「大阪市をおおいに発展させた市長」と銅像建立の紀子さま曾祖父・池上四郎氏 『大阪府の歴史』本で記載はたった1行
先日、青森県にお住まいの学者さんが、秋篠宮妃紀子さまの曾祖父・池上四郎氏について伝記を出版された。これがきっかけで、「紀子さまとはそんな偉大な方の曾孫だったのか!」とびっくりし、池上氏について改めて調べてみたという方は多かったようだ。
天王寺動物園の生みの親で、市営地下鉄の計画から予算獲得まで関るなど大阪の発展と都市機能の整備に大きく寄与したと称賛されることが多く、大阪には銅像まで建っているという池上四郎氏。ところが、それほどの方なら必ず掲載されているであろう「人名事典」「人物事典」などに、その名を探すことはなかなか難しいという。
Wikipediaはイメージアップやイメージダウンを狙い、情報をすり替えていくことが可能なため、今、「秋篠宮さまとの結婚で、紀子さまの祖先の情報が書き換えられてはいないか?」という声は多い。
以下の記事も、お時間があるとき是非ご一度を!
■紀子さまの話題の曾祖父・池上四郎氏 1920年代後半に関西に渡った大勢の韓国人の恩人だった
■紀子さま祖父・川嶋孝彦氏の謎 帝大卒中央官庁のエリートで勲章授与、Wikipediaは輝くも「現代日本 人物事典」に掲載ナシ
これらの記事をフォローする形で、このゴールデンウィーク中に地元の図書館ほかを訪ね、さらなる情報を収集してくださったのが、トンボ論文記事のため、ご自身が撮影したトンボの美しい画像をたくさん送ってくださった、関西在住のCさん。今回はそのCさんからの情報をご紹介させていただきたいと思う。
◆手に取った書籍
Cさんは『日本人名大辞典』『日本近世、近現代人名辞典』『日本人名辞典』『新潮日本人名辞典』『近現代日本女性人名辞典』など、有名どころは全て手に取って調べてくださったといい、数点の画像も送って下さった
(A)
(B)
(C)
◆まずは兄・池上三郎氏を発見
Cさんは『平凡社 人名大事典』(上のB)に、紀子さまの曾祖父だという池上四郎氏ではなく、その兄の池上三郎氏(1914年没)について掲載があることを発見した(水色の枠)。
左隣の赤い枠に「イケガミシロー池上四郎」とあるが、鹿児島県生まれの全くの別人であったという。
Wikipediaによると、三郎氏はこんな人物である。
治期の司法官、検事。函館控訴院検事長。従三位勲二等。族籍は福島県士族。明治10年(1877年)司法省に入り、長崎、大阪各控訴院検事、神戸地方裁判所検事正を経て、明治38年(1905年)、函館控訴院検事長に。実弟に、第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監を務めた池上四郎がいる。
この大事典はデータは非常に古いものも扱っており、初版第一刷から第四刷まで、秋篠宮夫妻の結婚の影響をまったく受けていない出版と言えそうだ。
ここでもう一度、このたび伝記本まで出版された紀子さまの曾祖父・池上四郎氏についておさらいしてみたい。1857年、現在の福島県会津若松市で生まれ、その経歴や功績についてWikipediaにはこうある。
富山県警察署長、京都府警部、千葉県警察部長、兵庫県警察部長、大阪府警察部長などを歴任。
1913年に大阪市長に就任(3期10年)。電気・水道事業、大阪港建設など都市基盤を整備。1915年に天王寺動物園を開園。1919年に全国初の児童相談所・公共託児所を開設。大阪電灯株式会社より事業買収で電灯供給事業を市営化。市庁舎を新築。博物館、図書館、病院を整備。
1927年、当時日本が植民地政策を推し進めていた朝鮮半島に「朝鮮総督府政務総監」として赴任。志半ばで1929年(昭和4年)に病死。
第6代大阪市長として手腕を発揮し、大変な実績、功績で大阪を発展させたとたびたび書かれてきた池上四郎氏。これだけ偉大な方であったにもかかわらず、1973年版・朝日新聞社『現代人物事典』と1990年版・同『現代日本・朝日人物事典』のいずれにも池上四郎氏についての記載はない。さらに、Wikipediaでは編集履歴によりご家族、ご親族に関する参考文献、資料などが大量に「取り消し」となっていることもわかっている。
◆単行本サイズの『日本歴史人名辞典』にあった!
Cさんはやっとのことで、単行本サイズながら分厚い『講談社 日本歴史人名辞典』(上のA)に、池上四郎氏の項目を発見したそうだ。
ちなみに、この本の発売日は1990年10月05日。秋篠宮夫妻のご結婚後のすぐ後である。
◆書かれていたのは「たった1行」
最新のメールで、Cさんからはこんなご報告を頂戴している。
「友納尚子さんの著書『ザ・プリンセス雅子妃物語』の返却日を延長してもらいたくて、本日は図書館に出かけました。その際、全国の都道府県の歴史を紹介する、山川出版社の新版県史シリーズから『福島県の歴史』『大阪府の歴史(上のC)』をチェックしました。福島県に池上四郎氏の記載はまったく無く、大阪府の本の「昭和戦前・戦中期の大阪/大大阪の繁栄」に、たった1行ですが、お名前が登場していました。」
図書で無断で何かを撮影することは憚れるため、Cさんはテキストで内容を知らせてくださった。
この第二次大阪市地域拡張を行ったのが第七代大阪市長の関 一(せき はじめ)である。
関は東京高等商業学校の教授であったが第六代市長の池上四郎にこわれて大正三年七月に大阪市助役となった。鉄道論や交通政策の権威であり、社会政策にも通じていた関は大阪市の土地土地政策にその腕を発揮した。市域の拡張はその一環である御堂筋の拡張などの第一次都市計画事業もその現れであった。
当時大阪市の工業生産は全国一であり、その豊かな経済力を背景にして、つぎつぎと都市基盤の整備が行われた。そのなかでも御堂筋の拡張整備と高速度鉄道(地下鉄)の建設、中央卸売市場の創出は画期的なものであった。また昭和天皇の即位を記念して、市民の寄付によって大阪城天守閣を再建復興したことも特筆される。
これは、これは…。Wikipediaではそうした功績のほとんどが池上四郎氏のモノになっている印象だが、実のところは、第七代目の大阪市長・関 一氏こそがかなりの手腕を発揮した、ということなのだろう。
◆Cさんの感想
Cさんは「これほどいろいろ見ても記載が殆ど無いというのは、ご本人にそれほどの功績がなかったからではないでしょうか。会津藩に関する書籍もあったので見てみましたが、記載はありませんでした。曾孫のおかげで皇室ゆかりの人となったため、身の丈以上に見せる書き換えなどが発生したのでは…?と感じます」とのこと。
秋篠宮夫妻が結婚したのは1990年6月のこと。池上四郎氏の項目を設けた講談社『日本歴史人名辞典』の発行は、奇しくもその年の10月であった。
今回、池上四郎氏が掲載されている事典(辞典)を探すのに本当に苦労されたというが、紀子さまの祖母・紀子(イトコ)さんの帝大卒中央官庁のエリートで勲章も授かった夫、川嶋孝彦氏もまったく見つけられなかったそうだ。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『Wikipedia』池上三郎
・『Wikipedia』池上四郎_(大阪市長)
あちらの弟さん家族には信頼は無いのと何でそんなにも増築しなけりゃいけないのか、とか何故学歴にこだわるのかとか疑問や不信感がいっぱいで皇族とか次期とか言われても疑心暗鬼な存在でしかありません。
早く一刻も早く皇室から出て行って一般の国民として生きていき我々の目につかない所でひっそりと暮らして欲しい、其れが唯一無二の弟家への望みです。
いつも正確なデータの裏付けに基づいた記事に感服しております
ふと思ったのですが
地域の歴史について一番わかり易く それでいて詳しく丁寧に追っているものは
小学校の副読本ではないでしょうか
小学3、4年生で自分のところの市町村
5年生くらいで都道府県だったような?
そういった副読本には地域の偉人は詳しく載っていると思われます
池上四郎氏の扱いはどうなのでしょうね。。
昭和天皇の「喪中婚約」でしたっけ?
つまりは昭和時代までに書かれた文献、書籍等しか参考にならないと言う事ですね。喪中婚約なので文献の区切りも昭和までと言う事でわかりやすくて良いですね。本当に良いと思います。