【YOUR VOICE】秋篠宮家の不仲説 ターニングポイントは2006年9月に…?
※ こちらは6月21日付の★皆様からのコメントをご紹介します その506★に対し、読者さまから頂戴したコメントです。現在の秋篠宮家はそれぞれに不仲とも噂されていますが、こうした見方には多くの方が賛同されると思い、【YOUR VOICE】でもシェアさせていただくことにしました。
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ターニングポイント
秋篠宮家って、悠仁さまが生まれるまではそれなりに上手くいっていたのでは?
でも、12年ぶりにお子さまが生まれた。しかも、男子で秋篠宮はガッツポーズしていましたね。女の子ばかり生まれていたから、美智子さまが3人目を作らないよう紀子さんに言っていたとも聞きますが、真実はわかりません。
「皇位継承する男子だからこそ厳しくする」ならわかりますが、たぶん久しぶりのお子さまで末っ子だったので、姉妹とは違い甘くなったかも。それでは姉妹も、両親に反発したくなるでしょう。そこに眞子さんの結婚問題が重なって、ますます両親とは溝ができたでしょうね。もちろん、佳子さんは眞子さんの味方。
悠仁さまの学校選びも疑問に持つことだらけ。悠仁さまに何かしらご病気があって、それを隠すためにいろんな事が画策されるようになったかもしれません。ありのまま、真実の姿を見せていたのなら、秋篠宮家も仲良かったかもしれませんね。
今では佳子さんひとり別邸で暮らし、秋篠宮(紀子さんとも?)とは普段はスマホでやり取りばかりで会話も無く。反抗期ならわからなくもありませんが、三十路ですよね。外国のお客さまが来たときだけ仲良い家族を演じられても。
秋篠宮と紀子さんも、あまり上手くいってるようにも見えず。そんな家庭で育つ悠仁さまの精神状態もいかばかりか。天皇ご一家を羨ましく思われているかもしれません。
(コメント欄:ゆうこさんより)
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キコさんが小言の多いガミガミ屋だというのは数々の記事からも明らかになっています。
職員にも子供達にも始終ガミガミ怒っている、K母も「キコさまは癇癪持ち」だと言われていましたね。
そんな人が夫であるA宮にだけ穏やかに接していると思いますか?A宮は幼児期から皿ママに甘やかされ好き放題して我が儘三昧で生きて来たのだから四六時中周囲にいきり散らかし、その矛先が自分にまで向けられて平気なワケがありません。
一般家庭でもそうですが、子供達もある程度成長して来ると親の見栄や世間体で小煩く言われるのを快く受け入れることは難しいです。まして根本的な躾をされていない子供にとっては理解も出来ず、ただウザいだけではないかと思います。そこに来てストレスの溜まった父親からも八つ当たりされたのではたまりません。自然に家庭内の雰囲気は悪くなります。
皆さんも記憶に新しいと思いますが、ベトナム訪問時の夫妻の様子を見る限り、表向きは仲の良い家族を装っていても実態は一目瞭然です。
>JK夫婦が壺宗教の催しに出席していたと盛んに一部のネットで話題になっていた時、、<
とありましたがこの事かな?ミテコさまは接点があったのですね。
>安倍氏の祖父・岸信介氏が“仲介役”に!統一教会が上皇ご夫妻に接近した51年前の現場写真
投稿日:2022/09/06
更新日:2025/01/15
『女性自身』編集部
上記文言で検索を、、
>51年前に、美智子さまへ“魔手”を伸ばしていた統一教会――。
本誌が発掘した公演当日の写真には、安倍晋三元首相の祖父である岸信介元首相(1896年~1987年)や、“日本の黒幕”などと昭和史に名を残す笹川良一・元日本船舶振興会会長(1899年~1995年)の姿がある。岸氏と笹川氏は、文鮮明氏と親交があり、統一教会の日本での活動を支援してきたとされる。
「1954年に発足した統一教会は、共産圏と対峙していた西側諸国の保守派と協力関係を築き上げて勢力を拡大。その過程で文氏と笹川氏は接点を持ったといわれています。
その象徴が、1968年に日本と韓国で発足した政治団体『国際勝共連合』です。初代会長には、統一教会日本法人の会長だった久保木修己氏が就いています。この勝共連合の名誉会長を1972年まで務めたのが笹川氏でした。
>岸氏が作り上げた自民党と統一教会の蜜月の関係は、半世紀後の現在、孫である安倍元首相の暗殺事件によって再び国民の関心を集めている。
(詳しくは本文で)
いえいえ、結婚当初からあの家では夫婦(重婚らしいから正式な妻でもないが)喧嘩が絶えず、表まで罵倒しあう声が聞こえたと週刊誌には書かれていました。
眞子が生まれても、すでにタイの正妻王女には男子がいたわけで、紀子さんの苛立ちが収まるはずもなく、佳子さんは浮気の子だと言われて冷遇され、見て子さまからの提案で悠仁s量産計画が舞い込み、やっと妻の座を得られるかと思いきや、あの出来では逆に以前よりも窮地に追い込まれただけでした。
おそらく悠仁sの生活費がべらぼうにかかるようになって、家計をさらに圧迫し、安西文仁氏の放蕩、紀子さんのショッピング癖でますます火の車となり、皇嗣になって三倍の皇族費を支給されるようになったのも、裏では隠れ悠仁sたちを召し抱えるための加配だったのはあきらかです。文仁氏とは寝室も完全に別だそうですから、事実上の離婚状態ともいえます。
あの家は、こうやって最初からボタンの掛け違い、自業自得の負の連鎖で、積木崩しのように崩壊し、眞子さんの駆け落ちでトドメをさされ、悠仁さんの盗作、剽窃、裏口入学でブラックな不正宮家となって、もはや名誉回復の方途は完全に絶たれたといえるでしょう。