【YOUR VOICE】『香淳皇后実録 巻七~八』 秋篠宮妊娠時の美智子さまのアノ疑惑は…?
※ こちらは《10月10日》皆さまからコメントが寄せられました!に対し、読者様から寄せられたコメントです。
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『香淳皇后実録』 巻七~八をざっと見てみました。秋篠宮の妊娠時。関連事項の抜き書きです。
「香淳皇后が妊娠中の美智子妃の見舞いに行ったが、非常に立腹して帰ってきた。昭和帝はすでにご承知だったようで、その話を聞いても平然としていた」という話がありますが、予想通り、発見できませんでした。
あからさまに書かれるわけはないので、編纂者の言外の意図を読み取ったり、途切れ途切れの事実から状況をつかむしかないわけですね。
年月日は西暦下2桁で記し、実録に沿って香淳皇后立場で記しています。美智子さまが秋篠宮さまを妊娠していた頃の記載内容から、「秋篠宮さま別腹説」をどう判断するべきか、以下の3つに分けてみました。
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(+)秋篠宮さま別腹説を肯定する。
(-)秋篠宮さま別腹説を否定する。
(/)どちらでもない。
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カッコ内は別ソースまたは当方の感想・注 (単独)と書いてない部分は、日赤等の自明の部分を除き、概ね両陛下同道とお考え下さい。
【年月日で追う】
(/)65/3/26 高松宮結婚35周年に皇太子同妃始め皇族方を招き御晩餐
(/)65/4/22 記載なし(皇太子妃ご懐妊発表)
(/)65/4/23 園遊会、終了後東宮御所立寄り(園遊会後の立ち寄りは恒例であり特に意味はない)
(+)65/4/29 天皇誕生日、皇太子同妃他皇族方の祝賀を受け、昼、皇太子妃他妃方と内宴(つわりの時期では?)
(/)65/6/1 水田にて皇太子妃母子と天皇の田植えをご覧((安定期に入った?)
(/)65/6/11 天皇、皇太子同妃と共に18:53~20:17丸の内ピカデリーに行啓。母子愛育会有料試写会「s.ofミュージック」
(/)65/6/26 日赤行啓、皇太子同妃他の名誉副総裁とご対面。衆院議長、日赤社長ほかの拝謁。
(/)65/6/29 夕餐後、皇太子同妃他皇族御親族18方を招き、映画と奇術の催し
(/)65/7/5 13日より渡欧の鷹司夫妻、皇太子同妃常陸宮夫妻と御夕餐
(-)65/7/7 内着帯の儀終わった皇太子妃と御対面。(浩宮・紀宮の時は対面してない。そろそろお腹目立つはず)
(/)65/7/15 那須御用邸へ
(/)65/7/27 一時御帰京(明治天皇例祭他)
(/)65/7/31 那須御用邸へ
(+)65/8/6 夕刻皇太子参邸(~8/8付属邸滞在)天皇と共に御対面。東宮侍従長、東宮侍従、東宮侍医の拝謁 (わざわざ行く? メンバーも物々しい。この時カミングアウト?、もしくはとりあえず流産したことにして…とか?)
(/)65/8/13 一時御帰京(戦没者追悼式)
(/)65/8/16 那須御用邸へ
(/)65/9/3 還啓。宮内庁病院に皮様嚢腫で入院中の常陸宮を見舞う
(/)65/9/5 宮内庁病院に入院中の常陸宮を見舞う(9/7退院)
(+)65/9/22 岐阜愛知より還啓した皇太子一家とご対面
(/)65/9/25 各名誉副総裁と共に日赤主催スラブ歌劇団鑑賞、皇太子妃は第二幕開始前に退席
(+)65/10/3 記載なし(皇太子妃 ピンヒール履いて学習院運動会)
(+)65/10/6 欧州訪問前の常陸宮、米加から帰国の三笠宮と御所にて晩餐会 皇太子同妃他皇族御親族出席
(+)65/10/8 徳仁親王と共に天皇の稲刈りをご覧(御年5歳の陛下と何を話したのか?。陛下この時何かご存じだったろうか、なぜ母子揃わず陛下だけ?)
(+)65/10/9 常陸宮邸行啓(単独)、出発の準備をご覧。皇太子妃も先着参加。皇太子妃退出後茶菓を共にされる。(皇太子妃は義弟夫妻の洋行準備に口出すこともないだろうに。もめたあとに「まあまあ陛下お茶でも」?)
(+)65/10/11 午後、常陸宮同妃の出発挨拶を受ける。着帯の儀御礼の皇太子妃とご対面(浩宮・紀宮の時は対面してない)
(/)65/10/12 多摩陵多摩東陵行幸啓(年に一度の恒例であり特に意味はない)
(/)65/10/20 皇太子妃誕生日、天皇と共に御対面
(/)65/10/23 行啓前に皇太子のご挨拶
(/)65/10/23 国体の為岐阜に行啓
(/)65/10/28 還啓
(/)65/10/29 還啓後の皇太子同妃の挨拶
(/)65/11/5 日赤関東山静支部連合社員大会、高円宮妃、秩父宮妃とご対面。日赤社長ほかの拝謁 (三笠宮妃も出てない。1966は出席無し、1967は90周年のこともあって、名誉副総裁全員が出席)
(/)65/11/10 園遊会 後東宮御所お立ち寄り(園遊会後の立ち寄りは恒例であり特に意味はない)
(+)65/11/29 午後、皇太子妃が宮内庁病院に入院。18:52~21:25両陛下有楽座に行幸啓。済生会有料試写会「メリーポピンズ」 (2度目のお産といえども、ここは欠席しても良いんじゃないの)
(/)65/11/30 0:22出産 午後宮内庁長官三権の長(衆院議長欠)他の祝賀を受ける
【月日に関係ない事実】
(+)浩宮殿下御誕生録、紀宮殿下御誕生録、清子内親王御誕生録はあっても、礼宮殿下御誕生録はない。
(+)内着帯の儀、着帯の儀は同様に行われているが、共に皇太子妃がお礼言上をしたのは礼宮のみ。
【ポイントとなるのは】
・8/6の皇太子、東宮職を伴った那須御用邸参邸。あまりにも人数が多い。
・10/9 なぜか常陸宮邸で皇太子妃と面会。前日の稲刈りは御年五歳の陛下単独。子供には聞かせられない話をしたかったか。
・出産前夜というか、午後から入院しているのに両陛下が有楽座に行幸啓と言うのはいかにも怪しい。
偽装出産予定日は決まっていたので敢えて両陛下はその日に予定入れて、偽装出産と距離を置きたかったか。逆に、共犯に近づけるため両陛下が戻ってからの出産にしたのか。全く正反対に美智子妃が強引に両陛下の行幸啓中の出産を主張。周囲がなだめて日をまたいだ時点にしたのか。
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以上です。
ページのコピペはできないので、行幸啓の部分を行啓としたりなど、ブレや打ち間違いがあると思いますが、そこはご容赦下さい。
(コメント欄:低圧ナトリウムランプさんより)
画像引用元:『産経新聞』香淳皇后実録公開 「国母」として成長の歩み明らかに 時代が求めた女性像は後世の道標に
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早速でございますが、訂正です。
「皇孫文仁親王御誕生関係記録」引用されてました。65/12/6,66/3/1,66/3/3,66/5/5(4件)
「礼宮御誕生関係書類」引用されてました。65/7/7,65/10/11,6,65/11/30,65/12/6,65/12/30,66/3/1,66/5/5,66/3/3(8件)
このため【月日に関係ない事実】の一項目目が消えました。
誤:(+)浩宮殿下御誕生録、紀宮殿下御誕生録、清子内親王御誕生録はあっても、礼宮殿下御誕生録はない。
正:(/)徳仁親王御誕生録(8件)、徳仁親王殿下御誕生記録(4件)、浩宮殿下関係御誕生書類(12件)、皇孫文仁親王御誕生関係記録(4件)、礼宮御誕生関係書類(8件)、紀宮殿下御誕生録(5件)、清子内親王御誕生録(5件)。他に皇孫殿下御誕生関係綴というのがあって、紀宮(1件)
こういうのって、東宮職の担当者が適当に名前つけてまとめるんでしょうかね。
命名前・誕生前の記録も入っていて、一瞬おっ?と色めき立ちましたが、今上陛下御生誕の記録も同じでした。
あと、
誤:(/)65/10/23行啓前に皇太子のご挨拶(日付の誤り)
正:(/)65/10/22行啓前に皇太子のご挨拶
この手のミスは他にも多数あると思いますが、ついでなんで。
>玉木雄一郎の記者会見だけではわからない“別の顔”とは 元秘書らが証言「見るに堪えない光景」
2025/03/28/ AERA DIGITAL
上記文言で検索を、、
>玉木氏を知る関係者はこぞって彼を「優秀」と評価した上で、「だからか人にも厳しい」といった指摘も出ていた。その中に、こんな話が出てきた。
「玉木氏の高圧的な言動や誹謗中傷が原因で精神的な苦痛を受けて体を壊したり、職を辞したりした地元の元秘書は多い」
それが事実ならどんな言動だったのか――。すぐに玉木氏の選挙区の衆院・香川2区(高松市の一部、さぬき市、坂出市など)に取材に入った。
>元秘書や市議、事務所関係者らに取材を始めると、
「もう思い出したくない」「かかわりたくない」「どんな報復があるかわからない」「周囲の目がある」
などと口を閉ざしたり、一切、取材に答えてくれなかったりした人もいた。少しずつ重い口を開いてくれた人もいて、結果的には多くの関係者から玉木氏の言動について、「高圧的だった」「誹謗中傷や罵声を浴びせる」といった証言を得ることができた。
取材の中でAERA dot.が入手したボイスレコーダーには、2010年代の前半、玉木氏が当時、旧民主党の国会議員だったころ、香川県内の事務所で民主党(当時)会派の市議だったAさんに怒りをぶつけている音声が入っていた。
市議長選をめぐる考えが違い、すぐに謝罪に来なかったことなどについて激怒していた。時間にして12~13分。たまっていた怒りをぶつけ続けると、最後は「次はないからな。徹底的に落とすからな」「覚悟しとけよ」と脅しのような口調で終わった。
(詳しくは本文で)
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玉木氏、、本当にびっくりしました!
内閣総理大臣を承認任命するのは天皇。高市さんが任命されたらその時点で日本がどのような状況になったとしても天皇は認めるということ。日本会議の考え方だと思うので命を牛耳られたのも同じ。
『香淳皇后実録』 と言う公式文書をエビデンスとして理論的に真実に迫ろうという姿勢に感服しております。大変勉強になりました。御礼もうしあげます。
当時皇太子夫婦には今の天皇陛下がいた。でも一人では不安だった。何かあったときの事を考えてもう一人必要だった。そのとき妹が妊娠していた。もしかしてその時のお子が秋篠宮なのですか?一人では不安だったから養子にした?だとしたら鑑定を拒否されるのもわかる気がします。