秋篠宮家の子供たちの「胎盤」が誰も足を踏み入れない高尾の山奥に それが本当の地位評価では?の声も
少し前、匿名の読者様より7月7日付の【YOUR VOICE】秋篠宮家専用事務/倉庫棟・工期終了3日前の「地中埋設物の撤去」 そして分室の工事と清水建設と… に対し、あるコメントを頂戴した。そこには、とても興味深いお話が添えられていた。
◆読者様からのコメント
敬宮さまの愛犬が亡くなって、その遺骸をどうするのか、女性誌に書かれていました。何と赤坂御用地内に埋葬され、弔われるそうです。赤坂御用地には、そもそも女性皇族のヘソの緒を埋める場所(胞衣(えな)塚)と、皇室ゆかりの動物を埋葬する場所があるとのことです。
ヘソの緒については眞子さん佳子さまの胞衣塚が高尾山の奥で発見され、探索する人が続出したことが、以前ネットで話題になっていました。山中の気づかれない場所にこっそり埋められ、木標が建てられていたそうです。
姉妹のヘソの緒は、他の女性皇族たちのように、御用地内に埋められることはなかった。それは、なぜでしょうか。噂にあるように、紀子さまは秋篠宮さまの正妻ではない? あるいは皇室の方々が文仁氏を「闇養子で正規の皇族ではない」と判断した?
いずれにせよ皇室内に於ける秋篠宮家の本当の地位評価が出ている事例だとみます。
高尾山の、およそ人が足を踏み入れないような奥まった場所に、秋篠宮家のお子様たちのへその緒が埋められている…?? 眞子さん、佳子さまは「女性皇族」という扱いはされなかったの…?
◆足を踏み入れた人はごくわずか
この件についてググッていたところ、匿名掲示板のガールズちゃんねるに、それと思しきコメントを発見した。『みんなで誕生木の木言葉について語ってみたい』というトピであった。


◆登山家が発見してブログに
そのコメントに登場するブログを探してみた。
“いなかた/歩クリエーター” さんが運営しておられる『アウトドアの扉』というブログには、以下のワクワク、ドキドキするような記事が見つかった。
(お時間がある方はぜひ訪問されてみてください!)
■『アウトドアの扉』南高尾の謎の碑 2017 6/10
■『アウトドアの扉』【登山】南高尾の謎の碑に会いに行ってきました 2020 9/06
■『アウトドアの扉』【登山】南高尾の謎の碑は終わっていなかった(謎の碑編)2022 12/02
記事はとても長く詳しいもので、こちらでは所々を抜粋し、まとめて紹介させていただきたいと思う。
2020年08月10日(月)
山 名 大洞山(536m)
山 域 高尾エリア
【10:35】
分岐からしばらく歩くと、隣接する林道に出られるところがあるので、そこから林道に出る。”謎の碑”の正体が分からないので、ここからのルートは伏せておきます。今回はルート図も載せません。ご了承ください。


なお、いなかたさんのプロフィールには、「登山、キャンプを中心としたアウトドア情報を発信しています。山登りに興味のある人やロングトレイルの楽しみ方を知りたい人への情報もアップしていきます。日本トレッキング協会にてトレッキングマスター検定(シルバー)取得」と書かれていた。
◆刺激され高尾山に登ってみた方も
ここからは、『江戸すずめ的、和ゴコロのある暮らし』さんのAmebaブログから、2022年5月5日付の南高尾山稜ハイキングヒミツの胞衣塚という記事を紹介させていただきたいと思う。
胞衣塚(えなづか)とは?
胞衣(えな)というのは出産のときに出る胎盤のことで、胞衣塚というのはそれを埋めたところをいいます。
胞衣はとても神聖なもので子供の成長や運命に深くかかわるものとされていて、縄文時代ごろから、生まれた赤ちゃんが丈夫に育つようにと願いをこめて胞衣を埋める風習がありました。
発掘調査などの際にも胞衣をいれる容器である「胞衣壺」や「かわらけ」が出てくるようで それぞれの時代ごとに 広く庶民の間でも行われていたことがわかっています。
上流階級の例では、光格天皇(こうきゃくてんのう、1771-1840)の胞衣塚が京都にあるようですし、都内だと、6代将軍徳川家宣(とくがわ いえのぶ、1662-1712)のものが根津神社の境内にあって、近くで見ることができます。
「謎の碑」の正体
さて、結論からいいますとワタシたちが南高尾で見かけた「謎の碑」の正体は、秋篠宮、賀陽宮、久邇宮といった明治~平成生まれの皇族方の胞衣塚でした。
皇籍を離れた旧宮家の方々と一緒に
② ③どちらも文字は消えていて読めません。上記のいなかた氏のブログ画像によれば ②が第二内親王佳子さま、③が第一内親王眞子さまのもののようです。
④ 表「第一王子御胞衣」 裏「明治三十三年一月二十七日御誕生」 賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう、1900 – 1978)のものかと思います。戦後、皇籍離脱し、賀陽姓を名乗りました。
◆昭和天皇は? 今上陛下は?
『昭和天皇実録』第1巻、12ページによると、昭和天皇は明治43(1901)年4月29日のお生まれで、5月5日の命名式の早朝、青山東宮御所の御茶屋西後の丘に御胞衣が埋葬され、丘上に松三本が植えられたとあるそうだ。
そして、今上陛下は昭和35(1960)年2月23日にお生まれになった。『昭和天皇実録』第13巻、20ページによれば、翌24日、青山御所寒香亭側において、皇孫の御胞衣埋納の儀が行われたという。
皇族にずっと伝わる「胞衣埋納の儀」。しかし、いなかたさんも江戸すずめさんも、秋篠宮家の子供たちの胞衣だけ、なぜ南高尾の奥まった一角にひっそりと埋められたのかは謎だとしている。
◆悠仁さまのコウヤマキが倒れる
佳子さまのために立てられたものの、朽ちて倒れてしまった②の木標。何だかお気の毒だが、悠仁さまのほうにもちょっとした異変が起きていた。
茨城県つくば市では7月1日、1時間に100ミリを超える局地的な大雨が降り、悠仁さまのご訪問で「植物園キャッキャ」が話題になった、あの国立科学博物館/実験植物園もその被害にあった。
つくば市の「筑波実験植物園」には、およそ14ヘクタールの敷地に、種の保存などの研究のため7,000本の樹木が植えられていますが、1日の風雨で30本以上に被害が出ました。このうち、昭和58年の開園当初から植えられている高さおよそ15メートルの「モミ」が根こそぎ倒れたほか、日本固有の品種「コウヤマキ」も幹から折れ、園内の道路をふさいだということです。
遊川知久園長は「これだけ大きな被害を受けたのは開園以来初めてでとても驚いています」と話しておられる。
なお、悠仁さまがご誕生のとき、身の回りの品につける「お印」として選ばれたコウヤマキ(高野槇)。常緑針葉樹で、名前の由来は和歌山県北東部の標高1,000m級の峰々を仰ぐ高野山という盆地から。悠仁さまにもコウヤマキのごとく、大きくまっすぐ育っていただきたいとの願いが込められたそうだ。
◆昭和天皇はお怒りなのでは…?
この件、「秋篠宮家のお子様たちだけなぜ…?」ということのほかに、筆者はどうしても「悠仁さまのご誕生が皇室にとって極めて特別な意味を持つ出来事なら、なぜそんな山奥にこそこそと…?」と考えてしまう。
しかも立てられたのは、すぐに朽ちそうな木標。たとえ男子といえども、傍系の子はあくまでも傍系の子に過ぎないということを示しているかのようだ。
昭和天皇は信頼できる側近に「浩宮の次は、浩宮の子」との思いを伝えておられたと聞くが、それはおそらく本当のことだったのだろう。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『ガールズちゃんねる』みんなで誕生木の木言葉について語ってみたい
・『アウトドアの扉』南高尾の謎の碑 2017 6/10
・『アウトドアの扉』【登山】南高尾の謎の碑に会いに行ってきました 2020 9/06
・『アウトドアの扉』【登山】南高尾の謎の碑は終わっていなかった(謎の碑編)2022 12/02
・『Ameba』江戸すずめ的、和ゴコロのある暮らし ヒミツの胞衣塚
・『Wikipedia』胞衣塚
・【YOUR VOICE】秋篠宮家専用事務/倉庫棟・工期終了3日前の「地中埋設物の撤去」 そして分室の工事と清水建設と…
・『茨城NEWS WEB』茨城 つくば 猛烈な雨が降った植物園で30本以上の倒木被害
・『エトセトラ・ジャパン』「植物園キャッキャ」写真に底なしの捏造疑惑 異様な頭と足の向き、得体の知れない脚まで
大変興味深い記事でした。ありがとうございます。
秋篠宮家が偽物だから正当な他の方々とは別の場所にある説、秋篠宮家の人間が何らかのスピリチュアル的な効果を期待してあえて高尾山に作った説、どちらもありえそうだと感じました。
前者は他に祀られているのが皇籍を離れられた旧宮家のものであること、後者は悠仁様誕生のためにわざわざ沖縄の女人禁制の御嶽に参った件もあり実際スピリチュアルかぶれの気があるからです。どちらにしても真っ当でなく不気味ですね…。