【YOUR VOICE】皇室が続いたのは万世一系だからではない 武力と一線を画してきたからこそできた

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※ こちらは10月18日付の【YOUR VOICE】明治の田舎侍・井上毅→中国儒教→男系男子→大元帥→戦争→敗戦→戦後80年(今ココ)に対し、読者様から寄せられたコメントです。

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吉川英治の新平家物語の一節を思い出します。

残念ながら青空文庫の該当箇所は現在作業中のまま中断され、紙の本は既に廃棄してしまったので(例によって怪しい)記憶に頼ります。

もはや「大意」と、書くしかありませんが、

保元の乱の時に、左大臣藤原頼長が自身で鎧を着用し、崇徳上皇にも鎧を召すことを勧めた時に、(名前失念、位の低い)某が諫めていわく、

 

「神代上古はさておき、永らく帝は干戈甲冑でなく【仁徳】をもって政に当たられてきました。異国はともかく、我が国においては、帝が甲冑をまとった絵姿は拝見したことはございません。」

 

周囲も皆もっともという顔をしたので、上皇の鎧着用は見送られ、頼長自身も鎧の重さと暑さに耐えかねて脱ぐことになった。

 

このくだりは吉川英治の創作と思いますが、1000年近く前で、既にこうだったと思われるわけです。

皇室は武力とは一線を画してきた。だからこののちも続いた。万世一系だから続いたわけではありません。

(コメント欄:低圧ナトリウムランプさんより)



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