佳子さまの海外訪問後の感想文に仰天のダブリが6ヶ所も 「定型文に固有名詞を入れれば完成」の事実

この記事をシェアする
文章の順番も同じであることから、段落の構成その他、全文にわたり、どなたかが作った定型文が存在するのでは…?
文章の順番まで同じであることから、段落や文章の構成ほか全文にわたり、どなたかが作った定型文が存在するのでは…?

 

先のベトナム訪問でもそうだったが、秋篠宮ご夫妻が発表する文書は、どうしていつも読み応えがないのだろう。インパクトにも欠け印象にも残らないのは、毎度同じ定型文を使用しているからか。

では眞子さんと佳子さまはどうなのだろう。眞子さんについては漢字を書く力が相当低いことを先の記事でお伝えしていたが、佳子さまも実はどっこいどっこい。文章を書く力がかなり怪しいという事実をお知らせしたいと思う。



まずは宮内庁が最近ホームページで発表した、令和5年11月27日付の『佳子内親王殿下のご印象(ペルーご訪問を終えて)』から。重箱の隅をつつくようなことはしないと宣言する意味で、まずは皇族の皆さまの文章で頻繁にお見かけする表現には緑色の線を引いてみた。



 

「XXXをはじめとする関係の方々に大変ご丁寧にお迎えいただき、様々なご配慮をいただきましたことに、心から感謝」「日本から移住された方々とそのご子孫が、幾多の困難や哀しみを乗り越え、お互いに助け合いながら日々を過ごしてこられたことに」などは、確かに定型文通りのほうが無難なのだろう。

だが、これは頂けない! 訪問した相手国に対しても、大変な経費がかかっているその海外訪問を支えている日本の納税者にも、大変失礼である。そう思ったのはーー。



◆ボキャブラリー不足、あるいは「書く気のなさ」か

続いては、令和元年10月4日付で発表された『佳子内親王殿下 オーストリア及びハンガリーご訪問を終えられてのご印象』について。

 

これがとにかくヒドイ。「オーストリアはこうだった、そしてハンガリーはこうだった」などと、2か国を訪れたのであれば普通はそれぞれに異なった印象や感想を抱き、文章にも違うことを書くものだ。

ところが佳子さまの場合は、そうではないらしい。なんと2つの国に対し、まったく同じと言ってよいほどソックリな文章を使ってしまっている。トップの画面はその文書を半分に分け、左右に並べたものだが、どうやら文章の順番まで同じであるようだ。

スタートとフィニッシュに模範の定型文があることは理解しているが、まさか文章全体として何らかの定型文が存在し、加えてボキャブラリーそのものが貧相なのではないだろうか。

 

わかりやすくするため色を付けてみたので、どうかスクロールしながら見比べてみていただきたい。

••┈┈┈┈••✼✼✼••┈┈┈┈••

 

この度,日本とオーストリア共和国が国交樹立150周年を迎えるにあたりオーストリア共和国政府のお招きによってオーストリア共和国を,日本とハンガリーが外交関係開設150周年を迎えるにあたりハンガリー政府のお招きでハンガリーを,公式訪問いたしました。このような記念の年にそれぞれの国を訪問できましたことを,大変嬉しく思います。

 

また,両国の大統領閣下をはじめ,関係してくださった多くの方々から温かい歓迎と様々なご配慮をいただきましたことに,心より感謝の気持ちを表したく思います。訪問を通して,両国と日本の友好関係に携わってこられた方々を含む多くの方々にお目にかかれましたこと,両国の歴史や文化の一端に触れる機会を得ることができましたことが,強く心に残っております。

 

オーストリアでは,アレクサンダー・ファン・デア・ベレン大統領閣下を表敬いたしました。また,ブリギッテ・ビーアライン首相閣下が午餐会を催してくださいました。お二方より,日本とオーストリアについて様々なお話を伺うとともに,温かいお言葉をいただきましたことを,大変ありがたく存じました。

 

オーストリアにおける150周年に関連する行事としましては,150周年記念レセプションと,シェーンブルン宮殿敷地内の150周年記念日本庭園修復完成記念式典に出席いたしました。150周年記念レセプションでは,カール・バーダー連邦参議院議長閣下の祝辞をいただき,日本とオーストリアに深く関わってこられた多くの方々とお会いしました。

 

その前日には,在留邦人の方々とも懇談をいたしました。それぞれの機会に,長年にわたって両国の友好に寄与してこられた方々とお話しできましたことを大変嬉しく思いました。同時に幅広い分野で展開されている活動を知ることができ,両国の交流促進への思いの深さが伝わってまいりました。また,シェーンブルン宮殿では,オーストリア人の庭師が約100年前に造ったといわれる日本庭園が,両国の協力により美しく修復されたことを,まことに喜ばしく思いました。

両国の未来を担う若い世代の方々とお会いし,有意義な時間を過ごしました。ウィーン大学では,日本学を学ぶ学生が,流暢な日本語で,研究の内容や日本を訪問した際の思い出などを,お話しくださいました。ウィーン日本人国際学校では,日本語と英語の授業を見学し,児童,生徒の歌を楽しみました。子供達から,好きな授業や休み時間の過ごし方などのお話を聞くこともできました。

芸術等の分野における両国の関係の深さも,印象に残っております。アウガルテン宮殿では,ウィーン少年合唱団による歌声を聴かせていただいた後,お話をいたしました。同合唱団は,毎年,日本でコンサートを行っており,団員には日本人も含まれています。

 

また,ウィーン国立歌劇場では,ウィーン国立バレエ団によるバレエを鑑賞し,関係する方々と懇談いたしました。同バレエ団においても日本人の団員が活躍していらっしゃいます。日本人のオーストリアでの活躍に接し,嬉しく思いました。

ベルヴェデーレ宮殿では,クリムトやシーレの絵画などを鑑賞いたしました。現在,日本では,クリムトに関する展覧会が開催されており,同宮殿からの作品も展示されております。スペイン乗馬学校では,日本との交流も含め,乗馬学校の歴史等について伺い,演技を鑑賞いたしました。

 

皇帝居室等のあるシシー博物館や,ハプスブルク帝国が収集した絵画等を収蔵する美術史美術館で紹介されていたものの中には,日本で広く知られているものも多くあり,オーストリアの歴史や文化を感じながら大変興味深く鑑賞いたしました。

 

ハンガリーでは,アーデル・ヤーノシュ大統領閣下を表敬いたしました後,大統領令夫人が午餐会を催してくださいました。お二方が温かくお迎えくださり,日本とハンガリーについて様々なお話をしてくださいましたことを,大変ありがたく存じました。

国会議事堂では,クヴェール・ラースロー国会議長閣下と懇談し,ハンガリー・日本友好議員連盟の方々ともお会いしました。お話を通じて,両国の多岐にわたるつながりを感じました。

 

ハンガリーにおける150周年に関連する行事としましては,150周年記念夕食会と,150周年記念エリザベート橋点灯がありました。150周年記念夕食会では,過去10年間に,日本政府から叙勲,あるいは外務大臣表彰を受けた方々と懇談をいたしました。その前日には,10年以上前に叙勲を受けた方々,在留邦人の方々ともお会いしておりました。どちらの機会においても,長年にわたり両国の友好に寄与してこられた方々とお話しできましたことを大変嬉しく感じました。

 

そして様々な分野の活動について詳しく伺いつつ,両国の交流促進への思いを強く感じました。また,エリザベート橋の点灯では,ブダペスト市長ご夫妻とご一緒し,ドナウ川に架かる橋の片側に日本の国旗が,もう片側にハンガリーの国旗が照明によって描かれ,両国の友好関係が美しく表現されている様子をまことに喜ばしく思いました。

 

両国の未来を担う若い世代の方々とも,有意義な交流ができました。エトヴェシュ・ロラーンド大学では,日本学の授業を見学し,学生が,研究の内容,日本の文化や歴史に興味を持ったきっかけなどを,流暢な日本語でお話しくださいました。

 

リスト音楽院では,日本人留学生による演奏を鑑賞し,音楽活動などのお話を伺いました。ブダペスト日本人学校では,ハンガリー語の授業を参観し,児童,生徒の歌を楽しみました子供達との交流を通じて,学校生活の様子などを知ることもできました。

日本との繋がりが,ものづくりの場や,畜産の現場でも感じられたことは印象的でした。ヘレンド磁器工房では,様々な作品や絵付けなどを見せていただきました。ヘレンド製のカップは,日本の大相撲の優勝力士に対し,ハンガリー友好杯として,30年以上にわたって贈呈されています。

 

また,バーボルナ国立牧場では,農業大臣にご案内いただき,育成馬を見せていただきました。併設されている博物館では,1889年から始まる同牧場と日本の交流などについての説明もお聞きしました。

ブダペスト市内が一望できるゲッレールトの丘,貴重な古文書が残されているパンノンハルマ大修道院,壮大なバラトン湖のほとりに建つティハニ修道院教会,王宮の丘に建つマーチャーシュ教会や漁夫の砦では,ハンガリーの歴史や文化に触れるとともに,その美しい外観や内装,景色に感銘を受けました。

 

結びに,日本とオーストリア共和国,日本とハンガリーの交流促進に力を尽くしてこられた方々に,深く敬意を表したく思います。多くの方々により築かれてきた日本とオーストリア共和国,日本とハンガリーの友好関係が,これからも大切に,末永く引き継がれていきますことを心より願っております。



 

◆まとめ:これで外遊させる意味がどこに?

いやはや、これが佳子さま流の「海外公式訪問後の感想文」だそうだ。高い税金を使い、日本の代表として国際親善をしてもらっても、英語も満足に話せず、帰国後の文書はこの通りである。

このとんでもない手抜きは「書く気のなさ」か、それともボキャブラリー不足か。はたまた「誰かに任せて書いてもらったら、ちょっと意地悪をされた」ということか…。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『宮内庁』秋篠宮家のご活動

『宮内庁』秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご印象(ベトナムご訪問を終えて)令和5年9月29日

『宮内庁』眞子内親王殿下 ペルー及びボリビアご訪問を終えられてのご印象 令和元年8月2日(金)

『宮内庁』佳子内親王殿下 オーストリア及びハンガリーご訪問を終えられてのご印象

『宮内庁』佳子内親王殿下のご印象(ペルーご訪問を終えて)令和5年11月27日

『エトセトラ・ジャパン』「必要」とうまく書けない秋篠宮家の長女・眞子さん 漢字の力が致命的に欠けていることが判明