【YOUR VOICE】ウイーンに長期滞在していましたが写真の背景に思い当たる所がなく…なんと、パリだそうです
※ こちらは8月18日付の記事勤務先に学校に観光名所に…謎めくウィーン時代の川嶋家の写真 イカサマ露呈のご学友写真までに対し、読者様から寄せられたコメントです。紀子さまは思春期をウィーンで過ごされたということのようですが、公開されたのは、どうも奇妙な写真ばかりです。
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“ウィーンの有名なシェーンブルン宮殿を背景に撮影したのかもしれない、こちらの1枚。”
ウイーンにはしばしば出張し、長期滞在もしていたので、この背景どこかと思い当たる場所をチェックしましたがなく、Google画像検索にかけたらヒットしました。なんとパリ市庁舎前だそうです。
元画像の出所が、【週刊読売】臨時増刊1990.7.16号らしく、引用で写真説明がありました。
これを引用していただいたnoteの記事をごらんください。
https://note.com/amachanda/n/n9f8aaef1228e
そちらのnoteには他にも面白い記事がありますので、また別の特集にでもなさってくださいまし。
ウイーンの日本人学校へも何度かお邪魔したことがあります。確認すると、2018年で創立40周年だったそうなので、1978年ごろの創立ですね。知人がここの先生になって赴任していました。ハイレベルで保護者も知的な方が多く、会合に出ても大変刺激的な会話を楽しめました。
となると、紀子さんが渡欧したのが77年なので間に合っていません。もし入学できても、惨めだったと思います。インターナショナル・スクールは授業料も高いのですが、学費をどなたが負担していたのか不明です。
馬を引く写真はあるのに、騎乗している写真はありませんね。あちらは農村民泊がさかんで、馬のいる民泊もたくさんあり、特に70年代後半ならば今よりもずっと民泊が繁盛していました。しかし、用具を持参しないと、レンタルは普通しませんし、紀子さんが乗馬を得意としているとの話はなく、学習院の厩舎で清掃を父と手伝っていた話しか聞こえてこないので、ただ馬とふれあっただけと思われます。
乗馬は、もし落馬でもすると治療費などが非常に高額になるおそれがあるので、海外での乗馬体験はお薦めしません。この一家も豊かではないようなので、乗馬はさせなかったのではと思われます。
アスベスト問題ですが、ヨーロッパの厩舎はれんが造りが多く、なかでは安全な場所といえます。辰彦氏の場合は、セツルメント運動をやっていた関係で、国内で解体作業などのバイトをもしやっていたなら、そこで大量被曝したのではないかと思われます。
(コメント欄:匿名さんより)
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廃刊になった月刊誌「伸長45」で「純粋異性批判」を連載していたカント哲学者中島義道氏はウイーン大学で学ぶ傍ら日本人学校が現地行政との間で抱え込む難題の解決にしばしば駆り出されたと著書「ウイーン愛憎」)どこぞの新書)で書いている。
一読に値する抱腹絶倒の書です。氏がウイーンに渡ったのが1978年頃と聞くので、もしかしたら尋ねると良いかもしれません。しかし、なんせ変わり者の哲学者なので断られるかもしれません。
日本人学校に国際なる形容詞がついたのが1978年でそれ以前は多分「日本人補習校」として活動していたのかもしれません。IAEAが1950年代末に創立され、外交官や関連役所企業からの出向者は多かったはずで皆子女教育に悩んでいたでしょう。
note記事にパリ市庁舎とあったので、そのままお伝えしたのですが、実際のパリ市庁舎とは似ても似つかぬ外観で、ウィーンの市庁舎は何度も行ったことがあるので全然違うとわかりましたが、これは出典である週刊読売の臨時増刊にあたってみないといけないな、と思っていたところです。
背景にネットフェンスがあることから、多分地下鉄工事かなんかをしている現場で、道路の縁石のうえに乗っかって撮影したものと思われます。それだけにどうしても背後の建物に何か強い拘りがあるように見えます。当時ウィーンでは地下鉄工事が盛んだったので、背後の建物(窓が大きいので事務所などではなく、駅や美術館、大学、ホテル、博物館などの公共建築風に見えます)の手前が広場風になっているので思い当たる場所をググってみましたが、これに似た建物はプラハにもあるし、もう少し周囲が映っていればと、探索中です。
ヨミダスがあればたちまち元記事がわかると思います。もしそれに「パリ市庁舎前にて」とあれば、最初に読売へ提供した川島家側で嘘をついていたことになるし、違えば写真が転載される過程でどこかで伝言ゲームのように間違って伝わったか、そのどちらかだと思います。
紀子さんの隣の女性、和代さんではないみたいですが、いとこさんを連れてきた別の親族なのかとも。当時、ウィーンには東京から直行便がなかったので、アンカレッジ経由でロンドンやパリ、フランクフルトで乗り換えるのが一般的でした。乗り換え地ではいまとはちがい、途中降機ができ、ゆっくり滞在もできたので、パリ見物をしていても不思議はありませんでした。
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(朝比奈より)
ありがとうございます。ウィーンではなくパリらしい、という情報を頂戴できたことで、この件を調べてやるぞ!と思いました。
8年前ですが、オルセー美術館を見た後、シテ島から出るディナークルーズを利用したことがありまして、あのあたりは少しわかります。また、パリの市庁舎の美しさは格別で、私もたくさん写真を撮っておりました。これは市庁舎とは違うのでは、とすぐにピンと来ました。
おっしゃる通り週刊読売に写真を提供した段階で嘘をついたのか、それとも週刊読売にも手伝ってもらって捏造をしたのか、いずれにしても不快なものを感じますね。
あきれた…ウイーン在住、疑わしいと思っていたけど、やっぱり嘘だったんですね。
何故、パリ市庁舎前で撮った写真をウイーン在住の証しとして出したのか?バレないと思ったのかな?でもこうなったら、本当にパリに行ったのか、パリで写真を撮ったのか、それも疑わしいですね。
立派なご先祖の経歴も、ぜーんぶ、何もかもが嘘なのかと思います。「息をするように嘘をつく」と言われる民族がいますが…やはりきこさまも…!?
紀子さんの出自は、ハンブルオリジン。
イギリス政府の秀でた諜報力により暴かれた真実。世界に注意喚起をしたイギリス政府には、今となっては感謝しかありません。
それに対し我が国は一体。政府は、自民党は、宮内庁は、国民を騙しましたね。
酷い家柄なら謙虚な態度で真実を打ち明け、信頼を勝ち得るよう努めたら良かったのです。それが無理なら、既定路線の皇室離脱すべきでした。
すっかりぐちゃぐちゃな宮家周り。今からでも遅くありませんよ。
これ以上、嘘出鱈目を日本に重ねさせないでください。
この一家の写真や経歴は、偽りと加工ばかりですね。そもそも天下の学習院大の教授様が、質素な3DK家族4人で住むか?
どう見ても低収入の職員用住宅でした。
大学の教授を何人か知っていますが、国立よりも私立の方が年収は3割増しほどで、東京近郊に持ち家が普通です。
やっぱり篠沢教授の言っていたように、川辰氏は厩務員だったのでしょうね。どうして教授になれたのかも、謎ばかりです。
匿名さんnote 拝見しました。
カワシマキコさんの家系はWikipediaで調べる限り、大学教授、官僚、学者、医師、海軍少尉、市長…など伝記や人名辞典にあげられるであろうそれはそれは優秀なカタカタばかりで、そんなことあるのかとぶったまげました。
しかしそのWikipediaには「脚注による参照が不充分で情報源が依然不明確です」「脚注を追加して記事の信頼性向上にご協力下さい(2022年5月)」と注記されています。その程度なのですね。だからこんな記念写真一枚に捏造改ざん盗用して公表し人を騙す事位、屁の河童ですわね。
あれれ?キーコさんの左手時計に人の手首が~真夏の怪談、怖い怖い…