礼宮の「お箸初めの儀」はあろうことか赤口の日に 人形連れ葉山ご静養がもたらした、とんでもない誤算

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昭和41年(1966年)3月に葉山にご静養に出かけられた皇太子ご夫妻。夫婦が列車の窓から微笑みとともに披露した奇妙な「赤ん坊」について、筆者は100%人形、かつその後に女性週刊誌に掲載させた写真も合成だと考えているが、次なる疑問は「なぜ子供たちを置いて行ったか」であった。

何しろナルちゃんは6歳で1番ママに甘えたいお年頃。そしてアーヤはまだ生後4ヶ月。もしもナルちゃん同様に母乳育児がなされていたのなら、連れて行かなければバストが張って痛くなるではないか。

あれこれ考えていたとき、神奈川県在住のHさんから大変興味深い情報が寄せられた。



Hさんからのメールには「朝日新聞DIGITALに掲載されている、この写真のキャプションが気になります。 “礼宮人形” を連れて行った事情と何か関係あるかもしれません」とあった。

さっそく案内されたURLを元に『【写真まとめ】秋篠宮さま57歳に 長女眞子さんが昨年結婚』を拝見すると、キャプションにはこうあった。

1966年3月、生後122日目で、「お箸初めの儀」を迎える、笑顔の礼宮さま=東京・元赤坂の東宮御所

 

生後122日目にお箸初めの儀が行われたとある(画像は『朝日新聞DIGITAL』のスクリーンショット)
生後122日目にお箸初めの儀が行われたとある(画像は『朝日新聞DIGITAL』のスクリーンショット)

 

お箸初めの日については、当時の週刊誌情報なのか、3月30日や4月6日に行われたと書いてある個人ブログなどが見つかったそうだ。インターネットが普及していないとはいえ、宮内庁はすべての報道機関に向け、正しい情報を公開していなかったのだろうか。

 

◆その日はまさかの赤口だった

Hさんは、便利.com の『1966年(昭和41年)午年[うま年]カレンダー』で、その日が六曜(大安、先勝、友引ほか)の何の日なのかを確認された。

そして、メールには「生後122日目は誕生日+ 121日後で、1965/11/30 + 121days = 1966/3/31 になります。その日は六曜でいう『赤口』でした。その前日が大安なのに、わざわざ赤口の日を『お箸初め』に選んだことが不自然です」と書かれていた。

 

1966年3月の六曜に注目したHさん(画像は『便利.com』のスクリーンショット)
1966年3月の六曜に注目したHさん(画像は『便利.com』のスクリーンショット)

 

一方、敬宮さまや悠仁さまの「お箸初め」は、朝日新聞の『宮さま「お箸初」 体重6735グラムに』および料亭離宮 和久庵の『皇室行事に由来するお食い初めの歴史』という2つの記事により、共に大安の日に行われたことが確認できたようだ。

■敬宮さま 2002年3月29日 (119日目)大安

■悠仁さま 2007年1月13日(130日目)大安

 

六曜のうち、赤という色が火や血を連想させ、全てが消滅する「大凶の日」などと説明される赤口。仏滅より縁起が悪いと考えられている赤口の3月31日に、皇室(宮内庁)がお祝い事を設定するというのは、どう考えてもおかしい。

 

◆葉山ご静養のスケジュール

そこでHさんは、ご夫妻が葉山ご静養からいつお戻りになられたのかを確認してみたが、1966年3月26日からご出発とある以外、情報は得られなかったという。

「お箸初めの儀と葉山ご静養の日程がかぶり、ゆっくり滞在したい美智子さまの希望を優先させることで、宮内庁は調整に苦労したのではないでしょうか」とHさん。Hさんの推理に筆者のそれも加えさせていただくと、こんな感じになる。

 

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3月29日は仏滅であるため、この日に葉山から帰京するのは避け、ご夫妻は翌日お戻りになった。しかし宮内庁としては、大安であるその3月30日にこそ「お箸初め」をしたかった。

人形であろうと、表向きご夫妻は「礼宮」を葉山に連れていったことになっており、宮内庁としてはご夫妻の帰京後、31日に上の写真を撮影して「生後122日目にお箸初めの儀を行いました」と報道機関に情報を渡すしかなかった。

もちろん宮内庁としては、赤口にそのようなお祝いの儀式を行うことをよしとするわけがない。ご夫妻のお戻りを待つことなく、こっそりと宮廷側で礼宮の「お箸初め」を30日の大安に実施しておいたのではないだろうか。

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◆まとめ

見て見て! とご自分の美しさやファッションばかりをアピールし、子育てに身が入らないご様子の美智子さま。

普通の感性を持ったママなら、わが子の成長を祝う節目の儀式をとても大切に考えるものだが、美智子さまは「夫と二人だけの旅行」のほうが楽しみだったのだろうか。しかも、国民の目をおかしな「文仁人形」で欺きながら、である。

しかし、いくつかの動画を見る限り、美智子さまはナルちゃんが愛おしいご様子で、とにかく優しい眼差しを向けておられたことがわかる。

女優かファッションモデルになったかのような過剰な自意識さえうまく抑えられていたら、美智子さまはお子様をお一人も産んでおられないのでは? といった疑惑の声がくすぶることもなかったように思う。この文仁人形の件は、本当に残念でならない話題のひとつである。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『朝日新聞DIGITAL』【写真まとめ】秋篠宮さま57歳に 長女眞子さんが昨年結婚

『便利.com』1966年(昭和41年)午年[うま年]カレンダー

『朝日新聞』宮さま「お箸初」 体重6735グラムに

『料亭離宮 和久庵』皇室行事に由来するお食い初めの歴史

『エトセトラ・ジャパン』不自然な「文仁人形」もしや兄ナルちゃんの横顔写真を合成か 平らな額の理由は一筋垂れる前髪のせい?

『エトセトラ・ジャパン』美智子さま母性欠落の証拠映像 ナルちゃんの足の指を、あわやピンヒールが潰していたかも…

3件のコメント

  • 「礼宮人形」を使うようになったのは、あきらかに生年月日を鯖読んでいるとバレそうだったから、まだ赤ちゃんでいるべきはずの時期なので、こんな小細工をしたんでしょう。

    ○の家に男児が産まれたことを確認してから出産演技に入り、それも夫にメダカを這わせるような作為誘惑をしかけた後だったので、もし血液型に不具合さえなければ、DNA鑑定のない時代には、夫との浮気の子だろうといわれても仕方がなかった状況だったはずで、なにしろこの時期にはとっくにベビー期ではなくなっていたので、こうするしかなかったというわけですね。

    また相手も貴重なお胤を頂けたことに偽装しておいたほうが御家安泰、メリットだらけですものね。その点、平民同士の不倫関係とは全然違ったのです。

    何より生後4ヶ月の子どもを連れて旅行するのは当時はタブーでもありました。例えばオムツ交換のできるようなトイレは駅にはなく、ベビーカーもまだ乳母車と呼んでいて、折りたたみできるものではなかったので、階段ばかりの乗り換えは苦痛でした。そういう社会だったから、わざわざ葉山に行くことも、よほどの静養や転地療法目的でないなら、本来は憚られたはずです。なのに、礼宮人形を抱っこしてでも出かけたのは、背景事情が違っていたからです。

    ①自分が産んだ子でないから体力的には何の出産による疲労もなく、むしろ出産演技のためにお出かけ禁止されていたため、巣ごもりストレスが溜まっていた

    ②○である「実母」にしばらく宮中にきてもらい、育児をやらせればよかったので、逆に旅に出やすかった

    ③もうとっくに授乳が必要な時期でもなくなっていたから実母も預かり育児するのは楽

    ④出産演技してまで夫浮気の子を引き取った建前(実際は浮気の子ではなかったが)への論功行賞が欲しかった

    といったところでしょうか。

    (誠に勝手ながら文章を若干編集させていただきました。ご了承下さいませ。by朝比奈)

  • これって本当にお箸初めの写真でしょうか。
    自分の写真は、ちゃんと座敷に置かれたお膳の前で、母親に抱かれて箸が口元に運ばれているもので、宮内庁がやるのだから、単なる赤ちゃんの写真しかないこと自体、変じゃないですか。
    安西文仁として産まれて、安西家でお箸初めもやっていたから、美智子さまが直接文仁の口元へ箸を運ぶ写真がないのだろうと思います。

  • アーヤは安西家で遙か以前に出生しており、男児と確認されてから見て子さんは妊娠出産演技に入ったという話があるようです。

    その前提に従えば、生後暫くの時期に、その顔がはっきりわかる公表写真は全て安西家で予め撮影されていたものか、修正や合成写真であり、嘘偽りの誕生日に基づく宮中の行事ごとなどは、かなり成長し、年齢誤魔化しがわからなくなるまでは一切出来なかったとみるべきではないでしょうか?

    だからこそ、公式誕生日から数えた生後122日目が大安だろうが、赤口だろうが、当時の宮内庁では誰も関心を持たなかったのです。そのことに後から気づいた追従者が、赤口に当たらないよう、そっと誤魔化して記述したんでしょう。

    こんなわけで、おっきすぎるあーやのベビー写真など、定時に撮影し公表できたはずがありません。昔から養子養女の場合、貰い子話が確定するまでには時間がかかることから、実際の誕生日と戸籍上の出生日がかなり違うことは珍しい話ではなく、まして典範で養子禁止の皇室では、皇族費詐欺に該当する違法行為に問われること覚悟で闇養子するしかないので、ここで公式誕生日から計算しての122日目が何の日かを詮索すること自体、ナンセンスと思われます。

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