【YOUR VOICE】陸軍士官学校から満州に行き、シベリアに抑留された父 亡くなる前に悲惨で過酷な経験を絵に
※ こちらは2月13日付の『悠仁さま舞鶴訪問で「下調べ不足」がバレる シベリア抑留~強制労働~引揚げの苦労話にも関心事はソコ…?』という記事に頂戴した「コメント」です。
満州に赴くもシベリアに抑留され、強制労働の末に命からがら引揚船にてやっと舞鶴へ ― 何年にもわたったその体験は、私たちが想像する以上に深刻なものだったと聞きます。ある読者さまから大変貴重なお話が寄せられましたので、【YOUR VOICE】でもシェアさせていただくことにしました。
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私の父は陸軍士官学校から満州に行き、シベリアに抑留され4年後に舞鶴に引揚船にて戻って来ました。
私の前でそこの生活については一言も話しませんでした。母にもあまり詳しくは話して聞かせなかったようです。帰国したときは、当時の共産党のような考え方をして、母と結婚した時にとても苦労したと母から聞きました。人にも厳しく、自分にはもっと厳しい人でした。
「お父さ〜ん、ちょっと〜」とか呼ぶと「用事がある人が来い」という父でしたが、たいそう子煩悩であったし、私が高校の時に数学の問題を聞くと解いて答えてくれたり、言葉の意味を聞くと辞典も引かずに即答し、家族でびっくりしていたものです。
ですが、50の半ばで亡くなりました。だから、私が世の中の事が分かるようになった時に聞こうと思っていた事は何一つ聞くことが出来なかったのです。
抑留者の方々の繋がりは深く、集まりがあるとあまり他所に行きたくなかった父ですが、それにはいそいそと出かけて行きました。亡くなった後、喪中のはがきで知った、と遠くから何人もお参りに来てくださいました。年忌供養にも出席していただいたり、私の結婚式には父の代わりとして出てくださいました。そんな方々も皆さんお亡くなりになって、どなたももういらっしゃいません。
父が亡くなる少し前、書斎に籠もってたくさんの絵を描いていました。それは同じく抑留されて引き上げてきた方たちの会報誌の挿絵でした。その絵を見た時に、父達がシベリアで経験した悲惨さ過酷さをはじめて知ったのです。
父が亡くなり、母も老いて、さてこの絵をどうしよう、となった時に舞鶴の記念館にもお電話を差し上げ、絵の引き取りをお願いしましたが、たくさんあって、とお断りされました。
結局は抑留者の支援センター(だったと思うのですが)に引き取っていただき日本各地で抑留の実態を皆さんに分かっていただくべく展示会などを開いて父の絵もそこに飾ってくださいました。
私は昨日、悠仁さんの舞鶴見学のニュースを見た時に、言葉にできないほど憤りを感じ、とても気持ちが悪くなりました。
悠仁さんが質問したという「日本までの距離は?」「乗り心地が悪かったのでは?」を聞いて「事前に調べてから来い」「旅行じゃないんだ。シベリアでの過酷な労働の日々を思ったら日本に戻れるうれしさで、乗り心地など問題外だろ」とすぐさま否定の文言が浮かび、このヒトにはもう関わって欲しくない、二度と舞鶴に出向いて欲しくない、と強く思いました。
贅沢三昧で生活している悠仁さん。この企画立案はだれがしたのですか? 何も興味が無く知りたいなどとは思っていないでしょう? アナタは昭和様とは無関係のヒト。父達が命をかけて守ろうとし、それが叶わず敗戦となり、凍土の地で必死に、必死に生きて生き抜いてきた事を穢された気持ちです。
高校総文出席ならまだ我慢出来ます。でもここにはお願いだから関わらないで下さい。
皇室のホームページに載るための実績作り、という見立てをする方もいらっしゃいますが、戦争というものを利用しないでもらいたいです。
(コメント欄:福島Sさんより)
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戦争体験をずっと独りで抱えていらっしゃる方々は少なくはないと思います。私の祖母は戦争体験を涙ながらに私に話してくれたことがありましたが、私が小学生の頃と亡くなる少し前の2回だけでした。戦争は重く深い傷を人々に負わせてしまう、恐ろしいものだと思います。
昨年高円宮妃久子さまと高円宮家の承子さまがそれぞれ長崎の被爆者と面会されたときのニュース記事で、話をすることがお辛くはないですか?とお気遣いなさっておられたと書いてあったと思います。
下調べもせず無神経な言葉を吐くくせにただ見学するだけで軽々しく慰霊などと言う秋篠宮家は、皇族としても人としてもあり得ない。ひいおじいさまとされている昭和天皇の戦争責任論を質問されたら、悠仁さまは何と答えるのでしょう。いつものとんでもない回答をしそうで怖いです。
日本のより良い未来のため、早急に敬宮愛子さまが皇太子として冊立されることを望みます。
アキシンの擁護コメントが酷い。H君の表現が拙いことをまだ高校生だからとかウルトラ擁護ですね・・
流ちょうに応対してる高校生は?見えないようですね。短歌=効果的、シベリア=距離、船=乗り心地とか単語をつなぐだけだから妙なことになるのですね。
白樺日誌は、教養豊かなこの筆者が、シベリアのような劣悪な極寒の地で、せっかく豊かな教養がありながら、それを生かす機会をも奪われ朽ち果てるかもしれない、その無念さとわずかな希望を綴ったものであり、「効果的に」など人をガッカリさせるような感想を口にすべきでは無かったのです。なぜなら、生きて帰れる保証も無いのに「なんのために効果的になるよう、誰にアピールするために」書いたのでしょうか。まるで論点をずらすようなアキシンの擁護に正しく反論していきたいですね。
それと、この話とは遠く関係すると思いますが、最近の共通テストの現国の内容が酷いです。
たとえて言うなら、「出征の日に、パパがさっちゃんにたった1個しか残っていないおにぎりを「これだけね」とあげたあと空を見上げたという文があったとします。この場合、なぜパパは空を見上げるという行動を取ったのでしょうという質問の答えが
1.もうさっちゃんに会えないかもしれない悲しみと出征の日の父の最期の記憶に、たった1個のおにぎりしか遺していけない無念さで涙が出そうになり、さっちゃんに泣いてる顔を見せないため
2.おにぎりが1個しか無かったから
と選択肢があったとします。すると今時の現国テストの答えが2なんです。文間を読まないのが文科省の方針なんでしょうか?
私が見た正答欄が間違っていたのかもしれませんが、どうもそうでもないようです。共通テストの国語で200点が取れない理由です。
申し訳ないが、発達系の問題を抱えている人が言いそうなセリフが正答なんです。どこかでこのバカげた風潮を変えなければならない。アキシンの汚い言葉遣いと頓珍漢な文を見て、これは良くないと思いました。いくら説得を試みても理解出来ない理由が分かりました。
YOUR VOICEでも取り上げていただきありがとうございました。
自分の文章を再度読んでいて涙が出ました。
父が亡くなった時のこと、その後の様々な事が思い出され涙が止まらなくなりました。
あのカタの舞鶴旅行により、きっと胸の奥にしまった大切な事を踏みにじられた様な気持ちになったのだと思います。
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こちらこそ、とても貴重なお話を寄せていただきましたこと、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
戦争の悲しい歴史を語り継ぐための施設を、慰霊として巡ることが多い近年の悠仁さまですが、ご年齢相応の学びやご理解が得られているのかと、本当に悩ましいものを感じます。
(朝比奈より)
シベリア抑留兵が白樺の皮に遺した日誌に対し「効果的に」という発言。意味が分かりません。効果的に?つまりわざと大げさにという意味で?
それを言うなら「込められた思いが伝わってきます」です。私的旅行なのに報道陣と案内役の高校生を用意してもう茶番です。
それに引き換え敬宮様の鴨場接待の素晴らしさ、アキシンの腐った目には物事が正しく見えないようですね。
私の父も戦争に行ったひとりです。
でも、それを聞いた時、私は小さかったし深く聞いてなかったのです。ただ戦争というものは怖い、人が亡くなるぐらいしか理解出来てなかったのかもしれません。それから時が経ち授業で習ったけれど両親から聞くこともなかったです。両親は積極的に話そうとはしてなかったと思います。
両親が亡くなった今、なぜもっと聞いておかなかったのだろうかと後悔しています。姑ともよく一緒に旅行してたのですが広島に行った時、原爆資料館には入りたくないと言われました。私は以前入った事があり悲惨さも知っています。姑もテレビ等で見てある程度は知ってただろうし館内が予測できたのでしょうね。だから、見たくない、思い出したくないと思ってそう言ったのかもしれません。
戦争を経験した人、その話を経験した人から聞いた人、その聞いた人から聞いた人では受け止め方は全然違うと思います。それでも、招待受けたから(こう書いてる記事もありました)授業もないし行くかな?という場所ではないです。そこがどういう場所でどういう経緯で作られたのか調べて行きませんか。
船の乗り心地ではなくて早く日本に帰りたい思いがわからなかった? それで天皇になる予定? それでいいとしている国会議員。日本を憂います。
もう、無理をなさらずに、無理をさせずに、生物の研究者にして差し上げてはどうでしょうか?
どう考えても、どう見ても、今回の稚拙な問答では、皇位継承に無理がありすぎです。生物の研究者であれば、不正な論文でもお書きにならない限り、どなたの迷惑にもなりませんが、将来の天皇陛下ですと、国民への影響が大きすぎます。
海外公務などを想像した時に、見ていられますか?これから養成といったレベルでもないでしょう。ある意味、お姉様が証明してしまっています。我々、敬宮様を推す人々と、悠仁様ご自身にとっての幸せだと思うのですが。