【皇室・都市伝説を紐解く】タイ・チュラポーン王女と秋篠宮さま 熱い眼差しに「女の勘」が刺激される過去の映像

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お琴の音色をこよなく愛するタイのチュラポーン王女(画像は『The Nation Thailand』HPのスクリーンショット)
お琴の音色をこよなく愛するタイのチュラポーン王女(画像は『The Nation Thailand』HPのスクリーンショット)

Twitterのあるユーザーさんが最近、amebaの『TAKのブログ』さんというアカウントに、1990年頃の秋篠宮さまに関する興味深い内容が書かれていることに気づいたという。筆者もさっそく記事を拝見してびっくり仰天。そこでふと思い出したのは、過去に世間を騒がせた秋篠宮さまの「タイ愛人報道」だった。今回は、その後の悲しい顛末についても触れてみたいと思う。



 

■秋篠宮さまは20代前半でタイ通に

『TAK』さんは大阪府在住でタイに詳しく、1990年のある日、タイ留学を終えた女性と渋谷の雑居ビルにオープンして10日というバーで飲むことに。そこで、日本ではまず飲むことができない『メコン』というウィスキー(輸出品目としてはラム酒・焼酎の扱い)があることに感動したそうだ。

するとバーテンダーが、それは秋篠宮様の「お持たせになられたお気に入りのお酒」であることを説明。なんと開店にあたり、企画から店のレイアウト、サインボードまで当時25歳だった宮さまが助言してくれたというから、その若さで既にかなりのタイ通だったようだ。

(ふらっと夜の街に出歩くことが黙認されていたあたり、江森敬治氏の著書『秋篠宮』に愚痴をこぼすほど「窮屈な暮らし」というわけでもないのだろう。)

 

■学習院大時代にナマズとタイに夢中に

秋篠宮さまがいかにタイびいきか、こちらの動画は1990年6月29日、秋篠宮さまと紀子さまの「結婚の儀」の1シーンを捉えたものだが、当時皇太子だった今上陛下に導かれながら、清子さまと並んで拝殿まで歩かれたピンクのドレスを召された女性は、タイのシリントーン王女。海外から唯一賓客として招かれたのだという。

大学時代、友人を誘ってのタイ旅行をきっかけに、法学部であることを忘れてナマズ研究に夢中になったとされる秋篠宮さまだが、頻繁にタイばかりを訪れたがるご様子に、1996年には複数の週刊誌が「現地に特別親しくしている女性がいる」と書き立てた。



ナマズ研究を手伝うスタッフという情報もあれば、なんと「結婚前からのお付合いで身分の高いエキゾチックな美女」という情報も。そこで、タイ国王の王女ではないかという噂が浮上した。実際に、シリントーン王女と妹のチュラポーン王女は皇室行事ばかりか非公式でも頻繁に来日していたのだ。

非公式での日本訪問が目立ったタイの王女(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
非公式での日本訪問が目立ったタイの王女(画像は『Wikipedia/シリントーン王女』のスクリーンショット)

 

■チュラポーン王女は乙女のような熱い眼差しで…

邪推だと言われるであろうが、筆者は妹のチュラポーン王女が秋篠宮さまに特別な感情を寄せておられたのでは…と思うことがある。2008年9月、YouTubeに投稿された『Tipitaka Technology Lecture at the University of Tokyo』という動画をご覧いただきたい。

東京大学農学部で「パーリ三蔵」に関する講演会が行われるにあたり、チュラポーン王女が来日。そして秋篠宮さまが農学部1号館の前に車で到着した。王女はそれを自ら迎えに出て、講演会でも秋篠宮さまと隣同士の席に着かれている。

動画の1分10秒目あたり、秋篠宮さまと再会されたチュラポーン王女の乙女のようなキラキラした眼差しや、感動で放心してしまわれたかのような表情にはドキッとしてしまう。動画の5分あたりから秋篠宮さまをお見送りするシーンとなるが、王女の一瞬のしっぽりと濡れたような瞳、微笑みにも熱っぽさを感じてしまうのだ。

こちらは画像共有サイト『flicker』から、秋篠宮さまとチュラポーン王女が別の講演会でも隣同士に座り歓談されている写真だ。著作権の関係から、ご面倒でも1つずつクリックしてご覧いただければと思う。

https://www.flickr.com/photos/dhammasociety/2858347109/

https://www.flickr.com/photos/dhammasociety/2858348819/in/photostream/

1996年の週刊誌報道は紀子さまを激怒させ、それをきっかけに秋篠宮さまのタイ行きは困難を極めるようになった。上の動画や画像が撮影された際、お二人にとっては久しぶりの再会だったのかもしれないが、残念ながらハグやキスがあるわけでもなく、秋篠宮さまにも特別な女性を見るような表情は感じ取れない。

 

■チュラポーン王女、そしてタイ王国のため奮発した日本

ここで筆者は、外務省/国際協力ODAホームページにある「国別援助実績・タイ」を確認してみた。有機化学の分野で博士号を取得しているチュラポーン王女のため、チュラポーン研究所(Chulabhorn Research Institute)なるものが設立されたが、日本は1990年、1991年に合わせて9億円ほどの無償資金協力を行っている。

チュラポーン王女の研究所の設立に2期で計9億円弱の無償援助(画像は『外務省・国際協力ODA』のスクリーンショット)
チュラポーン王女の研究所の設立に無償資金援助が決定(画像は『外務省・国際協力ODA』のスクリーンショット)
チュラポーン王女の研究所の設立に無償資金援助が決定(画像は『外務省・国際協力ODA』のスクリーンショット)
チュラポーン王女の研究所の設立に計9億円ほどの無償資金援助(画像は『外務省・国際協力ODA』のスクリーンショット)

タイ向けのODA(政府開発援助)は在タイ王国日本国大使館、JICA(国際協力機構)、JBIC(国際協力銀行)、タイ政府、現地NGOなどから集まる要請を元に、国内の有識者らの意見も加え、真剣な審議を重ねたうえで承認される。

こちらは外務省・国際協力ODAのホームページにある日本の対タイ援助実績を示すページだが、諸外国と比較して日本の負担額が飛びぬけて高いようだ。ここまで日本が突出して援助してきた相手国は他にあるだろうか。

対タイ援助において圧倒的な額を負担してきた日本(画像は『外務省・国際協力』HPのスクリーンショット)
対タイ援助において圧倒的な額を負担してきた日本(画像は『外務省・国際協力』HPのスクリーンショット)

 

■チュラポーン王女は東京大学の…

ODAからの資金援助は定かではないが、王女はさらに、医療研究所やがんセンターなどを運営するチュラポーン・ロイヤル・アカデミーを設立。その附属の教育機関として放射線技術専門学校、チュラポーン大学院、およびチュラポーン王女殿下医科大学も誕生している。

とにかく学術研究に余念がないご様子で、2006年からは東京大学のグローバル・アドバイザリー・ボードのメンバーにも就任しておられることがわかった。

チュラポーン王女が東京大学のグローバル・アドバイザリー・ボードのメンバーに(画像は『東京大学』のスクリーンショット)
チュラポーン王女が東京大学のグローバル・アドバイザリー・ボードのメンバーに(画像は『東京大学』のスクリーンショット)

 

一方の秋篠宮さまも、タイでは超アカデミックな皇族として思い切り高く評価されている。これは嬉しくてたまらないだろう。

名誉学位をこれだけもらえば、タイびいきも当然か(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
名誉学位をこれだけもらえば、タイびいきも当然か(画像は『Wikipedia』のスクリーンショットに加筆したもの)

 

■王女は1996年に夫と離婚

1982年に空軍大尉と結婚し2人の娘に恵まれたチュラポーン王女だが、なんと1996年10月、性格の不一致を理由に離婚を発表した。



 

■深刻な病気に苦しんでおられる王女

秋篠宮ご一家は2003年8月、ご一家お揃いでタイを訪ねられた。かつてのタイ訪問では、その都度「プライベートで過ごせる日も確保したい」と望んだという宮さま。だが、愛人疑惑の騒動から何年も経過し、あらゆることを諦めたのか、純粋にご家族旅行を楽しまれたご様子だった。

一方のチュラポーン王女については、『ASEAN JAPAN』が2014年10月に心配な入院の話題を伝えていた。胃のリンパ節に問題が発見され、さらなる検査で膠原病の「全身性エリテマトーデス(SLE)」と診断されたそうだ。

手足が思うように動かせないご様子で車椅子生活を強いられているチュラポーン王女(画像は『Histoires Royales』のスクリーンショット)
手足が思うように動かせないご様子で車椅子生活を強いられているチュラポーン王女(画像は『Histoires Royales』のスクリーンショット)

そしてフランスの『Histoires Royales』は2020年、王女が2019 年 10 月から原因不明の左腕のしびれで手術を受け、右前腕の感覚も喪失したことを報道。背部痛、白内障、膵炎などを経て一人で立つことができなくなり、車椅子に頼る様子を報じていた。

どうにも体調がすぐれないご様子のチュラポーン王女。秋篠宮さまが次にタイを訪問される際は、是非ともお見舞いの機会を設けていただきたいものだ。優しく手を取って励ますことで、王女は元気を取り戻されるのかもしれない。

 

■まとめ

結婚前に「ガールフレンドが7人」などとプレイボーイを気負っておられた秋篠宮さま。新潮側は訂正しないという姿勢を貫いていたこともあり、どの女性のことなのかはいまだ不明だが、タイ愛人説について世間からは「火のない所に煙は立たぬ」論が優勢だったように思う。

インフラ整備、技術開発、河川の洪水対策、医療機関の整備などについて、タイに大きく資金援助を続けてきた日本。そこから20歳前後のプリンスが頻繁にタイを訪れるとあれば、王室では当時20代後半だった優しいチュラポーン王女らをはじめ、大勢の美女が温かくもてなしたことだろう。それが心地よすぎて日本のプリンスはどんどんタイの虜になり…という、実に自然な成り行きだったのではないだろうか。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)



参考および画像:
『The Nation Thailand』 HRH Princess Chulabhorn, khon dancers and Chinese acrobats will perform together next month

『ameblo』TAKのブログ ― 秋篠宮殿下のお酒(2017-05-18)

『読売新聞オンライン』「学者の視線」秋篠宮さま 生き物へ尽きぬ好奇心…令和の皇室<4>

『YouTube』 kata62kima ― 19900629秋篠宮同妃両殿下結婚の儀1/5

『Wikipedia』チュラポーン(ラーマ9世第3王女)

『AP』Thai Princess Confirms Divorce, Calls Ex-Husband “Insensitive″

『ASEAN JAPAN』 タイのチュラポーン王女殿下も入院へ

『Histoires Royales』 La princesse Chulabhorn admise à l’hôpital après une perte de sensation au bras droit

『外務省』 ODA予算・実績 ― 国別援助実績1990年までの実績 タイ

『外務省』 ODA予算・実績 ― 国別援助実績1991年~1998年の実績[6]タイ

『東京大学』東京大学グローバル・アドバイザリー・ボード