悠仁さま誕生後、なぜか秋篠宮さまもご陪席で最高裁トップらに極上のおもてなし 「午餐の会」の悩ましい真実
先月下旬、天皇陛下が最高裁判所長官や最高裁判事らを皇居宮殿にお迎えし、午餐の会を催した件が大きな話題になった。
大腿骨骨折騒動にまさかのエア骨折疑惑がある上皇后美智子様。京都嵐山の鵜小屋裁判が始まった秋篠宮さま。当然ながら、こんな厳しいコメントが弊ブログにも寄せられた。
裁判の公正を保つため、裁判所の職員は末端に至るまで「裁判に少しでも関わりそうな相手との飲食をしてはならない」と指導されているのではないですか? 仮に秋篠宮さまが出席してなかったとしても、その身内(陛下)とも飲食はNGなのではないですか?
これは、訴訟当事者の一方には安堵を与え、もう一方には不審と不信、絶望感を与えるような行為です。たとえ、内心は違う意図(例えば、当事者の資質、真実を見極めるなど)があったとしても、外形上は、裁判の公正を著しく疑わせるものです。
その後にわかったのは、陛下にとっては今回が初めての会であったこと、平成でも毎年恒例の開催ではなかったこと、そして秋篠宮さまが時々参加されていたことなどである。秋篠宮さまがなぜ? もしやそのタイミング、何らかの懸念や不安を抱え、法曹界のトップにご相談したかったということ…?
その件で寄せられたたくさんのコメントは、12月4日付の【YOUR VOICE】「皇居で最高裁長官らと午餐の会」に寄せられたさまざまな感想 東大病院医師逮捕と嵐山裁判との関係は?でお読みいただけるが、すると奈良県のmさんという方より、【YOUR VOICE】最高裁判所長官らとの午餐会、平成時代はほぼ毎年11月下旬に実施され令和では今回が初めてですというご意見も寄せられた。
タイトルには念のため “ほぼ” と入れておいたが、コメントには実は「この午餐は毎年の恒例行事です。宮内庁のサイトで確認できます。コメントされた方々も、どなたもそのような事実確認をしていません。そこを私は危惧します」と書かれていた。
すると続いて、お二人の方から「毎年の恒例行事だったとは認識してない。エトさんも少し調べてみた方がいい」といったメールを頂戴した。単発で飛び飛びの開催であったとしたら、一体どんなときに開催されていたのかが気になってしまう。
◆招き、招かれ…は確かにあった
まず最初に、午餐の会が「毎年恒例」という印象を持っておられた奈良県のmさんは、おそらく『期成会』に2023年6月に掲載された元最高裁判所判事・宮川光治氏のインタビュー記事、「最高裁判所での3年6カ月を振り返って」を参考にコメントを寄せてくださったのだろう。
文中の「現陛下」とは上皇さまを指す。インタビュー自体、2012年7月27日に行われたものだからだ。
一言で言うと、関係は深くて密であるということです。これは、私にとって驚いたことの1つです。宮内庁長官のお話では、現陛下は、三権の中で司法との関係を最も重きにしておられるということで、体調を崩すほどの超多忙の中でも、最高裁との関係での行事は、減らさないようにされていることが分かります。
(中略)
秋になると秋季皇霊祭、秋の園遊会があり、新嘗祭があります。そして、午餐会と言って、最高裁判事と高裁長官だけを特別に招待され、フランス料理と素晴らしいワインを、見事な給仕を受けてごちそうになり、懇談をして下さるという会があります。天皇誕生日、それ以外に、長官と代行は晩餐会やお見送りなどがあります。
(中略)
そして、年1回、宮内庁の長官以下十数人の方々を、最高裁長官の公邸、あるいは最高裁の特別会議室という名前のパーティーホールに招待して接待します。そのときは、最高裁判事全員が接待役を務めます。
このように強い関係があり、最高裁判事はまさにエスタブリッシュメント、つまり、権威の中に一員として組み込まれているのであり、一般の判事とは別次元の存在であるということが分かります。そのことが、最高裁判事の心情や意識に影響しないことはないでしょう。
平成の天皇は、ご体調が思わしくなくても午餐の会を催し、最高のごちそうを振舞ったのだろう。しかし令和の世になると、今上陛下は6年にもわたり、何らかの理由、信念により開催されなかったようだ。
◆午餐会の開催年と皇室内の出来事
では、平成の天皇はどのような時に午餐の会を催していたのだろう。その年に大きく報道された皇室の話題はーー。
平成5年(1993年)秋
今上両陛下のご成婚
美智子さまが倒れ「失語症」が発表される
平成7年(1995年)秋開催
秋篠宮家に長女・眞子さまが誕生
平成11年(1999年)秋開催
雅子さまのご懐妊(その後に流産)
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(平成12~19年まで開催なし)
平成16~18年(2004~2006年)、秋篠宮家と関係する警備職員が1名ずつに立て続けに自殺。2006年9月6日に悠仁さまがご誕生。
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平成20年(2008年)秋開催
平成21年(2009年)秋開催
平成22年(2010年)秋開催
平成24年(2012年)秋開催
平成29年(2017年)春開催
天皇陛下の退位に向けた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」
眞子さんと小室圭さんの婚約内定
平成30年(2018年)春
小室家の内情や金銭トラブルが世間に知れ渡る
◆秋篠宮さまだけなぜ2回も?
宮内庁ホームページにある「秋篠宮家のご日程」を確認してみたところ、平成22年と同24年に「文仁親王殿下」がご陪席とある。皇太子殿下の兄をさしおいて、なぜ?


上でご紹介したインタビュー記事の宮川 光治氏が最高裁判所判事でいらっしゃったのは、平成20年9月から平成24年2月まで。つまり、宮殿での午餐の会に3回招かれ、うち平成22年は秋篠宮さまもご一緒された会である。
次期天皇になる徳仁さまを最高裁のトップにご紹介ということならいざ知らず、なぜ次男で傍系である秋篠宮さまが…?
◆筆者の想像:秋篠宮さまがご一緒された理由
秋篠宮さまの陪席は、他でもない平成20年(2006年)9月6日の悠仁さまのご誕生が理由であろうと筆者は想像する。
当時の小泉純一郎首相が私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」を持ち、その座長代理を務めた園部逸夫・元最高裁判事は「女性・女系天皇を容認する報告書」をまとめた。
ところが小泉首相が、そのように皇室典範を改正する案を2005年の国会に提出しようとしたタイミングで、妊娠わずか6週の紀子さまが男児をご懐妊らしいという理由から、小泉首相は改正案を白紙撤回せざるを得なくなってしまった。
悠仁さまの誕生に歓喜するどころか、反感を抱いている国民も多いことを知った上皇さまと秋篠宮さまは、憲法がいくら「男女平等」「皇位は世襲」「天皇は国民の総意」と謳おうとも、女性・女系天皇を容認するような見解が法曹界の権威から2度と出ることがないよう、強くお願いしたということはないだろうか。
そして、超音波検査で胎児の性別診断が下るには、あまりに早すぎる妊娠6週の懐妊公表。それを裏付ける自信は、やはり体外受精/着床前診断で男女産み分けを試みたからだろう。
しかし当時、日本産科婦人科学会は倫理的な観点などから、遺伝性の神経難病を子に継がせたくないという理由以外での男女産み分けを禁止していた。学会や国民がそれについて騒ぎ出すことを警戒し、「何とかならないでしょうか」と最高裁のトップらに相談した可能性も考えられる。
また、これは筆者が「替え玉を製造したのでは?」なる説を出した大きな根拠にもなっているが、2005年、アメリカでは同時期の体外受精で得られた受精卵2つを、実母と代理母で1人ずつ出産して双子が誕生していた(アメリカは今、代理母出産で双子を望む場合は、母体の安全のため代理母2名と契約する必要がある)。
秋篠宮家とその医療チームも、そのケースにヒントを得て、海外の代理母出産システムを利用することを考えたのではないだろうか。そして体外受精で得られた複数の受精卵(子宮に着床後、分裂して一卵性の双子になる例も少なくないそう)を、紀子さまおよび何名もの代理母が次々と出産 ― それが今の「悠仁s」疑惑に至ったと想像している。
そのように誕生した悠仁さまについて、もしも生命倫理云々を言う医師や文化人が現れた際に、なんとかうまく逃げ切れる法律はないものか、男女産み分けの着床前診断を日本も容認できないものか、そのあたりも伺っておきたかったのではないだろうか。
◆しかし岡部喜代子元最高裁判事はブレなかった
天皇家による宮殿での午餐の会。極上のおもてなしに、最高裁判事というお立場であっても、心情の変化は避けられなくなってしまうのだろうか。
しかし2021年、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」という有識者会議では、専門家らを招いて5回もヒアリングの場が設けられた。
同年5月10日、その第4回会議では、元最高裁判所判事の岡部 喜代子氏が素晴らしい意見を述べておられたので、最後にそちらを紹介させていただきたい。
女系天皇は憲法違反であるとの説を採ることができない。
というのは、平成 17年の「皇室典範に関する有識者会議」報告書に記載されているとおり、「憲法において規定されている皇位の世襲の原則は、天皇の血統に属する者が皇位を継承することを定めたもので、男子や男系であることまでを求めるものではなく、女子や女系の皇族が皇位を継承することは憲法の上では可能」と考える。
また、立法者の意思もそのようであったと理解している。
皇位継承は世襲であり、つまり、皇位継承の根拠というのは血縁ということになる。これは、血縁には原則として人智が及ばないということが求められているからである。
生まれながらにして天皇になるべく決定され、その資格があるということになるわけである。そして、そのような者として育てられていく。こういうことで、世襲というものが皇位継承の正当性として認められているということになるのだと理解している。
そして世襲を要求されているのであれば、血の濃いほうが皇位に近いと考えるのが自然である。血の濃さという点について見れば、男女の区別はない。
血の濃い女性皇族と、非常に血の薄い男性皇族を比べたとき、血の濃い女性皇族に親愛の情を抱き、また尊敬の念を持つのが国民一般の気持ちであり、これが皇位の根拠であるとすれば、そのような人が天皇になるというのは、天皇制の支持の基盤ということが言えるのではないか。
■あの有識者会議、ヒアリングに協力した21名は「女性天皇」についてどう語ったのか
■あの有識者会議でかき消された真実 ヒアリングでは過半数が「女性天皇容認も検討する時期では?」と
ちなみに、その有識者会議は清家篤座長が「(皇位継承順位を)悠仁さままで、ゆるがせにしてはならない」の一点張りだったが、ヒアリングでは21名の過半数から「女性天皇を検討する時期に来ているのではないか」との意見があがった。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『期成会』「最高裁判所での3年6カ月を振り返って」インタビュー・講演録 元最高裁判所判事・宮 川光治
・『日刊スポーツ』天皇陛下、秋篠宮さまと直立不動でお迎え 最高裁長官らとの午餐で談笑も
・『期成会』「最高裁判所での3年6カ月を振り返って」 6月 15, 2023 インタビュー・講演録
・『宮内庁』秋篠宮家のご日程
・『宮内庁』午餐(最高裁判所長官始め最高裁判所判事、高等裁判所長官等)(宮殿)
・『エトセトラ・ジャパン』あの有識者会議でかき消された真実 ヒアリングでは過半数が「女性天皇容認も検討する時期では?」と
・『エトセトラ・ジャパン』あの有識者会議、ヒアリングに協力した21名は「女性天皇」についてどう語ったのか
・【YOUR VOICE】「皇居で最高裁長官らと午餐の会」に寄せられたさまざまな感想 東大病院医師逮捕と嵐山裁判との関係は?
妊娠6週目で性別はわかりません。赤ちゃんの袋が見える程度です。私は妊娠したことがあるのでわかります。6週目で性別が分かったということは敬宮内親王殿下の将来にかかわる議論を止めるため。ただそれだけのために医学的方法を使われたのではと思います。どうにかして女性天皇議論を止めなければと自らが男子を生みとめる.宮内庁を通して立皇嗣の礼を政治家に要請されたのではと思います。その儀式をすることで国民に敬宮内親王殿下ではなく我が息子であると知らしめたかったのだと理解します。