【YOUR VOICE】安倍元首相は平城京跡地近くで凶弾に倒れた 奈良の時代を懸命に生きた女帝達からの怒りの鉄槌かも…
※ こちらは11月2日付の【YOUR VOICE】関西人からみた高市氏は、どこまで出世しようと奈良県橿原市で育った「おばちゃん、おばん」風ですに対し、読者様から寄せられたコメントです。
••┈┈┈┈••✼✼✼••┈┈┈┈••
すみません、くすくすと笑いながら拝読しました。
大阪市民で職場が上本町です、もう内容すべてに、うんうんと頷きました。近鉄百貨店の上本町店は、奈良のおばちゃんで一杯という話は、しょっちゅう耳にします。
柿の葉寿司に赤福餅は、近鉄線を利用している奈良県民には外せないアイテム(ちょっと表現がおかしいかな?)ですね。近鉄奈良駅でもちゃんと売ってますし、吉野山の金峯山寺すぐ近くの「やっこ寿司」さんの柿の葉寿司は、予約しないと買えません。
先日は信貴山に行ってきましたが、改札をでてすぐに目についたのは、高市さんのポスター。
平群町内の小さい駅なのに、やはり奈良だなあと思いました。
だからこそ、高市さんには奈良の時代を生きた女帝の方々に思いを馳せてもらいたいです。アキシンのカタカタは、かつての女帝達を、「単なる繋ぎ役」「お飾り」と言い放っていますが、そうでしょうか? 私もまだまだ勉強不足ですが、素晴らしい業績を上げた方々ぞろいと思います。
亡くなった方に鞭を打つようで心苦しいですが、安倍晋三元首相が亡くなった場所は、平城京跡地に一番近い場所です。あの事件は、奈良の時代を懸命に生きた女帝達からの怒りの鉄槌かもしれないと、想像しています。
私は、人間はその生き方に相応しい死に場所を迎えると信じているので、申し訳ありませんが、あの場所でああいう最期を迎えたのは、安部元首相の来し方を表しているのではないだろうか、と。
お亡くなりになる数年前には、秋篠宮家より愛子天皇を、と考えておられたという話もあるようですが、でも私はこの人は、悠仁さん誕生に何か関わっているような気もしています。
(コメント欄:高橋翔太さんより)
画像引用元:『時事ドットコムニュース』高市早苗首相の歩み 写真特集
【YOUR VOICE】について
こちらは、普段ブログをお読みいただいている皆さまに、ご参加いただけるコーナーです。
皇位継承問題、現在の皇室典範、宮内庁はココがおかしい。そしてマスコミや週刊誌の適当な報道。
「もう黙ってはいられない」「私も言いたい」といった真剣な思いを、あなたも言葉にしてみませんか?
【ご協力をお願いしたいこと】
・メールで info@etcetera-japan.com へ。件名は「YOUR VOICE」でお願いいたします。
・簡単なタイトルもご準備ください。
・ご署名はお住まいの都道府県+イニシャルや仮名、またはSNSのアカウント名をご利用下さい。
・卑語の使用、デモやテロなどの危険な誘導、過激な表現はお断りいたします。
・弊ブログとは方向性が一致しない、男系男子論などの主張はお断りいたします。
・謝礼などはございませんが、どうぞご了承下さい。
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
女性天皇はここぞという歴史の節目に、皇祖神の命を受けてなのか、出てこられるようであります。
敬宮さまが担われる運命は、とても重たいものがあるようにも思われますが、これほど不思議な力を他者に与えられるお方も珍しく、人目見ただけでも目が合った時の感覚が後々まで体内に残り、お若いことなど忘れ、まるで生き神さまに会ったかのような衝撃がいまだに身体に残っています。
それだけに学習院で同級だった人達にとっては、どれほど大きな存在に映ったか、想像がつきます。
頑張って学習院から東大に進学された坊ちゃんもおられるようですが、敬宮さまを前にして怠けるわけにはゆかないと誰もが思うでしょう。時々は同窓会を開いて、愛子さまを励ましてあげて欲しいです。
男性天皇にも中継や傀儡はたくさんいたのでは?
それが史実では?
男系男子派と言うのは「伝統だ!」「歴史だ!」と喚くくせに、史実から目を背ける人達です。
紀元前7世紀の弥生人の「神武天皇」から男系男子継承が途切れず続いているなんて話はその最たるものです。
こう言うのをカルトと言います。
安倍さんが差し出したメモ。驚いた表情の小泉さん。
リアルタイムで見ていた私は、あの映像は目に焼き付いていて何年経ってもけして消えないものです。
お腹に子供を宿した経験がある身として、あの週数での性別判断は絶対にあり得ません。安倍さんは確実にヒサヒトサン誕生に関わっていたと思います。
あの世からでも責任を取って欲しいです。
雅子様が自分の娘なら、敬宮殿下が自分の孫なら、と考えたなら、自ずと答えは出てくると思うのに、この国の政治家や有力者のなんと想像力の無いこと、と嘆くばかりです。
お願いだから、当たり前に考えてほしい。海外の方々がきちんと理解していることを、なぜ日本では出来ないのか、とても不思議です。
奈良時代の女帝は全く中継ぎなどではありません。
闘争の中心に君臨した、強き女帝たちです。
「強い女性天皇」の終焉は「道鏡事件」で有名な孝謙・称徳天皇ですが、私は彼女が不当に貶められたまま、再研究されていないことが今に繋がっている気がしてなりません。
まず、孝謙天皇は女性でありながら皇太子として育てられました。この一点で中継ぎであるはずがありません。
「道鏡を天皇に」という神託を聞いて「宇佐八幡に確認する様に」と和気清麻呂を遣わしたのは女帝本人です。道鏡を天皇にしたいなら何故聞かされた神託をそのまま実行しなかったのでしょうか。
流された道鏡は地方の古刹の別当として生涯を終えていますが、皇統簒奪を企んだならそんな軽い処置で許されるでしょうか?
自身も藤原の娘ながら、天皇としての自覚が強かった彼女は台頭する藤原氏はじめ各継承権保持者と後ろ盾による権力闘争で血に塗れながら地位を守った強い女帝です。
江戸期に劇にされた「か弱い女帝が自分では決断できず、男の言動に惑わされて右往左往」の様な人物からかけ離れているのはもちろん、巨大なイチモツに惑わされ天皇の位を貢ごうとした愚かな女帝な訳がない。(天皇の位を貢がなくとも女帝ならいくらでも巨根を集められます。)
父から継いだ大仏建立事業を完成させた孝謙・称徳天皇は、仏教の力で国を救おうとしていた。政敵だらけの朝廷で、道鏡が大きな支えであった事は間違いない事で、もし、本当に皇統を譲ろうとしたなら朝廷の腐敗と仏教の力を信じる故と考えられるし、そもそも天智系統の光仁天皇の正当性を高めるために先帝の歴史が貶められた、という学説もあります。私は女帝の厄介さが身に沁みた藤原一族が徹底的に女性を封じ込めたと考えています。
これ以降に誕生する女帝は中継ぎのみとなる訳ですが、実権(権威)を持つ女性天皇を検討する今、「何故、奈良時代以降の女帝は中継ぎのみに封じ込められたのか」の議論が盛り上がらない事こそ作為的だと思います。私はこれを大声で訴えたいです!
私は10代8名の女性天皇の存在を中継ぎとは思いたくないです。生きていた時代を精一杯勤められてきたのではと思います。皇后陛下が夫の後を継ぎ天皇になられた例もありその時代に合った皇位継承だったのではと想像しています。その時代に生きていた日本国民もそれを受け入れていた。