「お調べいただきたい事」古い文献を入手されたKさんへのリクエストを締め切りました

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こちらの【YOUR VOICE】に数日前、東京都在住のKさんという方からとても有難いお申し出を頂戴しました。

先月21日に出した、「高尾山に胞衣を埋納」という記事がきっかけで、Kさんは皇室関連の書を入手されたといい、ご親切にも最後に「何か調べてみましょうか?」と書き添えられていました。

筆者も2点頭に浮かんだのですが、読者様にも伺ってみましたところ、さっそくコメント欄およびメールにいくつものリクエストを頂戴しました。

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内容は以下の通りです(お名前は省略、本文のみ)。皆様、ありがとうございました。

 

■新平民(群馬県館林市)でありながら(正田家はそこから分家したそうですね)、昭和33年ご成婚に至った美智子さまは、内部でしか分からない何かエピソードなどの記述がありますでしょうか? 婚約者までいたというのに、不貞の文字がよぎります。明仁さんと知り合うきっかけは、皇族政治家でも入会許可が中々出ない「東京ローンテニスクラブ」に正田家が「家族会員」で入会して、美智子さんが積極的テニスに行かれたとか…

 

■作家の川端康成氏が葉山?の御用邸で美智子様にお会いした際の記事で、「今にも生まれそうな臨月のようなお姿だった、、」と。そのような川端氏との面会の記事など実録にありませんか? 昭和天皇が亡くなられたのは昭和64年1月7日ですがコメント欄には本当はその前に亡くなられていたけどお正月だったから発表を遅らせたと書いてありました。侍従さんの日記に書いてないでしょうか?

 

■>溺愛の次男は、美智子さまが葉山の御用邸で療養中に 授かった怪しい子

昭和天皇は、礼宮が自分の孫では無い事を御存知だったと聞き及んでいます。美智子さまは細身で、臨月になるまで周囲の侍従は懐妊に気付かなかった…と。それさえも事実かどうか分かりません、菊のカーテンの奥の事なので。人目に出す前に 養子?にとか、実は美智子さまの妹の子だとか…の噂も聞いています。でも、皇族の不祥事を世間に曝す事も出来ず、礼宮を孫として認めたそうです。成人しても「宮家は持たせない」との約束で。

2024.6.3 皇○新○にあった投稿です。この頃の事、実録で調べることできないでしょうか?
(大変勝手ではございますが、文章を少々編集させていただきました。)

 

■14日に逝去された千玄室さんの出自と家系を伺いたいです。やはり深~く何かが繋がっているようですね。超高齢の寿命を得て、102年間は当然激動の最中であったと思います。イケメンの次男に先立たれて、昨年はお孫さんにも先立たれて悲しい時間を過ごしたのでしょう。別嬪さんの奥様も先立ってしまわれました。奥様は生前「是非にも皇族との御縁を賜りたい。」と熱心に語っていたそうです。結果、三笠宮容子内親王と結婚して、長男が裏千家家元を継ぎ16代目に至ります。

何故、奥様が皇族に固執したのか知りたい。池坊家も仏教の歴史に存在しています。何かありそう。池坊家家元は初めて女性が襲名しましたね。(皇室の周囲から女性が代表に就任する時代の移り変わり。皇室も愛子皇太子殿下の実現する時代。)玄室さんの奥様も逝去されて30年近い年月が過ぎています。彼の地で皆が再会して労っているのかな? 御遺族方は服喪が重なってしまいました。

 

■川島家ではなぜ七代遡る家系図調査や過去帳調査を拒否したのか。
その後、いろいろ飾り立てられるも、最初の原点がここなので、ゆるがせにできないのはここです。

 

■香淳皇后が妊娠中の美智子妃の見舞いに行ったが、非常に立腹して帰ってきた。昭和帝はすでにご承知だったようで、その話を聞いても平然としていた。という話。その本でなかったかもしれませんが、確認できるものであればしておきたいです。昭和40年の話、低確率だけど39年後半の可能性もあります。

 

■>宮内庁が本来ならば七代遡って調査するべき家系図調査や寺の過去帳調査を「結婚差別だ」と紀子さまの父が大反対し、野中国会議員を伴って、美智子さまと直談判して中止させたとかで、最初から大荒れムードだったように長年聞かされてきております。

この頃の事?「川嶋某不快なり、、」の昭和天皇の発言。この事について何か記入ありませんか?

 

■「礼宮は大学卒業したら、皇室から出て行け」と言われていたと聞いたことありますが、その辺りのことは書かれていますか?

 

■アーヤご懐妊の頃のことを知りたいです。上皇后がアーヤをご出産されたことについて、当時の朧げな記憶ですが、実家の母が「おめでたの発表もないのにいつのまにか生まれた」と不思議がっていたのです。「ぶどう子なのに良く授かった」とも言っていた記憶があるので、どこかにそのことについて書かれていないものかと思います。

 

■美智子さまは結婚前に子供を産める身体と確認したのでしょうか?

 

■「安西」「昭和電工」「恵美子さん」で何か言及されていないか、わかると有り難いです。

 

■秋篠宮が生まれた頃の事は書かれてないでしょうか? 美智子さまがその少し前に胞状奇胎になられた時の事などを知りたいです。

 

■「浩宮の次は浩宮の子」という昭和天皇のご発言について、書かれていないか知りたいです。この頃はすでに、男のお孫さんお二人について「賢く品行方正な浩宮」「多動で感情の制御が効かない礼宮」と、差がはっきりとしていたと思うのです。(朝比奈より)

 

■昭和60年代に宮内庁に勤めていた方なら皆さんご存じだという「川嶋某不快なり」というご発言が気になっています。(朝比奈より)

 

以上、Kさんには大変お手数をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い致します。

なお、日数を頂戴しますが、Kさんからご返答はまとめてご紹介したいと考えております。リクエストに対し個別のお返事はさし上げませんので、その際はどうかお見逃しのないように…!

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
【YOUR VOICE】「高尾山に胞衣を埋納」記事がきっかけで皇室関連の書を入手 あれこれ調べています。

『エトセトラ・ジャパン』秋篠宮家の子供たちの「胎盤」が誰も足を踏み入れない高尾の山奥に それが本当の地位評価では?の声も 2025年7月21日

1件のコメント

  • Kさん、お忙しい中、猛暑の中、お手数をおかけします。m(_ _)m

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