【皇室・都市伝説を紐解く】「悠仁さまは少し前まで名前も書けなかった」侮辱コメの根拠 筑附合格で開いたパンドラの箱

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「悠」という字は小学5年生には難しすぎたか…(画像は『讀賣新聞』の記事)
「悠」という字は小学5年生には難しすぎたか…(画像は『讀賣新聞』の記事)

筑波大附属高等学校への進学を決めるも、佳作受賞の作文に文章パクリ疑惑が発覚した秋篠宮家の悠仁さま。ヤフーニュースや有名掲示板では「ズルヒト」「今からでも賞を返上し、筑附入学も辞退を」というコメントと共に、「少し前まで名前も書けなかったのに、どこが優秀なのか」といった、侮辱ともとれるコメントを時おり目にすることがある。しかし、そこにちゃんとした根拠があったことを、皆さんはご存じだろうか。



最初の「ズルヒト」は、ネット上で遅くとも去年の夏には使われていた言葉だ。そして昨年12月、週刊文春が「悠仁さまは筑波大附属高等学校への進学を狙っている」とスクープして以来、一気に拡散した感がある。

一方、筆者も最近になって知ったのだが、「少し前まで自分の名前も書けなかったのに」の根拠は、2017年8月27日付の讀賣新聞・日曜版の記事にあるとのこと。ネット上にはこの記事のトップで紹介した画像が出回っているそうだ。拡大してみると…。

「悠」という字はまだ難しいので…(画像は『讀賣新聞』の記事)
「悠」という字はまだ難しいので…(画像は『讀賣新聞』の記事)

皇室ダイアリーNo.417のタイトルは、『悠仁さま/伝統の筆づくりを知る』。秋篠宮夫妻と悠仁さまは同月中旬、数日間かけて滋賀県湖西地方を巡ったといい、紹介されているのは高島市内の筆工房を見学したときの様子だ。

世間の注目が集まったのは、この記事の最後の6行。“悠仁さまはヤギやウマの毛を整える作業をのぞき込まれていた。巻筆を手に取ると、「悠」の字はまだ難しいので「仁」と試し書きされたという”とある。

9月6日が誕生日の悠仁さまは、その時点で間もなく11歳の誕生日を迎える小学校5年生だった。それで「悠」の字が書けないとは…と話題になってしまったそうだ。下は文部科学省が定めている、小学校で教わる漢字の一部。小5は、かなり難しい漢字を覚えなければならない学年である。

3年生あたりから難しい漢字がいっぱい(画像は『文部科学省』のスクリーンショット)
3年生あたりから難しい漢字がいっぱい(画像は『文部科学省』のスクリーンショット)

悠仁さまは、盗用疑惑にさらされているものの、作文は栄えある佳作を受賞し、無試験で超進学校の筑附に合格した。そして国民は「小5で自分の名前を漢字で書けなかった子がなぜ作文で佳作を? なぜ筑附に?」と騒ぎ出した。悠仁さまに関する眠らせておくべきパンドラの箱がついに開いてしまった、そんな展開と言えそうだ。



この記事を執筆したのは、讀賣新聞の宮内庁担当記者である沖村豪(おきむら・たけし)さん。沖村さんは昨年、秋篠宮さまの誕生日会見後に『情報ライブ ミヤネ屋』に出演し、父親として、皇族としての宮さまの複雑な立場を理解し、その気持ちに寄り添うように、温かい言葉を選んで感想を述べる様子が印象的だった。

今から思えば、その「難しくて悠の字は書けないようだ」も、沖村さんとしては国民が悠仁さまに親しみを感じてくれれば…くらいの軽い気持ちで、最後にちょっと加えてみたのではないだろうか。

神経質で叱責好きといわれている紀子さまだが、ほかでもない沖村さんとあれば笑って許す寛容さ、皇族としての度量を見せてほしいものだ。



画像:『文部科学省』小学校学習指導要領【別表】学年別漢字配当表

※ 文章中、秋篠宮夫妻と悠仁さまの訪問先について、高島市であるべきところ、高松市とする誤りがございました。訂正するとともにお詫び申し上げます。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

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