒されてしまうのはお気の毒です。
バミリに拘る特性、Nice to meet you の英語力、ポスター発表など無理なプレゼン力の欠如…。今回は、説明の要点を掴む理解度が、公になってしまいました。
同級生が私立大一般入試や国立二次試験に向き合う今、この社会科見学が報道されるのがわかっていながら、受験生とその保護者を逆撫でする無神経。なぜこの時期に?
あ、2月12日は東大推薦合格発表の日。余程悔しくて「うちの子だって単独行動くらい出来るわよ」と母上がぶつけてきたのかな。
もう、やめにしませんか。こんなこと。
私の父は陸軍士官学校から満州に行き、シベリアに抑留され4年後に舞鶴に引揚船にて戻って来ました。
私の前でそこの生活については一言も話しませんでした。母にもあまり詳しくは話して聞かせなかったようです。
帰国したときは、当時の共産党のような考え方をして、母と結婚した時にとても苦労したと母から聞きました。人にも厳しく、自分にはもっと厳しい人でした。
「お父さ〜ん、ちょっと〜」とか呼ぶと「用事がある人が来い」という父でしたが、たいそう子煩悩であったし、私が高校の時に数学の問題を聞くと解いて答えてくれたり、言葉の意味を聞くと辞典も引かずに即答し、家族でびっくりしていたものです。
ですが、50の半ばで亡くなりました。だから、私が世の中の事が分かるようになった時に聞こうと思っていた事は何一つ聞くことが出来なかったのです。
抑留者の方々の繋がりは深く、集まりがあるとあまり他所に行きたくなかった父ですがそれにはいそいそと出かけて行きました。亡くなった後、喪中のはがきで知った、と遠くから何人もお参りに来てくださいました。年忌供養にも出席していただいたり、私の結婚式には父の代わりとして出てくださいました。そんな方々も皆さんお亡くなりになって、どなたももういらっしゃいません。
父が亡くなる少し前、書斎に籠もってたくさんの絵を描いていました。それは同じく抑留されて引き上げてきた方たちの会報誌の挿絵でした。その絵を見た時に、父達がシベリアで経験した悲惨さ過酷さをはじめて知ったのです。
父が亡くなり、母も老いて、さてこの絵をどうしよう、となった時に舞鶴の記念館にもお電話を差し上げ、絵の引き取りをお願いしましたが、たくさんあって、とお断りされました。
結局は抑留者の支援センター(だったと思うのですが)に引き取っていただき日本各地で抑留の実態を皆さんに分かっていただくべく展示会などを開いて父の絵もそこに飾ってくださいました。
私は昨日、悠仁さんの舞鶴見学のニュースを見た時に、言葉にできないほど憤りを感じ、とても気持ちが悪くなりました。
悠仁さんが質問したという「日本までの距離は?」「乗り心地が悪かったのでは?」を聞いて「事前に調べてから来い」「旅行じゃないんだ。シベリアでの過酷な労働の日々を思ったら日本に戻れるうれしさで、乗り心地など問題外だろ」とすぐさま否定の文言が浮かび、このヒトにはもう関わって欲しくない、二度と舞鶴に出向いて欲しくない、と強く思いました。
贅沢三昧で生活している悠仁さん。この企画立案はだれがしたのですか?何も興味が無く知りたいなどとは思っていないでしょう?アナタは昭和様とは無関係のヒト。父達が命をかけて守ろうとし、それが叶わず敗戦となり、凍土の地で必死に必死に生きて生き抜いてきた事を穢された気持ちです。
高校総文出席ならまだ我慢出来ます。でもここにはお願いだから関わらないで下さい。
皇室のホームページに載るための実績作り、という見立てをする方もいらっしゃいますが、戦争というものを利用しないでもらいたいです。
私的に旅行されるということは興味があった、見てみたかったと普通は思います。だから、ご自分で調べて訪れた先で説明を受けた上で聞いてみようと思うと思うのです。
でも、悠仁さまを見ていると本当に来たかったのかな?どういうところから興味を持ったのがわかりません。それと理解出来たのかな?とも思います。できたら感想文を書いていただきたいですね。
私的の場合は交通費も入館料も当然払われるのですよね? お付きの職員さんの分も。こんな時は何人が付いて来るのかな?警備も含めて最低でも10人くらい?
昨日、宮内庁のホームページが新しくなりました。悠仁さまが同じ日に行ったのはここに載るためじゃないかとも。さすがに私的旅行は載せない?