川嶋ご一家パリ・ポンヌフ橋写真 撮影場所と角度の謎は解けたが結論として「2枚合成」が疑われる
父・川嶋辰彦氏の仕事のため、少女時代にオーストリア・ウィーンに暮らしたことがあるという秋篠宮妃紀子さま。その際のご家族写真は、「週刊読売」の婚約おめでとう特集号に掲載された。
幾度か見かけたことがある写真だったが、何かと映像・画像の偽装工作が感じられる秋篠宮家ゆえ、成年式を前にそれらの写真もきちんと検証してみては?という意味で筆者の元にメールで送ってくださる方があり、うち1枚はウィーンではなくフランス・パリの一角で撮影されたという事実に、場所を特定したうえで『婚約成立で川嶋家は慌ててフェイク写真を? マスコミ掲載のパリ写真にも合成疑惑』という記事も書いてみた。
するとその後、数名の方から “X字に筋が入った金属フェンスから撮影されている” と教わった。確かにその現場付近には有名なセーヌ川クルーズの乗船場があり、金属フェンスはいくらでもありそうだと思った。そしてあれこれ調べていくうちに、あることに気付いた。
「その “X” は大きすぎませんか?」と。
実は筆者も7年前(昨日までは8年前と勘違いしていた)、オルセー美術館を見学した後でセーヌ川の遊歩道を散策し、夕方からエッフェル塔のシャンパンフラッシュを目の前から眺められるディナークルーズを楽しんだことがあった。
当時のアルバムをのぞいてみると、確かにこういうフェンスが設けられた部分がいくつかあった。この1枚はポン・ヌフ橋が中州であるシテ島にクロスする部分である。

Google Mapで同様の金属フェンスをいくつも確認し、ルイ・ヴィトン本社が入っているというビルと街灯の見え方を追い、最終的に「ここだ!」という場所を見つけた。ご一家の写真はこれより低い位置から撮影されているが、街灯4本の見え方を考えると、構図と角度はほぼこんな感じだろう(A)。

◆フェンス1枚と人の大きさを比較し見えてきたもの
続いては、フェンスのサイズを人間の大きさと比較しながらご覧いただきたい。補強部分である「X」と支柱が大きなヒントとなる。
まずはGoogle Mapが提供している画像のスクリーンショットから。左に観光客であろうカップル、そして右のほうに初老の男性が座っているが、これを見る限り、フェンス1枚の横幅に大人3人は収まらないだろう。
そして、下は川嶋ご一家のお写真。フェンスが設置された15~20cmほど高い段の上に全員が並んで乗っているのだろう。ここで注目していただきたいのは、フェンス1枚に何人が収まるか、である。
Google Mapによる上の画像では、フェンス1枚に成人が3名並ぶのは無理であろうに、川嶋ご一家のお写真では、成人が3人プラス子供が1人、余裕で入れるように見える。
ちなみに、「X」の形がかなり平らでフェンス1枚の横幅が広いのは、ポン・ヌフ橋の1本西にある「愛の南京錠(恋人たちがフェンスに括りつけ、開錠するカギはセーヌ川に捨てる)」で有名なポン・デザール橋である。

なお、フェンスの大きさに関しては、匿名希望の読者さまからも、こんなコメントを頂戴していた(一部抜粋)
(3)https://www.alamy.de/liebesschlosser-und-pont-neuf-das-anbringen-von-schleusen-an-bruckengelandern-ist-bei-touristen-beliebt-wird-jedoch-davon-abgeraten-das-aussehen-zu-verbessern-image347453235.html?imageid=FB78111F-E074-4FB9-B35A-ED28D77728BD&pn=1&searchId=29050b8f7db99b01fdeb0873d371b32d&searchtype=0
こちらドイツ語圏向けの画像販売サイトのこの写真(サムネイル)ではほぼ同じ位置となります。拡大までは無料でできるので、お試しください。(鍵撤去前なのでより原型に近い写真です)もしこのフェンスの高さが1mだとすると、左右比から逆算して一枠分の横幅は1.3mほどになります。同様にフェンスの網のメッシュ数を数えると縦に20メッシュあるようなので、5cm幅とみるとちょうど1mの高さ、横幅1.3mと読めます。
ここで川嶋家写真に戻ると、おかしなことに気づかされました。
①辰彦氏と紀子さんの間に縦の鉄柱があり、左の女性の背後に筋交い交差部分、一方いとこさんの背後にもあるべき左上から右下にあるはずの筋交いが片方全くありません。
②左半分の紀子さん、舟さん、女性の三人は僅か半枠分(65cmほど)しかない部分に立っていることになり、非常に狭いので本来なら到底入り切らないはず。大人一人がほぼ半枠分になるとみられます。
つまり背後のフェンスの大きさに比べ、人間が3割ほど小さ過ぎることが見えてきたわけです。
◆この件の結論
以上のことから、筆者なりの結論としては「Google Mapにあるような構図(A)で撮られた写真に、ご一家が横並びでどこかに寄りかかって撮影された1枚を姿の通りにハサミで切り抜き、重ね合わせたもの」ではないかと疑っている。
紀子さまがパリを訪れた頃には、この「愛の南京錠」現象はまだ起きていなかっただろう。それに「ルイ・ヴィトン本社のあるビル」といっても、紀子さまが子供の頃、それに「へぇ!」と関心を示すような人が日本にどれくらいいただろうか。
本当に、なぜこのようなポイントで撮影された写真が「婚約おめでとう特集号」に提供されたのか。さらに、そこを「パリの市庁舎前」だという情報も届けられたが、パリの市庁舎はもっと美しい。筆者もさまざまな角度から、何枚も撮影していた。


その「市庁舎前」という怪情報が出回った発端は、一体どなたなのだろう。もしも川嶋家が読売新聞社に写真を渡した際に添えた情報であったなら、とんでもないことである。
◆コンシェルジュリー(牢獄)の「忍び返し」
ところで、実はこの件で在米の皇室ブロガー・AkikoHSさんからもメールを頂戴していた。シテ島にはコンシェルジュリー(マリー・アントワネットも収監されていた元牢獄)やノートルダム大聖堂などがあるのに、なぜ…? と不思議でならないそうだ。
そもそもパリ旅行の定番・エッフェル塔や凱旋門は? ちょっと足を延ばせば、大好きに違いない「ベルサイユ宮殿」だってあるではないか。
さて、そのコンシェルジュリーについて。かつて牢獄であったにもかかわらず、門は本当に豪華だ。


筆者も内部を見学したが、写真を撮影して良い場所は限られ、アルバムには数枚しかなかった。ただ、これだけはご紹介してみたいと思った。

この1枚に思い出したのは、治安のとてもよい東京の文京区にあり、駒込警察署からもすぐの筑波大附属高等学校である。悠仁さまが通うようになったら、いきなりトゲトゲの「忍び返し」がぐるりと設けられたそうだ。
悠仁さまは成年式で「国民に寄り添って」などとおっしゃっていたが、この忍び返しの件も秋篠宮家と国民の間に大きな距離、壁を作った一件ではないだろうか。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『Wikipedia』Paris_Pont_des_Art
・『エトセトラ・ジャパン』皇族と婚約成立で川嶋家は慌ててフェイク写真を? マスコミ掲載のパリ写真にも合成疑惑
・Google Map:https://www.google.com/maps/place/2+Pl.+du+Pont+Neuf+W,+75001+Paris,+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/@48.8571824,2.3411395,2a,51y,55.04h,92.85t/data=!3m7!1e1!3m5!1s2NCTzcs7WnsD8KPDQZxApg!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fcb_client%3Dmaps_sv.tactile%26w%3D900%26h%3D600%26pitch%3D-2.8450587395683584%26panoid%3D2NCTzcs7WnsD8KPDQZxApg%26yaw%3D55.042508020575184!7i13312!8i6656!4m14!1m7!3m6!1s0x47e671e037bbc73d:0x9c2a87a32dd21743!2z44K344OG5bO2!8m2!3d48.8548825!4d2.3474928!16zL20vMDF2Z2Q1!3m5!1s0x47e66e208c244c35:0x9050ecd3fc7a8a4b!8m2!3d48.8572321!4d2.3412385!16s%2Fg%2F11wy1jxzls?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDgxOS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
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例の写真(パリ市庁舎前と記載)だけでなく、パリ・エッフェル塔、オランダ、イタリア、フィンランド、オーストリア各地、エジプト、ユーゴスラビア、スウェーデン、日本国内各地と、まさに写真の持つ情報量の多さに音を上げそうになっています(少々、吐き気が)。
落ち着きましたらまた投稿させていただきます。
もぐぞうさんがYouTubeに上げてくださって、コメント欄が興味深いです。父上が地方高校から東大へ?とか。
そういえば、wikiには都立戸山高校卒業としか書いておらず、小学校・中学校はどうされたのでしょうか。信州上諏訪の山寺にこもって勉強をした、諏訪をよく知っていた、という情報もあります。
https://www.seizenkeiyaku.org/wp-content/uploads/2022/03/299.pdf
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