「雅子さまの御紹介飛ばし」@2003年メキシコ元大統領の晩餐会 調査はまだ続いています!
2003年10月、メキシコからビセンテ・フォックス・ケサーダ元大統領をお迎えしたなか、天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)の主催で開かれた宮中晩餐会。そこで、当時皇太子妃であった雅子さまの紹介はあったのか、なかったのか――。
今年5月、【皇室、徒然なるままに】をご寄稿下さっている理学博士の西村 泰一先生が、この件について「元大統領が出版した噂の回顧録を入手し、確認してみる必要がある」と調査に乗り出してくださった。
筆者もさっそくX(Twitter)、皇室関係の詳しい知識をお持ちの方が大勢いらっしゃる掲示板『ガールズちゃんねる』さん、そして弊ブログにて皆様に広く情報提供の協力を呼び掛けてみたところ、国内の4名、中南米の3名の方からメールを頂戴した。
「図書館にあった場合、スペイン語の和訳をして連絡する」とお申し出くださる方が多く、本当に心強く有難いと感じた。3ヶ月以上経ったところで、一旦中間報告をさせていただきたいと思う。
回顧録は改訂版が何冊もあるなか、西村先生は片っ端から海外に注文。また、南米にお住まいの方は地元の図書館や大学の図書館で、また関西のある大学で図書館長をなさっていた方も、海外の大学の図書館から1冊を入手してくださった。
そんな方々には、その都度メールでお返事させて頂いてきたが、X(Twitter)では以前にも増してセンシティブ表示の割合が悪化しており、『ガールズちゃんねる』さんには投稿数日後からアク禁にされてしまった(おそらく通報されたのだろう)。中間報告はこのブログからのみとなることを、お許しいただきたいと思う。
この後、西村先生からのご報告を【皇室、徒然なるままに】第24話として紹介させていただく予定だが、その前に、この件についてちょっとおさらいしてみたい。
◆ひどく傷ついた雅子さまは心を病み、長期の療養へ
メキシコのフォックス元大統領夫妻を迎えてのその宮中晩餐会では、主催者である両陛下が皇族方を順に御紹介するはずだった。皇太子殿下が紹介されたら次はもちろん妃殿下の雅子さまだが、陛下はその雅子さまの御紹介を省略してしまったという。
これに雅子さまはひどく傷つき、妃殿下としての自信も失い、帯状疱疹を発症され、11年という長い療養生活に入るとともに、以後の宮中晩餐会には出席することが出来なくなってしまったそうだ。
フォックス元大統領は雅子さまの心身を大変心配し、回顧録にその事実を綴られた…というのが、ここまで出た話である。
◆「到底起こりえない」と文春を糾弾した宮内庁
10年以上経ってから、その件を公にしたのは週刊文春(2014年11月13日号)の友納尚子記者だった。そうすっぱ抜かれた宮内庁は、「天皇陛下は悪くない」とばかり慌てて反論。なんと秋篠宮が証人だとし、こう釈明された。
これまで踏襲されてきた皇族方の国賓に対する御紹介の段取りからして,「皇太子妃殿下を飛ばして」というようなことは到底起こり得ないことです。
(中略)
国賓御夫妻への皇族方の御紹介及びそれに続く行事は,毎回全く同じ段取りで取り進められており,その第一段階で,秋篠宮殿下以下全員の皇族が見守られる中で,天皇陛下が,皇太子妃殿下を賓客に御紹介になることなく,秋篠宮殿下を御紹介になるというようなことは到底起こり得ません。
念の為2003年10月にメキシコ大統領を国賓としてお迎えした際の宮中晩餐での御紹介の状況につき,当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ,自分(殿下)は,行事などの際に,何か手順通りに進められなかった場合は,直ちに気が付く方だし,また,再発を防ぐためにもかなりの長きにわたりそれを記憶しているつもりだが,これまで国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを陛下がなさったという記憶は全くなく,皇太子妃殿下を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う。
また,万一にも自分が先に紹介されそうになったら,自分は必ずその場で陛下に申し上げ,皇太子妃殿下の紹介が先になるように取り計らったと思うとの御返事を頂きました。
こうして宮内庁は、週刊文春編集長及び友納尚子記者に対し、内容を訂正するよう求めたのだった。ところがこの発表文にはとんでもない嘘が含まれていた。
◆証人の秋篠宮、その場にいなかったことがバレる
秋篠宮さまは、なんとその晩餐会の場にはいらっしゃらなかった。ほぼ1年後となる2015年12月、天皇陛下が雅子さまの御紹介を飛ばしてしまうなど、決して起こり得ないという見解は変わらないとした上で、上述の発表文の一部を訂正した。
実際には当日,秋篠宮殿下は愛知県お成りのため欠席されていましたが,秋篠宮殿下がメキシコ大統領の宮中晩餐におけるお話をされたような印象を与えたことは当庁の不手際でありました。
当時の発表文の中で,「念の為2003年10月にメキシコ大統領を国賓としてお迎えした際の宮中晩餐での御紹介の状況につき,当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ」との記載は,「念の為宮中晩餐で,出席されたすべての皇族方を天皇陛下が御紹介する場において,秋篠宮殿下が何か奇異に感じられたことがあったかを伺ったところ」と訂正します。
その晩餐会に秋篠宮がいなかったことを、他の皇族、外務省儀典長以下外務省の職員、宮内庁職員、政界財界などの招待客、それにマスコミなど多くの人が知っていた。「嘘はやめた方がいい」とどなたかが指摘したのであろうか。
◆大統領と一緒に訪日したメンバー
ただし、リタイアしてから自伝や回顧録をしたためる政治家は多い。「雅子さまへの同情を綴ったのは、フォックス政権でエネルギー庁長官を務め、次いで2006年12月1日~2012年11月30日まで大統領を務めた、フェリーペ・デ・ヘスス・カルデロン氏(現在61歳)ではないだろうか」という仮説をメールで送ってくださる方もあった。
フォックス大統領と雅子さまは共にハーバード大学卒、とはいうものの年齢が離れすぎか。一方のカルデロン氏もハーバード大学で学んだといい、回顧録2冊のうち1冊は2014年春頃に出版されている(同年秋に文春が記事を掲載)。非常に丁寧な考察が綴られていた。
筆者は南米在住のある方にこの件について相談し、カルデロン氏について調べていただいた。すると、メキシコ上院の2003年11月13日発行の刊行物を案内され、そこには2003年訪日メンバーのリストがあった。
これをGoogleに翻訳してもらったところ、このように示された。
ルイス・エルネスト・デルベス・バウティスタ博士、外務長官。
フェルナンド・カナレス・クラリオンド弁護士、経済長官。
アンブ。 カルロス・デ・イカサ、駐日メキシコ大使。
アルフォンソ・ドゥラソ弁護士、大統領私設秘書兼共和国大統領報道官。
バグダの将軍。 ホセ・アルマンド・タマヨ・カシージャス大統領参謀総長。
ユージェニオ・エロルデュイ・ワルサー弁護士、バハ・カリフォルニア州知事。
パトリシオ・マルティネス弁護士、チワワ州知事。
エンリケ・ベルーガ大使、外務次官。 そして
アンヘル・ビラロボス経済省国際貿易交渉次官。
大統領の特別ゲストとして、上院理事会副会長のカルロス・ショーランド・アルザテ上院議員も出席した。
というわけで、大変残念ながらフェリーペ・デ・ヘスス・カルデロン(Felipe de Jesús Calderón)といった名前はなかった。そこで西村先生が直接フォックス氏にメールしてみたが、来年6月の大統領選挙に向けて準備が忙しくなった頃でもあり、返信は得られていないという。
◆直近で確認した1冊の中に
また数日前、関西のある大学で図書館長をしていらっしゃった方から、「長くかかったが、ついに1冊が届いた」というご連絡を頂戴した。職場でご一緒だった方のご協力を得て、国立台湾大学区図書館の蔵書を取り寄せて下さったのだという。
有難いことに、中身もチェックしてくださった。その本は2007年の出版で、日本についても確かに書かれていたといい「2001年から2004年にかけての経済連携協定において、小泉総理と様々な駆け引きがあった。2003年10月に訪日して小泉総理と会った。国会に行った」といった記載が確認できたそうだ。
◆出版時のプロモーションでポロッと口走ったとか…
海外の財界政界の大物、セレブリティーは自伝、回顧録、あるいは暴露本などを出版することがお好きだ。そして、書店に並ぶ頃にはとにかくプロモーションに精を出し、テレビ、ラジオや雑誌のインタビューをたくさんこなす。
本に綴ったことプラス、こぼれ話やオフレコの話なども聞かせたりしてますます興味、関心、注目を集めていくわけだが、そういった中でフォックス大統領がポロっと何かを口走った、ということは考えられないだろうか。
何しろベン・ヒルズ氏の著書『プリンセス・マサコ/Princess Masako:Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne』が世界で話題になったのは、2006年12月のこと。その後にフォックス大統領の回顧録は出版されたのだ。
宮中晩餐会に招かれたのであれば、インタビュアーも「日本の皇室といえば『プリンセス・マサコ』の本が話題ですね。菊のカーテンの世界は、やっぱりあんな感じなんでしょうか」くらい、尋ねてもおかしくないように思う。
そう考えると、筆者は「回顧録の中に綴った」の他に、「回顧録出版時のプロモーションでポロッと暴露した」という線も視野に入れてみたい。というわけで、まだまだ結論が出ていないことを、ここにご報告させていただきたいと思う。
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★この後、西村 泰一先生からのご報告が続きます★
西村先生は、数学の超難問と格闘する人生を送って来られただけあって、とにかく忍耐強く、諦めるということをなさいません。
この後の【皇室、徒然なるままに】第24話では、先生がその回顧録について立てられた、1つの仮説が紹介されます。
「今日は忙しいので長い手紙を書きました」
皆さんは、この文章の読み解き方をご存知でしょうか。どうぞご期待ください!
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(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『宮内庁』「週刊文春」(平成26年11月13日号)の記事について 平成26年11月13日
・『宮内庁』「週刊文春(平成26年11月13日号)の記事について」の一部訂正について
・『Wikipedia』Felipe Calderón
・『Gaceta del Senado』Poder Ejecutivo Federal ― Jueves 13 de noviembre de 2003