「こんなお顔は初めて」やや不気味な悠仁s写真をご紹介 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…

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昨日こちらで、『ブータンの悠仁さまは唇が2種類 ✕ 目元は3種類 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…』という記事を書いた。そこでは、2019年8月のブータンご家族旅行に、厚めの上唇がちょっと前に出て、うなじの毛が耳に向かってクルンとカールしている悠仁さまがいらっしゃったことをお伝えしていた。

そのとき思い出したのは、2016年の長崎市平和公園ご訪問で献花されていた悠仁さま。とても似た横顔であると感じた。

 

2016年12月、長崎の平和公園で献花をされた悠仁さま(画像は『YouTube』のスクリーンショット)
2016年12月、長崎の平和公園で献花をされた悠仁さま(画像は『YouTube』のスクリーンショット)

 

今回はその長崎市ご訪問の際の、また別のお写真に関してとなる。

 



 

◆2016年12月、長崎市へ

悠仁さまは2016年12月6日、小学校の休みを利用して、秋篠宮夫妻とともに長崎市をご訪問。平和公園では原子爆弾落下中心地の碑に、白菊と蘭の花を手向けられた。その後、原爆資料館を訪れ、被爆者から体験談をお聞きになったという。

こちらはそのときのお写真で、画像販売会社のgetty imagesのリストからスクリーンショットでお借りしてみた。

 

悠仁さまの背は紀子さまの肩より高いのでは?(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)
悠仁さまの背は紀子さまの肩より高いようだ(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)

 

厚めの上唇、うなじの髪の毛のカールなど、この悠仁さまの横顔は、2019年8月にブータンで国立博物館見学シーンを担当された悠仁さまと、やはり共通する何かを感じる。

 

◆ちょっと不思議な写真が…

ところが、そのリストにあった別の1枚が、筆者の目にはどうにも不思議であった。

 

この身長、手の大きさをあなたはどう解釈する…?(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)
この身長、手の大きさをあなたはどう解釈する…?(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)

 

筆者が感じた違和感は…

●上の写真の悠仁さまより、お顔が大きい

●満10歳という年齢と身長に対し、手が大きすぎる気がする

●一段上にいらっしゃるにもかかわらず、紀子さまの肩より背が低い

 

分かりやすくなるよう、別の写真を右に置いて比較してみるとーー。

悠仁さまの身長や目の大きさが違うような気がするが…(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)
手や顔の大きさだけじゃない。身長や目の大きさも違うような気が…(画像は『gettyimages』のスクリーンショット)

 

このお写真・左側の悠仁さまに、皆さんは何となく奇妙なものを感じないだろうか。

 

◆お庭に珍しいお顔立ちの悠仁さまが

続いて、秋篠宮家のお庭で撮影されたという写真に「あれっ?」という1枚を発見した。

まずは、私たちが度々拝見してきた悠仁さまの映像や画像から、スクリーンショットを3点並べてみた。幼少期の悠仁さまといったら、このようなイメージではないだろうか。

 

 

続いては、筆者が「まるでキティちゃんのよう!こんなにお顔の横幅があって、目が左右に離れた感じの悠仁さまがいらっしゃったとは!!!」と驚いたお写真を下に入れてみた。

 

下の悠仁さまの目元は、瞳が小さくやや離れ気味という印象
下の悠仁さまは秋篠宮さまにソックリではないだろうか。

 

秋篠宮さまに実によく似た、やんちゃなご表情。このお写真は、韓国でかなり前にNAVERが扱っていたが、日本では毎日新聞のみ。しかも現在はもう見当たらないようだ。

 

上腕の短い、ちょっと雰囲気の違う悠仁さま、毎日新聞2~3歳か
いつもとちょっと雰囲気の違う悠仁さまが秋篠宮家のお庭に(画像はネットで拾ったもの)

 

◆髪質まで違っていた

本当に可愛らしい悠仁さまの幼少期。いつまでも撫でていたい髪の毛も、サラサラと柔らかいのは、実はこの頃までだったりする。

それにしても、直毛からカーリーになり、また直毛になって再びカーリーに戻ってと、悠仁さまの髪質の変化はめまぐるしいご様子だ。

 

 

◆まとめ

すくすくとしたご成長ぶりや愛らしい笑顔など、もっともっと拝見できていれば、現在の悠仁さまに対しても、多くの国民が親しみや敬愛の念を抱いていたことだろう。

ただ、それを理解していてもなお、悠仁さまの何かを隠す必要に迫られ、宮内庁は報道規制を敷かざるを得なかったのだろう。従わないメディアに対し「罰則付き」とは穏やかではない。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『getty images』Prince Hisahito Visits Nagasaki

『gettyimages』Prince Hisahito 2009

『時事通信社』秋篠宮ご夫妻と一緒に国立科学博物館の「発見の森」を見学される悠仁さま(東京・上野の国立科学博物館)

『時事通信社』秋篠宮家 悠仁さま 写真特集

『時事通信社』世界の動物たち 写真特集

『朝日新聞』【写真まとめ】悠仁さま18歳成年 戦後生まれの皇族で初

『週刊女性PRIME』【中学ご卒業】悠仁さま「葉山でよちよち歩き」「凛々しい袴姿」「薪割りショット」秘蔵写真で振り返る!

8件のコメント

  • 記事の一番下段にあった、幼い悠仁sの写真がなんとも不気味です。

      

    左から順に①②③④と番号を打つと、①、②、そして③④の合計三人はいるように見えます。特に髪の毛の生え際と毛質で、同一人物ではないと気づきます。2010年8月/国立科学博物館での③、2010年10月/上野動物園での④は同じ子です。

    このあたりは紀子さんにとって、のるかそるか、一かバチかの大勝負でした。というのも、2010年10月、上皇の傘寿写真展に出て来た悠仁くんは言葉が全く出ず、テレビカメラの前で「アワアワアワ」と奇声をあげネット上で騒然となり、宮内庁記者会でも「発語はまだなのか」と質問が出されるほどだったため、ここで言葉を発せられなければ即刻、皇室典範第三条「廃嫡」論議開始となる寸前だったからです。

    まだ補聴器で訓練できる年齢でもなく、言葉が聞こえていなければ言葉を発することはできない。そこで、上野動物園の園舎でもない、講堂のような広い部屋を真っ暗にし、報道陣が固唾を呑んで見守るなか、文仁氏が狸のぬいぐるみを持った子供の背中を軽く叩くと、「たぬき!」と一声だけあげました。「これで聾唖ではないだろ?」といわんばかりの表情を文仁氏は見せ、その場は何とか誤魔化せたわけでしたが、この合図が当時のSNS上では「ヒソスイッチ」と呼ばれていたことを記憶しております。

    もちろん当時は全て同じ子で、悠仁(ヒソヒト)くん一人の話とばかり思っていたのですが、代理母出産の子供ら一群がプレハブ療育棟内に控えていたと考えると、「たぬき」と叫んだ子の顔は、目からしてそれまでの悠仁くんとは全然違い、毛質も異なる別人ではなかったかと疑うしかなくなります。

    悠仁くん1号は聞こえに重度の難ありで、人工内耳にされる以前は、公的な場で聴力が試されそうになると替え玉の悠仁sを投入することが常態化していった。そんな中で、最初の健常児擬装工作が起きたのが、この上野動物園での記者を前にしたマジックショーの如き「発語証明会」だったのではないでしょうか。

    この目の大きな「たぬき」絶叫ちゃんが、後にブータン旅行に連れて行かれ、主役のはずだった男子・悠仁から滞在中にそのポジションを奪い、入れ替わって、紀子さんとの帰国便に同伴搭乗を許されたことでセンターをゲット。羽田到着時には悠仁さまとしてお披露目されました。

    中学時代の報道用公式顔写真になったのは悠子さんだったのか、もう少し幼児時代の写真を検証してみる価値はありそうです。

  • これって普通に兄弟間の顔の違いですよね。目が違えば、別人と認識しますよ。 

    そこまでしてでも、皇位継承権を手放したくない紀子さん。やはり問題がありそうな悠仁1号ではだめで、次々と禁断の控えの子らを出し始め、ボロが出ただけのこと。

    それがついにツクコさん(女子)を出してきたことから、とうとう弾切れになったものとみられます。秋篠宮家の裏事情を知る人達はせせら笑っているはずです。

    控えの子らを作らせていたことは、悠仁1号への第三条廃嫡より重症で、犯罪とみなされる可能性もあり、皇族費の不正流用や、中抜き犯罪(詐欺罪)が疑われ、成立しやすくなります。

    控えの子らへの養育費、治療費など全部裏金で処理するしかなく、誰がスポンサーなのか大問題。

  • 2枚のお写真、右は色白の幼いお顔、左は顔立ちがくっきり、いわゆる男の子らしいお顔…とお見受けしました。ただ、この2枚は同じ日のお写真なので、どちらかに統一すべきなのに、なぜこのような不手際があるのでしょうか?

    影武者説もあり得るとは思いますが、親としてどんな思いで接すればよいのでしょうか。私が親ならやはり自分が産んだ子が一番可愛く思うし「ありのままの悠仁を見て!」と思うはず。時々に応じてベストな子を前面に押し出すのは気持ち悪すぎます。

    かなり早くからお写真いじりをされていたことは明らかですね。SNSやyoutubeの世の中だからこそ、おかしくない?と投げかけた疑問が世界中に周知され、写真の隅から隅まで調べた結果もアッという間に広まる…とはねー

  • 週刊誌の後ろの方にある間違い探しをしているような気持ちになりました。幼い頃の無邪気に笑う悠仁さまならずっと可愛かったかもしれませんね。

    でも、今回の長崎ではなくて、広島の時の悠仁さまは「誰?」と言うくらい顔が違いましたものね。今回のは身長の違い。しかも、大きな差がある。これを質問した場合、どう答えられるのでしょうね。まさか足の装具でそんなことになりませんね?やっぱり、加工かぁ。

  • 身長が低いわりに手が大きく中指が異様に長い悠仁様は、左脚の大腿部が太いように見えます。

  • 最後に4枚並べられた左のお写真は、直上のご家族写真におられる横長キティちゃん顔の悠仁様に似ているようにお見受けいたします。

    それにしても、これだけ何人もの“悠仁様”を成人されるまで邸内でお育てになってこられたのでしょうか。

    どなたかがご養育を引き受けていらしたとして、長い年月に渡るその過程を共有するお世話掛のご使用人はおられなかったのでしょうか。

    ご家族以外で秘密を共有する人の箝口令はさぞ厳重であったろうと思われるのですが、誰よりも今や成人されたご本人たち自身がこの状況をおかしく感じられたり反逆されたりなさらず『駒』として振る舞うことに従い甘んじておられるのは何故なのか、非常に不思議です。

  • 「こんなお顔は初めて」やや不気味な悠仁s写真をご紹介 私たちは一体ナニを見させられてきたのだろう…
    2025年5月20日9:20 PM

    ●悠仁さまはこんなにお顔が大きかっただろうか

    ●満10歳の年齢と身長に対し、手が大きすぎる

    ご参考までに、

    ●なのに、紀子さまよりそんなに背が低いなんて

    「こんなお顔は初めて」という別のお写真も。

    脚には必ずチェック入れないと、此の写真では足の折り曲がりがなくストレートですね。ブータンに行く前の宮邸での写真とは明らかに違います。

    身長を割り出すこと出来るかも。

    学校保健統計調査の結果が知りたい。 (小中学生の身長、体重の平均値が知りたい。)

    年齢 身長(cm):全国 体重(kg):全国
    10歳 139.7 35.7
    11歳 146.1 40.0
    12歳 154.0 45.7
    13歳 160.9 50.6

    エトセトラさんのブログ 436に掲載

    >アリー 2025年5月14日

    紀子さまを目の前で拝見したことがあります。目の前を通られただけで、お話はしていません。
    私は身長153cmなのですが、紀子さまも同じくらいの身長でした。

  • ちょっと不思議な写真、のひさひとさまは、加工で脚を短くし、背を低くしているように見えます。(何のために?)

    左手の中指、異様に長くて不気味な感じがします。すごく奇妙な写真だと思いました。

    幼い頃のひさひとさまは可愛い〜ですこのまま成長してほしかったです。…でも、3枚並んだ写真の、右側のひさひとさま(縞模様のネクタイをしている)は、あんまり可愛くないというか、別人に見える…

    お庭での家族写真のひさひとさまも、別人に見える…真ん中の写真と同じチェック柄のシャツを着ているけど、きこさまの服が違うから、撮影日は違いますね。まさかこんなに小さい時から、替え玉?
    かこさまの表情が暗いのも気になります。

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