愚鈍な先輩のため学位論文のゴーストライターになった生命科学科の院生 不毛さと悔しさを綴ったブログが話題に

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気分は決して良いものではないという(画像は『うちの研究室はここがおかしい!? 理系大学院生の心の声』のスクリーンショット)
研究者として苦しい経験を強いられたブログ主さん(画像は『うちの研究室はここがおかしい!? 理系大学院生の心の声』のスクリーンショット)

 

最近X(Twitter)で相互フォローとなった方が、あるブログ記事が話題になっていることを教えてくださった。記事はブログ主さんが大学院博士課程の2年だった2018年2月のもので、1年のとき、ゴーストライターとして赤の他人の学位論文を執筆させられた経験があるという。



話題のブログは「うちの研究室はここがおかしい!? 理系大学院生の心の声」というタイトルで、注目を集めている記事は『学位論文のゴーストライターをやらされた話』。ある大学院で生命科学系の研究室に在籍するなか、先輩の学位論文を書くよう教授に強いられたそうだ。

 

◆記事の内容を抜粋すると……

『学位論文のゴーストライターをやらされた話』(2018/02/11 Sun)に綴られた内容を抜粋するとーー。

これは、私が大学院1年目の時の話です。当時、うちの研究室に所属していた大学院生Mさんの学位論文を、私が代わりに書きました(ゴーストライター)。

 

初めは、私自身、それがゴーストライティングであるとの自覚はありませんでした。しかし、徐々に、それが教授が意図してゴーストライティングを強要しているのだと気付きました。

 

事の経緯は以下の通りです。

 

まず、私は教授から研究データ一式を渡され、それで論文を書くように言われました。

 

研究室を取り巻く状況や、研究のしきたりもよくわかっていない大学院1年目、私はよくわからないまま、言われた通りにデータをまとめ、Figureを作り、論文を書きました。書いたものを教授に渡すと、添削されて返ってきて、それを受けて修正。それを繰り返しました。

 

まさに論文執筆者と指導者の関係。それ自体は何も問題ありません。
私は最初の頃、教室が持っているデータで、私に論文を書かせてくれ、私の経験と実績作りを助けてくれているのかと思っていました。つまり、研究者志望の私に対する教授の親心みたいなものかと思っていたのです。

 

やがて教授は、論文の話になるとある言葉を使うようになった。そこでブログ主さんは事の異常さに気が付いたという。

 

途中で、だんだんと状況がわかってきます。教授が、この論文のことを、「(大学院生の)Mの論文」と呼ぶようになります。「Mの学位論文は今工藤君が書いてくれてるから」という発言が飛び出します。

 

つまり、私が書くように言われた論文を、一文字一句書いていない大学院生のMさんをfirst authorにして、これを彼の学位論文にする、ということです。どうやら私が最初に渡されたデータ一式は、以前、Mさん、助教の先生、教授、がそれぞれ実験で取ったデータの寄せ集めだったようです。

 

自分が書いた論文の筆頭著者になれないなんて、馬鹿げた話ですし、嫌だったのですが、教授はしきりに「このMの論文が出ないと、君の論文は出せないから」と言いました。Mさんの論文のテーマは、いわば私の研究テーマの先行研究のようなもので、教授としてはMさんの論文がpublishされなければ、私の研究も論文化できない、ということでした。

 

ブログ主さんは教授に命令されるまま論文執筆を続けた。バカバカしいと放棄できなかったのには理由があった。

 

Mさん自身は論文を書かない(書く能力もなければ書く気もない)。Mさんは論文を書かないが、彼を退学にしてしまうと教室の(指導者としての教授の)実績に傷がつく。

 

なので教授は私にゴーストライティングをさせ、Mさんの学位論文を作る。私自身は、ゴーストライティングをしてMさんの論文を作らないと、自分の研究を論文化できない(自分の学位論文を書けない)ので、ゴーストライティングするしかない。

 

という状況。

 

教授としては、「3年間のうちに自分の研究を論文化して学位を取りたいなら、まずはMさんの論文をゴーストライティングしろ」ということです。

 

結果、書き上げました。土日に研究室に行き、他人の論文を必死に書いている時は、「いったいなぜ俺はこんなことをやっているんだ、、、」と絶望的な気持ちになりました。が、一応書き上げました。

 

愚鈍なMさんは、研究者としての誠実さに欠けるばかりか、非常に図々しい性格であるようだ。

 

最初に投稿したジャーナルではreject。次に投稿したジャーナルでreviseを経て、なんとかacceptされました。Mさんがfirst author 、私がsecond、教授がcorresponding author です。

 

Mさんは学位審査にて、その論文をあたかも自分が書いたかのようにプレゼンし、学位を取得しました。彼は、一文字も科学論文を書いたことがないまま、「博士」となったのです。

 

目論見通りになった教授は喜び、私は自分がやった仕事が他人の実績になることに対するやるせなさと、研究倫理に反した罪悪感に駆られ、もう絶対にゴーストライティングはやらない!と心に決めました。

 

研究の世界では不正、ズルは本当に嫌われる行為。それの片棒を担がされたとあって、いくら教授にほめられようとMさんが喜ぼうと、ブログ主さんはまったく気分が晴れなかったようだ。

 

最近、以下のような記事を見つけて、自分が研究者としてやってはいけないことをやったんだなと、改めて感じました。

 

研究の世界のゴーストライターについて(https://lne.st/2014/02/10/ghost/)

 

これからは、
やらない!
させない!
論文ゴーストライター!

 

という気持ちでやっていきます。
みなさんも、ゴーストライティングを強要する指導者(教授)にはお気をつけを!



 

◆お荷物サンがいると周囲がつらい

誰もが真剣に勉強・研究をしている場に、やる気も能力も低い「お荷物さん」がいたら、確かに周囲のテンションやモチベーションは下がっていく。

そういえば、超進学校・筑波大附属高校に通う秋篠宮家の長男・悠仁さまについて、X(Twitter)で擁護する「同級生」さんは、悠仁さまが向学心に満ち溢れているかのように「授業中もたびたび質問する」などと書いておられたが、そういうのは正直どうなのかと感じた。

進学校で先生方は、高い密度の内容を早いペースで教えていく。ノートをどんどん取り、わからないことは授業が終わってから聞きに行くのがルールであろう。頻繁に質問して説明をさえぎるのは、先生や周囲の迷惑になるのではないだろうか。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

参考:『うちの研究室はここがおかしい!? 理系大学院生の心の声』学位論文のゴーストライターをやらされた話


7件のコメント

  • 30年前k大学のM教授が院生の論文を、
    自分の論文として発表したという噂がありました。
    よくある話しなのかも。

    芸術作品も、社会学科学的論文も、パクリ以外は全く同じものがあるはずはないので、一定以上のものの優劣を競うのは微妙で、縁故や人間関係が受賞や研究者就職、人事に関わることもあります。だからセクハラやパワハラやえこひいきなどが起こりやすいのかなと思います。

  • 理系論文ではありませんが、女性ばかりの職場で働いていた時に、業務改善提案制度というものがありました。アイデアの内容によって、一時金が出る仕組みです。その前に、上長の審査があります。

    ある時、副主任の方から言われるがままに名前だけ出してほしいと言われたことがあります。アイデアを出していないのに…

    あの時、断っていたらなあと、このブログを読みながら思いました。

  • 研究や学びなどの神聖な世界を勘違いしたまま思い上がった腐った精神で汚し続けるこの夫婦。
    一般国民から見たら「あほか!」と感じられるようなことを平然と繰り返してきてしまった。
    もう取り返しはつかない。「どの面公務」などとユーチューバたちに揶揄されようが、立場を利用しお構いなしの忖度強要の日々。
    この一家には反感と嫌悪感だけが残った。
    学会に参加したこの夫婦の表情から灯台への切符を手にしたことがありありと伝わってくるように感じるのは自分だけであろうか。
    「ペットボトルを投げつけないでください!」
    日本の象徴である天皇のお成りに際して、このような警護からの呼びかけを聞かなければならない国民の思いはおきざりにされたままなのだ。

  • このような例があれば、それを放置するのは、日本の研究や論文のレベルが下がる、信頼性も下がる、科学技術のレベルや日本製品への信頼性にも関わることだと思います。

    本当にH君は質問する意欲があれば、質問の答えが理解できたら、まだ良いと思いますが…どうでしょうかね?

  • よくあるんですよ。近年、若い研究者の就職、特に研究職への就職が厳しいものになっています。研究室のトップの教授は、一人一人に推薦文を書いて、なんとか送り出さなければなりません。研究テーマも個人別というよりは研究室全体で取り組み成果を上げる形では、研究室の総力戦になり、こんなことが起こるんです。

  • 最後のご記述ですが、度々質問というところを想像してみました。筑附の生徒さんなら、教科書レベルの内容ならスラスラ理解でき、質問もあまりないと推察します。その中に、もしも、教科書すらきちんと理解できない子が居て、しかし、その子はプライドが高く、周りが理解できていることに納得がゆかず、かつ、何かしらの理由で平然と周りに気遣いなく、何でも言える立場にいる子ですと、分かるまで説明させたりするのかもですね。オッと、悠仁様は、「ご優秀と報道」されていましたので、そのようなことはありえないですね。妄想で失礼しました。。。

  • 何しろ両親が他のヒトのお膳立てで様々な栄光を掴んできたのですから、彼らにとっては普通のことで
    これの何が問題なのかが分かっていない一家なのだと思います。
    NYの姉夫婦からして
    並みの感覚ではありません。
    近頃強く感じるのは
    兵庫県知事とまるっきり同じ人種だと言う事。
    知事の行為を悪とするなら、この一家のしていることも悪。
    そこを追求して糾弾するべきです。
    私の父も公務員でしてとても厳しい人間でした。公務員が贈り物を受け取ってはいけない。
    決して受け取らずお返ししました。
    そういう当たり前の事が出来ないのが兵庫県知事。そして正しい事をするのが当たり前とされている皇族の一員、あの一家。偽物とはいえ、様を付けられて呼ばれている現状なのですから、襟を正して生きるべきでした。
    嘘や誤魔化し、ずる、不正など悪行を働いているヒトヒトがのうのうと生きていける日本であってほしくありません。

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