【YOUR VOICE】有名観光スポットではないのが不思議 川嶋家パリ家族旅行写真は「3枚」を合成か
※ こちらは8月20日付の記事皇族と婚約成立で川嶋家は慌ててフェイク写真を? マスコミ掲載のパリ写真にも合成疑惑に対し、読者様から寄せられたコメントです。ポンヌフ橋のシテ島と北側の対岸に架かる部分には、大型の街灯が24本あります。遠い所の人物撮影で、街灯4本だけ、通行人2名だけを背景として入れることはできるのでしょうか。
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紀子さんの左隣の女性は、ひょっとすると和代さんの妹さんで、アパレル関係の旦那さんを持つ方なのかな、とも想像してしまいましたが。
ポンヌフ橋の反対側(中之島のような場所・シテ島先端)には、X字型の骨組が入った落下防止用のフェンスとその台座があり、そちら側からみると、ポンヌフ橋の奥、右側にLV本社が入るそのビルがみえ、途中に街灯があることもわかります。
そこからフェンスに寄りかかったような位置で記念写真を撮影しても、遠く離れたそのビルがこんなに大きく映り込むことはありえないとみられます。このX字型の骨組入りフェンスは道路工事などで使用される一時的バリケードフェンスではなく、セーヌの岸辺に設置された恒久的フェンスで、ここは特に「愛の鍵」として有名な場所です。
もちろん、紀子さんの子供時代にそんな風習はなく、よって「愛の鍵」にかこつけた家族写真ではないでしょう。このポンヌフ橋の歩道上から撮影した歩行型ストリートビュー映像が通行人目線に一番近いとみられるので、ズームしたりしてお試し頂ければと思われます。
https://www.google.com/maps/@48.858257,2.3416565,3a,28.1y,31.4h,93.53t/data=!3m8!1e1!3m6!1sCIHM0ogKEICAgIDP2sCPswE!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh3.googleusercontent.com%2Fgpms-cs-s%2FAB8u6HbEDQO-NruFfg6GpN8g_Sqli0urphquC0ZxgqX8uQl-qQvAPdjdyCv0oAPtKMqltyfzpQ5khyI3UjxSGSti_dRRPwtGlye8B0Plp-I3E6Lo3lNck8M5PigZJqxJluWwdwcGYhIFzQ%3Dw900-h600-k-no-pi-3.529710806496425-ya11.878827286688097-ro0-fo100!7i6000!8i3000?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDgxNy4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
結局、この紀子写真は、3枚の写真を合成しているように思われます。
■一枚目はLV本社が入ったそのビルだけを望遠で撮影した写真。望遠で引き寄せているので、距離感が無くなっているように見えます。
■二枚目はセーヌ川畔のどこかでフェンスをバックに立つ辰彦氏(ソロ)。おそらく家族連れではなく、単身パリに出張でもしたときの一枚だったのではなかったでしょうか。或いは母親だけパリに連れて行き、或いはパリで出迎え、親子二人で撮った写真だったのかも知れません。
■三枚目は紀子さんら左の3名の写真。
以上を重ねて貼り付け、家族写真風に仕立て上げた。つまりは葬儀社でつくる故人肖像写真のようなものです。これをPCではなく、手で切り抜き、貼っていって複写したので、頭の毛部分の背景、境目処理が問題になりそうな部分が樹木の葉などにかかるようにされて、巧みにごまかされていますね。
家族でパリにも旅行していたことにしたいが、背景が・・・と困ったときに、辰彦氏の手許にあった自分一人や母との写真に家族を足そうとしたが、背景がうまくぼかせなかったかで、LV本社の建物の写真と重ね合わせることにした?
まだGoogleストリートビューなどない時代なので、写真屋も頭のなかでこうした構図の写真が撮れるはずだと考え、勝手に合成してしまったのではないかとも推察できます。
他にパリで撮影された川嶋家の写真はあるのでしょうか。とにかく一家で本当にパリに観光に出かけたなら、なぜわざわざこの位置での家族写真なのか?という点で、ちょっとあり得ない写真なのです。
フランスといえば久子さま、そして雅子さまのお二人の語学力が光る国なのです。フランス語も英語もできない紀子さんには少々肩身が狭いのではとも思います。
(コメント欄:匿名さんより)
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平成四人組は歴史を体系的、批判的に学んでいないようで、自分達が後世どのような審判を受けるか、全く配慮する気配すらないのには驚くばかりです。少々女遊びに過ぎるミヤサマでも昔は歴史には明るく驚くばかりの蘊蓄をご披露なさる方々が多かったのに、四人組は高校レベルの歴史さえご存じなさそう。
だから男系男子派が適当にお念仏を上げるだけで、ホイホイその神輿に乗って担がれてしまうのです。
ツクフに通った悠仁sのひとりに至っては、江戸時代についても知識皆無のようで、これでは神社仏閣巡りも意味が無いし、案内する方も人形に向かって説明するようなものです。伊勢神宮では、今回の朝鮮式19歳成年式では行在所に宿泊までするので、じっくり歴史的知識や漢字力がテストされるでしょうね。
福島S様
>日本の政治家や日本を動かしているヒトビトはおバカさんの集まりなのでしょうか?
政治家より日本を動かしているヒトビトより最もおバカさんなのは明仁様と秋篠宮さんだと思います。ご指摘のようなオンナたちに引っかかった挙句ご自分の奥様が暴走し増長するのを阻止できない阻止するつもりもない。我れ関せずとばかりに知らんぷりを決め込むか、なんなら彼女たちの悪知恵に加担してきたフシさえある。毅然と阻止してくださっていたなら、ここまで混迷しなかった。今すぐにだって鶴の一声で阻止できるお立場であられるのに。
祖父川辰から受け継がれた、全く中味が伴わない「箔ずけ癖」は、偽皇族秋篠宮家にもシッカリと受け継がれました?!
↓
>因みにマコさんは大学3年時の、
2012/8英エディンバラ大学留学し美術関連分野を学び、
2014/9英国レスター大学大学院の博物館学研究科に入学、
2016/1同研究科修了
2016/9ICU アーツサイエンス研究科博士後期課程入学、
2021/8同後期課程退学<
本当に真面目に勉学に励んだことあるのかな?
血税が勿体ない、、
留学中も遊びが酷くて、小室が送り込まれたとか? 知らんけど、、
付き合った男性に「天皇にしてあげる」と言ってたとか、、他の男性にも?
↓
>あだ名は「天皇」だった眞子さまの元カレ 現在は
2017年06月02日 デイリー新潮
上記文言で検索を、、
>ネット上では当時、眞子さまと男子学生らが一緒に写っている数枚の写真が流出していた。所属されていたスキー部の2010年12月の合宿時のものとみられ、
「眞子さまはピースサインをされるなど、いずれも仲間と寛いでいるご様子が伝わるものでした。が、ここにアルコール類が写り込んでおり、さっそく拡散してしまったのです」(皇室ウオッチャー)
(詳しくは本文で)
どこの世界を覗けば、家族全員生い立ちが疑惑まみれで嘘をついても後ろめたさなど感じることなく、皇室という昭和の時代は雲の上の方々と思っていた所に入り込み、皇后雅子様という本物に妬み嫉み、嫉妬の嵐で病気にまでさせたオンナが二人もいる王族があるでしょうか。日本の政治家や日本を動かしているヒトビトはおバカさんの集まりなのでしょうか?
ミチコサンが入内して、キコサンが入ったこの年月は悪夢の日本停滞期。今直ぐにでも無かったことにしたいし、このヒトビトの事は幻にしてしまいたい気持ちでいっぱいです。
この方が最後沖縄に住み、あちらの大学で教えるなどしながら、まるで寿老人のような姿、見ようによっては巌窟王のようになって、白髭を伸ばし放題にしているのをみて、何か気が狂わんばかりの悩みを抱えているのだな、との印象を受けました。
風変わりなホームレス老人ならまだしも、皇室の外戚ともなれば、世間体があるので清潔な身なりを心がけるのは当然なのに、何かに目に見えないものに抵抗してなのかわざとこうしているのかと、うすうすその心的葛藤を推察してきました。
憧れ望んで皇統簒奪の企てに協賛したものの、ショラテンの祖父になるには一家には隠し事が余りにも多すぎたのか、ある時点から皇室を乗っ取る快感が、苦痛や悔悟の念へと変質し、相談相手もなく、理解者のいない孤独が、ここまで晩年の風体を変えてしまった原因なのかと恐ろしささえ感じたものでした。
恫喝で抑え込んではみたものの、娘の七代遡る出自調査の不安はいつまでも消えることはなく、代理母に産ませた孫らにも優秀な子はおらず、皇籍も戸籍もない同名の子らが最後どのような結末を晒すか、それを考えただけで因果応報の思いが募り、気が変になったのではないでしょうか。
おもえば「娘を皇室に」との出来心を起こしたことが全ての不幸の始まりでした。
それまでは何とか回ってきた家族関係も、これで一挙に緊張し、世間の冷たく蔑む視線を痛いほど感じては、癇癪も起き、夫婦仲もおかしくなり、重婚という噂まである娘の夫婦関係は不仲続きで息子も離婚。家の中どこにも本当の幸せはなかったのです。皇族の外戚を目指して背伸びした分だけ、何倍ものしっぺ返しとなって、元も子もなくす典型に陥ったように思えるのです。
K辰さんは、紀州の地主の家の出で、東大大学院を出て、海外へ留学。母妻と子2人を連れウィーン在住だったと成婚当時の雑誌で読みました。当時の日本で、妻子づれの欧州留学ができるのは、ごく限られた富裕層。
そんな裕福な家なのに、なぜ母親がいつも同じような着物なのか?なぜ名家(謎家?)の子弟が静岡県の旧部○民地域に居住していたのか?
なぜ厩務員という、東大・欧州留学の経歴と程遠い職に付いたのか?(あの世代の大学進学率は、地方では10%未満。その時代としては、スーパーエリートな学歴・留学歴のハズ。)
まるで何処かで入れ替ったかのような違和感を覚えそうだ。まさか、そんな事は無いと思うが。