秋篠宮ご夫妻と悠仁さまの熊本エコノミー旅行 2~3日目は研究者から論文の書き方を「教わった」のかも…
昨日から、NEWSポストセブンの『秋篠宮ご夫妻と悠仁さまが熊本に極秘“格安旅行”飛行機はエコノミー、宿泊先は古民家を移築した民宿』という記事がちょっとした話題になっている。
筆者の目からみても、「これホントなの?」とツッコミたくなる点がいくつかあるなか、真剣にググっていたところ、ちょっとした収穫があったのでお伝えしてみたいと思う。
なお、オレンジ色の網掛け部分がNEWSポストセブンの記事の本文となる。
熊本県球磨郡五木村は、標高1000mを超える九州山地の山岳地帯にある緑深い山里である。人口は1000人に満たない。春は若葉が芽吹く新緑の木々に囲まれ、川の流れる音に混じって、賑やかに鳥の鳴き声が聞こえてくる。村を流れる川辺川は、2006年から16年連続で「水質日本一」を受賞する清流だ。熊本空港から車で1時間ほどのその村に、4月4日、秋篠宮ご夫妻と長男・悠仁さまのお姿があった。
熊本空港から五木村へ向かうルートは、Google Mapによれば2つあるもよう。だが車で1時間ほどとは、まさかのスピード違反でもしたのだろうか。いずれのルートでも、普通は1時間30分~1時間50分かかるようだ。
「悠仁さまはご両親と、4日から2泊3日でお忍びの私的な旅行に出かけられました。飛行機はエコノミークラスを使われ、村落の民宿に宿泊されるなど、いわゆる“格安旅行”でした」(宮内庁関係者)
私的旅行とあって、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまはカジュアルないで立ちだったという。五木村の住民が振り返る。
「黒いイヤホンをしているSPのかたがたくさんいたから、“誰か有名人がいるのかな?”って。よく見たら秋篠宮ご夫妻と悠仁さまで、もう驚いちゃってね。御三方もSPのかたもラフな格好をされていましたよ。悠仁さまは“普通の高校生”という印象でした」
その旅行の参加者は、秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、そのお世話係、宮内庁職員、SP、そして悠仁さまに民族学や焼畑などの解説をしてくれるであろう専門家。さらに、特にお気に入りの記者あたりか。彼らを目的地に一気に運ぶなら、ATR42-600型機(座席数48、エコノミーのみ)あたりをチャーターしたのではないかと想像してしまう。
御一行は、地元食材がふんだんに使われたランチを召し上がられ、歴史文化会館を見学。その後、「道の駅 子守唄の里 五木」に向かわれたという。
「語り部の話や熊本県の民謡『五木の子守唄』を聴いておられました。古民家の中に置かれた写真などの資料を1枚1枚、丁寧にご覧になるお姿が印象的でした。
…とあるが、名称に誤りがある。歴史文化会館ではなく「五木村歴史文化交流館ヒストリアテラス五木谷」だそうだ。こういう名称は正しく報じ、宣伝してあげればよいのにと思う。
しかも、誰が「古民家」と説明したのだろう。
上の写真の建物は現地のウェブサイトを見ると、古民家ではなく「子守唄公園の茅葺(かやぶき)民家」と呼ばれていることがわかる。
悠仁さまの様子について、NEWSポストセブンは「写真を丁寧にご覧になっていた」と書いている。もちろん写真もあるだろうが、主な展示物は彫刻コンクールの入賞作品と昔の農機具・道具だそうだ。ちなみに、公式ウェブサイトには、確かに「語り部が常駐しており、五木の子守唄の披露や昔話が楽しめる」とはあった。
悠仁さまは物産館でお買い物をされていましたよ。五木村は、林業が盛んで杉を使ったクリアファイルやうちわなどの小物がたくさんあります。そうした杉の商品や、名産の柑橘『くねぶ』のポン酢、五木村産のはちみつなどを購入されていました」(前出・宮内庁関係者)
五木村に伝わる「太鼓踊り」もご覧になったという。「この3年間はコロナ禍で、お祭りでも踊らなかったので、久しぶりの演舞でした。悠仁さまらがいらっしゃることは直前に知り、驚いて前夜に練習したんです」(別の五木村の住民)
いやいや…。五木村の公式ウェブサイトに写真と解説があるが、太鼓踊りは例年5月と11月のみ。天気の良い、観光客も訪れるような季節に限定して行われるのだろう。
この衣装は見るからに虫干し・陰干しが必要で、明日すぐに着られるような感じはしない。カビを防ぐよう収納場所は工夫されているだろうが、着物にこもっている湿気や臭いを放つ必要があるだろう。
そして太鼓踊りは、何ヶ月間もメンバーが集まっていないなら、なおさらリズム合わせや練習が必要。また締め太鼓も、収納庫から引っ張り出してきて翌日に思い切り叩くことは普通しないだろう。締め太鼓は紐の締め方で音程が変わり、違和感があれば太鼓職人さんの元に持ち込み調整をしてもらう、そういう準備期間を経て練習が始まるのだ。
さらに山の奥へ──向かった先は、現在9戸のみ、最年少が60代で、ほとんどが独居という限界集落だった。隣家に行くにも車が必要なほど離れている、まさに“日本の秘境”。実は、秋篠宮さまはこの地に住む、知る人ぞ知る90代の女性にお会いすることを望まれていたという。
「彼女は長年、焼畑農業に携わってきたかたで、民族学の専門誌でも特集されたことがある人物です。秋篠宮さまは、昨年、国立民族学博物館(大阪府吹田市)で行われた『焼畑』に関する企画展で取り上げられていた彼女に興味を持たれたのでしょう。滞在は1時間ほどで、御一行は彼女とともに散策されながら焼畑についての話をされ、悠仁さまは彼女の目を見ながらじっと耳を傾けられていました」(前出・宮内庁関係者)
“民族学の専門誌でも特集されたことがある人物” “昨年、国立民族学博物館の『焼畑』展で取り上げられた” となると、おそらく五木村から車で6kmほど南東に走ったところにある熊本県球磨郡五木村甲の限界集落、下梶原地区にお住まいの嶽本キクエさんのことであろう。同博物館・友の会の会誌「季刊民族学」177号の表紙を飾った高齢の女性で、五木村の広報誌「いつき」の敬老関係の情報から、現在は91歳でいらっしゃるようだ。
なお、この写真を2021年に撮影された寺嶋悠さんは、「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」のメンバーで、観光・地域づくりアドバイザーとしてご活躍中。国立民族学博物館の池谷和信氏の取材などに、たびたび協力されているもようだ。
ちなみに、嶽本キクエさんが「知る人ぞ知る」とされる理由は、この会誌だけではない。2021年8月12日、テレビ東京の『ナゼそこ? 「日本三大秘境で発見97歳&超山奥で迷子」3時間半SP』のなかで、「熊本 超山奥 3時間 迷って 行き止まりへ! あなたより秘境に住む人知りませんか?」というコーナーに出演されていたのだ。
秋篠宮さまは、以前より焼畑に高い関心を寄せられてきた。2006年のパラグアイ訪問では、現地の日系人から入植後の様子を耳にされたという。
「そのときに聞いた、焼畑農業の難しさが印象に残ったようで、同年の誕生日会見でも言及されていました。以降も定期的に日本の伝統的な焼畑農業を視察されています」(別の宮内庁関係者)
ちなみに先ほどの寺嶋悠さんは、平成21年度(2009年度)NGO・外務省定期協議会「第2回ODA政策協議会」では、アジア開発銀行福岡NGOフォーラム(FNA)のメンバーとして、「メコン川委員会の役割とメコン川委員会(MRC)に対する日本政府の資金供与について」という協議に臨んでおられたという。
池谷さんの活動にも協力しておられるご縁から、ひょっとするとタイ支援に熱心な秋篠宮さまとは、すでにお知り合いなのかもしれない。
狭い道も多い国道を走り、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは宿泊先の民宿に向かわれた。
「築100年を超える古民家を移築して造られた立派な建物です。秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、民宿自慢のジビエや山菜料理を楽しまれたことでしょう。ひのき風呂では疲れを癒されたでしょうね」(前出・宮内庁関係者)
なんというヒント満載の文章。ちょっとググっただけで、熊本県八代市泉町葉木にある「佐倉荘」さんのことだとわかる。
熊本ではなく宮崎の椎葉村に向かったのではという説もあるため、これはあくまでも筆者の見立てではあるが、おそらくここで1日目が終わりなのだろう。そして、NEWSポストセブンの記事に2日目以降について何ら記されていないことが気になっている。しかも、2日(4月5日)と3日目(4月6日)はともに悪天候だったのだ。
何かフィールドワークを予定していたとしたら、これはかなり残念な展開だったに違いない。ひょっとして、2日目はどなたか研究者から座学でみっちりと(アクビをこらえながら)民俗学や焼畑について教わり、3日目は「日本学生科学賞」を視野に入れ論文の書き方などの指導を受け、再び熊本空港へ向かわれたのかな…という気もする。その賞を狙うなら提出期限は9月だ。急がなければ…。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『五木村観光情報』子守唄公園 ― かやぶき民家
・『五木村歴史文化交流館ヒストリアテラス五木谷』 NEWS/CHECK/GUIDE
・『五木村』伝統芸能 田口の太鼓踊り
・『展覧会・博物館・美術館・記念館』「焼畑 ―― 佐々木高明の見た五木村、そして世界へ」国立民族学博物館
・『TVでた蔵』ナゼそこ?「日本三大秘境で発見97歳&超山奥で迷子」3時間半SP
・『五木村広報誌』令和2年(2020年)10月号 ― 敬老の日・喜寿・米寿・五木村の最高齢者
・『online 国立民族学博物館ミュージアム・ショップ』『季刊民族学』177号
・『日本財団アジア・フェローシップ』Yu Terashima
・『外務省』平成21年度(2009年度)NGO・外務省定期協議会「第2回ODA政策協議会」
・『佐倉荘』公式HP ― 五家荘 山里料理の宿 佐倉荘