不自然な「文仁人形」もしや兄ナルちゃんの横顔写真を合成か 平らな額の理由は一筋垂れる前髪のせい?

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うなじ部分に腕を入れてあげない不思議なママ(●●の写真を読者さまからいただく)
うなじ部分に腕を入れない不思議な抱っこ写真(画像は読者さまより)

 

女性自身が昭和41年に掲載していた、葉山行きの列車の中で不気味な赤ちゃん(文仁人形)を抱く美智子さまのお写真。筆者の目には「赤ちゃんの写真をフード部分に合成した人形」としか思えないことを、先に記事にしてみた。

そもそも秋篠宮さんは生後3ヶ月の頃、頭が大きく実にプクプクとした赤ちゃんであった。その写真の鼻から下は赤ちゃんなのだが、目から上は額が異様に平らで、どうも赤ちゃんらしく見えない。なぜだろう…。

じっと考え込んでいたとき、ある読者さまから「その赤ちゃんのお顔、何となく陛下の赤ちゃん時代に似ていませんか?」というメッセージを頂戴し、いきなり好奇心をかきたれられた。額の秘密も何かわかるのかもしれない、と。



さっそく、「ナルちゃん」と呼ばれていた陛下の赤ちゃんの頃の映像や画像を探し、確認してみた。

 

◆陛下の赤ちゃんの頃のお写真と比較

こちらは毎日新聞が2018年に公開した、『写真特集 皇太子さま50歳(2010年2月掲載)』から。

眉毛から下は、あの「顔だけ赤ちゃん」とそっくりではないだろうか(画像は『毎日新聞』のスクリーンショット)
眉毛から下は、あの「顔だけ赤ちゃん」とそっくりでは?(画像は『毎日新聞』のスクリーンショット)

 

女性自身が掲載した「顔だけ赤ちゃん」な人形写真と見比べると、やはりとても似ている気がする。

続いてこちらは、ANN NewsがYouTubeにアップした【皇室】1961年 浩宮徳仁さま 初めてのお誕生日(1961年2月)【映像記録 news archive】という動画である。

今上陛下の赤ちゃんの頃にソックリではないだろうか(画像は『ANN News』のスクリーンショット)
今上陛下の赤ちゃんの頃(画像は『ANN News』のスクリーンショット)

 

満1歳になられた頃の陛下のお顔をスクリーンショットにし、合成疑惑写真と重ねてみたが、眉、目、頬のラインやお口元が、陛下の赤ちゃん時期に本当にソックリだと感じる。

(画像は上が『女性自身』、下が『ANN News』のスクリーンショット)
(画像は上が『女性自身』、下が『ANN News』のスクリーンショット)

 

 

◆ナルちゃんの前髪にご注目を

その文仁人形に使われた赤ちゃんのお顔の額が、小頭症さえ疑われるほど平らであることも合成写真を疑った理由だが、そこで注目したのは、ナルちゃんの額の中央に前髪が一筋の束となって垂れていること。

 

 

こういうのは各々の「生え癖」によるもので、大人が意識して横分けになでつけてみても、風が吹いたり動いているうちに自然と垂れてくるのだろう。そして、宮内庁が公開していないだけで、前髪がこのようになっている陛下の赤ちゃんの頃のお写真は、意外と多いのではないだろうか。

そんな中から横顔の写真を1枚を選ぶことにしたが、前髪が垂れていては「生後3~4ヶ月」っぽくない。そこで写真から前髪部分をカットしたら額が平らになってしまった ― というのが筆者の推測である。

 

◆別件で気になったこと

Xなどで、「美智子さまは1人もお子様を産んでおられないのでは」という意見がどうにも増えている気がする。

科学的な証拠となるとDNA鑑定しかないが、大岡越前は「母性」を試して女の嘘を暴いたことがある。幼いわが子を大切に思う実母だからこそ、決してしないコト。美智子さまのそういうシーンを今回ある映像に発見してしまったので、そちらも次にお伝えしてみたいと思う。

さらに、このたびの人形疑惑の件では、「お箸初めの儀」に関連した大変貴重な考察を神奈川県在住のHさんが寄せてくださったので、そちらもご紹介させていただきたいと思う。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『毎日新聞』写真特集 皇太子さま50歳(2010年2月掲載)

『YouTube』ANN News ― 【皇室】1961年 浩宮徳仁さま 初めてのお誕生日(1961年2月)【映像記録 news archive】

『エトセトラ・ジャパン』女性自身の昭和41年「アーヤ写真」だってオカシイ 平らな額、開いた目、空間の3点にご注目を

2件のコメント

  • 女性自身掲載の逗子行き見送り写真であれば、女性自身のカメラマンが撮影していたはずです。よく見ると、明仁さんの身体上にカメラを構えるカメラマンらしき人影が投影されていますね。

    これなどは当時の報道カメラマン感覚ではNG写真であったはずですが、「あやのみや人形問題」ゆえにお咎め無しで宮内庁チェックをすり抜けたと思われる部分です。
    ただ、ここで見て子さんが抱いているのが「あやのみや人形」だった場合、報道陣も全員承知で確信犯となってやっていた可能性が出て来ます。

    あの当時の見て子さんのヒステリーは有名だったので、この逗子行きもどうせノイローゼの転地療養が隠された狙いであり、ナルちゃんを連れていないことからも、夫婦間の問題を話し合うための深刻な旅であった可能性が高く、それならば「あやのみや人形で一応子連れの格好はとらせるが、実際は人形なので含んでおいて欲しい」と、宮内庁から記者に耳打ちされ、後から人形の顔面を面相筆で修正し、ナルちゃんをモデルにネガ上に書き足したのか、ともいえるからです。

    あのころは、盛んとノイローゼとか精神衰弱と呼ばれ、不眠が主訴なので、専ら強い依存性の強い、ベンゾ系睡眠薬が処方されました。飲み過ぎるとそのまま死に至る世代の古い薬品でした。そのため、薬ではなく、結核治療と同じく、風光明媚な海岸線にしばらく転地療養するのがよいともされていました。

    余談ですが、現在精神病院や精神障害者施設の多くが、元結核療養所だった場所に建つのもそうした理由からなのです。葉山の御用地ですが、明治天皇の侍医となったドイツ人ベルツ博士が別荘を持ち、葉山を”発見”した人物とされるほど、療養には好立地なので、当然見て子さんのヒステリー治療にもよいはずとされたことでしょう。

    さて人形の横顔を弄る程度なら、当時は職人技でネガ上に描いたほうが早く、大事をとって、35ミリライカ判で撮影したネガを一旦大判カメラで69版等に拡大接写し(オリジナルネガはそのままに)、複写したフィルム上で作業していたはずで、比較的容易な作業です。

    実家が写真屋だった祖母は、いまでもデジタルで撮影した写真でも目瞑りがあると「あとからちょっと目だけ描いておいてね」と頼まれます。いまだにネガ上で作業するように思っていて、フイルム写真の事後修正は当時からあった技術で、別段フォトショップの発明ではないのです。

    ちなみに、この明仁さんの身体に乗り移るようなカメラマンの影は、案外修正者自身が描き込んだ、写真修正したことへの「作者の証」なのかも知れません。「カメラマンは人形だとわかっているぞ」「いつの日かこんな茶番劇はバレるからな」という重大警告だったのかも。

    なにしろ「胞状奇胎で子宮全摘した後から産まれた子あーやって、一体誰が産んだ子なのさ?」と当時からヒソヒソ全国津々浦々で噂話になっていた真っ最中の話なのです。見て子さんは、わざとらしい慈愛のまなざしを見せつけるような写真を撮影させることで「あーやは偽親王」の噂を封じようとし、逆に誰か側室が産んだ明仁さん浮気の子を、見て子さんが健気にも実子として慈しんでいる姿だ、と国民に思い込まそうとした節が察せられるのです。

    今と違って、これは女性層から同情を買うことができる「よく出来た奥様像」でした。この時代までの三文小説には、父母違い、闇養子闇養女、愛人の子との確執の色濃い、旧家令息令嬢小説が好まれ、とりわけ富豪の妻にはなれたものの、夫婦間に子どもが出来ず、他人の子をひそかに実子として引き取って育て、そこに子の恋愛で、気に入った相手が実の親の近親者や兄弟姉妹だとは知らずに深く愛し合ってしまうというパターンが加わり、さらに肺病や性病罹患が絡めば、たちまち売れ筋貸本小説の出来上がりです。

    「胞状奇胎」「闇養子」「愛人」のキーワードが揃えば、当時の読者なら徹夜で読みふけるようなお話なのです。その三要素に、息子の禁断の身分違い恋愛が絡み、国際重婚疑惑も発生して、三文小説も佳境入りです。「アテクシを火葬にしてください」と泣き崩れる辺り、それでも同情してくれる読者層がいるとしたら確実に90歳以上限定でしょう。

    見て子さんはカメラの前ではひたすら聖家族を演じることに狂奔しました。彼女が怯えるのはDNA親子鑑定という、昔にはなかった技術で親子関係があっさり判明すること。底知れぬ恐怖と後悔とは如何ばかりでしょうか。

  •  玄葉、野田、河村(たかし)の各議員にメールしました。皇統問題を慎重にして欲しい、、と。
     A宮と安西氏の激似の写真等、資料めいたものも送りました。
    なんとか偽皇族に皇統が移らないで欲しいものです。

     衆議院』のホームページに掲載されている、令和2年(2020年)2月10日の衆議院予算委員会議事録に、菅義偉国務大臣と立憲民主党の山尾志桜里氏による皇位継承について、こんなやりとりがありました。この事も送付です。
      ↓
    > 山尾氏:はっきり言っていただきたいのは、皇太子と皇嗣の一番の違いは何でしょう。

    菅国務大臣: 大変失礼しました。天皇の子であるかどうかということが一番の違いだそうです。

    山尾氏: そうです。その帰結として、結局、皇嗣は天皇の子ではないので、皇位継承者第一位であっても、次の天皇となることが確定しない立場である、しかし、皇太子の場合は天皇の子でありますので、皇位継承者第一位であることが皇太子になったときに確定し、そして、その皇太子が天皇より先に薨去されない限り天皇となることが確定する立場であるというのが一番の違いだということを、私はこの園部逸夫先生の本などから、なるほど、そういうことなんだなというふうに思いました(略)

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