勤務先に学校に観光名所に…謎めくウィーン時代の川嶋家の写真 イカサマ露呈のご学友写真まで
ブログ記事に、たびたびコメントを寄せてくださっている「きさらぎ」さんという愛知県在住の読者さまから、このたびとても気になるメールを頂戴した。オーストリア・ウィーンで暮らしていたころの川嶋ご一家の写真6点が添えられており、当時のそれぞれの状況について考察されたという。
◆勤務先・学校の位置
まずは、きさらぎさんからのメールを、ほぼ原文のまま紹介させていただきたいと思う。
川嶋家のウィーン時代の画像をいくつか見つけましたので、思ったことを書きたいと思います。
Wikipediaによれば、紀子さまの父上、川嶋辰彦氏の経歴には「1977年~1979年、国際応用システム分析研究機構(IIASA:所在地オーストリア・ウィーン)主任研究員」とあります。家族も一緒の海外での研究生活で、それは紀子さまが11才~13才の時でした。
紀子さまは、アメリカ・インターナショナル・スクール・イン・ヴィエンナの6年に編入したそうです。
地図でIIASAの場所を調べると、市街地よりはだいぶ南に位置する、むしろ山に近い田舎にあることがわかります。そして紀子さまが通われた学校は、ウィーン市街地から離れた北西部にあります。ご一家の当時の住居は学校に近かったと推察されます。
ウィーンの市街地北東、ドナウ運河の向こうには国連やその関連施設があり、現地の日本人コミュニティーの間でも、社会的・経済的・文化的にもハイレベルな土地柄と見なされるようです。
また、付近にはウィーン日本人国際学校がありますので、友達作り、なじみやすさなどを考えれば、そちらの学校に入った方が良かったと思いますが、何らかの理由により敬遠したのでしょうか。
◆住居は?
住居については、著名人でも市街地または近郊の高層住宅内に自宅を所有するか、一戸建てならけっこう離れた郊外に暮らす、ウィーンとはそういう街です。川嶋家の住まいは地理的にもだいぶ田舎にあったのでしょうが、写真を見る限り上等な造りではない感じで、経済的に厳しい状況だったのかもしれません。
なお、紀子さまはブラウスの袖や刺しゅうがチロル風で、ウエストにもいわゆるチロリアンテープをあしらった、お土産屋さんにもたくさんある可愛らしいチロルの民族衣装を着ている写真もありますね。
◆馬のお世話をしていらっしゃったのでは?
ところで、川嶋辰彦氏は馬をお世話するお仕事をしていたのではありませんか? 何かの経験を買われ、日本へ帰国後、学習院馬術部の職を得ることになったように思います。
ウィーンには、音楽を筆頭に、海外からのとても多くの留学生が来ています。東欧からの貧しい移民も多く、街頭で新聞を売ったりもしていました。学生たちはいろいろなアルバイトをしており、有名なニューイヤー・コンサートのチケット並びも学生のアルバイトだと聞きます。
この頃に撮影されたと見られる画像のひとつに、ラフな服装の紀子さまが厩舎で馬と一緒に写っているものがあります。
馬といえば、観光の目玉のひとつでもあるスペイン式宮廷馬術学校がありますが、そちらは「白馬」限定です。ウィーンでは街中を観光馬車が走っており、乗馬学校も多数あります。川嶋氏は、経済的な必要があって、どちらかで馬の世話の仕事をしていたということはないでしょうか。
弟の川嶋 舟さんは馬の研究が多いことで知られているが、こういった写真が紀子さまもあったわけだ。
◆祖母の存在
祖母の川嶋 紀子(いとこ)さん。このお方もウィーンで一緒に生活されていたのでしょうか?
複数の写真に姿が見られることから、川嶋家は三世代で一緒に生活していたことも考えられます。絵を描かれるので、脇にキャンバスを抱えているご様子ですが、いつも乱れた着物姿で、少し怪しまれてしまったのではないかと心配にもなります。
祖母と孫が「紀子」という同じお名前を共有していらっしゃることもですが、川嶋家については、謎が多くあると思います。
今回はウィーン時代に目を向けてみました。その結果、経済的に苦しそうなことだけはよく理解できましたが、それ以外の謎はますます深まるばかりです。
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以上が、きさらぎさんから頂戴したメールの内容である。
きさらぎさんは他の写真も数点送って下さっており、そこで筆者が気になったことも綴らせていただきたいと思う。
◆観光名所での写真は?
まず、ウィーンの有名なシェーンブルン宮殿を背景に撮影したのかもしれない、こちらの1枚。
ちゃんと中に入って見学をしたなら、もっと良い角度からの素晴らしい記念写真が撮れるはずなのに、なぜこんな場所からなのだろうと不思議に思う。
そして、幼い舟さんの服装。誰よりも体温が高い年齢であろうに、よくタートルネックの長袖セーターにボアのようなジャケットまで羽織っていたものだ。紀子さまは半袖で、ご一緒の女性も涼しげなスタイルだというのに…。
考えてみると、公開されている写真にはオーストリアが誇る観光名所の写真が殆どない。
西にちょっと旅をしてザルツブルクを訪れれば、世界一美しいとされる湖畔のハルシュタットや、サウンド・オブ・ミュージックのロケ地を回る旅もある。また、紀子さまがピアノをお上手なら、旧市街地(素晴らしい観光地)にはモーツアルトの博物館とも言える生家がある。
さらにドイツのミュンヘンに向かい、そこを越えれば有名なノイシュバンシュタイン城があるではないか。
こちらもちょっと不思議な1枚である。おそらく昔のライン川クルーズであろう。舟さんは揺れる水面や橋が怖くてお母様にしがみついておられるように思うが、クルーズ中の美しい光景の写真が無いということは、実際に船には乗っていなかったのかもしれない。
地域を問わず、海外赴任では日本人が多い安全な土地のきちんとした住宅があてがわれるはずで、例えば物価がまるで異なるニューヨークなどでも東京並みの生活水準を保てるよう、調整された額が給与(あるいは手当として)に上乗せされるもの。公務員、民間の企業戦士、研究職を問わず、現地に赴くと皆さんご家族とともに「観光名所を貪欲に見て回る」という印象が昔からある。
◆影が不自然
こちらはネットではかなり有名な写真。きさらぎさんがおっしゃっていた、紀子さまのチロル民族衣装風お洋服が本当に可愛らしい1枚だが、筆者には影のできかたが異様だと感じる。
辰彦氏のベージュのズボンに落ちた舟さんの影は、非常にはっきりとしている。そして、辰彦氏の影も足元の向かって左側の枯草にしっかりと出来ている。それならなぜ、紀子さまの足元の左側にはそういった影ができていないのだろうか。
◆腕が何本もある
上でも紹介していたこちらのお写真。あまりにも奇妙すぎて、筆者は「本当にその学校に通っていたの?」とさえ疑いたくなった。
まず、緑色の丸で囲んだ部分にある右手親指は、一体誰のものだろう。左の女の子と紀子さまの間に、女の子の横顔がわずかに写っているが、その子は若干遠いように感じる。すると、この右手は長すぎる上に、左の大腿骨付近が前に出過ぎている(小さな青い丸)。
そして腕の数にご注目を。紀子さまの右腕は青の場所に確認できる。小さな青い丸の右半分が紀子さまの前腕であろう。となると、黄色の腕は2本とも左の女の子のものなのだろうか。
◆「1975年から1990年」までのどこでアスベストへの被爆が?
ところで辰彦氏は2021年11月4日、中皮腫のため聖路加国際病院にて亡くなられた(享年81)。中皮腫の原因は8割以上がアスベスト(石綿)の吸入とされており、石綿を吸い込んでから30~40年後に発症し、いったん発症すると1年で半数、2年で8割の患者さんが亡くなるという。
つまり発症は2020年あたりで、ちょっと範囲を広めにとると、1975年から1990年までのどこかでアスベストへの被爆があった可能性がある。辰彦氏は1977~1979年まで国際応用システム分析研究機構(IIASA)の主任研究員としてオーストリアで過ごしたが、その後は日本である。
もしや学習院大学にあった古い厩舎が原因かも…と考えてもみたが、紀子さまが馬を引くお写真があるなら、オーストリア時代の可能性も考えなければならないだろう。
AIに尋ねてみたところ、「古い厩舎、特に1970年代から1980年代初頭に建てられた建物では、屋根材、壁材、天井材などにアスベストが使用されている可能性が高いため、注意が必要です。アスベストは、1960年代から1980年代半ばにかけて、断熱性や耐火性に優れた建材として広く使われていました」とのこと。これは日本に限らず、同じ年代に世界規模で起きていたことである。
Google MapでIIASAの付近をたどってみたところ、南西方向500ⅿほどのところに、街で最大規模の「Reitstall Laxenburg Equisport」という乗馬施設があった。乗馬クラブや牧場などが多いオーストリアゆえ、何か副業をするのであれば、ドイツ語の力をそう求められない厩舎でのアルバイトが打って付けではないだろうか。
◆まとめ
きさらぎさんからのメールで一番気になったのは、「川嶋辰彦氏は馬をお世話するお仕事をしていたのではありませんか?何かの経験を買われ、日本へ帰国後、学習院馬術部の職を得ることになったように思います」という部分である。
学習院大学の馬術部のために何らかのお仕事をされていた辰彦氏だが、そのためにはとにかく過去の実務経験、実績が必要なはず。きさらぎさんも想像していらっしゃったように、経済的な理由から副業をする必要があって、オーストリア時代にどちらかで馬の世話の仕事をしておられたというのは、あながち嘘ではないと感じる。
なお、おかしな合成写真を出してくるのは、秋篠宮家ならもう毎度のこと。そう驚きもしなくなったが、それが皇族のすることだと思うとあまりにも残念でならない。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『Wikipedia』川嶋辰彦
・『Google Map』IIASA
黒いブルマー…日本の体操服みたいですね。ウィーンの学校でもこんなの着てるんでしょうか?日本からの持込み?
草原に立っている写真では、辰彦さんの足が見えませんが…。陰になって暗くて見えないだけでしょうか?
私もスカートをいただいたことがあり、ウールの上等なものでした(高そう)。
古い写真も、変な意味で(?)面白そうです。
画像元は以下のものです。
「列外派星くず日記」
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-1667.html
「pinterest」
https://jp.pinterest.com/
スクール・イン・ヴィエンナと1979年の自宅玄関、麦畑の家族4人の写真は加工でほぼ間違いないと思います。
シェーンブルン宮殿?もおかしい。イトコ婆の右腕(辰彦との間)、舟の膝の間の色。
合成写真というのは少なくとも1970年代半ばには(多分もっと昔から)あって、写真を物理的に切り貼りするので、色合わせはできず多分ほぼ白黒限定。複雑な境界設定も無理ですが、今の画像合成に近いものです。
これらの写真が世に出ただろう1980年代半ばまで下がれば、VAXなんかのミニコンとか、一時一世を風靡したSGIとかのワークステーションの時代で、画素数の制限はあるものの、新聞社であれば現在の画像加工に近いものができたと思います。
>きさらぎ様 2025年8月19日
糸くずから見て原画の取り込みはフィルムスキャナーですね。カメラがハーフサイズと仮定すればフィルム送りノイズが横縞の原因かもです。横縞数本分周期のもっと粗い横縞がそれかもしれません。縞がわずかに右下がりに傾いていますが画像回転補正したんでしょうか。
(ずぼらなくせに細かいアラが嫌いな私は、私はこの種のゴミとか傷、フィルム送りの縦縞が入るのがいやで、昔買ったフィルムスキャナー(安物)あまり使わずにお蔵入りにしました)
・もう一点、夫人の右足(と思われるもの)とスカートの位置関係もおかしい。
>多分すぐ下の匿名様 2025年8月19日
>26番目にあります。
こっちのほうが、あとに作られたのではないかと思います。横縞を目立たなくするためにノイズを付加した感じですね。
もっと衝撃的な写真ってなんだろう。
赤があることは確かです。よくウィーンでも専門店では売られています。
https://www.trachtn-baeda.de/hemden-und-jacken/575/samtweste-fuer-kinder-rot-isar-trachten
ただ川島家の子らが着用しているのは、本物のTrachtenではなく、まがい物とすぐにわかります。
それどころか、古着をもらってきたのかも知れません。よくみると刺繍がなく、大量生産品で、ポリエステルかなんかで出来ているから色もよろしくないのです。
麦畑写真の横縞ですが、それほど出ていないものもあります。古いまとめサイトでアキシン投稿ですが、同じ写真が26番目にあります。https://kininaru-geinou-m.blog.jp/archives/15747959.html
ここにはもっと衝撃的な写真もありましたよ。
祖母が着物を着る意味があるのでしょうか?
ダラシナイ着方で帯も似合わない?
全然似合わないのもを日本人に見せて着ているようにしている?
立ち位置も身体がズレていて変なものばかり?
加工失敗?
今の秋家写真、特にHさんの写真と変わらないボケた変な写真ばかり。
祖母の人差し指、Hさんの写真などで良く見る、真っすぐで細いものですよね?
家族の指も気持ち悪い変なものが多過ぎです。。
実際のノーマルな写真はないのでは??
【山の家族4人の写真】
・拡大してご覧ください。非常に目が粗く、横に線が入っています(腕部分がわかりやすい)。しかし、キコサンのスカート、シュウサンの上着には、見られません。
チロルの民族衣装、実はこんな赤は、あまり見かけないように思います。多いのは、黒か、ちょっとくすんだ独特の緑。
というわけで、後から赤を着色したのか?
・上端やや左、糸くずが浮遊しています。
・夫人の腕がほぼまっすぐなのに、影の肘が曲がっているのはなぜ?
・キコサンの左足の膝上の股側、白い線(特にスカート近く)は?背景は草のはず。
・夫人のスカート、裾の左足部分、めくれかたがおかしい。
→ううーん。民族衣装をいただいたか何かで、えいっ、ウィーンに住んでいたことにしてしまえ!?
この時代の写真はすべてネガフィルムなので合成や加工するにも限界があり、必ず原出典と比較してからにした方がいいと思われます。今の時代のような合成写真はできなかったことを前提にして下さい。
さて、写真のうち、ぶつぶつした網がかかって見えるものは、当時流行していた絹目印画紙にプリントしていたためで、川島家ではネガを無くしたのか、こんなピンぼけ写真しか残っていないのは淋しいかぎりです。
紀子さんも舟さんも、浮かない不機嫌な表情をしています。直前まで母親から叱られッ放しだったのでしょう。子供なら、にっこり笑うよう誘導してからシャッターを切るべきなんですが、フィルム代にも事欠く生活だったのか、一枚だけパチリと写し、そのまま何ヶ月もカメラに入れたままおいておくような写真記録の仕方だったことが窺えます。
そのせいで、カラー発色もよくありません。子供が不機嫌になる一番の原因は、欲しいモノを買って貰えないとき、お菓子を断られたときです。ただでさえ貧乏所帯なところに、あばあさんまでが押しかけてきて、スケッチ旅行などと言い出され、子供達がたいそう不満がっている様子が、表情からも手に取るようにわかります。
スケッチブックを持った家族写真の紀〇さんの腕がおかしいですね。
腕時計が上の方にしていて、弟が手首を掴んでいるのが加工だからズラしたような?
やはり弟は両腕を下に垂らしているような?
また弟の顏も後から貼り付けた感じで身体とは浮いてズレて見えます。。
人物のバランスが全員中心からズレていて変です。。
あんな身体では立っていられません。。
上半身と下半身がズレている家族写真??
顔もズレている??
また他の写真では白が目立っていますね。
天気が暗かったり、夕日なら白くは見えないはず?
影も変。
船の上でのKIKOさん。
組んでいる腕は何か手すりのような物に寄りかかっているような感じですが(実際、柵の1番上の部分と同じ高さ)、柵の下の部分は身体の後ろ。
あまりにも不思議なポーズです。
柵のところの写真では紀〇さんの左腕が柵の横棒と同化しているような?
左腕だけ真っすぐな棒のように見えて左手も変に見える。。
ベランダのような高さのところに右腕を置いた人物写真を、AIで造った背景で加工して入れた写真なのだろうか??
後ろの建物も柵も遠近法が変?
紀〇さんの後ろの影になっている部分は何なのだろう??
穴?
建物の地下部分なのか?
川島家の海外写真は解らない構造で写っているものが多い?
「◆腕が何本もある」の写真ですが、左の少女とキコさんの間に 1人いるような気がします。左の少女の右 耳の辺りに 別の少女の横顔が見えるのですが。カメラアングルの具合で 写らなかったけど、ずれて1人いるのでは??
それから、他の写真にしても、紀子婆さんの身長とキコさんの身長が アレレと違って見えます。父親とキコさんの身長も、父親の顎より上? 下? いろいろ有り過ぎで。
加工・修正が日常茶飯事の川島家なので、ウィーン留学した事にするために、写真を用意した事も考えられます。
小内様のブログの投稿に、和代さんは北朝鮮人で パスポートが取れず、一緒には行けなかったというのもありました。
また、川島辰彦さんは、紀州の名門川島家の養子に入り、そこから大学に通ったり、問題を起こした後は 養子先のツテで学習院の用務員兼厩番に入ったというのもありました。
キコサンの表情が不安げで暗く、カコサンの少女期と重なります。
育てられたように、娘を育てた。祖母や父に気に入られた姉と違い、母親しか居なかったカコサンは寂しかったでしょう。
キコサンも、忙しい父、転居に続く転居、弟もちょっと変…。母と祖母が頼りでしょうか。そして受け継いだ半島文化。
孤独で苦労も知っている少女。
暗くうつむいている少女が、般若の様相に至るまでに一体何が合ったのでしょうか…。強張った強烈な笑顔はどのように生まれ張り付いたのか…権力に取り憑かれるとそうなるのでしょうか。
ギャップの凄まじさに寒気を覚えます。
オーストリアはNK国と1974年から外交関係を樹立し、ウイーンにはNK国大使館がありますね。
1枚目の写真から、何か合成感が漂っています…きこさんだけがアジア人、だから浮いて見えるだけなのか?そもそも本当にウイーンに住んでたの?
背景が宮殿のものと、草むらのもの、どちらも姉弟の服の赤さが印象的です。宮殿背景のものは、シックなウイーンの街中で浮いてそう。しかも弟さんは、変わったデザインの服ですね。靴との合わせ方もチグハグです。弟さんはまだ小さいから、これは親のセンスですね。
合成でも合成じゃなくても、何だかどれもしっくり来ない、違和感がある写真ばかりですね。
英国政府が紀子さんを「ハンブルオリジン」と認めたそうですが、そこまで悪しく言われるような出自って一体どんなものだったのでしょうね。
またハンブルオリジンと言われる程の家柄であるのに、学習院に通っていたことにも違和感があります。
出自の仔細は分からなくても、雅子様の装いをパクるとか、息子のいかがわしい進学とか、皇太弟、内廷皇族にならずに天皇陛下を支える義務は果たさないのにお車代ばっちりの公務もどきに励むとか、皇女様の前を歩くとか、、恥ずかしい数々の振舞い、所作から、そうだったんだろうと十分納得できます。
経過報告
二度の長期入院と一度の手術のため、署名簿とコメント集の送付が半以上遅れたことをお詫び申し上げます。
2025/08/18 赤門ネットワーク
上記文言で検索を、、
IV “馬鹿”と利権
酒臭くて賤しく、子供時代〝アホのアーヤ〟と呼ばれたこの不潔な男の家系に皇統を移してはならない、ということ、そして、最初は浩宮様(今上天皇)狙いだったが、それには失敗し、テニスコートで披露した、見せパン丸出しのパンチラ姿や、サークル合宿での男子学生に囲まれた女子一人だけの浴衣姿、といった色仕掛けでこの賤しい男を引っ掛けてまんまと皇室に入り込んだ〝錆びたベランダ出身のあの女〟そして、生涯に一度も入学試験というものを受けることなく――あるいは、受けるだけの学力がなく――まんまと国立大学の学生になったご長男。これら三者が生粋の〝徳を欠いた馬鹿〟であることを、国民はよく知っております。そして〝徳を欠いた馬鹿〟を天皇にしてはならないことも国民はよく知っております。なぜなら、〝徳を欠いた馬鹿〟が天皇になると、利権という甘い汁を求めて〝徳を欠いた馬鹿な天皇〟よりは多少とも利口な質の悪い連中が群がり寄って来るからです。〝馬鹿〟は自分を律することを知りません。餌を目の前にぶら下げられると、己の賤しい欲望を抑えることが出来ずに、質の悪い連中がこれ見よがしに見せびらかす餌に簡単に食い付いてしまうのです。あとはズルズルと利権の沼に引きずり込まれるだけです。
今上天皇に、餌をちらつかせて利権の沼におびき寄せることが出来るでしょうか?賄賂は通用するでしょうか?到底無理でしょう。今上天皇は自分を律すること鋼の如しであり、餌も賄賂も通用しません。
なぜ〝徳を欠いた馬鹿〟を天皇にしてはならないのか、その答えがここにあります。なぜ敬宮愛子内親王を天皇にしなければならないのか?答えは単純です。彼女が賢く徳を備えているからです。なぜ悠仁様を天皇にしてはならないのか?彼が両親に似た徳を欠いた愚か者だからです。血統は誰から見ても疑いようがなく現れてしまうのです。賢い親から生まれた子供は賢く、愚鈍な親から生まれた子供は、たとえ紀子様がどのように優秀な家庭教師を何人おつけになろうと、愚鈍なままに終わるのです。これが残酷なまでに明らかになってしまう血統の法則なのです。
(詳しくは本文で)
スミマセン、ごく一部ですが、、
抜き出ししました。
サムネイルが8月旧盆になると涼気を求めた怪談話で取り上げられるようなショットですね。別の意味でも恐怖を感じ背筋が寒くなります。
川嶋紀子サンが総じて幸薄い表情をしています。笑顔が殆ど無い。此の一家は静かに暮らしていたら「身の丈」に合った幸せな暮らしが叶ったでしょうね。貧しくても家族が仲良く生活できたでしょうに。
我が娘を洗脳して皇室に捻じ込んだ川嶋辰彦サンの罪深さを思います。川嶋辰彦サンは勢い余って学習院大学学長選に立候補したものの、落選。恐らく、同様に廃宮に向かって超巨大な野望は雲散霧消するのです。歴史で表現するならば「平成皇統簒奪未遂事件」で良いかな?
きさらぎさんの資料室は他に何が納まっているんでしょうか? 次も期待していますww
馬の写真の紀〇さんの右側は心霊写真でしょうか??
柵の木の上下に顔が2つ見える??
なぜ川島家や秋家の写真はハッキリとしたものがなく、ぼやけた写真しかないのでしょうか??
加工するためでしょうか??
Wiki年表を見て疑問がひとつ。
紀子さま:
1971年(昭和46年)9月(5歳)、リー・スクール入学。
1973年(昭和48年)6月(6歳)、静岡県・静岡市立中田小学校一年編入。
1973年(昭和48年)9月(7歳)、東京都・新宿区立早稲田小学校一年編入。
…ですが、73年7月に弟の舟さんが誕生なんですよ。ふつう、引っ越ししますかね?まあ、普通でないご一家ですけど。
草むらの家族写真はキタの将軍を思い出すような写真の質感にソックリ?
落ち葉の地面が人物の後ろで縦に貼られている??
外国人を入れた4人の姿で祖母の位置が外国人よりも前にいるのに身体が外国人よりも奥に入るのが変??
外国人の両手が祖母と紀〇さんを抱いているようにしているが指が変?
気持ち悪い手になっていて有り得ない。。
着物の袖の影もワザとらしい?
馬との写真は身体の位置から顔が変な所に出ている?
外国人の身体の上半身を紀〇さんに変えた?
柵?の前の写真も柵が機械的過ぎて後から付け加えたように見える?
AI制作?
最後の写真も秋家の庭の家族写真みたいに草が生えているのが好きですね。。
母親が掴む手の角度も変?
影も変??
父親の左肩が上がっているのに左手が下にあるのも変。。
家族写真の着物姿の祖母も変?
建物と人物が不自然になっていてマッチしていない。
しかも着物姿にスケッチブックを持っているのが変??
着物では絵を描きにくいはず。。
川島家の写真は普通では有り得ないものばかり?
秋家の多くの変な写真と全く変わらない。。
証拠づくりのための変な写真ばかり。
取り上げていただき、ありがとうございます。
画像がいくつかあったので、川嶋家の謎な過去に近づきたい思いで書いたものです。
しかし。
これだけオカシナ歴史の一家も、、、驚きますね。何ひとつ、確かなことが無いのですもの。加工修正捏造ばかり。
ウィーン滞在も嘘かも。実際、地理的なことや、研究員とされるIIASAもなんだか怪しげですし。
転居の多さも不自然で、よっぽど隠さなければいけない歴史なのでしょうね。
経済的に厳しい環境で子供時代を過ごしたことは数多くの写真を見ても一目瞭然です。
これら紀子妃の少女時代は1970年代後半~80年代前半くらいでしょうか?
そういう下地があってこそ、宮妃になってからの虚栄や野心があるのかも知れません。
服装のちぐはぐさにはチョット戸惑いました。
弟さんの服装が厚着だと他の方のご指摘もありますが、足元は素足にサンダルです。
その時代のオーストリアの状態はわかりませんが、その頃に欧州駐在の経験のある人の話では「あんなにだらしのない格好をしているのはロマくらい。」だとか。
オーストリアで当時馬丁を仕事にしていたのは、ハンガリー系の亡命者が多かったと記憶しています。
かなりの重労働なので、日本人には不可能と思います。むしろ、学歴からすると、在留邦人家庭の子弟子女の家庭教師がちょうど都合のいいバイトだったはず。オーストリアへの留学生は音楽系が多いので、一応理系にも強いなら、数学などを教えられるのでなにがしかの稼ぎにはなったはずです。
日本人どうしならば、税金がかからないように、謝礼として黙って頂けたかも知れません。
それにしても写真の紀子ちゃんは不機嫌そうな表情を浮かべてばかりですね。貧困家庭によくある話で、欲しいモノも買って貰えず、おでかけしてもふくれてばかりという少女時代。これが素の彼女なのでしょう。皇族になってから、漫画のようなイヒヒ顔ばかりするのはあくまで商売用の顔といえます。
この赤いチロル風という服装ですが、1960年代まではスーパーなどでも盛んと売られていた安物にみえます。おそらく古着屋で捨て値で買ってきたものではないかと思われます。あちらでは日本のセカストのような古着屋が昔から盛んで、子供服などはそうした店で買う人も結構います。
ただ本物の民族衣装なら、刺繍もふんだんに入り、子供服でも高額です。でもこれはまがい品ですね。70年代にジーンズが流行しだすと、この手の可愛い服は嫌がられ、欧州では人気がなくなります。
アメリカンスクールなのにどうやら日本から持参した黒ブルマを紀子さんひとりだけ履いていますね。何から何まで中途半端な海外生活だったのではないでしょうか。
いつからオーストリアまで縄張りに取り込もうと?
ここは愛子さまの出番だったはず。現地ではカイザリン愛子として期待されているのに。
>紀子さま、万博視察 ナショナルデー式典
5/23(金) 18:19配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/4bce7165765ad5cb79c35e7543eca1075034027c
秋篠宮妃紀子さまは23日、大阪・関西万博の会場を訪れ、オーストリアのナショナルデーの式典に出席された。ファンデアベレン大統領と並んで座り、ウィーン少年合唱団の歌やモーツァルトが使ったバイオリンの音色に拍手を送った。式典後、大統領夫妻らとの昼食会に臨んだ。
23日は難病法の成立を記念した「難病の日」とされ、当事者や支援団体の取り組みを紹介するイベントが催された。
懇談で、紀子さまはリハビリの苦労などを尋ね「当事者の言葉を聞き、多くの気づきがありました」と話したという。このほか、オーストリア館やスイス館を回った。紀子さまは22日から大阪入りした。<
ウイーンにはしばしば出張し、長期滞在もしていたので、この背景どこかと思い当たる場所をチェックしましたがなく、Google画像検索にかけたらヒットしました。なんとパリ市庁舎前だそうです。
元画像の出所が、【週刊読売】臨時増刊1990.7.16号らしく、引用で写真説明がありました。
これを引用していただいたnoteの記事をごらんください。
https://note.com/amachanda/n/n9f8aaef1228e
そちらのnoteには他にも面白い記事がありますので、また別の特集にでもなさってくださいまし。
ウイーンの日本人学校へも何度かお邪魔したことがあります。確認すると、2018年で創立40周年だったそうなので、1978年ごろの創立ですね。知人がここの先生になって赴任していました。ハイレベルで保護者も知的な方が多く、会合に出ても大変刺激的な会話を楽しめました。
となると、紀子さんが渡欧したのが77年なので間に合っていません。もし入学できても、惨めだったと思います。インターナショナル・スクールは授業料も高いのですが、学費をどなたが負担していたのか不明です。
馬を引く写真はあるのに、騎乗している写真はありませんね。あちらは農村民泊がさかんで、馬のいる民泊もたくさんあり、特に70年代後半ならば今よりもずっと民泊が繁盛していました。しかし、用具を持参しないと、レンタルは普通しませんし、紀子さんが乗馬を得意としているとの話はなく、学習院の厩舎で清掃を父と手伝っていた話しか聞こえてこないので、ただ馬とふれあっただけと思われます。
乗馬は、もし落馬でもすると治療費などが非常に高額になるおそれがあるので、海外での乗馬体験はお薦めしません。この一家も豊かではないようなので、乗馬はさせなかったのではと思われます。
アスベスト問題ですが、ヨーロッパの厩舎はれんが造りが多く、なかでは安全な場所といえます。辰彦氏の場合は、セツルメント運動をやっていた関係で、国内で解体作業などのバイトをもしやっていたなら、そこで大量被曝したのではないかと思われます。
紀子様のウィーンでの写真、背景がどうしても、あちらの国の背景に見えてしまいます。
ピントがずれているのか、ぶれているのかどちらかだと思いますが、カメラのアングルが悪い印象ですね。
写真撮影は得意ではありませんが、撮影の時、背景が移るよう意識する努力はしています。
ご家族の写真も、あまり笑顔がないような、そんな印象も感じられます。
観光名所での写真と思われる1枚、弟さんだけ冬の洋服って・・・季節感がバラバラです。いつの時期かわかりませんが、春夏だったら、もう少しその季節に合わせた洋服がベストなのに・・・
アメリカ、ウィーンでの生活、経歴、学習院初等科を含めた小学校4校の在籍等、違和感だらけです。
赤門さんがVoiceで集めた署名を内閣総理大臣はじめ、秋篠宮を
含めた皇室会議のメンバーに送ったそうです。
今まで大病をされていて長期入院されていたので、提出出来なかった
そうです。拡散希望だそうですのでお知らせします。
秋篠宮のDNA鑑定を求める要望です。
それが外国のどこだったか覚えてませんが紀子さんが舟さんをおぶって歩いてる所の写真を見た覚えがあります。オーストリアでしょうか。横が畑の道でした。
ドイツにも居たのでしたか、ドイツ語が出来るとのことで眞子さんを妊娠して病院に診察に行かれた時にカルテを見たら女の子とわかったのではないかと書かれてある記事も。でも、本当にドイツ語がわかる?今ならカルテは日本語ですけどね。
あとは学習院大学の馬術部に入っているから馬の世話をしてますみたいな写真でした。
そう言えば、舟さんは獣医学を勉強したのでしたか?だけど、馬の世話は最初の奥さんに任せっぱなしで離婚したあとも困っておられるそう。舟さんの行動もよくわかりませんね。怪しい?利権の関係ある人とお付き合いがあるようですから。
紀子さんが婚約するときに辰彦氏が教授になったとも言われてますね。教授じゃないと聞こえが悪い?宮内庁からお達しが?
何にしても悪行ばかり聞こえてきて謎の家族ですね。
我が家は海外赴任歴があり子どもたちをアメリカ系のインターナショナルスクール(アメリカ国外にあるアメリカンスクール)へ通わせていました。
ヴィエンナは住んだことなく現地事情を存じませんが一般的にアメリカンスクール含むインターナショナルスクールは生徒の転出入が激しいため必ずしもその学校に入学や卒業をしていなくても短期であっても個々の生徒の在籍記録はわりときちんと保存管理され同窓会(アラムナイ)にも登録される学校が多いです。
それと、学費を各国政府や企業が負担せず個人で賄う場合はかなり高額なのである程度富裕なご家庭でないと学校生活を維持するのがなかなか困難です。
紀子様はヴィエンナのアメリカンスクールへどの期間通われたのでしょうか。おそらくアラムナイに登録がありますでしょうね?
1979年の自宅玄関らしき場所で撮影した一枚も、アリエナイ違和感を覚えます。
祖母さんの右肩・右腕が写っておらず、管理人さんの背中から腰にかけて右腕を回していると考えられます。同様に、管理人さんも左腕で祖母さんの肩を抱いていると考えられます。
この密着度は、夫婦か恋人でしょう。紀子さんがこの年齢の時、祖父さんは既に虹を渡っておられたと聞いた記憶だが、違うのだろうか?まるで何処かの家族写真を加工し、紀子さんのたかのような印象を与える一枚。
さらに言えば、管理人さんのシャツの柄が、祖母さんの身体の上まで浸食している。加工の痕跡としか思えない。
こんな写真を出すお嫁さんには、一般市民でもなかなかお目にかかりません。
いったい、この加工の裏に、どんな団体が居たのか。考えると、そら恐ろしくなる。
今上陛下の次は、ぜひ清廉潔白な愛子様にお願いしたいものだ。