【皇室、徒然なるままに】第42話:オンライン『狂歌の狂宴』 天皇家の祖神にリモートでご参加いただきました  西村 泰一

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毎年、宮中で「歌会始の儀」が行われる頃、私のほうでは『狂歌の狂宴』を執り行っており、すでに鬼籍に名を連ねられた天皇様方にもリモートでご参加いただいております。

今年のお題は「妖」でございました。上は、八百万の神々の最高位でいらっしゃる、天照大神がお詠みになられた御歌でございます。

以下、この宴で詠まれた御歌をいくつかあげておきます。


【狂歌の狂宴】

 

 

 

 

 

 

【レーニンとスターリン】

人間は、言葉には対してはそれ相応に疑うことをするのだが、写真で示されると問答無用に信じてしまうところがある。写真の捏造をする方は、その人間の心理を巧みに利用していると言える。ここではスターリンによるそれをご紹介してみたい。

ご承知のようにレーニン(1870-1924)は、第一次世界大戦のさなかにロシアで世界初の社会主義国家を樹立するが、その折には40代であった。神というのは残酷なもので、レーニンは1921年から重病の床にあり、事実上の引退を余儀なくされていた。

1922年には後継書記長としてスターリンが選出されたが、共産党の主導権をめぐってトロツキーとの対立が激しくなっている。1924年1月21日、レーニンはついに脳梗塞で死去し、どちらが「革命の父」レーニンの意志を継承するにふさわしいか、という争いが表面化した。

実は1922年12月、レーニン自身がその二人をどう見ていたのか、遺書に明確に記された。だが当時、それは明らかにされていない。結局、権力闘争に勝利したことでスターリン体制が続いたが、その間も一貫してレーニンの遺書は秘密にされ続けた。

それが1956年、フルシチョフによるスターリン批判を経て、ようやく公開された。その一部には次のようなことが書かれていた。

 

わたしは、この観点から見た安定性の問題で基本的なのは、スターリンやトロツキーのような中央委員であると考えている。彼らの相互関係が、わたしの考えでは、分裂の危険の大部分をつくりだしている。この分裂は避けることのできるものであるだろうし、それを避けるには、わたしの意見では、中央委員の人数を五〇人あるいは一〇〇人にまでふやすことが、とくに役だつにちがいない。

 

同志スターリンは、党書記長となったのち無限の権力を自分の手に集中したが、わたしには、彼がつねに十分慎重にこの権力を行使できるかどうかについては、確信がない。他方、同志トロツキーは、交通人民委員部の問題をめぐっての彼の中央委員会に対する闘争がすでに証明したように、卓越した才能という点でぬきんでているだけではない。

 

個人としては、彼はおそらく現在の中央委員会のなかでもっとも有能な人物であるが、しかしまた、あまりに自分を過信し、物事の純粋に行政的な側面に過度に熱中しやすい。

 

現在の中央委員会のこの二人の卓越した指導者のこのような二つの資質は、ふとしたことで分裂をもたらすことになりかねない。そして、もしわが党がそれを妨げる措置をとらないならば、分裂が不意におとずれることになるかもしれない。

 

スターリンはあまりにも粗暴である。そして、この欠点は、われわれ共産主義者の仲間うちや、交際のなかでは、十分がまんできるものではあるが、書記長の職務にあってはがまんできないものになる。

 

だから、スターリンをこの地位から更迭し、ただ一つの長所によってほかのあらゆる点で同志スターリンとは異なるべつの人物、すなわち、もっと辛抱強く、もっと誠実で、もっとていねいで、同志にたいしもっと親切で、彼ほど気まぐれでない、等々の人物をこの地位に任命する方法を熟考することを、わたしは同志諸君に提案するのである。



【スターリンは合成写真でPRを図るも…】

さて、そのスターリンであるが、トロツキーとの権力闘争に勝利するため、次のような合成写真を宣伝に用いている。

モスクワ近郊のゴルキにて。親しそうに見えるレーニンとスターリンの写真(画像は『meisterdrucke』のスクリーンショット)
モスクワ近郊のゴルキにて。親しそうに見えるレーニンとスターリンの写真(画像は『meisterdrucke』のスクリーンショット)

スターリンはこの写真で、自分がいかにレーニンに近い人間かを強調したかったのだと思われる。そして、それは功を奏した。権力闘争に破れたトロツキーはメキシコに亡命した後、1940年にスターリンの放った刺客に暗殺されている。

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それでは第41話の締めくくりの1曲、『Y hvEt/周深ZhouShen调查中remix天鹅湖Swan Lake-高解析人声 戴耳机』をどうぞ!

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。


【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『meisterdrucke』モスクワ近郊のゴルキにあるレーニンとスターリン、1922年、1939年。

『YouTube』Y hvEt ― 周深ZhouShen调查中remix天鹅湖Swan Lake-高解析人声 戴耳机

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