【皇室、徒然なるままに】第79話:Madam Vanity(虚飾の女)の異名を持つ紀子ちゃんに学歴ロンダリングへの誘い 西村 泰一

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悠仁君の「東大推薦入試割り込み阻止」の為の署名活動まで始まったようです。

眞子さんと小室圭さんへの結婚反対を思い出しますが、結婚はあくまで眞子さんのプライベートな事柄で、それ自体がなにか他の方の迷惑になるという話でもないので、二人がそれでいいというなら、それ以上他人がとやかく言うべき事項でもないでしょう。

しかし悠仁君の不当な「割り込み」の件は、筑附に東大から割り当てられた4名の枠から、然るべき1名の方を理不尽に弾き飛ばすことを意味します。大学入試という、最も公正に行われることが期待されている事項で、皇族がそれを公然と蹂躙することを意味するのです。

そんなことをして、ただで済むわけがない ― それぐらいのことは、頭の悪い紀子ちゃんも、バカ殿様を地で行く悠仁君も理解しなくてはいけません。

ここでは、そんな無理無体を演じなくても、今の時代は学歴ロンダリングで大学院から東大に行けばよい、決して難しくないですよという話をします。東大の大学院でおきた大きな変化については、必ずしもよく知られているとは言えないと思われるので、紀子ちゃんだけではなく、多くの人に知っておいてもらいたいと思います。



§1 昔、大学院は⋯

私が大学に入学したのは1972年、大学院に入学したのは1976年なので、その頃に大学院はどういうところだったかをお話します。ただし京都大学、そして専攻した数学近辺の話となります。この私の話にどれだけ普遍性があるのか、それは知りませんが。

私が高校生の頃、大学院があるということさえ知りませんでした。高校生用の問題集なんかを見ると、この問題は東京大学の何年の入試問題として出題された問題とか書いてあるので、「大学というものがあって、高校を卒業したらそこへ行くことになる」というぐらいの認識でした。

私は京都市に住んでいて、東京ほどではないにせよ周りに沢山大学があって、大学の先生なんかも割と近くに住んでいました。また京都大学なんかは自宅から徒歩でいける距離にあり、その近くの吉田山なんかは幼い頃に「忍者の修行」をした場所なので、京都大学には幼い頃から妙な親近感を抱いていたのです。

私が大学生の頃は、数学で大学院へ行くということは、数学者(大学の数学の先生)になるということを意味しました。これは学生にとってだけでなく、学生を採る先生達にとっても同じでした。つまり大学院でその学生を受け入れるということは、自分たちのお仲間を迎え入れるということを意味したわけです。噺家の人が弟子をとるようなものです。

数学の研究の世界というのは、所謂学校秀才が来るべき世界ではありません。野球でも、大谷選手に憧れるのは自由ですが、誰でも努力すれば大谷選手のようになれるわけではありません。数学の研究に適性のある人はごく僅かです。適性のない人が誤ってこの世界に踏み入ってしまうと、大切な人生を棒に振ることになってしまいます。

大学の入学試験では、少なくとも定員数だけは採ろうとします。もちろん、志願者数が定員に達しないような大学もありますが、それはまた別の話です。でも大学院はそうではありませんでした。

例えば京都大学大学院の数学専攻の定員が仮に20名としましょう。しかし当時は「今年は1名しかとりませんでした」、なぜなら「ものになる学生が1名しかいなかったから」なんてことをしていました。その頃主任教授だったN先生は「ものに“なりそう”な学生は採るな、ものに“なる”学生を採れ」と、とんでもない激を飛ばしておられました。

入学試験は4年生の夏に2日かけて行われ、1日目は筆記試験、2日目は面接試験です。筆記試験はとても難しい問題が10問くらい出され、そのうちの4問くらいを選んで解答するという形だったと思います。時間は4時間ぐらいあり、外にお茶がおいてあって、ご自由にどうぞという感じでした。

本とかの持ち込みは自由でした。逆に言うと、どれかの本を見ればすぐ解けるような問題なんか、一問もないということです。「どうせ貴方には解けないでしょうけど、まあやるだけやってみなさい」といった調子です。私は選んだ4問を全問パーフェクトに解答したと思います。なぜそう言えるかというと、通常2日目の面接試験で、解けなかった筆記試験の問題について「あれから考えて解けましたか」といった調子で色々と追求されるからです。

私の場合は、2日目の面接試験の教室に入っていくと、試験官の先生たちは皆ニコニコされていて、前日の筆記試験の話は全く無く、中央に陣取っておられた伊藤先生が「非可測集合は存在するか」と聞かれました。超越的な方法で解答したところ、「構成的にお願いします」と仰るので、少し考えようとしたら「ああ、考えるのなら、もういいです」と仰られ、教室から追い出されてしまったのです。

「なんだ、こりゃ」と思いましたが、おとなしく控室に戻りました。ここで伊藤先生といったのは、伊藤清先生で、1990年代以降「米国のウォールストリートで最も有名な日本人」とまで言われた方です。

なぜそう称えられていたかというと、「伊藤の定理」は、将来における金融商品の計算価格を算出する計算式の定立に道を開き、数学に留まらず1990年代に発達した金融工学理論の進歩に多大な貢献をしたからです。ウォールストリートで最も有名な日本人は、ホリエモンではありません。伊藤先生ですので、注意してくださいね。

なお面接試験では、とてもできる学生と全く見るべきものがない学生にはあまり時間を割かない。ボーダー上の学生を慎重に見極めるために、多大な時間を割くのです。面接試験で私の直前の学生は「とても長時間絞られた」と言っていて、面接から戻った折は、まるでお通夜の帰りのような有り様でした。

大学院への入学でこれだけ絞りをかけていたので、数学者志望の院生の需要と供給は丁度いいバランスを保っており、京大の数学の大学院に入ってしまえば、大学の数学の先生になれる「だろうか」などという下司な心配は全くありませんでした。例えば私の場合、修士を終わる少し前に東大のT先生が会いに来られて、「うちへ来てもらえませんか」という話でしたが、もう少し院生生活を楽しみたかったので、丁重にお断りしました。

私は大学へは自宅から徒歩ないし自転車での通学で、奨学金も月5万円くらいもらっており(当時、もらった奨学金は10年くらい大学の先生をすれば、チャラになりました)、授業料も今みたいに50万円を超えるというベラボウな額ではなく、1万円とか2万円とかそんな額だったと思います。

私はそのまま博士課程に進学し、それから2年足らずで京都大学数理解析研究所の助手になっています。こういう話は何も私に限った話ではなく、だいたい皆修士を終わったところでどこかの大学に就職し、博士号はそれから何年かかけて論文博士で取るというのが一般的なパターンでした。私も博士号はあと少しで30歳になる、という1983年7月に取っています。

学士号と違って、博士号は学長が式典で直接手渡すという話で、いただいた案内状に「礼服着用に及ばず」と書いてあったので、「ああ、なんだカジュアルでいいのか」と早合点した私は、当日はTシャツに短パンで素足にサンダルを引っ掛けてという出で立ちで行ったのです。ところが学長は燕尾服を着ておられるし、まわりの人達もみな背広姿で、私の周りに見えない結界ができてしまって、その結界内に入って来られたのは、学長さんだけでした。反省、そして反省。



§2 今、大学院は⋯

先程も書いたように、数学について言うと大学院は数学者になりたい人が行くところで、学生も疎らで大学の付録みたいなものでした。それが、1990年代以降に東京大学が先陣をきった「大学院重点化」で、大きく様変わりします。

2008年までに全学の大学院重点化(講座化・部局化等の意味を含む)を終えた国立大学は旧帝国大学(東大、京大、九大、阪大、名大、北大、東北大)と、東京医科歯科大学、東京工業大学、一橋大学、神戸大学、筑波大学、新潟大学、金沢大学、岡山大学、広島大学の16大学です。

まず、先生の所属が変わります。これまでは「京都大学理学部のN先生」と紹介されていたのが、「京都大学大学院理学研究科のN先生」に変わります。大学は大学院が主で、学部はそれに付随する組織となるわけです。それで大学の内外で、「大学院の充足率」ということが盛んに言われるようになってきます。数学の大学院の定員が20名のところに学生が5名しかいなかったら、充足率25%となるわけです。

一般的に言って、大学の教員数は学生数に応じて決まる形になっています。充足率が25%の状態が長く続くということは、要するに定員は5名でいいんでしょうという話になります。そうすると数学の教員数も今の25%でいいんでしょうという話になります。それで数学の余った定員数を、そして教員数を、たとえば「医学に回せや」といった類の話になるんです。かなりきな臭い話をしていますが、的を突いた話をしているつもりです。わかりやすくするために、かなり話の単純化を行っていることは十分承知しています。

今は、親も子も「どうか大学までは…」というのが、社会的なコンセンサスかもしれません。でも「せめて大学院までは…」などという社会的コンセンサスは全くありません。まして数学は哲学と同じく虚学で、医学や工学といった実学と違って、一体なんの役にたつのかよくわからんというのが、正直なところでしょうから、一般企業に大学院生が就職しようとしても、大変な話になってきます。

一般的に言って、日本の企業は新規採用ということでは20代前半の若い人材を好みます。い人材を新入社員として採用して、社内教育で一人前に育てあげます。実際、私はとある理由で面倒を看ていた数学の院生に「大卒、修士卒、博士卒と上に行くほど、一般企業への就職は悪くなってきます」と言われたことがあります。そんなものだと思います。

上記のような変化を受けて、大学の先生達は院生の獲得に血眼になることになります。まず入学試験がすごく簡単になりました。私の周りで先生がすごく出来の悪い学生に「君は見所がある、大学院で勉強を続けないか」なんて勧誘している光景に出くわしたのは、1度や2度ではありません。院生になると自分用の椅子と机がもらえますが、院生室も大幅に増やさなくてはなりませんでした。

 

§3  博士という名のニート

一般企業への就職ということで言うと、博士号取得者は、学部卒や修士課程修了者に比べて就職が大変厳しい傾向にあります。

理由は、博士号の取得が一般的に最短でも5年かかることにあります。 大学院に進んだ人が博士課程を修了する頃、大卒後すぐに就職した同級生はすでに6年ほど社会人経験を積んでいるので、責任の重い仕事を任されている可能性が高いと思われます。

まして二浪くらいして大学院へ進学した場合、就職をしようとしても既に30歳になっています。これは企業としても新卒として採用していい年齢かどうか躊躇うところだと思います。

それでは大学の先生になればいいのかというと、これも競争が熾烈です。私が大学院に入った頃は大学院への入学の時点で厳しく選別し、少数の本当に数学者になる素質のある人しか東大や京大の院には進めなかったので、大学院の入学試験に合格したという時点で、大学の先生という職は保証されていました。

しかし今は大学院へは玉石混交で多くの院生をとるので、博士号をとっても、まだ大学の先生にはなれません。その後、学振(日本学術振興会)の特別研究員というのを何年かやり、それからどこかの公募に応募して採用されれば、晴れて助手(今は助教というのかな)という運びで、既に30歳を超えていたりします。「今度新しく助教の先生が来る」というので、どんな人だろうと楽しみにしていると、エライおじさんが来てビックリしたことが何度もあります。
こちらも参照なさってください。米国の話も取り上げています。

∙ https://linux.srad.jp/story/08/07/28/040222/

∙ https://linux.srad.jp/story/10/10/28/0314226/

∙ https://srad.jp/story/12/01/31/0047242/

∙ https://askslashdot.srad.jp/story/05/05/22/1246239/


§4  学歴Laundering

世の中には「法の盲点を突く」ような生き方を好む方もおられるようで、野球解説者・江川卓氏の「江川事件」なんかがそれにあたる。

東大や京大というと、大学入試の最難関校というイメージが強烈だと思うが、大学院というと、分野にもよるが、上に述べたような理由で入学がとても容易になっている。その状況を利用して学歴ロンダリングを行う者も相当数いる。

ひとに「学校はどちらでしたか?」と聞かれた場合、大体尋ねられているのは最終の学校で、「東大で修士号あるいは博士号をとりました」とでも言えば、上記のような事情に通じていない方には「わあ、頭のいい人!」となるわけである。学歴ロンダリングについては、こちらをご覧ください。

∙ https://jp.indeed.com/career-advice/career-development/what-is-educational-background-laundering

∙ https://www.youtube.com/watch?v=OEOQwlpFbOkhttps://www.youtube.com/watch?v=OEOQwlpFbOk

 

§5 Concluding Music

それでは次の音楽を聴いてRelaxしてください。

(理学博士:西村泰一)

 

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。



【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『YouTube』전유진(チョンユジン)X후쿠다 미라이(福田未来) – 연인이여(恋人よ)|한일가왕전 4회 MBN MUSIC

『Wikipedia』江川事件

『Wikipedia』大学院重点化

『Wikipedia』伊藤清

1件のコメント

  • 西村泰一さん、良い提案ですね。内実が分かって納得です。社会の発展に貢献する建て前ですが、本音は何方も同じく裕福になりたい想いですよね。
    残念ながら、側室川嶋紀子シは日本語に疎く、勉学は苦手中の苦手らしいです。国民や皇室を侮っているし、貴重な提案は理解不能と思います。ヒサ君の遣る瀬無い成人、裏金問題さえ解決できない自由民主党の総裁選挙、日限が迫っているので怒りの声を大きくしてボンクラ政治屋の耳と目を監視しましょう。壊れる日本を黙って見ていると、将来日本人が無国籍になってしまいます。

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