必見・アフガンで凶弾に倒れた日本人医師の映画『医師 中村哲の仕事・働くということ』 ノーベル平和賞にも値するのでは…?

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「戦車や武器では解決しない」と語っておられた生前の中村哲医師(画像はYouTubeのサムネイル)
「戦車や武器では解決しない」と語っておられた生前の中村哲医師(画像はYouTubeのサムネイル)

アフガニスタンで35年間にわたり医療活動や用水路建設など農業支援を続けてきたものの、2019年12月に武装勢力の凶弾に倒れた日本人医師・中村哲氏(享年73)。その生き様を追ったドキュメンタリー映画『医師 中村哲の仕事・働くということ』が昨年11月から各地で上映されているが、多くの人を悲しみの涙、そして深い感動で包んでいるもようだ。



 

■中村哲氏の略歴

中村哲氏は1973年に九州大学医学部を卒業し、脳神経科の医師に。約10年後、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からの派遣でパキスタンのペシャワールに赴任し、その後アフガニスタンに拠点を移した。登山と昆虫採集が趣味だったという。

中村氏は看護師だった妻・尚子さんとの間に2男3女の5人の子をなし、アフガニスタンから年に数回は福岡県に暮らす家族の元に帰っていたが、2002年に10歳だった次男を脳腫瘍で亡くしている。

脳神経科医でも助けることができず、わが子を亡くす親の深い悲しみを経験した中村氏はその時、ユーラシア大陸を襲った2000年の干ばつと空爆で子供たちが続々と亡くなるアフガニスタンの状況に思いをはせ、悲しむ親を一人でも減らしたいという気持ちを募らせたそうだ。

 

■アフガニスタンの人々のために

大干ばつで数百万が亡くなったことをきっかけに、中村氏はアフガニスタンに「PMS(ピースジャパンメディカルサービス)」を創設し、総院長に。さらに灌漑を学び、故郷・福岡市の山田堰(ぜき)を手本にし、クナール川の水を利用した堰と用水路の建設に着手した。

当時の様子を中村氏は『週刊文春』にこう説明している。

死んでいった犠牲者のほとんどは子供でした。水がないために作物が実らず、汚い水を飲むので赤痢や腸チフスにかかる。飢えと渇きは薬では治せません。

 

用水路が完成した流域には、緑が文字通りに戻ってきます。水路にはドジョウやフナが泳ぎ、鳥がやってくる。そして、あの稲作の様子や四季の移ろい……。それが日本の何でもない昔の農村風景に非常によく似ている。

 

彼らの社会は8割が農民ですから、田植えや稲刈りの季節になれば、それこそ村が総出で農事を手伝う。農業を中心とした共同体の中で、お年寄りが大切にされているのも、生まれ育った若松市や古賀町を思い出させます。

 

■「理論より実践だ」「一隅を照らす」

理論よりも実践が大事だ、と説くことが多かった中村氏の好きな言葉は「一隅を照らす」。今いる場所で最善を尽くせば、隣人や世界をよくすることにつながるという意味で、英語圏の人たちが大切にするペイ・フォワード(Pay it forward)の精神に共通するものがある。

数百人のアフガン人を率いて7年の歳月をかけ、砂漠化した農地に用水路を引くことで、なんと25km超の用水路が完成。草も生えない荒れた土地が緑を取り戻し、計1万6,500ヘクタールが農地として復活し、現在65万人がその用水路を利用して暮らしているという。

中村哲医師の志を引き継ぎ、現地スタッフはバルカシコート堰を完成させた(画像はYouTubeのサムネイル)
中村哲医師の志を引き継ぎ、現地スタッフはバルカシコート堰を完成させた(画像はYouTubeのサムネイル)

 

■自身をセロ弾きのゴーシュにたとえる

2021年10月には、中村氏が49歳から63歳までインタビューで出演したNHK『ラジオ深夜便』の、6回にわたる内容をまとめた単行本『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと』が出版された。どのサイトを見てもレビューは非常に高いようだ。

心に秘めた思いをポツリ、ポツリと言葉にする中村氏は「私たちの小さな試みが平和への捨て石となり、大きな希望につながることを祈る」と語り、自らを宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』の主人公にたとえてみせる。

ゴーシュはある楽団に所属し、大した評価もされないが、動物たちが喜んでくれるならと愚直な努力を続ける不器用なセロ弾きだ。筆者も実は、中村氏のお人柄がふと宮沢賢治に重なってみえることがあった。

宮沢賢治は童話作家としての肩書が有名だが、岩手県花巻市生まれで盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)では土壌学や地質学を学び、酸性の土壌を改良する肥料の研究に明け暮れ、干ばつや日照不足と闘う農民を助けるため、どこまでも歩いた。教師になり詩集や童話を出版するようになっても、貧しい農民と田畑を耕す人生を選び、最期まで肥料相談や稲作指導に奔走したという。

自ら重機を操り、スコップを持ち、堰、用水路を建設して水源を確保し、井戸の掘り方を指南し、しかし完成後の人々の暮らしや医療、健康まで案じていた中村氏も、当時の宮沢賢治と同じ立場だ。大きなプロジェクトがひとつ完成しても、また何か課題を見つけ、結局いつまでもアフガニスタンを去ることができなかったのだろう。

進捗状況をその時々に会報で伝えた中村哲医師(画像は『ペシャワール会』のスクリーンショット)
進捗状況をその時々に会報で伝えた中村哲医師(画像は『ペシャワール会』のスクリーンショット)

インタビューのなかで、中村氏は「現地の人の生き方を見ていると、豊かなはずの日本と比べてもどちらが本当に豊かなのかわからなくなる。自分が取り組める課題があることは、幸せなことではないか。苦労のし甲斐がある。私は実は幸せです。」と語っている。

 

■自衛隊の海外派遣に反対

偉大な医師であり、また巨大な用水路を建設した開拓者でもあり、アフガニスタンの人々が感謝の念とともに尊敬していた中村氏は、帰国していた2001年10月、衆院テロ対策特別委員会において「米軍を支援する自衛隊が派遣されれば、軍事的存在にしか映らず有害無益だ」と述べ、反対の姿勢を貫いた。

用水路づくりのなか、岩盤を砕く発破音がヘリコプターへの攻撃と間違えられ、爆弾が近くに落とされたこともあった。罪もないアフガンの子供たちに銃を向ける米軍兵を目の当たりにしたこともあった。

だからこそ、中村氏は長年の努力と誠実さで築いてきたアフガニスタンの人々との信頼関係を「崩してほしくない」と懇願。講演会が開かれる度に「戦争で何かを解決しようとする姿勢は、もう行き詰っている」と訴えていた。

 

■日本政府として支援は十分だったのか

2004年には皇居にて、また2008年には参議院外交防衛委員会にてアフガニスタンの現状を報告するなどしていた中村氏だが、ハード・ソフトの両面で日本政府から満足のいく支援を受けていたとは思えない。

また、自衛隊の海外派遣に断固反対しただけに、支援を乞うこと自体が難しかったのかもしれない。映画を見た人からは「中村さんは『現地をよく知りもしない日本人たちが援助に来てくれたところで、使い物にならないだろう。だったら自分が頑張るほうが早い』と思っていたのかも」「日本政府や公的機関に対しては、正直なところ何も期待していなかったのでは」といった声も聞こえてきている。

だが、その知恵と知識、人格、リーダーシップと行動力…中村氏は絶対に死なせてはならない人物だ。とにかく彼の命と安全を守ってほしかった。死亡叙勲として遺族には旭日小綬章と内閣総理大臣感謝状などが授与されたそうだが、大きすぎる喪失感と損失がそれで埋まるわけがない。

 

■世界を涙させたYouTubeの動画

脳神経科の医師として地位も名声も、そして富も手に入れることができたはずなのに、空爆の続くアフガンで、貧しい人々にやさしい手を差し伸べていた中村氏。涙なくして観られないと言われているのが『アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト』という2016にYouTubeで公開された動画だ。

43万回もの再生回数を記録し、「何回見ても涙が出てくる」というコメントがずらりと並ぶこの動画。「天国ではゆっくりお休みください。世界のためにありがとうございました」「ノーベル平和賞をもらったのはオバマらしいが、中村哲さんこそ平和賞をもらうべき」という声もあるほか、海外からもこんなコメントが英語で寄せられているようだ。

「Tetsu Nakamura a great person a real hero can not thank such a good person enough.(テツ・ナカムラさんは偉大な人、本物のヒーローだった。こんな素晴らしい人、いくら感謝してもしきれません。)」

 

「We Afghans Love Dr.Nakamura he was a legend and his memories will remain forever alive.(私たちアフガン人は中村医師を愛しています。レジェンドとして彼の思い出は永遠に生き続けるでしょう。)」

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またKBC九州朝日放送が放送した内容をまとめ、2020年にYouTubeに投稿された動画『良心の実弾〜医師・中村哲が遺したもの〜』も、やはり涙なくして見られないと話題になっている。

この動画は、日本の政治家やODAに関わる外務省の人々にどうしても見てもらいたいと思う1本だ。コメント欄を少しばかり紹介すると…

「真に世界に平和をもたらすのはこの方の様な尊い行いです。日本人が世界から一目置かれるのは中村先生のおかげです。ありがとうございました。合掌」

 

「素晴らしい。有言実行の偉大な医師。日本の誇りです。」

 

「人生に迷った時いつも中村先生の動画を見に来ます。」

 

「خداوند رحمتت کنه روحت شاد و یادت گرامی باد کاکامراد از کجا اومده بودی تا کشور ویران ما رو آباد کنی کاکا مراد خیلی شرمنده که امنیت تورو نگرفتیم کاکا مراد ابرمرد تاریخ کشورم نام تو توی صفحه اول کتاب های درسی ما میشه تو تاریخ کشورم نام تو باقی هست خیلی شرمنده که ما متوجه نشودیم که خائن ها قصد جان تورو دارن زنده باد انسانیت چیزی که طالب وحشی خائن ها ملی وطنم نداره افسوس خیلی شرمنده که دیگه تورو نداریم خیلی واسه مردم مظلوم ما زحمت کشیدی برای ما شب روز کار کردی کاکامراد از کشور آزاد آباد اومد تا کشور ویران ما رو آباد کنه نباید این اتفاق رخ میداد شرمنده تو هستیم این مردم هیچ وقت فراموش مون نمیشه خیلی وقت گذاشتید تشکر میکنیم بابت اینکه این همه زحمت کشیدی برای ما از کشور خودت از خانه و خانواده خودت دور بودی تا کشور ویران ما رو آباد کنی که موفق شو دی کردی کاکا مراد خیلی ممنونیم تشکری میکنیم کاکامراد از شما زنده باد انسانیت چیزی که طالب وحشی خائن ها ملی وطنم نداره افسوس که شما رفتی دیگه نداریم خداوند رحمتت کنه روحت شاد و یادت گرامی باد

(神があなたを憐れんでくださいますように。あなたの御魂がどうか幸せでありますように。あなたの思い出がいつまでも大切にされますように。カカ・ムラド=中村のおじさん、あなたは荒廃した私たちの国に定住しようとしてくれたのに、あなたの安全を守れなかったことが悔しいです。カカ・ムラドはわが国の歴史に残るスーパーマン、あなたの名前は私たちの教科書の最初のページに載ることでしょう。あなたの名前はわが国の歴史に残ります。もうあなたがいないなんて残念です。あなたは私たちを憐れみ、一生懸命働いてくださった。昼も夜も多くの時間を費やし、私たちのために働いてくださった。ありがとう。あなたは自分の国、家、家族から遠く離れた荒廃しきった私たちの国に来て、繁栄させてくださった。カカ・ムラド、私たちは心からあなたに感謝しています)」

 

■大統領やタリバン暫定政権も感謝

2019年12月にアフガニスタン・ナンガルハル州のジャララバードを車で移動中、武装勢力の襲撃を受け、肝臓に被弾し失血死した中村氏。空爆を避けながらトラックで食糧支援活動などにあたった経験を持つ中村氏の追悼式では、当時の大統領であったアシュラフ・ガニー氏自らが棺を担いだというエピソードもある。

またタリバン暫定政権も中村氏を讃えたいとして、2022年10月にはジャラーラーバードに追悼広場「ナカムラ」を完成させた。そこには非常に大きな中村氏の写真や石碑が設けられている。



 

■死後3年 志を受け継ぐ人たち

ペシャワール会(本部:福岡市)の会報は、中村氏の死後もその志が現地でしっかりと受け継がれていることを伝えている。2022年9月末に取水施設の「バルカシコート堰」が完成し、中村氏が確立した「PMS取水方式」の普及事業としてコット郡の堰・用水路建設にも着手。国際協力機構JICA, 国際連合食糧農業機関FAOとの共同事業も始まり、用水路の建設においては日本から技術支援チームが派遣されたそうだ。

昨年9月には、ついにバルカシコートの堰が完成した(画像は『ペシャワール会』のスクリーンショット)
昨年9月には、ついにバルカシコートの堰が完成した(画像は『ペシャワール会』のスクリーンショット)

そして、作家・澤地久枝氏とのインタビューで「後継者は現れないでしょう」と述べていた中村氏だが、今では長女の秋子さんがペシャワール会に関わるように。これには天国の中村氏も、喜びと不安と半々であろう。

ちなみに、アフガニスタンのガンベリ砂漠に生まれた水田からは、今や米が獲れるといい、大豆、小麦粉を混ぜて作ったナンは妊産婦や栄養失調児に配られ、畑にはメロン、ブドウ、サツマイモ、レモン、ナツメヤシなどが実るそうだ。

 

■まとめ

日本のODA政府開発援助が単なるバラまきと化した今でも、現地の人々に本当に感謝される国際支援とは何なのかを教えてくれた中村氏。親切で正義感と勇気にあふれる人間の姿に触れることは、思春期の子供たちにも心打つものがあるだろう。『医師 中村哲の仕事・働くということ』はDVDも販売されているため、ぜひ探してみていただきたいと思う。

ところで昨年、奈良市で選挙応援演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相に対し、最高位の勲章となる「大勲位菊花章頸飾」「大勲位菊花大綬章」が授与されたそうだ。中村氏にもそれに準じる勲章を贈ってほしかった。いや、むしろノーベル平和賞にも値する偉業であったと思う。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

参考および画像:
『ペシャワール会』8・9月月報 2022年9月14日報告

『ペシャワール会』アフガニスタン、空前の規模の大干ばつ

『NHK福岡』死去から3年 中村哲医師のことばから考える平和 ― 地元福岡から支え続けてきた男性の思い

『朝日新聞DIGITAL』中村哲さんの死去から3年 志を受け継ぐ人たち、各地で追悼

『FFNプライムオンライン』医師でありながら井戸を掘り、靴を作る。アフガニスタンを救った中村哲のルーツとなるもの

『FFNプライムオンライン』 アフガニスタンで65万人を救った中村哲。医師でありながら用水路を作った理由とその源流

『YouTube』 ITNA ― アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト

『YouTube』 Santos Narichan ― 良心の実弾〜医師・中村哲が遺したもの〜

『文春オンライン』【追悼】中村哲医師「ペシャワールに赴任したきっかけは、原始のモンシロチョウを見たから」