《8月9日》皆さまからコメントが寄せられました!
いつもブログを応援していただきまして、ありがとうございます。
昨日《8月9日》、以下の記事、【YOUR VOICE】、【皆さまからのコメント】に対し、多くのコメントを頂戴しました。「~さま」とリプの形になっております場合は、その旨も添えますので、どうかご確認くださいますようお願いいたします。
■【YOUR VOICE】和歌山県にある川島家のお寺 ご成婚で 建て直されたお墓に別の檀家さんは… (2件)
■《8月6日》皆さまからコメントが寄せられました! (3件)
■《8月8日》皆さまからコメントが寄せられました! (4件)
■【YOUR VOICE】紀子さまお父上の葬儀は本当に仏式?「墓参」「一周忌」「三回忌」などの話サッパリ聞こえず (7件)福島Sさんにリプ届いております
■【YOUR VOICE】沖縄「豆記者」交流で悠仁さまに酷いチック症状 男系男子ごり押しの無理が来ているのでは?
■【YOUR VOICE】タイの代理出産事情 悠仁sにもそういった噂があるため調べてみました
■キーワードは「イヤホンチート」 悠仁さま成年式ではモミアゲ付近にご注目を (11件)
■【YOUR VOICE】紀子さまと悠仁sのよそよそしい関係 産まれてからずっと手元で大切に育ててきたのだろうか (5件)福島Sさんにリプ届いております
■成年式は「ツクフ最後の登校シーン」の悠仁さまで?と思いきや鼻先が違い過ぎた! また新たなおひとりが登場か (3件)
皆様からのコメントを、いつも楽しみにお待ちしております。
なお、本文に登場するお名前には必ず「さん」「君」「さま」などを付けていただき、病気、障がいなどは決めつけないよう、また過激な表現はお控えくださいますよう、ご協力をよろしくお願いいたします。
また、できるだけ多くの方にお読みいただきたい情報、ちょっと気になるコメントなどは、今まで以上に積極的に【YOUR VOICE】でもご紹介してまいりたいと思っております。その場合、これまで以上に公開までお待たせしてしまうことがございますが、ご理解のほど、何卒よろしくお願いいたします。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
>三笠宮家の百合子さまが亡くなられてお葬式をされた時、喪主である彬子さまだけが立派な椅子、、<
↑
皇室の葬儀の話が出たついでに、、
もう少し簡素化できないのかな?
>なぜ国費3億2500万円あまりの皇族の葬送儀礼は簡略化されないのか…宗教学者「カギを握るのはこの人物」
PRESIDENT Online 2025/2/15
島田 裕巳 宗教学者、作家
上記文言で検索を、、
>「家族葬」や「直葬」といった葬儀の簡略化が一般に進んでいる。なぜ、皇族の葬儀の一連の儀式はその方向に向かわないのか。皇室の歴史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「代々の天皇や皇族を追悼する行事がいかに多いことか。現代においても巨費を費やし、これだけの葬送儀礼をくり返すことは必要なのか」という――。
>国費でまかなわれる百合子妃の葬儀費用
ここまで詳しく見てきたのは、代々の天皇や皇族を追悼するための行事がいかに多いかを確認するためである。
果たして皇族以外に、これだけ頻繁にそうした儀礼に参列している人間はいるものなのだろうか。儀式はこれだけではない。国事行為として規定された行事や皇室祭祀などがある。
百合子妃の葬儀費用は3億2500万円あまりで、すべて国費でまかなわれている。これだけ、頻繁な儀式があれば、ただでさえ多忙である天皇皇后や各皇族への負担も大きい。84歳になった常陸宮華子妃などは疲労のため斂葬後一日墓所祭の儀の参列は取りやめている。
宮内庁の黒田武一郎次長は、一連の儀式の簡略化について「何かもし、いろいろと課題が生じることがありましたら、それはそれで検討すべきことはあるかもしれませんけど、現時点では決められた日程で対応していきたい」と、それを否定した(TBSニュース、2024年11月27日)。
(詳しくは本文で)
上皇夫妻が訪れたパラオのペリリュー島での戦いの凄さ!
8月です。本題からはかけ離れますがどうぞ
↓
>戦死者1万人…死闘を指揮した「南洋のサムライ」
2019/08/04 読売新聞オンライン
上記文言で検査を、、
>2015年には、戦後70年の節目に天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)もこの島を慰霊のために訪問されている。この島では太平洋戦争の中でもまれにみる激戦が繰り広げられた。
攻防戦は昭和19年(1944年)9月15日から74日間にわたって続き、日本軍の戦死者は1万22人、負傷者は446人にのぼり、最後に残ったのはわずか34人だった。
一方の米軍の死者は1684人と硫黄島の戦死者より少ないが、負傷者7160人を加えた死傷者数は8844人に及ぶ。資料によっては1万人を超え、死傷率は米軍にとっても「史上最悪の戦い」だったとされる。
(詳しくは本文で)