【YOUR VOICE】旧宮家の実体を知る本 憲法第1条・第2条を遵守できない政治家は理由を明らかにするべき
秋から始まる皇室典範改正に向けて、今一度旧宮家の実体が少し理解出来るかな…と思いましたので、まとめてみました。
「安定的な皇位継承議論」の主題が兎にも角にも旧宮家男系男子養子案となっている現在、『宮家の時代』鹿島茂編著(朝日新聞社2006年発行)という本に宮家の成り立ちなど、具体的に分かりやすい解説があったので、旧宮家を知る参考にして頂ければと一部抜粋します。
【─伏見宮】
♢持明院統と大覚寺統が対立していた南北朝時代の天皇家内の抗争のなかで、北朝第三代の崇光天皇は第一皇子栄仁親王を皇位に就けようと努めたがかなわず崩御、栄仁親王は崇光天皇から伏見に所領を与えられていたので、孫の貞成親王から伏見宮と号するようになる
♢天皇家に弟と息子がいたら、まず息子が継ぐ。跡継ぎ以外は殆ど出家して大寺院の門跡になる─伏見宮邦家親王側室9人、子だくさんで600年の11宮家─
♢日本では世襲親王家として、伏見、桂、有栖川、閑院の四宮家があった
♢元々四親王家は後継者がいなくても一旦保留にしておいて、天皇家に皇子が生まれた時にその皇子をもって継がせるという慣例があった
♢天皇家では、弟と息子がいたら先ず息子が継ぐ。跡継ぎ以外は殆ど出家して大寺院の門跡になることが多かった
♢皇族の還俗については、江戸時代末期孝明天皇は年齢も近かった伏見宮邦家親王第4王子で青蓮院門跡だった朝彦親王を、僧籍にあったにもかかわらず政治顧問の役割をさせていました。それを見た徳川慶喜が朝彦親王を抱き込むため、還俗させた経緯がある。公家さんたちは前例が無いと大反対したが、徳川慶喜が押していたこともあり、朝彦親王本人は40歳になり還俗したくてしょうがなかった。
♢還俗した朝彦親王は、中川宮ついで賀陽宮、最終的に久邇宮を号した。異母兄の邦家親王第1皇子晃親王も還俗して山階家を立てた。こうして二人の親王が還俗し、この時はじめて四親王家以外の宮家が立った。
♢明治初期には、皇族と公卿との勢力争いめいた事もあった。特に朝彦親王は幕末に公武合体勢力の旗頭的存在になるなど、いろいろな意味で「危ない」宮様だった…北白川宮能久親王、東久邇宮稔彦王も戊辰戦争の際にかつがれて朝敵になった例もある。
♢江戸時代の朝廷では、摂家のような上層のお公家さんのほうが親王家より上位に位置づけられていた。
♢明治新政権は、皇族たちを還俗させて宮家は立てさせたが、幕末に2つ明治になって4つ出来た新しい宮家は、世襲させないで一代宮家とし、王子たちはすべて臣籍降下させ華族にすることに決めましたが、いつの間にかなし崩しになり、のちに天皇の特別の思し召しで皇族の身分にとどまり宮家を継承し、その子孫もずっと皇族という永世皇族として、明治22年の皇室典範に定められた。
♢「血のスペア」と表現したのは大宅壮一で、天皇家に何かあった時の確保の意識もあったが、同時に誰かを皇族にしたら、同じような立場の人も皇族にしないといけない、差別するわけにはいかないという部分もあった。
♢永世皇族制度は、伊藤博文が宮内大臣として決めた事だがすぐ考えを変えて、この制度をやめるべく皇室典範を改正しようと明治天皇に献言します。「皇族の数が増えると経費が増加する、天皇家の名誉を汚す人間が出てくるおそれもある。さらには、皇位簒奪を図るものも出てくるかもしれない」といったリアルな理由をあげた。
♢明治天皇の内親王を妃とするために宮家を量産したという説は、朝香宮、東久邇宮、竹田宮は内親王と結婚する直前に新しく宮家を立てたことからであるが、こののちに伊藤博文の提案を受けて、明治40年2月11日宮家を継ぐもの以外の王子は成年になったら全て華族にすると永世皇族制度廃止の皇室典範が増補されますが、北白川宮の王子1人、久邇宮の王子2人が、その時点で成人となり臣籍降下して華族にならなければならない、それでは新制度の犠牲者となり気の毒だというので、駆け込みで新しい宮家を立てさせた。
要するに華族になる最大の不利益は「皇族でなくなる」ということだったのです。
─海外で羽をのばす
・東久邇宮は、女性問題で新興宗教の教祖に担ぎ上げられたり、結婚してから一人でフランス留学した時も、どうやら女性の存在もあったらしく偽名を名乗って羽をのばしています。資料によると、年間20万円が外遊費用として贈られていた(大正10年前後の換算では6億から8億)
・大正11年には、東久邇宮、北白川宮、朝香宮など明治天皇の内親王を妃とする三親王がパリで一堂に会している。当時「東洋のロックフェラー」と呼ばれた大富豪の薩摩次郎八が羨むほど、非常に豪奢な暮らしをしていた
・明治20年小松宮親王と妃は、英仏旅行をした際、妃が宝石やドレスを買いまくり、これに明治天皇が激怒して皇族が妃を連れてヨーロッパに行く事に難色を示した。
明治天皇は非常に贅沢を嫌ったといわれている。
・大正9年に臣籍降下し侯爵になった山階宮は家門永続のために100万円、更に邸宅の建築費として35万円を下賜されており、それを元に山階鳥類研究所が設立された。
以上があらかたですが、600年遡る旧宮家男系男子を養子、皇族としその男児に皇位継承を与えることは、言うなれば旧宮家は全員縁者であるので、それぞれが意図的で有る無しにかかわらず養子縁組をする事もあり、その場合その子が天皇になれば無限の縁者が増えており、特別な階級及び利権が蔓延り俗化した皇室は、国民の尊敬も受けられず崩壊していきます。
憲法第1条国民の総意、第2条皇位は世襲のもの…素直に遵守出来ない政府、政治家は、国民が納得出来る理由を堂々と説明する義務があります。
♢大正8年11月8日の「原敬日記」には『…実に恐懼に絶えざる事ながら、御幼年の頃脳膜炎御悩みありたる事故、御年を召すに従て御健康に御障あり、就中御朗読ものに御支障多く、既に此間の天長節にも、簡単なる御勅語すら十分には参らず、臣下として、殊に余当局として、国家皇室の為に真に憂慮し居れり』と記述がある
♢枢密院議長山県有朋も事態の深刻さを憂慮していた。12月26日の第42回帝国議会開院式の前日になって、天皇臨御は中止、理由は「まことに遺憾であるが、数日来勅語朗読を練習したもののなにぶんにも御朗読は困難で…」と。
♢国民に向けての中止理由の発表は、ただ御病気と言うわけにも重病ともいかず、結局「今秋関西方面の大演習前後より、左足部に軽微なるリュウマチの症状を起こされ…」という発表になった
♢以後大正天皇は公式行事、大正9年を迎える新年の儀式、紀元節の宴席にも姿を見せず「天皇御不例」が国民の間に広がった
─欧州外遊は摂政就任の準備行為
♢皇太子裕仁親王の摂政就任が具体的に動き出した。そのために裕仁親王の外遊の準備を急いだ。広く外国の空気に接し、皇統としての心構えを早急に身につける必要があったからである。大正10年渡欧の決定された
♢山県有朋元老は、摂政の設置で無く”天皇代理”でどうかの意見だったが、既に大正天皇は署名する事も難しく、摂政設置やむなしとなったが、摂政は天皇の宣布の詔勅によって就任する。つまり天皇の裁決が必要なのである。天皇御自身が病気であるという自覚がなく、もし「いやだ」と言ったら、いかに心身の状態がどうであれ、天皇が一旦決めたことは変更出来ない。原首相と元老山県の二人は、腹を切る覚悟だったという
♢結局、より詳しい天皇の症状が発表され、元老松方が、摂政設置を皇后に内奏、承諾を得、裕仁親王にも御承認を得て、皇室会議、枢密院会議で満場一致で決定された。
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以上、敬宮愛子内親王殿下が、初海外公務にヨーロッパが叶わなかった理由は、皇太子そして女性天皇を警戒しているからだと思われます。宮内庁はまだ早いとか、ラオス外交樹立何周年とか適当な理由で誤魔化していますが。
秋篠宮さまは皇位確定の皇太弟を辞退し、暫定皇嗣になられた令和元年6月、早速東欧と北欧に外遊、これも皇太子を装い摂政の備行為である欧州外遊もどきのようです。トルコ訪問時には、宮内庁は皇嗣になられた一貫の行動とか説明していました。
では悠仁さまが皇太子、摂政の準備行為として欧州外遊が出来るかというと疑問です。欧州外遊を皇太子の摂政就任準備行為として見ていくと、旧宮家男子養子縁組が成立しても男児誕生、皇太子になるかどうかも未知数で、政府、政治家が拘る真意が理解出来ません。
大正天皇と同様な状況にある現代、国家国民、皇室のために真に働く政治家の少ない事に憂うばかりです。
(関西在住:Cさんより)
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憲法では皇位は世襲とあるので、子々孫々が繋いでいくもので、世襲即ち一般的に相続を指すと思えば分かりやすい。
日本国では一般的な相続は配偶者とその子供が受け継ぎますし、子供が女性だから除外して、被相続人の弟に継がせるなんてことは有り得ません。
戦後80年まがりなりにも民主国家先進国の日本、天皇家にご立派で帝王学を学んでいらっしゃる皇女さまを女性だからと、やる気の無い問題の多い分家の弟に相続をさせる被相続人なんて常識的にはいません。
まして手に負えない分家の万が一のスペアに、600年遡り分家男子の末裔を、あれ程明治役人井上毅が禁じている、養子案を改正して皇族にするとは、どこにその正当性があるのか、大多数の国民を納得させる義務が政治家にはあります。
皇統を継がれるべき敬宮愛子内親王殿下が欧州外遊を止められ、皇太子の就任も止められ、即ちヨーロッパ王室からご招待があってもお受けすることすら止められる日本て、人権侵害も甚だしい。
国民に敬愛されない皇統では続けられません。
次代が敬宮様でなければ天皇制は令和で終了です。
それは「日本民国」になると言うことです。
私は「大日本帝国」に戻りたいとは思いませんが、愛する日本国を守りたいので敬宮様に立太子して頂きたいと心底願います。
嫌悪する母に似ていく姉妹~馬子さんも皇統簒奪の道を歩むか~
2025年7月30日 「ラブのママ」でご覧を、、
>、、姉の子さんの場合はどうでしょうか?
母親と距離を置いてるのは子さんも同じです。
この方は直接連絡も取らないほど関係が悪化してます。
しかし、やってることは子さんそのものだと思いますよ。
もちろんそれはKKという夫が傍にいて、虎視眈々と皇族復帰を狙っていることもあります。それよりもっとはっきり示してるのは、第一子の出産により母親である子さんが皇統簒奪を企ててるように、子さんも皇統簒奪を仕掛ける立場に今は身を置いてる、ということです。
子さんの場合は制度変更など超えるハードルは高いですが、隠居夫人という後ろ盾がいますし、もし後ろ盾に何かあったとしても子供という切り札はあるわけです。
子さんが頑なに初孫誕生を認めない理由も、この辺にあるのではないでしょうか。
そういう意味では、隠居夫人の考えはブレてないといえます。宮家に皇統を移し、病弱なボンには天皇は無理だから子に、あるいは子の子に天皇の座につけようというのは最初からの考えだったはずで、今もそれは変わってないと思うのです。
(詳しくは本文で)
嫌悪する母に似ていく姉妹~鹿子さんの場合~
2025年7月29日 「ラブのママ」でご覧を、、
>私はブラジル訪問は見合いも兼ねてたと、今も思っています。
子さんの経歴に大学院卒業の詐称がありましたが、あれは釣り書きのためだったのではないかと疑っていますし、見合いをした時期を考えると6日の開拓移民の慰霊碑に献花後に、日本庭園で植樹や鯉に餌やりをしてる日だろうと思ってます。
この日のお化粧がやたらに気合が入った「おてもやん風」「京劇風」だったのを考えると、この日の見合いが濃厚だったのではないかと思ってます。写真集のためだけではないでしょう、と思うわけです。
見合いがうまく運ばなかっただろうと思うのは、その後の子さんの様子を見ると、10日の大遅刻、ケーキやお菓子の持ち帰り(やけ食い)、
そして寝顔写真はヤラセでしょうが遅刻の言い訳にでもしたかったのか、素の普段の子さんに近い情報が出てる事からそう考えるわけです。
>、、この中で現地のSNSでは「プリンセスが花婿探しに来る」と話題になっており報道がこれを否定するという事も起きていたようです。
(詳しくは本文で)