話題のタイ・チュラポーン王女、1990年代に父・プミポン前国王に勘当されていた! 秋篠宮と日本の支援だけが頼り?

この記事をシェアする

母であるシリキット前王妃の逝去で、タイに緊急帰国されたチュラポーン王女。膠原病のSLEを患っており、内臓や関節の不具合、手術などで数年前から車いす生活を強いられていた。ひどい硬直が感じられる満身創痍のお体で、この度もよく訪日されたものだと驚いたが、結局はイベントが用意されていた徳島文理大学に向かうことも叶わなかったようだ。

何らかの理由、必要性に迫られ、チュラポーン王女が秋篠宮さま、美智子さまあたりと会っておられたのではないかと勘繰る人が多い中、ちょっと気になる情報を発見した。無事ご帰国となったようなので、そちらを書かせていただきたいと思う。



ちなみに、弊ブログではチュラポーン王女について、過去にこういった記事を書いてきた。だが、大きな反響をいただいた2本目の記事に挿入した動画で「秋篠宮さまと再会された瞬間、王女の瞳が乙女のようにキラキラとした輝きを放った」と感じた数秒のシーンは、現在はカットされているようだ。残念! (画像クリックでもお読みいただけます)

 

『エトセトラ・ジャパン』チュラポーン王女

 

◆新たに知った情報とは…!?

秋篠宮さまと「実婚の仲」、いや間違えた、「昵懇の仲」だからとしか思えないほど、日本はタイのインフラ整備をソフト・ハード両面で支援してきた。ひたすら支援額を増やし、ドナー国として世界ダントツ1位だったのだ。

下の図は、いずれも『外務省・国際協力ODA』のスクリーンショットである。

対タイ援助において圧倒的な額を負担してきた日本(画像は『外務省・国際協力』HPのスクリーンショット)
対タイ援助において圧倒的な額を負担してきた日本(画像は『外務省・国際協力』HPのスクリーンショット)

 


 

もう十分であろうに、そしてタイ王室は世界一のお金持ちであろうに、日本はなぜか「チュラポーン研究所」の設立に、さりげなく計9億円も投じてあげていた。

資産家のプミポン前国王(ラーマ9世)も、可愛い王女にそれくらいしてあげられるはずなのに、なぜ日本に支援を求めてくる?と不思議だったが、今回久しぶりにチュラポーン王女に関する話題をいろいろと探していたところ、ちょっと興味深い記事を発見した。

それは、Wikileaksの『Thailand’s Moment of Truth (Part One of Four) Andrew MacGregor Marshall』という記事。18万超というものすごい単語数であったが、そこにはとても重要な言葉が含まれていた。チュラボーン研究財団、チュラボーン王立アカデミーにおいて研究の「不正」があったこと、そして王女の本当のお人柄についてである。



 

◆何が記載されていたのか

18万単語というすさまじい物語がそこに…(画像は『WikiLeaks』のスクリーンショット)
18万単語というすさまじい物語がそこに…(画像は『WikiLeaks』のスクリーンショット)

 

ファミリー、特にチュラポーン王女のお人柄に関しては、ウィリアム・スティーブンソンの著書『革命の王(原題:The Revolutionary King)』からの引用となっていた。

 

 お人柄について

プミポン国王とシリキット王妃の末娘、チュラポーンは1957年生まれ。全身性エリテマトーデス(SLE)を患っており、近年は国内での活動を減らしているが、ヨーロッパに頻繁に出かけて治療を受けている。

 

チュラポーンは「プリンセス・エンジェル」と呼ばれる姉のシリントーンとは異なり、心置きなく話せる相手がタイには殆どいなかったようだ。虚弱体質で病気がち、陰気くさい性格のチュラポーン王女は高価なファッションやジュエリーに夢中で、きょうだいのなかで最も甘やかされて育ち、農村地域の素朴な人々と接することは苦手だった。

 

側近に厳しい注文をつける王女。米国に暮らしていたとき、社交界の人々はある晩餐会で、使用人たちが四つん這いで王女に仕えている様子に仰天したという。

 

結婚と離婚

1981年、ヴィラユト・ティシヤサリンさんがそんなチュラポーン王女と結婚した。恋愛結婚ではなく、空軍司令官の父親の元に持ち込まれた、断ることも難しい縁談であったようだ。

 

チュラポーン王女との結婚を強要されたヴィラユトさんであったが、最終的には1996年10月、王女との離婚に署名することも命令された。理由は性格の不一致とされた。

 

父・プミポン国王と不仲に

プミポン国王は子供たちの中で、常に自分に寄り添い、公務を補佐してくれていたシリントーン王女を最も信頼していた。一方、妹のチュラポーン王女は1990年代に、父・プミポン国王と不和になっていた。

 

チュラポーン研究財団とチュラボーン王立アカデミーにおいて、研究への助成金が不正に支払われていることが発覚し、王女が批判を浴びている様子に、国王は胸を痛めていると表明した。

 

ところがチュラポーン王女は「教授、医師で空軍元帥のチュラポーン王女より」と署名した何とも無機質な手紙を書き、国王をひどく失望させた。国王はそれ以降、2度とこの娘と話をしようとはしなかったという。

 

◆チュラポーン研究財団で何が起きていたのか

Thaigerはその騒動について、『Bangkok academy deals with serious research publication misconduct』という記事でこう伝えていた。

チュラポーン王立アカデミーは、研究論文における不正行為が発覚し、懲戒処分を受けたことを発表した。同アカデミーは当該職員を解雇し、公式Facebookを通じてその旨を伝えた。

 

タイ国籍の教授が、研究論文を外部から調達して共著者、あるいは筆頭著者となっていたといい、代わりに金銭を受け取って論文中に企業名を掲載するなどしていた。同アカデミーはガバナンス原則に基づき、業務上の透明性と誠実性を重んじるよう職員全員に指導したという。

 

糾弾したのは、カセサート大学で化学を教えるウィーラチャイ・プッタウォン准教授。「少なくとも10人の大学で、海外で書かれた研究論文をお金で購入していたこがわかった。その中に、チュラポーン王立アカデミーの教授が含まれている」と主張した。

 

研究や論文の不正が事実であったことを認めるあたり、タイ王室はまだ立派である。なお、タイのカセサート大学は、秋篠宮さまが1995年、魚類研究などの功績を評価され名誉博士号を授与された大学である。

 

◆タイの王位継承劇は日本が抱える問題と似ている

敬宮愛子さまを次期天皇にと、大きな希望を抱く日本の国民にとって、タイの王位継承劇は決して他人事ではない。

2016年にプミポン国王が崩御される前、王室と国民は共に “このままだと不人気な王族が国王に即位する” という大きな不安を抱えていたのだ。

シリキット王妃は、王位継承順位が1位の息子・ワチラロンコンが複数の離婚歴や放蕩な振る舞いで評判が悪く、国王になど即位すれば国民は暴動を起こしかねないことを懸念しておられた。

一方、「プリンセス・エンジェル」こと次女のシリントーン王女は、国民の敬愛を集めるばかりであった。

しかしプミポン国王は崩御される前、長男であるワチラロンコン王子を国王の継承者として指名し、長年にわたる憶測や論争にピシャリと終止符が打たれた。国王の決断とあれば、国民はそれをのむしかなかったのだ。

国民の反感より「安定」が優先された結果だったという。

 

ただ、日本より良いと感じたのは、国王が崩御した場合、未亡人となったシリキット王妃が摂政となって王国を統治し、ワチラロンコンの幼い息子オン・ティ王子が成長してラーマ10世を名乗るまで中継ぎを務めるという制度が認められていたこと。

プミポン国王も確実にそれを見届けたいとして、生前退位さえ検討したと噂されているようだ。



 

◆コソコソ、ヒソヒソと「通訳なし」で

大変な人格者として国民に愛され、2016年に崩御されたプミポン前国王。タイには私的な用事で頻繁に訪れていた秋篠宮さまだが、2007年には国王を表敬訪問され、宮殿にて1時間ほど親密そうにお話を交わされたと報じられた。

まさに「通訳なし」。何かを必死に訴える様子の秋篠宮さまと、プミポン前国王のいつになく険しい表情が話題になった。詳しいことは『秋篠宮さまの「通訳なし」証拠映像はコソコソもじもじと小声で… 情けないお姿は国民にどう映った?』という記事でご確認を!

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『外務省』 ODA予算・実績 ― 国別援助実績1990年までの実績 タイ

『外務省』 ODA予算・実績 ― 国別援助実績1991年~1998年の実績[6]タイ

『WikiLeaks』Thailand’s Moment of Truth (Part One of Four) Andrew MacGregor Marshall

『Thaiger』Bangkok academy deals with serious research publication misconduct

『エトセトラ・ジャパン』チュラポーン王女

『エトセトラ・ジャパン』秋篠宮さまの「通訳なし」証拠映像はコソコソもじもじと小声で… 情けないお姿は国民にどう映った?

2件のコメント

  • おかわいそうですが、これも秋篠宮家不幸の法則適用の典型的事例なのではないでしょうか。

    昭和電工の阿賀野川有機水銀垂れ流し公害事件「新潟水俣病」では、認定基準を巡って、いまなお紛争中です。こうした阿漕な一族の出なのでは、およそ日本の象徴になどには相応しくはなく、公害の被害者が到底納得できないケチな賠償交渉をされているのが嘆かわしい限りです。

    今年の6月にも新潟水俣病の記事が新聞に出ており、真っ先に文仁氏のことを想起させられました。

    「新潟水俣病」の禍根跳ね返しが、偽皇族による皇位簒奪支援の動機となり、タイに正妻がいたのに紀子氏と重婚したのではという、とんでもない疑惑まで発生。巨額のODAがタイに注ぎ込まれ、それが口止め料になり、悠仁sや悠子s達をタイで用意してもらった…とくれば、もはや泥沼もいいところです。

  • プミポン国王とシリキット王妃の末娘、チュラポーン王女…
    シリキット王妃が 病に臥してるのに、何故 日本に来たのか?(2週間の予定) 何処に宿泊したのか…宮内庁は御存知のはずだろうけど、報道は無し。

    ショート動画【まゆみ 73】にかなり詳しく語られています。短い動画だけど、何編もあって、興味深い内容です。
    宿泊先は「帝国ホテル」、病状は芳しくなく、話す声からして 大変そう。歩くのもやっとの様子。
    結局 1週間程でタイに帰国したそう。
    プミポン国王との対談、葬儀(呼ばれなかったけど 礼宮は家族4人で押し掛けたそう)

    映像も内容も 素晴らしいので、ぜひご視聴ください。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA