ルクセンブルク皇太子歓迎時の「画像使い回し」疑惑その2 紀子さまの右腕についた…
昨日こちらで『秋篠宮家提供版「ヨルダン皇太子との記念写真」 紀子さまと悠仁さまは昨年6月のある映像の再利用では?』という記事を書いた。昨年6月のルクセンブルク皇太子を宮邸にお招きした際の映像と、悠仁さまの前髪から左耳にかけて髪に出来ている「ツヤ」、そして紀子さまさのお召し物が全く同じだと感じたからだった。
そんななか、Xで相互フォロー中のコードネーム369@作業中ROMさんが、両者を並べて頭や身長などを比較する画像を複数ポストし、そちらを眺めていてもう2つ、根拠が見つかった気がした。
◆紀子さまのお召し物に多くの情報が
こちらのお写真、左側はこのたびヨルダンRHCがXで公開したお写真で、右側は昨年6月にルクセンブルク皇太子を宮邸にお招きした際の、ニュース映像(筆者はその映像、あるいは記念写真の使い回しではないかと疑っている)からのスクリーンショットとなる。

紀子さまの手の組み方は完全に同じだが、それは他の写真でも時々ある形だった。そのため、今回ご注目いただきたいのは丸で囲んだ以下の3点となる。
(赤)ベルトの下のΛ型のたわみ
(緑)ネックレスの長さ
(青)右腕にできたシワ
特に気になったのが右腕の布地についたシワである。脱いだらすぐクリーニング&アイロンでは、シワが癖になったり残ったりということはないだろう。肘は少し角度が異なるものの、筆者の目には「同じシワができている」と見える。
上の比較写真から右腕だけを並べて拡大すると…。
◆悠仁さまの左側頭部の髪
そして、悠仁さまの頭髪にはもう1つ特徴があった。
まずは、ヤフーニュース(日テレNEWS)に掲載された、ヨルダン皇太子とのこのたびの記念写真をご覧いただきたい。悠仁さまの頭は小さく、髪もすっきりとまとめられていると感じる。

続いて、ヨルダン側がXにポストしたお写真をどうぞ。悠仁さまの髪は、頭頂から左側頭部にかけて盛り上がっている。鳥でいえば小さな翼が載っているような感じだろうか。

先の記事では、左の前髪からサイドにかけ、自然な内巻きウェーブが作る「ツヤ」にばかり気を取られていたが、もう1つ特徴があったわけだ。
続いては、昨年6月にルクセンブルク皇太子をお迎えした際の、ニュース映像(YouTube)のスクリーンショットをご覧いただきたい。わかりやすくなるよう、右側はMicrosoft Designerで「明るさ」を加えたものとなる。

どうやらルクセンブルク皇太子をお迎えした時も、悠仁さまの髪は頭頂から左側頭部にかけて盛り上がっていたようだ。そこで、ヨルダンRHCが公開したお写真(上)と秋篠宮家が提供した日テレNEWS NNNのお写真(下)とを並べてみたが、後者に髪の盛り上がりは確認できなかった。

こうなると、本当に昨年6月に撮影されたルクセンブルク皇太子との記念写真やニュース映像の使い回しが行われ、それがバレては困るため、誰かが悠仁さまの髪の上部のツヤを黒く塗りつぶし、さらに赤い色のネクタイだったスーツと差し替えたのではないかと勘繰りたくなる。
◆「影」にも謎が
Xでは多くの方が、紀子さまや佳子さまのスカートの下にできている「影」についても奇妙だと声を上げておられる。夜間ゆえ強い光を当てての撮影もあっただろうが、秋篠宮家が提供した下の写真だけ、どうにも不自然なのだ。
人物からすぐの所に、大して膨張してもいない影ができるなら、背後にスクリーンでもあるのでは?と筆者は考えてしまう。こういった影は、たとえばプレミア試写会の映像や写真でよく見かけるからだ。

上の画像は、トム・クルーズがかつて『トップガン・マーヴェリック』のジャパンプレミアを行った際のワンシーンである。スクリーンが背後の近い所にあるからこそ、こういう影ができるのはないだろうか。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『ヤフーニュース』秋篠宮ご一家、ヨルダン皇太子と夕食会 佳子さま悠仁さまも同席 日テレNEWS
・『X』RHC@RHCJO
・『YouTube』悠仁さまがルクセンブルク皇太子を招いた夕食会に同席 通訳なしで1時間半 愛子さまも両陛下とともに皇太子と私的に懇談 皇室のニュース FNNプライムオンライン
・『Topgun Movie』トム・クルーズ トップガン・マーヴェリック
歴女さんの解析で笑わせてもらいましたが、気味が悪い写真です。ヨルダン王国皇太子殿下には申し訳ありませんが、ホラー映画のキャンペーンを見ているようで…。直ちにお清めをして戴きたいのです。「廃墟の法則」が掛かると災いが近付いてしまいます。
先のコメント欄では既に指摘されたように、影について最も気になりました。女性のスカートに等分の影があるのに、男性のスラックスには一切写っていないの。同じ場所であれば同じように影が写る筈。
次に安西悠仁サンの姿が以前と同じ浮き上がって見える違和感。本当に居たんだろうか?
いや、本当に直に撮影したのか根本的に疑わしい。それに今でも屋内の様子は窺い知れないなんて。巨額の建築費を使って何しているんだろ? 納税者として知りたい。本当に知りたい。泥沼建設は指名で請け負って知り過ぎているほど知っているから教えて。
新社長が云うには「不要なものは取り除く」らしいので、禍々しい赤坂安西家邸宅を更地にして国民に返しなさい。
なぜ、加工、編集しないとダメなんでしょうね。佳子さんは洋服が違うけど紀子さんは全く同じってあり得ないですよね。
せめて、ネックレスを変えるとかしそうですけどね。実は紀子さんと悠仁さまは居なかったとか?
でも、ヨルダン側も出しているからそれはないですか。
うーん、どういうことでしょう。
とにかく秋篠宮家と上皇夫妻の記事は一度疑ってみましょう。
合成疑惑を追及するってこんなに面白いことか、とワクワクするようになってきました。
ドイツでも昔からヒトラーが生き延びたという説を唱える人々がおり、ビルト新聞などがセンセーショナルにとりあげては、売り上げてきているので、もはやそれと同じレベルに。
そのうえこちらは悠仁悠子男女混成チーム「悠仁s」が相手なので、さらに燃えるテーマです。
日本皇室の前代未聞な醜聞として、最後は秋篠宮家お取り潰しまで行くのでは、と内心思っています。
だって、代理母まで使って子どもを作ることは、タイでも禁止されるほど、生命倫理的に問題があり、それを国費でやっていたとなれば、二度と再び一般参賀の檜舞台などには立てず、総裁職も全て辞職が求められ、DNA鑑定を求める国民の声は最大音量となり、典範第11条による皇籍剥奪の流れが沸き起こりそうだからです。
紀子さまを目の前で拝見したことがあります。目の前を通られただけで、お話はしていません。
私は身長153cmなのですが、紀子さまも同じくらいの身長でした。目の高さが同じくらいだったので。
なので秋篠宮家の写真は見るたびに??になります。秋篠宮さんが180cm?自分の身長から考えると、ヒールを履いても180cmの人とはもっと差があるのですが。更にその時によってそれぞれのメンバーの身長差が変わるという不思議。男性陣もシークレットブーツとかまたは加工で身長が変わっているのでしょうか。
皇族養子は反対!
2025年05月14日「ブログ、ブルーサファイア」でご覧を、、
>衆参両院は13日、皇族数確保に関する4月17日の全体会議の議事録を公開した。旧11宮家の男系男子を皇族の養子に迎える場合、自民党は恒久化を主張し「秋篠宮家の長男悠仁さまに将来、男子のお子さまが生まれないときのために制度をつくる」と言及した。立憲民主党は「事実上の世襲貴族をつくることになる」として、一定の期間を区切るべきだと反論した。
(詳しくは本文で)
この家の画像は信用できないものになってしまいましたね。
なぜでしょうか?これまで、やり過ぎてしまったからでは?
取り返しがつきませんね。自業自得です。
もはや、挽回できません。
哀れですが同情する気にもなりません。
ま、次代は敬宮さまですので関係ございませんが、、、
忘れてはならないシリーズ:「嫉妬の嵐と失声症」
2025/05/13「ガールズ訪問/皇室まとめ回顧録」でご覧を、、
>アテクシの偉さを日本国民へ見せつけるには、ローマンカソリックの規則(面会する時、女性は選ばれた女王達以外は、白のドレス不可)を守る必要がない所を見せつければいいのよ!←なんでそうなる???
2億円(飛行機代8000万円は別)イタリア訪問でローマ教皇と面会しなくちゃ!
1月もないじゃない、早く手配しなさい!何ぐずぐずしてるの
教皇の日程が詰まっていて、面会のためには献金1000万円必要?
皇居御所建設や昭和天皇の森を切り開いてテニスコート造成工事なら、
清水建設つかっていくらでも中抜きできる。
それくらい考えるのがお前たちの役目でしょ
https://girlschannel.net/comment/3179200/4705/
>「後日談1‐1000万円返金】1993年(平成5年)9月3日美智子さんが白に見えるドレス着てローマ法王へ突撃した時、ローマ法王は献金を受けてバルト海三国へ出かける予定の日を1日延ばした。この時の献金が1000万円だったんでしょう。
1995年(平成7年)1月17日阪神・淡路大震災発生の直後、バチカンはイタリアのある宗教団体を通して、「日本政府」でも「日本赤十字」でもなく「美智子さん」に同額1000万円のお見舞いを送ってきた。
週刊文春 1996年1月18日号の記事最後のページの下から二段目
>4746. 匿名 2021/02/06(土) 23:54:56
>>4731
▶1993年(平成5年)9月楽しい2億円(飛行機代別)フルムーン海外旅行が終わって、
皇居にミテコ御殿とミテココートを作らせてたら、バッシング記事が出始めた
「美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した自然林が丸坊主」 週刊文春H5年9,23号
>朝のスクラップ記事を見るや否や鬼の形相で対策チームを作り、
週刊朝日に反論記事を書かせたミテコ by小内
いつも使ってた失語症を大々的に宣伝させた。
「美智子の逆襲」
更に、文藝春秋と宝島30(ミチコ女帝批判)の出版社へ銃弾発射
▶1993年(平成5年)11月4日宝島社長実家へ銃弾
同月12日宝島社(麹町警察の1ブロック隣?)へ4発の銃弾が撃ち込まれた。
同月29日文藝春秋社社長宅へ銃弾
「ミチコハ黙ッテ銃弾発射」
(詳しくは本文で)