【YOUR VOICE】悠仁s複数存在説を紀子さん自らが証明する失態… オウンゴールはあのブータン・ラバ登山では?
※ こちらは今年5月8日付の記事2019年ブータン・ラバ登山、悠仁さまのお膝にご注目を! 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…に対し、読者さまから頂戴したコメントです。ブータンには2~3人の悠仁sが連れて行かれた?と勘繰ってきましたが、果たしてそれは成功したのでしょうか。
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ブータンには目の細い、やぶにらみする紀子腹元祖悠仁1号くんと、女児の悠子1号さんが連れて行かれたのでしょう。


このお2人が同時に姿を現した貴重な瞬間はラバ登山だったと思います。
多分、悠子さんは宮殿に紀子さんたちと一緒に宿泊し、悠仁くんと付き人と市中のホテルで宿泊。ところが両者間の連絡がうまくゆかず、双方とも「悠仁さま」をラバ乗り場に連れてきてしまったのではないでしょうか。

ブータン側も日本のメディアもさぞや仰天したことでしょう。だって悠仁さまは一人じゃないと世界に向かって公開してしまったのですから。もちろん紀子さんにとっては、これぞまさしく千慮の一失でした。悠仁s複数存在説を紀子さん自らの手で証明してしまうという、オウンゴールになったのです。
悠仁s問題を考えるとき、これが最も重要なエポックと思われます。
そのせいか、ブータン旅行の直後から悠仁さま公式顔写真は、目のまんまるな悠子さんばかりになりました。ブータンでの悠子登板をなかったことにはさせまいとの決意がみえる英断でしたが、紀子腹の元祖悠仁1号くんが、主役の座から転げ落ちるきっかけになったと思われます。
顔写真を替えてしまうというのは事実上の廃嫡扱いです。それをマスコミに命じたのは、小皿様だったと思います。健常児偽装して悠仁1号くんの運用を続けることに不安や不満を感じていたに違いない小皿さまらしい、非情の采配が下された格好ではないでしょうか。
これは後々マスコミの調査報道が繰り返し起きると予想する、永遠の謎テーマになりそうです。
また、その頃に起きた悠子さん首索状痕発覚事件も謎だらけです。首に索状痕をつけた異様な姿のままで、なぜ悠子さんをマスコミの目の前に連れ出したのか。誰かに対する見せしめや怒りの感情からではないのか…。
紀子さんは悠子さんを可愛がってはいなかったと思います。
(コメント欄:匿名さんより)
画像および参考:『エトセトラ・ジャパン』2019年ブータン・ラバ登山、悠仁さまのお膝にご注目を! 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…
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■ブータン旅行についてFNNの記事を検証
https://www.fnn.jp/articles/-/14750?display=full
①ブータン側からの正式招待ではなかった
>今回の私的なご訪問は、ブータン王国側から、正式な文書などによるご招待ではありませんでしたが、ぜひご家族で訪問してくださいという、お招きから実現しました。
②別の飛行機使用ということで「皇位継承者」アピを盛んとやっていた
>16日の出発の際も、紀子さまと悠仁さまが羽田国際空港を出発された後、およそ10分後に秋篠宮さまが別便で経由地のタイへと向かわれています。
③紀子さまオウンゴールとなった「二人悠仁同時登場事件」はマスコミ非公開の筈の日に起きていた
>取材公開されなかった“思い出に残る一日”
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こうして私的旅行は始まりましたが、実はご到着2日目の18日、取材による公開はない一日でしたが、同行した人類学などを研究する教授が明かすには、重要な一日になったというのです。
この教授は国立民族学博物館に勤める池谷和信教授です。池谷教授によれば、標高2800mから2900mの村から3500mくらいまでジェラという山に登り、標高を体験してもらうプログラムが用意されていて、その際、ミューというラバの一種に乗って登山していただいたということです。
そして、このミューに乗ることを悠仁さまは大変楽しみにされていたというのです。
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(確かに、悠仁・悠子の二人がいることが初めてわかった「重要な一日になった」のでした)
■FNN「フォトギャラリー」の順番がメチャメチャ
奇っ怪なのは、日本到着時の悠子さん登場シーンからフォトギャラリーがスタートしていること。普通は日程通りに紹介するものですが、順番がメチャメチャなのです。悠仁、悠子の切換えをわかりづらくする目的もあったのかとみられます。
https://www.fnn.jp/articles/gallery/14750?image=2
8/1 日本帰国時:悠子
8/2 ブータン到着時:悠仁
8/3 博物館:悠子
8/4 国王訪問:悠子(袴姿)
8/5 ボールまわし:悠子
8/6 田舎町:悠子
これは、ブータン旅行中に悠仁の地位が危うくなり、悠子に取って代わられたことを意味するのではないでしょうか。
■「二人悠仁同時登場事件」について
毎日新聞はその年、「悠仁さま、13歳に」の記事を配信。「悠子騎乗写真」を使用しました。宮内庁提供です。
悠子さんは紀子さんの前を騎乗していて、あきらかに列の中では上席ですし、従者もたくさんついてきているようです。
一方、本悠仁くんの騎乗写真は、後方に紀子さんなどの姿がなく、仕方なく連れてこられた感じがあります。この時点で、完全に藪睨み本悠仁は、悠子にその地位を取って代わられたことになります。
毎日新聞としては、分かる人には分かるように(ちょうどいまのテレ東BIZのように)、一旦は悠子に悠仁役を乗り換えたはずが、紀子さんからのクレームのせいなのか巻き返され、また本悠仁に戻したくなってきていた? 当時の揺れ動く皇室取材現場裏事情が暗にわかるような構成にされているとみました。
ひとりはお友達という設定で、偽名パスポートでブータンに不法入国していたのかも知れませんね。国際的にそれがバレては廃嫡の憂き目にも…?
男の悠仁くんのほうが、浮かない、面白くない表情を浮かべているのが印象的です。
悠子さんからお株を取られそうになってきたことを、弱い頭ながらもわかっていたんでしょうね。
紀子さんも悠子さんと一緒のときはニコニコしてるのに、悠仁くんだと小馬鹿にするような目つきで見下すからかな。
それまでは紀子腹の息子として特別の存在だったのに、ブータン旅行を境として、ただの悠仁sに格下げされたので、不平不満そうです。
あのときも今年同様、お茶小から最初は渋渋へ裏口入学させることで学校見学まで来ていたのに、保護者会の猛反対で校長も翻意し、渋渋入学計画がなくなり、高校がない落伍生ばかりのお茶中男子組へ裏口内進、この先どーすんのよと、世論の風当りが強まった年でした。
その中学に入るや否や、ブータンに連れて行き、皇室外交ができること、顔も可愛いことを印象づけたいと悠子さんの利活用を思いつき、私的旅行として官邸を関与させずに、ごく少数の者たちだけが動く格好で仕組んだ旅行だったのです。そのために二人の悠仁を登場場面毎に使い分け、愛想を振りまく必要のあるシーンに出すのは悠子さん、タラップを降りるだけでいいシーンには悠仁くん、と出番を割り振ったのでしょう。
ところが、確か紀子さんたちは王宮殿に宿泊、その他随行員はホテルと分かれたはずで、初めての土地での分泊が、両グループ間の連絡の悪さとなり、ラバで登山する日にどちらを出すかでうまく連絡しあえず、同時に集合場所に二人を別々に連れてきてしまったなどの不手際が発生。おそらく悠仁くんは、不正取得された別人名パスポートで入国していたので、ホテルでは療育者または両親に偽装された人と一緒に市中で滞在し、外に出ないよう監禁されていたはずです。
ただ何日も監禁されていると暴れだすものですから、やむなく登山には連れてゆくが、悠子さんのはるか後方から一人の従者として登らせることで、最終的には落ち着いたのかも知れません。このあたりが失敗の原因であるように思えてなりません。連絡の悪さからくる配役ミスか、それともいつもの多動が出て来て、手がつけられなくなり、連れ出したかのいずれかでしょうね。
いずれにせよ、服装も体格も顔も異なる悠仁を自称する二人の兄妹が、同じ日にラバに乗っている写真こそが、今後秋篠宮家への皇位簒奪を阻むこととなるであろう“皇位継承順位者の嘘”を証明する決定的証拠となったのではないでしょうか。
偽悠仁にして女子悠仁では最悪の背信行為であるうえ、高校入学後現在までには、同じ手口による更なる女悠仁sたちの存在が確認できるのではないか、となってきたのです。これで紀子さんの味方は急速にいなくなることでしょう。
週刊新潮最新号が報じる紀子さまの苛立ちとは、ブータンで迂闊にも「二人の悠仁」をお披露目してしまったことに起因していると、ようやくその後悔、開き直りの原因が見えてきました。
「悠仁&悠子」という男女一対を、ひとりの「悠仁さま」に仕立て上げようとしたって、どこかで失敗してしまいます。
ブータンへはプライベート旅行としてだったので、表向き外務省も関われず、悠子の顔写真を悠仁名義のパスポートに印刷し、外交旅券としてしまったことから、国際的に本来の紀子さんが産んだ悠仁は悠仁でなくなり、悠子と入れ替わってしまっただろうという見方なのですね。
誰が見ても違法行為で重罪になることを、悠仁の障害隠し目的からついうっかりやらかしてしまったとしたら、後からどんなに悔いても後の祭りです。国際的に実の悠仁はまだ15歳にして、皇族としての存在が出入国管理データ上から抹消され、悠子=悠仁として記録され、それまでの悠仁は廃嫡されたことになります。
その後から慌てて他の悠仁sを使ってどんなに儀式や会見をやらせてみても、紀子腹悠仁は二度と再び表舞台へは戻って来れず、ますます遠いところへ行ってしまうだけ。
また、もう生存していない可能性まであるとしたら、驚きです。ブータンでの失敗は、当然他の王室にも拡散され、英国訪問ではレッドカーペットすらない塩対応を受けます。
そういえば最近はあのお目々の細い、無愛想な悠仁は全く見かけなくなりました。国際社会は代理母が産んだ替え玉なんかでは絶対に皇族とはみなしませんし、悠仁sを使って加冠の儀をやるだけますます笑い者です。
そのことで紀子さんのイライラも最高潮に達しているのでしょう。
もともとはブータン発で報道されたラバ騎乗写真で「悠仁」さんがレディースシャツを着用している!とネット上で大騒ぎになったことがきっかけでした。これに対する宮内庁の説明はなく、ますます疑惑が増幅してゆきます。
このふたりの騎乗写真をみても、同日の騎乗なのに、レディースシャツである点だけが共通で、帽子もキュロットも全く別です。左の顔のスッキリした顔の子(悠子)のお腹がやや太り気味なことがわかり、こちらが女子の悠子さんだろうとなります。
地元の子とボール遊びで、パッツンパッツンな白スーツが身体に合っていない写真も悠子さんとみられ、藪睨みする本悠仁用に採寸したスーツを急遽悠子さんに着せたものの、全然サイズが違っていたことも発覚します。
悠子さんの方が胸もお腹も、本悠仁くんよりかは出ていたのでしょう。
もともとおなじhisahitoという名前の子が、裏では何人もサッカーチームができるほども存在していること自体が問題なのです。学生証でも同姓同名同年齢同学生番号で、写真だけがちがうhisahitoが何通りか発行されているのでしょうし、免許証だって同じ状況かも知れません。
ただ海外に出るための旅券となると特権は通用せず、悠子が悠仁名義の外交旅券を使用し、悠仁が平民名義の公用あるいは一般旅券を使用すれば、問答無用で両者ともに完全にアウトです。
週刊新潮記事より
(https://news.yahoo.co.jp/articles/a0c53f91c4f713468c5f03c507a9ce8f76092ade?page=2)
>私はもう恐れるものはありませんから
周囲へのご指導は苛烈を極めるばかり。一方、40年ぶりの儀式を控えてお気持ちが高ぶられたのか、紀子妃は最近、次のように口にされているという。秋篠宮家の事情を知る関係者が打ち明ける。
「紀子さまは先頃、宮邸の中で“私はもう恐れるものはありませんから”と仰っていたというのです」
耳を疑うような文言ではあるが、この関係者は、
「ご家庭内に皇位継承権を有する男性皇族をお二方擁され、手塩にかけてお育てになった悠仁さまも、無事に大学ご進学を果たされました。その状況で“次代の皇統が移ることになるわが家はこれで安泰です”という意味合いから仰ったお言葉だと聞きました」<
果たしてそうでしょうか。
“私はもう恐れるものはありませんから”の真意とは、怖れていた悠仁sの存在が発覚してしまい、もはやこれ以上は隠しきれないので、”こんなに多くの男子の皇位継承者がいるのです”、とでも開き直ってやれ、という魂胆からではないかと思われるのですが。
悠仁s存在告白のXデーは果たしてくるのか、総理の弱腰でまたまた空回りするだけなのか。敬宮立太子決定までは、落ち着いて夜も眠れない気持ちです。
最近は悠仁君を海外訪問させようという話は皆無です。佳子さんがあんなに出かけているのに。
マレーシア筑波留学案ももし旅券不正が過去にあったとしたら、どの悠仁sでもペルソナノングラータですね。いまはどの国でも出入国管理が厳しくなり、昔のようにパスポートの写真を貼り替えて、なんて不正方法は通用しません。旅券自体、電子旅券と言われるほどだからです。
たくさんの悠仁sから選んで、誰か一人にその都度悠仁役を果たさせれば良いとでも考えていたとしても、一度でもそのうちの誰か一人を正式に秋篠宮悠仁とするパスポートを作り、海外使用していたら最後、当該悠仁sに海外での悠仁役は固定されます。それでも無視して、悠子さん以外の悠仁sが海外に出れば、今後は成田空港出国時の金正男のようなことにもなりかねません。
皇族の場合、自分で入国ゲートに並ぶ必要はもちろんありませんが、旅券は随員が相手国に示し、相手国は素早くスキャンして、電子入国記録を作ります。出国時も同様です。この際の電子データには顔写真のjpgデータが含まれているので、悠子さんの顔写真が国際的にも正式の悠仁さま顔写真となった次第で、これを知った日本側でも急遽、帰国時から公式悠仁顔写真を悠仁1号から悠子顔写真に取り替えたことが、共同通信フォトバンクをみてもわかります。
これは私の予想ですが、宮内庁はこれが違法であることを百も承知で、紀子さんを失脚に追い込むために黙認していたのだと思います。それは半分当たり、紀子腹悠仁連れでの海外訪問が今後二度とできなくなったことで、皇位継承資格が事実上吹っ飛んだこと。ただ悠仁と悠子の違いに殆どの国民が気づかなかったことで、国内的には一見何のダメージもないかのように終わったことが想定外だったのでしょう。
でも筑波大入学の前後にやり過ぎ、ガールズ悠仁sを総動員してしまったことで、再び旅券不正の古傷が痛み始め、替え玉使用説が強まり、更に赤坂ヘールシャム発覚によってとうとう悠仁s存在疑惑にもトドメが刺されたのではないかとおもうのです。
ブータンへは閣議決定の要らない私的旅行で行かれたのでした。その後、この旅行については、外務省は完全に蚊帳の外だった、となんども報じられ、文仁さんのお友達が旅行社と交渉して手配、王宮殿に泊めてもらう話までが通っていた変な旅行でした。
それもこれも紀子さんが「二人の悠仁」を連れて行きたかったからかと仮定すると、外務省は外交旅券をニセ悠仁(悠子)に出すことだけはさすがに躊躇われ、困っていたら、紀子さんの方から顔写真を悠子のものにして悠仁名義で発給申請してきたから、詳細は何も知らないことにして、機械的に発給してしまったんでしょう。
皇族の場合、公用旅券より上級の外交旅券が発給されることになります。それだけに、皇族の使用する外交旅券が偽名発給だったとなると、日本国の受ける信用失墜は計り知れないものとなり、もはやテロ支援国家並みに堕ちてしまいます。
一旦偽名旅券を発給してしまえば、国際的に「従前の本悠仁」は今後永久に「悠子」に入れ替わることを意味するというのに、紀子さんはとにかく悠仁が障害児だという根強い噂を否定したかったので、テレビ映りのいい悠子に悠仁役を演じさせることで、当時アキシンでさえ「奇跡の一枚」というほど可愛い、目のぱっちりした顔写真が撮れて、支持者を喜ばせることまでは一応成功していたようです。
それまで知能指数だけでなく、容姿面でも見劣りがして、愛子さまと比べ不人気なことあきらかだった本悠仁だけに、悠子をつかうことでイメチェンしようとしたのでしょうか。このあたりから、代理母の産んだ替え玉児であれ、AIイメージであれ、仮想的健常児悠仁像を一人歩きさせる現体制が始まったともいえますね。
ただその代償は非常に高くつき、まずタイ国、ブータン国への不法入国という犯罪行為が成立。中学生であれ、偽名パスポートでの入国はどこでも重罪です。悠仁名義の外交旅券を偽名承知で悠子に発行していたとなると、日本のパスポートの信頼を根底から揺るがす大事件で、その事態を収拾するには、あくまでパスポートが正しく、従前の本悠仁は廃嫡とし、二度と再び海外旅行はさせないこと、かつ悠子こそが最初から本悠仁だったことにして、国際的には目細の悠仁など最初からいなかったこと(本悠仁には、発給されたもう一冊の偽名パスポート通りの姓と名で一平民として一生暮らさせる)にされて、本悠仁の存在はきれいに闇に葬り去るしかなくなったのでしょう。
そのことは、美智子さまのご希望、本音でもあったので、紀子さんは後に地団駄踏んだかも知れませんが、粛々と紀子さんの不覚を利用し裏で本悠仁廃嫡手続が実行されたものと見ています。
紀子さんの、悠子を使って見映えのする皇室外交アルバムを作ろうとした野望が、紀子腹とされた本悠仁の人生そのものを潰す結果になったはずで、以後本悠仁は全く鳴かず飛ばずです。
本悠仁は、高一の伊勢参拝を最後に美智子さまより戦力外通告されたのか、もちろんツクヒトさまとも違うB面人生行路のようです。赤坂収容所内に特別病室でも作って閉じ込められ、日夜荒れまくっているのかも知れません。
ツクヒトさまが正式に悠仁となり、成年会見をやってしまった以上、もはやかつての本悠仁が帰ってくる可能性は皆無というものです。ブータンでは公式に悠仁となった悠子ですが、ICE2024出席のお化粧をした年齢よりだいぶ幼い顔の悠仁sこそが、もしかして「四年後の悠子」だったのでしょうか?
かえすがえすも、ブータン旅行でのラバ登山で発覚した「二人の悠仁」同時登場シーンは、紀子さん一生の痛恨事となったことでしょう。
つまり今になって、どのドノヒトさまを海外に出そうにも、まずブータン行で悠子を悠仁だとして偽り、悠子の顔で最初に旅券を発行し、その顔写真が世界中の入管当局に登録された格好なので、悠子以外の悠仁sでは絶対に海外に出られなくなってしまったということなのかも知れませんね。
浅はかな紀子さんの障害児隠しの意図が回りまわって、どのドノヒトさまも、外国旅行が全くできなくなるというしっぺ返しを受けたことになるかも知れません。これは痛いはずです。もちろん、指紋もタイとブータンでは採取されているでしょうから、他の悠仁sを連れて行こうにも不可能。
かつて佳子さんをフィギュアスケートの大会に出す時、紀子さんは偽名で出場させていました。
負けたら恥と思っていたんでしょう。そればかりかライバルになりそうな選手たちには欠場するようにと、宮内庁を使って頼んで歩かせていたとかも。
それだから海外旅行する時、偽名パスポートを使って何が悪いという感覚なんだと思います。
ところで、秋篠宮家のブータン旅行は、最初から宮内庁を噛まさせず、民間人に手配させる異例なもので、なぜ正式招待にしないのか、不思議に思っていたのですが、悠仁君と悠子さんの二人を同時に連れ出し、うち片方には違法な偽名パスポートを持たせたのでしょう。
もちろん民間人として旅行させるには、閣議決定なんかにかけられたら逆に大迷惑で、ただ「悠仁は健常児だ」という証明を、障害のある本悠仁ではない、女子の悠子さんを使って、鎖国国家ブータンでド派手に演技しようという、本悠仁健常児偽装が旅の真の目的だったのではないかということなのです。
そのため、ハイライトとなるシーンにでてきて愛想を振りまくのは専ら悠子さんだけで、悠仁君は完全に隅っこに追いやられ、僻みきったような暗い表情を浮かべていました。
主役は完全に悠子さんに代わり、多分「秋篠宮悠仁」名儀の旅券には、悠子さんの顔写真が貼られていたことでしょう。これはタイ入国時にチェックされ(「私的旅行」だけになおさら)、タイでは電子管理システムに入力されます。
これで悠子さんの顔写真が悠仁として残り、空港の監視カメラにもはっきり、悠仁か悠子かは捉えられます。対照的に、本悠仁だったはずの悠仁1号君は、民間人の名前で赤いパスポートで出入国したので、例えば川島太郎とか安西一郎として記録されてしまいました。
この常軌を逸する違法行為は、旅行中におそらくタイ入国時点で「悠仁さまは二人いたのか」とタイの入管当局から日本大使館に緊急照会が入り、すぐさま、小皿さまにも連絡され、こうなった以上は、悠仁は悠子だと言い張るしかない、これまで悠仁としてきた子は、一民間人に過ぎない子だと、タイ当局には説明することで、不法入国の疑いを収めるしかなくなったはずです。
おそらくこれが更に世界的に拡散し、とうとう悠仁1号を廃嫡にするより他なくなったのではないかと想像しています。
紀子さんたちは、国内で、スポーツ大会や学校の試合に偽名で出場させる程度に考え、安易に本悠仁に偽名パスポートを使用させた結果、嘘から出たまことで、大事な紀子腹悠仁のはずが、「本」悠仁ではなくなり、代理母が産んだその他悠仁sと同じ皇籍も戸籍もない日陰者の宿命を背負わされ、その後は作文盗用事件などもあって、世界的に皇族としては通用しなくなり、そのまま自滅してしまったのでしょう。
何にもの悠仁sがいたことで、入替可能対象としか見られず、小皿さまも冷たい対応で、さあいまはどこでどうしているのやら。国内で動くだけなら、カツラと合成写真でなんとかごまかせていた悠仁s複数人運用体制でしたが、国際的に個人を写真と共に特定しなければならない旅券発行、旅券使用というシーンで、これまでの嘘がバレ、自爆したことになります。
タイ、ブータン両国へ入国した時点で、この二人の悠仁くん/さんは、どちらかが確実に偽名パスポートで、あの「蜂谷真由美」のように不法入国し、かつ不法出国していたことになります。
誰かが、悠仁s控えさん用に、偽名で正式なパスポートを用意しているようでは、外務省も共犯にさせられてしまいます。これは重大犯罪でしょう。以後永久にペルソナノングラータ指定されても文句はいえません。
皇族としては最初から終わっている、詰んでしまった人生のスタートといえるのではないでしょうか。
「藪睨み君」が正式に消えたと判明したのが、ツクフ卒業式。この日、秋篠宮夫妻は筑波大付属高校にまで来ていたのに、子供とのスリーショットは撮らさせませんでした。卒業式の立看板前での記念写真もなし。この三年間に藪睨み悠仁君が消える何かが起きていたはずです。病気か、事故か、それとも・・・?
以後、紀子さんは他人行儀で、悠子さん達(どの悠子が来るのかはその日になってのお楽しみです)とは距離を保って、よそよそしい感じで人前に出てくるようになりました。義務的に並ぶという感じで、我が子を誇りに思うとか、可愛くてしかたがない、といった風情は皆無とみえます。悠子さん達も、冷めた感じで、仕方なく紀子さんとも言葉を交わすといった感じ。
そういえば、この秋家、親子全員での家族旅行(高総文などバイト公務は除き)なんてここ何年もしていないように思いますが、昔はスキーに行ってましたよね。ブータンで懲りたからでは?
思えば、このブータン旅行は外務省も宮内庁も蚊帳の外におかれた完全なる「私的旅行」でした。
かつて愛子さまがオランダ王室を笑顔で訪問された旅行にでは、平成夫妻が記者会見で烈火の如く私的旅行だと怒って罵ったのに、秋篠宮家が企画した私的旅行には手放しで拍手していたのも印象的でしたが、逆に私的旅行であったがゆえに、悠仁1号と悠子1号の場面毎、日程表上の配役分担が徹底せず、ラバ登山で両名が顔を揃えてしまうという稀代の大失態を犯してしまったといえるのではないでしょうか。
それでも日本マスコミは沈黙を守ったので、長年誰も気づかず、ずっと国民は騙され続けていたのでした。宮内庁も「あれは秋篠宮家の私的旅行だったから我々は関知しません」と逃げられるので、余計に始末が悪いのです。
ブータンで最低2人は「悠仁」がいると報道陣、外務省(末端)、ブータン王室関係者に知られてしまったことで日本側には「自主規制」が働くようになり、ますます報道規制が強まります。
ところが国際的には、秋篠宮家は皇室メンバーについての重大な秘密を隠している、愛子さまを陥れるために、妹らしき隠し子まで使って皇位を奪おうと画策していると、他国の王室に知られてしまい、一斉に「秋篠宮家を入国禁止にしろ」(ペルソナノングラータ)との流れが加速。事実、その後紀子さんが悠仁連れでオランダとスペインを訪問しようとしても断られたそうです。
なぜこんな馬鹿な真似をしでかしたのかと思われるかも知れませんが、藪睨み悠仁の評判は悪く、とても海外王室の前に出して、英語で御挨拶などできる知能もなく、易怒性も顕著で、難聴も加わり、王宮殿への訪問、マナーを守っての宿泊、静粛を保つことなど、どれも困難とみられたので、表向きの悠仁役には悠子を選抜。ただ、紀子さんがどうしても自分が産んだ子が外されることを認められず、仕方なく随員の子供とするなど擬装身分で連れて行かせ、市中のホテルに泊まらせていたのでしょう。
ところがブータン到着時にタラップから降りてきたのは、藪睨み君の方で、悠子さんは隠されていたことから、この報道を見た美智子さんが怒り、入替えさせ、そのゴタゴタでラバ登山時には、二人が同時に顔合わせする大事件となったものと思われます。
ブータン到着時の「悠仁」と王宮殿や博物館訪問時の「悠仁」(悠子)ではあきらかに別の子だし、同じ「とりかへばや物語」を演じるにしても、美智子さんの思惑と紀子さんの意思が違っていたのでは、歌舞伎のようにうまく七変化することなどできませんよね。
小学校高学年は、男女の成長の早さの違いが一番わかりやすい時期だと思います。中学入学にかけてのこのころ、女子は先に背が早く伸び、一方、まだ小柄な男子が割にいます。もちろん個人差もあります。知的・精神的にも、女子の方が成長が早いです。
小さいころから「発達障害では?」「発達が遅いのでは?」などと見られてきましたから、それを挽回し、「こんなに普通に成長しています」アピールのため、悠子さんに白羽の矢が立ったのでは、と推察します。
それにしても、その先はどうなるか、なんて考えていない? いつものお粗末ぶり。かえって、これも何かの陰謀かしらなんて深読みして頭を悩ませています。
この二人は誰がみても別人です。兄妹ですらない、赤の他人並みのちがいがあります。ただ同じ衣装で出てくることがあるので、ときどき見間違うだけです。
見て子さんは最初から、下手な鉄砲でも数さえ撃てば、一人くらいは健常男児ができるはずとの読みからこの多産作戦を推進してきたのでしょう。だから悠仁1号が役立たずと分かれば、すぐ「撃ち方下がれ」で、前線から下げ、そのまま廃嫡することに何ら躊躇いはないはずです。それが紀子さんの産んだ本悠仁であれ、代理母の子であれ、見て子さんにはどうでもよい話で、要するに恵美子さんの子孫ならば、大叔母としてそれでいいのでしょう。
そこには紀子さんとの大きな溝があり、悠子さんへの悠仁役交代命令に逆らった紀子さんが、悠子さんの首に痣がつく・・行為が起きるほどに、この愛憎劇は深く、陰湿な方向へと変化。それでも何かのきっかけで悠仁1号を廃嫡させるしかなくなり、紀子さんも見て子さんの軍門に降って、いまは男女悠仁sを問わず、自分の地位が確保できればよくなり、使い物にならないと判明した悠仁sは情け容赦なく、二度と再び外には出られない251・252号棟送りにするようにしたんだと思います。
現在のツクヒトさま路線は、紀子系の卵子ではないから、マネージメントも別にされたのではないかと考えています。ここで指摘があった、女子職員宿舎名目で建てられた7千万住宅です。
こちらは内返しの有刺鉄線フェンスでは囲まれてはいないので、比較的自由に中の子らは御用地内を歩き回れるのでしょう。マッシュルーム型かつらをとれば、それぞれ全然ちがうイメージの女の子が出てくるのかも知れません。