皇后さまがご両親に宛てたクリスマスカードに涙腺崩壊 なぜ新潮はあんなにも情けないバッシング記事を…

この記事をシェアする

週刊新潮 2025年4月24日号に掲載された皇后陛下に関する記事が、皇室ウォッチャーたちの間で「ひどすぎる」と波紋を広げている。雅子さまのわがまま、ご体調に周囲が振り回されているかのような記事には、イヤでも悪意を感じてしまう。それとも、もしや誰かの依頼で書かざるを得なかった記事なのだろうか。

頭の回転の速さに気働きも求められる外交官として、立派にお役目を果たしておられた皇后さまに限って、「だらけていて遅刻、さぼりたくて遅刻」などあるわけがない。こんな記事を書いた新潮、そしてまさかの賛同、称賛をする方に、どうか知っていただきたい事、見ていただきたい物が……今回はある読者さまのご厚意の下、いつもとは異なるタイプの記事を書かせていただきたいと思う。



 

◆新潮のひどすぎる記事

問題の新潮の記事には、さっそく匿名掲示板やXが炎上した。まず、雨が降っても外でやってと雅子さまがお願いしたわけでもあるまいに、「土砂降りの中2時間・令和の園遊会はトラブル続き」とはいったい…。

 

 

皇后さまのご体調が悪くなったのはそもそも誰のせいなのか。両陛下に遅刻があったとしたら、それは側近の不手際なのでは? 陛下は皆さんに「温かく見守っていただけるように」と常におっしゃっているのに、「遅刻」などという思いやりや配慮に欠けたタイトルはいかがなものか……記事にはそんな批判の声が続出したが、両陛下とのご歓談は長ければ長いほど喜ばれるといったお声にも完全同意である。

いずれにせよ園遊会はルートが変更になったといい、皇后さまは皆さまとの歓談を丁寧にこなされるのであろう。お招きいただいた方々も、本当に楽しみにしていらっしゃるに違いない。新潮はおそらく、それに水を差すような記事を書くよう、どなたかに命じられたのだと想像する。

 

◆血を分けた皇女・敬宮さまの輝き

硬筆や書道を母・雅子さまから教わる様子が写真でも公開されている敬宮愛子さま。本当にご立派に成長された敬宮さまについては、今上陛下の気高くも優しいお人柄と誠実さ、さらに雅子さまの極めて高い理知性のおかげである部分がとても大きいのだろう。

雅子さまは元外交官としても有名だが、首都圏最高の超進学校・田園調布雙葉を卒業された才女であり、ご学友は皆さま才色兼備のお嬢様ばかりでいらっしゃる。

9歳で干支の「寅」という字を。書道は雅子さまがお教えになられた(画像は『女性自身』のスクリーンショット)
9歳で干支の「寅」という字を。書道は雅子さまがお教えになられた(画像は『女性自身』のスクリーンショット)

 

少し前、筆者は大変な “歴女” でいらっしゃるある読者さまから、そんな皇后さまに関するとても貴重なものを見せていただいた。

 

歴女が集めた「宝物」
歴女だという読者さまが、大切に保存されていた「宝物」の一部

 

◆歴女の本棚には「宝物」がギッシリと…

このたび、皇后さまの大変貴重な写真集2点を見せてくださったのは、Xで相互フォロー中の「コードネーム369@作業中ROM(@lalalajavi39)」さん。歴女の彼女は本棚に宝物のような書物を多数所有されており、皇室ファンなら見たくてたまらないお写真、資料、情報など、どれも本当に貴重なばかりだそうだ。

まずは、1993年(平成5年)2月に朝日新聞社から出版された、なかなか大型の『皇太子さまと雅子さん ご婚約記念写真集 (帯付き)』〔愛蔵版〕から。たくさんのページから、「どうしても皆さんにお見せしたい」という数か所をピックアップしてくださった。

 

 

 

ここで皇后さまの祖父・江頭 豊(2006年9月没)氏とチッソ株式会社(旧名:新日本窒素肥料)の関係について、Wikipediaを頼りにまとめてみたい。

1933年に東大法学部を卒業し、日本興業銀行に入行した江頭氏は、取締役を経て常務取締役に就任した。

その頃、同行をメインバンクにしていたが、水俣病の発生や労働争議による長期ストライキに入り、経営不振に。ここで中山素平頭取から「チッソ社の立て直しを」と命じられた江頭氏は、その専務取締役に就き、1964年には社長に就任。ところが1970年(昭和45年)からチッソ定時株主総会は大きく荒れるようになり、1971年、江頭氏はその責任を取り社長を退任。1973年(昭和48年)5月には会長も退任しておられた。

こういった経緯を正しく伝えず、「雅子さまのお祖父さまの会社が水俣病を起こした」などと話を歪めて伝えるジャーナリストが存在することに、筆者は強い憤りを感じる。

 

そしてこの写真集には、朝日新聞社の論説主幹として「知米派の国際ジャーナリスト」と呼ばれた松山幸雄氏が、雅子さまを讃え、陛下とのご婚約を心から喜んでおられた様子が綴られていた。

 

 

 

 

さらに、1993年6月のアサヒグラフ『皇太子/雅子さまご成婚 臨時増刊[決定保存版アルバム]』からも。

 

 

 

 

ハーバード大学の卒業論文に関しては《宮内庁》から提供されているが、在学中のご成績についても記述にあり、卒業アルバムは顔写真入りで掲載されている。英語での卒業論文は全4章で100ページ近いものとなり、その優秀な成績は卒業生の上位15%ほどとみなされる「Magna Cum Laude」の栄誉に輝いた。


◆涙なくして読めないクリスマスカード

こちらは、皇太子妃になられる決意を固められた雅子さまが、1992年12月にご両親さまに宛てたクリスマスカードだという。

 

 

ご婚約後の状況を冷静に受け止めつつ、ご結婚後はなかなかご両親とも会えなくなりそうなこと、ご家族にはそれなりの心労を与えてしまいそうなことなどを想像されて、細やかな気配りや労りの言葉を忘れなかった雅子さまに、思わず涙がこぼれてしまった。

そして、このクリスマスカードは雅子さまの生まれ育ちの良さそのもの。ご両親を「お父様、お母様」と呼び、常に丁寧な言葉を使ってこられたことが伝わってくる。

 

◆歴女として、今この皇位継承問題に思うこと

貴重な写真集からさまざまな写真をシェアしてくださったコードネーム369@作業中ROMsさんは、様々な憂いをメールに綴ってくださったので、そちらもご紹介させていただきたいと思う。

 

私共日本の一般人の生活は、増税、重税、二重課税に苦しみ、疲弊し、日々、生き抜いていくのに必死です。そんな中、度重なる政治家のばら撒き、政治家の度重なる不祥事、政治家の《臭いものには蓋をする》風潮や《人の噂も75日》作戦などに声を上げている多くの方は、我慢の限界に到達し堪忍袋の尾がきれた状態かと思います。

 

その陰で暗躍し、忖度まみれの高下駄を履かせてもらいながら、物事を意のままにしてきたのが秋篠宮家の人々だと感じます。ところが秋篠宮家の真実を暴く報道は、「下劣な行為だ!皇室を貶める行為だ」と大声で言論弾圧されてしまうようになりました。

 

テレ東のYouTubeで配信された事実でさえも、受け入れようとしない一部の方々がいるように見受けられます。一般人においても、政治家を糾弾することはあっても、皇室のいち宮家の実態にまでは目が行き届いていない、悲観的に考えると、これが現状かもしれません。

 

未来ある子供達は、受験戦争を勝ち抜き、自身の力でこれから羽ばたいていく日本の宝ですが、秋篠宮家のご長男はそういう努力とは無縁です。事実を捻じ曲げていく政治家と同じような事を繰り返し続けているこの宮家に、どこに明るい未来がございましょうか。

 

男児が生まれた秋篠宮家だけは何をやっても許される、などと惑わされないで頂きたい。そんなご長男を天皇に戴くような未来は、懲り懲りだと申し上げているのです。

 

一方、長年に渡り、偏見報道やメディア含めての大バッシングに遭われてきたのが雅子皇后陛下です。とても繊細で人に対する気遣いに長けていらっしゃる皇后さまのその苦しみは、一般人には遠く計り知れず、もしや実家のご家族、親類、そして大切な敬宮さまをお守りする為にご自身を犠牲にし、じっと耐え、口を閉ざし続けておられるのではないかと思うと、胸が張り裂けそうです。

 

語学力、学力さえ事実を捻じ曲げて伝えようとするジャーナリストまでおりますが、このたびお見せした2冊は、どちらもメディアによる偏見報道や印象操作が行われる前のものです。こうした本を都合いいように切り抜き、悪用し、雅子さまを中傷してきた連中がいることには、強い怒りを覚えます。

 

実家の母とは、長いこと皇室の問題、諸悪の根源についての話をしてまいりました。

 

今の日本の政治家は犬でしかありません。皇室に送り込まれた手先をどうにかしないと、あらゆる問題は解決しません。こんな事をいうとすぐに「陰謀論だ」などと言われて片付けられてしまうのです。それに8割以上の日本人は気づいていません。ダイヤルを一気に回すと誰でも気づく通り、しかしながらダイヤルを少しずつ回すと、不思議と気づかないものです。 そうやって今の腐った日本が形作られてきました。

 

悠仁さまに権力と箔をつけるには時間が足らず、一方で、ご高齢ゆえ上皇后美智子さまの権力もいつまでも続くものではありません。影響力を隅々まで及ぼすために急ぐ必要がありました。 ダイヤルを一気にひねりながら関係各所で絶対的な権力を振るい続けるのと並行し、今上御一家をおとしいれようと画策し、秋篠宮家ばかり特別待遇と沢山の忖度。それにより、歪みねじ曲げ矛盾が生じたのではないでしょうか。

 

敵は事あるごとに宮内庁、メディア、宮内記者、元宮内庁関係者、議員、国会議員、評論家などを使って総攻撃をしかけてきますが、私共一般人もしっかりと声を上げて参りたいものです。「烏合の衆でしかあらず」と長いこと思っていましたが、皇室が抱えている問題に「いつしか気づいてしまった」人たちが今、ますます増えていると感じます。

 

このあたりは、私の長年かけて考察してきた1幕でしかありませんので、ちょっとした小言として読んで下されば幸いです。

 

コードネーム369@作業中ROMsさんからは、最後に週刊文春のある記事を紹介された。「多くの方に読んで理解を深めていただきたい」という。

そちらを書かれたのは、2014年の11月13日号において、メキシコ大統領を国賓としてお迎えした2003年10月の宮中晩餐会で、上皇さまが皇族の紹介から雅子さまだけ省いた疑惑について触れた記者さんである。

『週刊文春』「仕事を持って生きるということに迷いはありませんでした」雅子皇后はなぜ外交官を目指したのか 皇后雅子さま物語 2019/07/12 友納 尚子

 

雅子さまが「帯状疱疹」で入院されたのは、その出来事の2ヵ月ほど後のことだった。

宮内庁は「紹介飛ばしなどなかった」と主張し、文春に抗議したが、世間からは「宮内庁の言い分を信じるわけにはいかない」といった声が噴出した。また2019年12月、「FRaU」というメディアも『雅子妃を守るため…漫画家も衝撃!皇太子「人格否定発言」に至るまで』という記事で、その件に言及している。



◆まとめ

ひたむきに求愛してくださる今上陛下の想いにお応えするとご決意なさるも、慣れない習慣やルールばかりの新生活を予想し、「小和田雅子さんは不安や心細さを感じておられることだろう」と拝察する方は多かった。

そして、大切なお嬢様でいらっしゃる雅子さまを皇室という特殊な世界に嫁がせることを、小和田家のご両親さま、妹さまたちはどれほど心配していらっしゃったことか。今なお、さまざまな心労は消えてはいないだろうと思う。

その上で「皇太子殿下にはお幸せになっていただけるよう、そしてあとから振り返ったとき、私自身も『よい人生だった』と振り返られるように努力したい」と仰ったあの日の雅子さまのお言葉に、多くの国民が涙した。

皇室(宮内庁)やマスコミは、雅子さまをもっと大切にし、思いやるべきだったのだ。いや、今からでも遅くないと思う。敬宮愛子さまという皇女を愛情深くご立派に育て上げられ、陛下をとても大切にし、支えてこられた皇后さまをきちんと讃えていただきたいと願うばかりである。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『新潮社』週刊新潮 2025年4月24日号

『週刊文春』「仕事を持って生きるということに迷いはありませんでした」雅子皇后はなぜ外交官を目指したのか 皇后雅子さま物語 2019/07/12 友納 尚子

『文藝春秋BOOKS』ザ・プリンセス 雅子妃物語 ご成婚パレードでの笑顔は、なぜ次第に重く沈んでいったのか――

『女性自身』【1歳から23歳まで全部】愛子さま 「誕生日写真」で振り返る成長の軌跡

『エトセトラ・ジャパン』「皇后陛下は馬アレルギーではない」証拠を揃えてみた その設定を押し付けるのはもう無理!

『エトセトラ・ジャパン』6月のインドネシア訪問計画、ひょっとして海外王室2大行事への参加を阻むため? 馬アレルギー説はもうたくさん!

 

 

 

 

4件のコメント

  • 美しく繊細な文字。記された文字は書き手の人柄を表しますよね。御両親が手塩に掛けて育てられた雅子皇后陛下の御心に触れました。

    良き写真、良き提起、有難うございます。御婚約に跳び上がって喜び、御成婚に駆け付けて、愛子皇太子殿下の誕生に心躍らせた記憶は今上天皇御一家と共に生きてきた歳月に刷り込まれています。

    若しかすると、エトセトラジャパンさんのブログを今上天皇御一家が御覧になっているかも知れません。多分、国民の貴重な意見が挙がっているので参考にされているでしょう。(我が暴言は輩アキシンに読ませる理由でもあります。何卒御容赦ください。)

    正しい皇族と偽物の皇族で二分された現状ですが、正しい皇族に絞って皇室正常化を日本国民が成し遂げます。エトセトラジャパンさんの人脈が壮大ですね。歴女さん、お宝を公開くださり有難うございます。眼福です。

  • 達筆でご両親に対する心のこもったクリスマスカードを拝見して、此方も胸が熱くなりました。

    恥ずかしながら私もネットとは無縁でしたので、TVや新聞や週刊誌に書いてある事を信じていたものです。なので、雅子皇后陛下の事はあまり好意的には思っていませんでした。

    今、ネットでいろいろな事を知り、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

    敬宮愛子内親王さまにしても「笑顔の少ない子だなぁ」と。これも今いろいろな事実を知って、どれだけ悲しい思いをされていたのかと思うと、事実を隠していたマスコミの罪はとんでもなく大きいです。

    敬宮愛子内親王さまがお生まれになった日は私が初めて伊勢神宮を参拝した日。20歳を迎えられて、気品に満ちた素晴らしい皇女さまをTVで拝見した日。もう感激の一言でした。

    すぐに友達に電話を掛けてお互い感激し合った事を思い出します。私も今はネットでいろいろな情報を得る事が出来るので、今上両陛下と敬宮愛子内親王さまを心から大切にしたい気持ちです。

    最後になりましたが、エトセトラさま事実をいろいろ教えて頂きましてありがとうございます。

  • 平成時代、雅子さまがなぜ体調を崩されたのか、誰が皇太子家を迫害したのか、今や1億2千万国民が認識しております。

    当時、迫害の黒幕やマスコミに踊らされた国民も今では間違いに気付き、申し訳なさで胸が張り裂けそうです。

    いまや1億2千万の国民が両陛下と敬宮さまの味方です。
    平成の古い夢(悪事)にしがみつく一派は国民の怒りにすり潰されて消滅する運命では?
    心を入れ替えるのら早い方がよろしいようで、、、

    追伸
    平成の本当の闇が明らかになる日はそう遠くないのでは?

  • 雅子皇后陛下が陛下のお妃候補として追いかけられてた時の事です。

    外務省に入省され英国のオックスフォード大学に留学されていました。そこまでマスコミは追いかけました。
    その時に雅子皇后陛下は「わたくしは日本に戻りましたら外務省でお仕事を致しますので」←このままではないかもしれませんがそういうニュアンスでした。と、キッパリ言われましたね。いつまでも追いかけられても困りますからね。
    私は、カッコいいと思いつつこのかたではないのかとガッカリした覚えもあります。

    それから時が経ち陛下がご婚約されたとの速報が流れとても嬉しかったです。
    その後の婚約会見でも陛下の仰る通り「控え目だけど自分の意見を言う時は言う」というそのままのかたというのもわかりました。
    陛下が雅子皇后陛下に仰られた「雅子さんのことは一生全力でお守りします」はもちろん今もそうですね。

    その後、マスコミが発表したご両親に贈られたクリスマスカードの文字の綺麗さに驚きました。
    こんなに綺麗な文字を書かれる?きっと、頭も良いかたなのだろうと。
    その文字の綺麗さは敬宮愛子さまにも引き継がれていますね。
    敬宮愛子さまがご両親のことをお父様お母様と言われるのも雅子皇后陛下がお話しになるのを聞いておられてお呼びになられたのでしょう。

    雅子皇后陛下がご病気になられ敬宮愛子さまも登校しにくくなったりお痩せになられた時にも週刊誌やネットでも多くの酷い言葉を書かれたりしたのでしょうね。(その頃、ヤフー等を見てなかったのでわからないのです)
    雅子皇后陛下についてそれが真実ならばそれは受け止めますがそれが明らかに嘘だとわかるのに記事として出すのが許せません。
    逆に上皇夫妻や秋篠宮家に対して美辞麗句を書くから余計に腹が立ちます。
    それを指示しているかた、どなたかはわかっていますが人を貶める事でしか喜びがないのだとしたら可哀想に思います。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA