悠仁さまが一眼レフの操作を覚えたのは2020年秋以降 カメラマンとしてトンボ論文にどれほど貢献できたのか
悠仁さまが研究者らとの共著で発表した論文『赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―』が、さまざまな意味で波紋を広げている。そんななか今月2日、東京都在住のTYさんという方から弊ブログのメールに大変興味深い考察が寄せられた。
「どのような準備や活動を行えば、この論文をまとめられるか?」という観点から色々とお考えになられたTYさんは、『悠仁さまのトンボ論文はいかにして生まれたか』というタイトルを添え、以下のようにまとめて下さった。
TYさんから頂戴したメールを、文章はほぼ原文のまま小見出しを添え、以下の通りご紹介させていただきたいと思う。
まず、基本的な事実確認について――。
◆観察場所:赤坂御用地内の水域14カ所、同水域以外のトンボの生息域3カ所=計17カ所
◆観察内容:目視できたトンボ類をデジタルカメラで撮影、採集、目視による記録。採集個体の一部を標本。一部の種については幼虫を採集・飼育し、羽化をさせて種を同定。その他、羽化殻を記録することによる発生の確認。
◆調査期間:2012~2022年
◆悠仁さまの観察可能日:土、日、祝
◆掲載写真の観察最初日:4月19日(2021年)
◆掲載写真の観察最終日:9月25日(2022年)
◆各年における観察の最初日(推定):4月5日頃か?
◆観察最終年月日(推定):2022年10月10日月曜(祝)頃か?
◆論文提出:2023年3月28日受領、2023年9月20日受理
【悠仁さまが撮影可能だったのは、60枚のうち最大でも19枚】
今回のトンボ論文の調査年は、2012~2022年である。悠仁さまは2006年9月6日生まれなので、2012年9月6日に6歳となる。トンボの寿命を考えると、5歳のときから調査をしていることになる。
ただし、論文に「2012年から2016年については調査頻度が少ないためまとめて示す.」と記されているので、実際は2017~2022年の6年間(6回分)を主とする観察記録ということなのだろう。
写りが良い写真を掲載しているはずなので、掲載写真の各年毎の枚数が、各年毎の観察日の多さに比例するわけではないだろうが、一応調べると、下記の通り。論文にまとめるためだろうか、2021年と2022年は張りきったようだ(このとき張りきったのは悠仁さまではなく飯島健氏かもしれないが…)。
◆掲載されているトンボの撮影年毎の枚数
2017年:2枚(うち平日1枚)
2018年:10枚(うち平日2枚)
2019年:3枚(うち平日1枚)
2020年:10枚(うち平日4枚)
2021年:18枚(うち平日6枚)
2022年:17枚(うち平日10枚)
(全60枚の平日割合=40%)
夏季には黄昏時も観察したと記載されているが、写真の多くは日の明るい時間帯で撮影したように見える。土日祝の写真はすべて悠仁さまが撮影したとしても、40%程度は悠仁さま「以外」の人が撮影したのではないか。
いや、この悠仁さま「以外」の人が撮影した割合はもっと上がると思われる。なぜなら2020年9月6日、悠仁さまの14歳のお誕生日に合わせて公開された動画によると、悠仁さまは父・秋篠宮さまから一眼レフカメラの操作方法を学んでいたからだ。
【重い機材を担いで17ヵ所も歩き回る?】
こちらは、テレ東BIZさんがYouTubeで公開した『悠仁さま熱心にカメラ談義…【皇室ちょっといい話】(5)(2020年9月6日)』という動画である。
動画では覚束ない手つきで一眼レフカメラを持つ悠仁さまの姿が映っている。つまり、それまで一眼レフカメラを触ったことがなかったのだろう。
昆虫撮影は、写真撮影のなかでも難易度が高く、デジタルコンパクトカメラで上手に撮影することは非常に難しい。例えば『FAVORITE PICK/飛んでるトンボを撮影撮影する方法とおすすめカメラ機材紹介』というブログには、こんなことが書かれていた。
◆カメラ:液晶モニターが横向きに開き、くるっと一回転するバリアングル式の一眼レフカメラ(もしくはミラーレスカメラ)。バリアングル式が必須なのは、昆虫撮影では地表近くから、仰ぐようにして撮影することも多く、その際は直接ファインダーを覗くことができないからだ。ちなみに、秋篠宮さまが教えているときのカメラはニコンDfで、液晶モニターは動かないため、昆虫撮影には不向きである。
◆望遠ズームレンズが必須。少なくとも焦点距離が100-400mm程度のレンズは必要。
◆シャッタースピード優先で、最低でも1/1000秒以上のシャッタースピードに設定する。
◆トンボの撮影では、カメラの安定性が重要であり、手ブレを防ぐために、三脚を使用すると良い。
⇒ ブログ筆者推奨のカメラとレンズ:
カメラ(キヤノンEOS7DMK2)1kg
レンズ(EF100-400mm F4.5-5.6L IS USM)1.38kg
望遠レンズを載せるなら、しっかりした三脚が必要だが、軽くて堅牢なカーボン製でも1.25~1.8kg程度はある。三脚につけたままなら合計で3.7~4kg程度を持ち歩くことになる。これに虫取り網や虫かご、ノート類などが必要だから、これで17カ所も歩き回るのは結構大変だ。お付きの人(ひょっとして飯島氏?)に持たせているのだろうか。
【写真提供は意外なほど少ない可能性も】
いずれにせよ悠仁さまは、2000年のお誕生日映像を撮影した時点で、レンズ交換式カメラの知識はゼロであったようだ。それからカメラの勉強(焦点距離や被写界深度、露出、シャッタースピードなど)や操作方法を練習したとしても、2020年の残り少ない観察期間(9月、10月分)での撮影には間に合わないだろう。
さらに筑波大附属高等学校では、バドミントン部の活動もある。練習試合や大会は土日に行われることが多く、応援、試合出場、それに合宿もあれば、土日祝の撮影がすべて悠仁さまとは限らない。
掲載されているトンボ写真全60枚のうち、悠仁さま撮影は2021年以降だと考えると、2021年の18枚と2022年の17枚の計35枚のうち平日は16枚なので、撮影可能枚数は最大でも35-16=19枚(31.6%)。写真提供に関しての悠仁さまの貢献度は20~30%ほどと考えられ、もしかすると0.02~数%という可能性もある。
【観察期間は何カ月必要か?】
1年のうち、何月から何月までトンボの観察が必要だったのだろうか。掲載されているトンボ写真の撮影日を見ると、およそ「4月初め~10月半ば」ではないだろうか。幼虫の採集も行っているため、それを何月から始めるかはわからないが、1年のうち6カ月は最低でも観察する必要があるようだ。
高校は、6時間授業で下校時間15時30分、7時間授業で下校時間16時30分、部活終了時間は18時というところが多いのではないか。東京の場合、夏至で日没は19時頃だから、とてもじゃないが部活を終えて、帰ってからの観察は無理だろう。したがって、悠仁さまの観察日数は「半年間の土日祝」であり、期間的には結構長丁場である。
観察最終年月日が2022年9月25日で、論文提出が2023年3月28日なので、10月半ばからデータを取りまとめ、過去調査・他論文との比較(引用は13文献)を行い、その後に考察、他執筆者とのディスカッションなどを行ったものと思われる。
そして遅くとも1月末には、第1稿を悠仁さまは書き上げる必要があるだろう。これも大変だ。それとも、飯島氏か清拓哉氏が書いたのだろうか? 筆頭著者は悠仁さまなのだが…
【稲の交配実験まで行うスーパー高校生】
しかも悠仁さまの高校生活は、授業の予習・復習にバドミントン部の部活動、トンボの観察研究・論文執筆だけではない。稲作や稲の交配実験も行っているという。
稲作では水のコントロールが必要だし、稲の交配実験では目標(冷害に強い、害虫に強いなど、どういう品種を目指すか)を設定し、できた稲の性質を見極めて選別し、何年もかけて交配し続ける必要がある。稲の交配実験は温室(密閉空間)で行い、田圃でも育成するということになるだろうか。
「稲作と稲の交配実験およびその考察と次の実験準備」を、「東大で学習・研究できるだけの学力向上」「バドミントン部の練習」「トンボの撮影・捕獲・飼育」の合間に軽々とこなし、小さい頃から嗜んでいるという「盆栽」も少なからずあるだろうから、それらを愛でたり剪定など、面倒をみる必要もある。
その上で皇族としての「公務」も担うという、なんともスーパー高校生なのである。
【作文を書けば佳作を受賞する悠仁さま】
2019年11月5日、女性自身は『悠仁さまの作文が入選!応募総数1901点の中から佳作に』という記事で、当時お茶の水女子大学附属中学校1年生だった悠仁さまが、夏休みの宿題で「トンボと私」と題する作文を執筆されたこと、そして読売新聞社が主催する第69回全国小・中学校作文コンクール・中学校の部で佳作に選ばれたことを伝えている。
さらに2021年3月、北九州市立文学館主催の第12回子どもノンフィクション文学賞は、同中学の2年生であった悠仁さまの作文「小笠原諸島を訪ねて」を佳作に選んだ。ところがそこで、出典の記載もなく、あたかも自身の考えた記述であるかのように見せるという“事件”が起きていた。
他者の著作から盗用した文章を、わざわざ語順を変えて記すなど非常に悪質なやり方であり、受けとっていた賞を当然返還すべきところ、悠仁さまは謝りもせずに居直った。
そもそも、皇室関係者がコンクールなどに応募すべきではない。民間(国民)の活動に割って入るべきではないのである。しかも盗用という、皇室どころか一般でも許されない行為を犯し、反省の様子が見られない ― つまり、論文を発表する資格はないのだ。
このような人間と共同で論文をまとめるなど、研究者としての誇りや信用性をかなぐり捨てる行為のようにも思われるが、今回のトンボ論文で共著者としてしれっと名を連ねた飯島健氏と清拓哉氏は、この点をどう考えておられるのだろうか。
【結論:天皇にはもったいない。「なんちゃって研究者」をおすすめします】
秋篠宮家は何が何でも悠仁さまを研究者にしたいようだ。もちろんそれは、天皇はおろか、皇室としての資質とは1ミリも関係がない。
天皇になるための教育はさっぱりなされていないようだし、悠仁さまにはいっそのこと皇籍から離脱し、「なんちゃって研究者」になっていただくのはいかがであろうか。
悠仁さま本人にとっても、国民にとってもその方が幸福である。
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以上がTYさんから寄せられた、非常に鋭い視点での緻密な考察の全内容である。
TYさんは、実は「バドミントン部の活動はどうなっているのだろう。高校の運動部の休みは高校や部によってまちまちだろうが、あまり参加していないのかもしれない。応援にもこない、試合に出ず合宿にも参加しない、他の部員にとってそんな部員は『はた迷惑な存在』以外の何物でもないというのに…」と嘆いておられた。
この論文執筆において、悠仁さまがさまざまな所で周囲に迷惑をかけていたことは十分に考えられる。
さらにTYさんは、「秋篠宮ご夫妻が悠仁さまに求めておられることは、本当に悠仁さまのためになっているのだろうか」と疑問を呈しておられた。ご夫妻には、そろそろ真剣にそのあたりをお考えいただいた方が良いように思う。最愛のご長男のためにも、である。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『YouTube』テレ東BIZ ― 「悠仁さま熱心にカメラ談義…【皇室ちょっといい話】(5)(2020年9月6日)
・『FAVORITE PICK』飛んでるトンボを撮影撮影する方法とおすすめカメラ機材紹介
・『LINE NEWS』女性自身 ― 悠仁さまの作文が入選!応募総数1901点の中から佳作に